振り返ってみたら、そこには何もなかった

 今年ももうすぐ終わる。毎年、大晦日の夜には一年の反省と拙blogの読者にお礼の言葉を残すのだが、今日はそんな気分にならない。何しろいろんなことがあった1年だった。個人的には病気や体調不良が続いた。社会的には、もう思いだしたくもないような「忖度」に、強弁に開き直りにどさくさまぎれで何でもやったろというABのアホのおかげでこの国はめちゃくちゃである。心あるミュージシャンも沢山亡くなった。それでも僕は生きている。まだもう少しはこちらの世界にいると思うので、力はないがあがき続けて行こう。今年最後の曲はと考えたが、クラプトンのアルバムの中で多分一番人気がないと思うが、僕が大学に入った年にリリースされたアルバムの中のこの曲を選んだ。皆さん、良いお年を。



カラオケで歌った不滅の名曲集

 先日、職場の忘年会があり二次会でカラオケに行った。そこでいろいろ歌ったが、ほとんどの参加者が知らない、知らないというもので、こらあかん、こんな名曲を知らんで死んだら大変なことやとCDを作り、おまけに曲の解説を書いたのだが、もったいないのでここにもアップする。なーに、みんなが知ってる歌ばかり。安心してちょうだい(ここ財津一郎風に)

・不滅の男(遠藤賢司)
 やはり、オープニングはこの歌でしょう。胃がんと闘いながらも、今年の10月25日に惜しくも亡くなった純音楽家遠藤賢司が79年にリリースしたハードなパンク・アルバム『東京ワッショイ』に収録された歌。もともとはフォークの出身で三島由紀夫の割腹自殺のニュースと日常の生活を歌った「カレーライス」や自分の飼い猫にネズミという名前を付けて歌った「寝図美よ、これが太平洋だ」など少し人とは違った視線で歌うスタイルと唯我独尊的ギターはカッコよかった。『東京ワッショイ』の素晴らしさに感動したPANTAと鈴木慶一は、それ以来交流を深めた。エンケンの自宅に押しかけて、このアルバムはすごいと絶賛したそうだ。その縁があってエンケンバンドにTOSHIが参加したり、2002年発表のアルバム『幾つになっても甘かあネェ!』に3人ともコーラスで参加している。そうそう、ウシャコダもバンド・デビューしたばかりの頃で、『東京ワッショイ』とその次の『地球防衛軍』にコーラスで参加している。さらにエンケンの結婚式にバンドで登場しPANTAのバックで「さようなら世界婦人よ」を演奏したという信じられないエピソードもある。

・うちわもめ(センチメンタル・シティ・ロマンス)
 73年にデビューした名古屋出身のバンド。元はっぴいえんどの細野晴臣がプロデューサーとして1枚目のアルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』をリリース。その記念すべきアルバムの1曲目に収録されシングルにもなった曲。日本のロックバンドとは思えないくらいの音の抜けの良さ、キャッチーなメロディに抜群のハモリ、LAの風を感じさせるまさにシティ・ロマンスなバンド。自分たちのバンド名を書いたトレイラーに楽器を積んで全国をツアーするというスタイルもユニークだった。デビュー・アルバムを出した後にメンバーは名古屋市長からロスアンジェルス市長へのメッセージを携えて渡米するという今ではちょっと考えられないような出来事もあった。オリジナル・メンバーの告井延隆は2013年にバンドを離れ、今はアコースティック・ギター1本でビートルズの曲を完全コピーするという独自の活躍をしている。おっとセンチメンタル・シティ・ロマンスはまだまだ現役。

・カモナ・ウシャコダ(ウシャコダ)
 千葉県松戸市出身の同級生が中心で作ったバンド。78年ヤマハ主催「イースト・ウエスト78」(関西では8月8日に決勝戦をやるので8.8ロックデイというイベントだった)最優秀グランプリを受賞。シャネルズやサザンも登場したイベントだ。79年デビュー・アルバム『土一揆』にも収録されているが、スタジオ録音はセカンド・アルバム『パワフル・サラダ』に収録されており彼らのテーマソングといえる。デビュー当時は全員が農作業姿、ベースの恵福は実家がお店だったので恵福商店の前掛けをしており、MCで「お買い物は松戸市の恵福商店にどうぞ」なんて言ってた。ステージではジャンプといって観客全員にジャンプを強制させたり、躍らせたりコミック・バンド的だがソウル・R&B・ブルース・レゲエなどさまざまな黒人音楽の要素を上手く吸収して自分たちのものとしている。しかし、「キン作カッポレ」がボブ・マーレーのレコードを聴いているときに出来たというのは何かの間違いではないかと思いたい。

