我が国における物流の問題、あるいは田舎をバカにするな、このやろの話



先週の木曜日に、「宮崎国際ジャズデイ」の話の続きを書こうとして、山下洋輔のHPを見たら、5月20日に新書が出たと書いてあった。今は亡き相倉久人と共著であり、オビはナベサダが書いてる。こりゃ買わねばの娘だが、一抹の不安があった。

5月20日販売ってのは、花のお江戸の話であって、こちとらディープサウスのザキミヤ在住の身だ。だいたい発売日から1~2週間遅れるのは、ざらである。この前は、進撃の巨人の22巻が出たと聞いて、探したがどの本屋にも出てない。もうすっかり忘れた頃に自宅近くの本屋で見つけて、即捕獲したが、あれも発売日からかなり経っていた。

しかし、今回はすでに6月1日。発売日から10日は過ぎてるし、だいいち月も変わっている。当然、本屋の新書コーナーにあるはずと思って、行ってみたら何のことはない。どこにも見当たらない。新潮新書のコーナーの1冊目は『バカの壁』である。今時、誰が読むんだ、こんな本と毒づきながら探したが、無い物は無い。無念の涙を飲んで、本屋から撤退した。

家に帰って、そうか、ネットで買えば早いと気がついた。しかし、まあ、明日には本屋に入ってるんじゃないか、ぼちぼち週末も近いし、本屋も商売だから週末に大量入荷して、ポップなんかも飾って、もしかしたら今までの山下洋輔の全出版物を一挙に集めて、大山下大バーゲンという特集がないと誰が断言出来る。世の中に絶対なんてことはないのだ、はぁはぁと何だか知らんが、やたら興奮してそのまま寝た。

ま、ネットで注文しなかったのは、こちとらの読書傾向をアマなどに知られて、ほら、おま、こんな本好きやろ、こんな音楽も好きやっちゅうことも分かっとるんやで、どや、どや。と迫られるのがウザい。しかも、今、アベのボンクラが無理やり共謀罪を成立させようとしてるし、そうなると個人のデータなど敵権力に好き勝手に