・アフリカの月(大塚まさじ)
 ディランⅡを解散して歌うことをやめるつもりだった大塚まさじに西岡恭蔵が作ってプレゼントした曲。西岡恭蔵の奥さんであるKUROちゃん(安田大サーカスじゃないよ)が初めて作詞した歌としても有名。アレンジは当時ジャズの影響が強かった故石田長生。大塚まさじの1枚目のアルバム『遠い昔僕は…』に収録されている。数多くのシンガーにカバーされているが、個人的にはCARMEN MAKIが最高だと思う。アルバムではこのバタ臭い歌に続くのが「天王寺想い出通り」。石やんのギターも渋いが、歌詞が泣かせる♪小便臭いプラットホームが道の下にある 昼寝息を殺したあの路地裏には昨夜の女と男の黒い秘密がある~。そうか、このアルバムには「うた」も入っている。こちらは是非YOU TUBEでお聴きください。ザクロの花がオレンジ色してるというのは「うた」で初めて知りました。

・ろっかばいまいべいびい(西岡恭蔵)
ゾウさんの歌を1曲。吉田美奈子のカバーのほうがオシャレで歌も上手いのだが、オリジネーターというのは味がある。スリー・ドッグ・ナイトの「オールド・ファッションド・ラブ・ソング」よりポール・ウィリアムスのほうが、二ルソンの「ウィズアウト・ユー」よりバッドフィンガーのほうが味があると思うのだ。しかし、この歌、実はオリジナルは先ほど登場した細野晴臣である。はっぴいえんどを解散した細野がソロで『HOSONO HOUSE』というアルバムを発表。そこに収録されていた歌を2年後、西岡恭蔵が自身の3枚目のアルバム『ろっかばいまいべいびい』に録音。ただテレビなどのクレジットでは作詞・作曲西岡恭蔵となっているのを何度か見かけた記憶がある。当時はJASRACもあまりうるさく無かったんだろうか。あ、オレ、これはカラオケで見つけきれず歌ってなかった気がしてきた。いいんだいいんだと、次に歌うんだ。

・てぃーんずぶるーす(原田真二)
 出た、フォーライフ・レーベルの秘蔵っ子、なんつっても今じゃ誰もご存じない。芸能人のゴシップ好きな人だと松田聖子と一時期噂になった二枚目というところか。しかし、この人はすごかった、広島の高校生時代に修学旅行に行かず、そのお金を自宅のレコーディング費用にした。そこで作ったテープをフォーライフに送り、それを聴いた吉田拓郎が腰を抜かし、3枚連続シングル・デビューという荒業を使ったのは衝撃でした。ちなみに「てぃーんずぶるーす」「キャンディ」「シャドーボクサー」の3曲。トリプル・シングル・デビューなどと歌っておきながら彼のファースト・アルバムにはこの歌と「キャンディ」の2曲しか入って無かったのを覚えている。今、新書で『阿久悠と松本隆』という本を読んでいて、丁度この時代の話になっている。当時の歌謡曲業界には沢田研二、ピンクレディー、キャンディーズさらに都はるみに石川さゆりという錚々たるメンバーがひしめきあい、またロック、ニューミュージックからCHAR、世良公則&ツイスト、ゴダイゴ、甲斐バンド、アリスなどこちらも強烈なメンバーがいる中で、弱冠10代の原田真二の快進撃は素晴らしかった。

・風をあつめて(はっぴいえんど)
 いわずとしれた日本語のロックを作り上げたはっぴいえんどの2枚目のアルバム『風街ろまん』に収録。細野晴臣、松本隆はすでにこの文章にも登場している。後は大瀧詠一だが、彼の歌は難しいのよ。「君は天然色」や「恋するカレン」なんかをカラオケで上手く歌うとバブリーなギャルがナンパ出来た時代もあったな(遠い目)。もとい、はっぴいえんどはもう語る必要のないバンドとして飛ばす。

・ダイナマイトに火をつけろ(ボ・ガンボス)
京大出身のどんとが作ったバンド。京都のライブハウスで活躍していたメンバーが中心。前身はローザ・ルクセンブルク。その頃から「在中国的少年」とか「さいあいあい」、「おいなり少年コン」などと人を食ったタイトルの歌が多かった。まあ、ボ・ガンボスになってからも「魚ごっこ」や「ずんずん」、「見返り不美人」とかやはり変なタイトルが多い。タイトルは変だが音は最高。疲れてきたので後は少し手を抜く。

・ロマンチスト(ザ・スターリン)
 ご存じ、遠藤ミチロウのメジャー・デビュー曲といっていいか、アルバム『STOP JAP』の1曲目。「不滅の男」遠藤賢司としゃれで遠藤兄弟と名乗ってステージに立ったことはあるが、血縁関係はない。今思いだしたがミチロウのエンケンに対する評価で「中間がない」という言葉がある。エンケンの歌や演奏は動か静のどちらかで、その中間というものがないという意味だ。この歌は最初は「主義者」というタイトルだったが、「ロマンチスト」に変わって正解だと思う。「主義者」じゃ普通の人間は聴かない(笑)。ステージでは豚の内臓や頭をぶちまけるとか鶏の首を切ったとかスキャンダルな話題が先行したが、本人は至って静かなインテリ。吉本隆明のファンだというのもうなづける。膠原病からようやく回復しつつあるが、今後も元気で音楽活動を続けてほしい。この曲をアコースティック民謡パンクにした「ロマンチスト音頭」も最高。

・ヒッピーに捧ぐ(RCサクセション)
 RCが不遇な時代に作ったアルバム『シングル・マン』に収録されている。歌詞はほとんど実体験。名曲であるがみんなで盛り上がるカラオケにはちょっとな。誰だ、こんな曲入れたのはと他人だったら必ず怒る。

・イムジン河(ザ・フォーク・クルセダーズ)
 故加藤和彦、故はしだのりひこと北山修の3人で結成したというのは間違いで、解散記念に作ったレコードから「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットしてしまい、1年限定でプロとしてやるために作られた3人組のフォークル。そのうち2人のメンバーがもうこの世の中にいない。あれ、オレはあの時は「悲しくてやりきれない」を歌ったんじゃ無かったか。ま、どちらもいい歌ということで。

・アンジェリーナ(佐野元春)
 この人はデビューしたときはブルース・スプリングスティーンのパクりだと軽く見ていたが、なんのなんの。歳も近いせいもあるが、シンガーでソングライターでアレンジャーで、そしてとても真面目な人なのだ。歌としては「彼女はデリケート」のほうが好きなのだが、この歌は疾走感と独自の言葉の韻が心地よくつい絶叫してしまう。1980年3月彼のデビュー・シングルである。

・今宵の月のように(エレファント・カシマシ)
 もう説明はいらないかな。実は彼らのアルバムは1枚目と2枚目が大好きだった。レーベルで言うとエピック・ソニーの時代。しかしながら全然一般的な人気は出ず、彼らがポピュラーになるのは「四月の風」が収録された『悲しみの果て』、レーベルで言うとポニーキャニオン時代からである。しかし、本当のエレカシの良さは「待つ男」とか「おはようこんにちは」にある。カラオケのリモコンで探したがなかったので、ちょっと一般受けしようという下心からこの歌を選んだことは反省している。

・大和ぬ風(ヤマトヌカジ 下地勇)
 沖縄は宮古島の方言で歌う、多分この世界でたった一人のシンガー、下地勇(現在は下地イサム)。同じ日本語とは思えないというか、沖縄本島の人でも意味が分からないという宮古島方言(ミヤクーフツ)。メロディはいろんな洋楽の影響を受けてはいるが、やはり彼ならではのものも多い。この歌は宮古島から出て本土に渡りおお金持ちになって帰ってくると大口たたいた息子が母親に向かって覚えたのはタバコだけだったという内容。

・バラッドをお前に(THE MODS)
 ビート・バンドが売れた時代が一瞬遭った、もっと正確にいうと福岡出身のビート・バンドだ。めんたいビートなんていわれたっけ。MAXELLのカセットのCMソングに起用された。この曲の入ったアルバム『HANDS UP』は初回限定盤にはTシャツが付いていた。それを嬉しそうに着てハワイで撮った写真があるが誰にも見せて居ない。てか、今調べたらMAXELLのカセットのCMソングになったのは「激しい雨が」のほうで、こちらはドラマの主題曲だった。お詫びして訂正いたします。

・子供達を責めないで(伊武雅刀)
 まさかあれほど受けるとは思わなかった。本当はスネークマン・ショーの「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」を探したが無かったので、たまたま選んだ歌。オリジナルはサミー・デイヴィス・ジュニアというれっきとしたシンガーの子供たちへのメッセージ・ソングだったのにスネークマン的解釈で大人が子供を嫌う歌になっている。

動画を付けたほうが親切かもしれんが、もう疲れたので、また。

買ったら聴く、買ったら読む



しかし、重なる時は重なるものだ。今日、仕事から帰って自分の部屋に入ると小さな紙箱が置いてあった。昔懐かしの郵便小包みたいな感じだ。僕が学生の頃は今ほど流通が盛んではなく、宅急便など無かった。あったのは丸通、つまり日本通運のトラックによる配送。九州から自転車やステレオを修学院の下宿に送ってもらったのだが、今の宅急便と違って荷物の積み下ろしは自分でしないといけない。ステレオはコンポではなく、昔の家具調ステレオなのででかくて重い。同じ下宿に住んでた予備校生に手伝ってもらって、漸く部屋に収めた時は汗ダクになっていた。

そのほかに大きな荷物を送る方法として、「チッキ」というものがあった。どんな漢字を当てるのか知らないが、今のJR、昔の国鉄がやっていた配送方法である。これも冬用の布団を実家からチッキで送ってもらったのだが、このチッキ、フロム・ステーション・トゥ・ステーションという仕組み。あ、ボウイのアルバムにもステーション・トゥ・ステーションてのがあったが、あれはチッキの事を歌っていたのか。な、はずはないか。しかし、京都駅に届いた冬用の布団をどうやって修学院まで持って帰ったのか、記憶は定かでは無いが、多分、シータク使ったんだろうな。

えー、本日のエントリーは日本における物流革命についてではなく、頼んでいた本やCDが溜まっててきたら、う、う、どうしようかな(by 村八分)、という話。ついこの前、近くの書店で朝日新書の『阿久悠と松本隆』を、祥伝社新書で『憂国論』を買って読み始めたところに、本日届いたブツは『渋松対談』の赤盤、青盤。そして『アックスマンのジャズ』である。

渋松対談は、今は単なる娯楽誌になってしまったロッキング・オンの名物連載。僕が大学に入る年の2月だったと思うが、地元の書店のマガジン・ラックに、当時は隔月刊だったロッキング・オンがたった1冊だけ置いてあった。ジミー・ペイジが表紙だったが、何となく寒々しい写真と雑誌そのもののあまりの薄さに引いてしまい、一旦、手に取ってみたもののパラパラめくってすぐに元の場所に戻した。

そのまま、別の本を買って店を出ようとしたのだが、どうも後ろ髪を引かれる思いがして、確か定価も280円くらいだったので、つまらなくても惜しくは無いくらいの気持ちで買った。それから何年かは、熱心な愛読者になったしロッキング・オンを意識した訳では無いが自分達でミニコミも始めた。ミニコミのメンバーの1人がロッキング・オンに出来たばかりの自分達のミニコミを送ったら、しばらくして編集長の渋谷陽一から手紙が届いた。

内容は『左翼小児症的な表現には抵抗があるが、目指している方向性にはシンパシーを感じる。ロッキング・オンも頑張るので君たちも頑張って欲しい』みたいな内容だった。

たかが学生のミニコミに、当時は既に隔月刊ではなく、それなりに立派な雑誌になっていたロッキング・オンの、それも編集長から届いた手紙なので、僕たち、マーマレードのメンバーは少し興奮した。

しかし、当時から口も性格も悪かった僕は、その手紙の中に誤字を見つけて『渋谷陽一も漢字を知らんな、ま、大学を中退するようなやつだから学が無いのも仕方ないな』などと言っていた。人を呪わば穴二つ、天に向かって吐いた唾は自分に戻る。その後、僕は大学に6年通いながらも最後は中退するという未来にまだ気がついてなかった。

対談相手の松村雄策は、最初に買ったロッキング・オンに『アビーロードからの裏通り』という連載を書いていた。正直に言うと僕は松村の連載が読みたくてずっとロッキング・オンを買っていた。夜中に全く意味は無いが昔のレコードを聴いたり、本を読む時間が無いと自分の人格を維持できないというところは、あ、オレも一緒や、と大いに喜んだ。彼のエッセイも小説も読んだし、何しろ磔磔にライブに来た時は見に行ったくらい好きだった。アルバムもアナログだけではなくCDになったものも購入した。もちろん、今は全て廃盤だが。

その松村雄策、脳梗塞で倒れて今は不自由な身体で活動している事を知り、今回の2冊購入になったのだが、うーむ、積読にしてはならない。買った本は読むし、買ったCDはしっかり聴くのだ、と自分を鼓舞する。



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若い頃と変わらぬ感性というべきか(笑)



学生時代から全く進歩していないともいえるのかな、などと柄にも無く考えてしまったこの週末。先日、フェイスブックに某ショッピングモールから旭屋書店が撤退した事を投稿したのだが、そして地方都市の文化的退廃について鋭く問題提起したのだが(え、そんな話でしたかなどという異論反論は認め無いぞー)、実はその時にタワレコの後に入ったCD屋でウロウロして目を付けていたブツがあった。

写真にアップした3枚が、それである。前回は懐寂しく購入出来なかったが、良く考えたら今月は我が誕生月、しかもクリスマス。新島襄先生のキリスト教信仰に感銘して大学の門を叩いた人間として(ウソです。昔から無神論の罰当たりです)、今年頑張ったご褒美として、たかがCD3枚くらい自分から自分にプレゼントしても良いじゃないか、あ、いいじゃないか、いいじゃないか(by モップス)。

ということで、昨日、買いに行きました。そこで新たな発見。旭屋書店の跡地に未来屋書店が出来るようです。しかし、な、タワレコの後に入ったCD屋さんは量的にも質的にも完全にダウングレード。一番の問題はレジに若くてきれいなおねいさんがいない。居るのは「何でオレがこんな地方の、それも南九州の鳥も通わぬザキミヤなんてところで働いているんだよ。採用された時はてっきり東京か大阪、大都市でシティーライフを満喫する筈だったのに、あの時、上司にゴマをすっとけば、キャバ嬢に入れ上げなければ、オレの人生は、ちくしょう」などと考えていないと絶対否定は出来ないと思われるような男の店員である。いや、別に男の店員が嫌だという訳ではないが、ルンペンプレカリアートが、少ない小遣いをやりくりして買いに来たのにレジが野郎だってのは、どうなんですか。

と、ここまで書いてふと思うことがあった。ということはオレがロックバーで店番してる時に入って来る客が一瞬残念そうな顔をするのは、なるほど、こういう心理か。ケイちゃんが店番してると思って楽しみにして来たら愛想の悪い元ボーリョク学生がいたら、本当は回れ右して帰りたいところを仕方なく入って呑んでいたのか。反省。

と、こんな事を書きたい訳ではない。要は久しぶりに買ったCDの話だ。一番楽しみにしていたのはキング・クリムゾンの『ヒーローズ』。ボウイのベルリン三部作の中でも僕自身が一番好きなアルバムが『ヒーローズ』。そこでギターを弾いていたのがクリムゾンのロバート・フリップ。ボウイへの追悼とベルリンの壁崩壊からのメモリアルとして出したミニ・アルバム。他にも「イージー・マネー」や「スターレス」というクリムゾンの歴史を語る中で欠かせない名曲が入っている。さらに国内盤にはあの「ピース」まで入っているではないか。

で、真っ先に聴いた。感想はゲロつまらん。いや、歴史的背景など考えると意味があるかもしれんが、演奏はつまらん。オリジナル・レコードを必死に聴いていた人間としては、まるで神田川をラストに歌う南こうせつみたいなもの。いや、いいけど、神田川で若かったあの頃を思い出して、何も怖くはなかったなんて共同幻想みるのも否定はしないが、オレは不要だ。

加藤和彦の『ガーディニア』は、前作『それから先のことは』に大感激した人間としては何故当時購入しなかったか、実に良く分からないが、多分、学生時代に聴いていたら、それほど評価しなかったと思われる。が、しかし、この歳で聴くと実にいい。ボサノヴァやサンバに対する許容力が増えたおかげだろう。サウンドは、いわゆるAOR。あるいは当時の言葉で言うとクロスオーバー。

バックが凄い。アレンジを坂本龍一が担当していてドラムに幸宏。ギターが鈴木茂。もうベースは細野さんだったらYMO(笑)。さらにバックコーラスに歌姫、笠井紀美子。ギターに渡辺香津美。パーカッションに斎藤ノブ、ベースは元ミカバンドの、てか木之内みどりをニューヨークに拉致した後藤次利。他にも当時のトップミュージシャンが雲霞の如く参加している。加藤和彦も安井かずみとの再婚生活が充実していた時期で、この後例の三部作を録音する。ん、やたら三部作が出てくるな。

最後のデオダートは、当時購入しても大いに気に入った筈だ。確か高2の時だと思うがFMの番組で偶然彼の「ラプソディー・イン・ブルー」を聴いた。ぶっ飛んですぐに原楽器店に行きアルバム購入。アルバム・タイトル曲はもちろん、ムーディーズの「サテンの夜」やクラシックの「亡き王女のためのパヴァーヌ」も良かった。さらに彼のオリジナルの「スーパー・ストラット」も、要するに全てが素晴らしいアルバムだった。当時はジャズやクロスオーバーなど全然知らなかったしCTIレーベルの意味も分からなかったが、いいものは良いのだ。

『ラプソディー・イン・ブルー』は、デオダートのソロのセカンド・アルバムでファーストは今回購入した『ツァラトゥストラ』である。あれだけセカンド・アルバムが気に入ったのだから、ファーストも当時買っておかしくは無いのだが、なんせあの時期は次々と欲しいレコードが出てなんとなく書いそびれて今に至る。

デオダートのレコードは、高校の音楽の授業が自習になった時に、先生を丸め込んでレコード鑑賞の時間にして全曲音楽室でフル・ボリュームで流した。気持ち良かった。

と、こんな事を思い出してふと我に返って思う。オレは高校、大学時代から感性は変わっていないな。しかし、考えようでは成長が無いとも言える。だからどうした、文句があるか、あるなら100字以内にまとめてメールしてくれ。もちろん、句読点は含む。って、どうした、オレ(笑)。



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江戸の仇を長崎で、いやファミマの仇をローソンで



昨日は、というか正確には本日の午前3時近くまで店番。本来なら朝寝を決め込む週末だが、病院の定期健診を受けるために朝早くからゲラップ、スタンダップ、ドンギブアップザファイ。当然、これはボブ・マーレーの名曲を歌っている。まあ朝早くからとはいえ、午前9時半まで寝てた。それがどうした。オレはその気になれば休みの日は昼過ぎまで、もっと具体的に言うとほとんど夕方と言える16時くらいまで寝ていられるぞ、はぁはぁ。と、一体何に対して、誰に対して怒っているかよくわからんが、とにかく本人としては早朝と言えるくらいの時間に病院に行ったのだ。

地元では名医と有名な病院なので、待ち時間も長く精算から薬局での薬の受け取りまで終わったら昼近かった。喉が渇いたのとトイレにも行きたかったのですぐ側にあるセブンイレブンに潜入。コンビニに入ったら、これはほとんどみんなそうすると思うのだがマガジン・ラックをチェック。すると『進撃の巨人』の最新作があるではないか。すぐに手に取りレジまで行きかけて立ち止まった。先日のファミマで恥をかいたローソンの20円引きチケットがまだ手元にある。これが残り一冊であれば、たかが20円を惜しむことは無いが、なんせ本日発売。資本の論理として、当然、沢山売って沢山儲けようという思想であるからして、在庫は腐るほどある。

先程、たかが20円と考えたが、されど20円である。『されど我らが日々』である。どこに消えた柴田翔、大昔に芥川賞取ってからとんと名前を聞かんぞ。しかし、平成のお子達に柴田翔といっても話は通じないな。などと考えながら、セブンイレブンを出て、近くのローソンに行った。すると、恐ろしい事にマガジン・ラックには『進撃の巨人』が一冊しかない。売れてるな、ガサス、などと呟きつつ手に取ってみたが、何かおかしい。既視感がある。表紙に見覚えがある。よく見ると最新作では無い。一つ前のやつだ。おのれ、慌て者にバックナンバー買わせて、『これじゃ無かったです、最新作を買うつもりだったんです』という客に、『ビニール破ったらダメです、交換出来ません。』などと昔のビニ本書店の店員みたいなことを言う気だな、このやろ。あ、お断りしておきますが僕はビニ本買ったことはありません。あれが好きだったのは関東から出向で来て、鹿児島の支店長をしていた、おっとあぶねー。個人名を書くところだった。

そのローソンをプンスカ怒りながら出て家に帰った。そこでセブンイレブンとローソンの資本力の差が最新作の入荷量に影響するのではないか、という日本経済新聞あたりに投稿するようなエントリーを書こうとしたが、ちょっと待て。社会主義的リアリズムを追求するオレとしては、ローソン一軒で判断するのはいかん。もう一軒調査だ。自宅近くのローソンに行くと、ありました。『進撃の巨人 24巻』、すぐに手に取りレジへ。さらに20円引きのチケットも使いゲット。

さて、これからじっくり読むのだが、その前に腹が減ったのでうまかっちゃん辛子高菜味を作る。今日のエントリーは教訓が沢山入っているのでみんな読んでや。



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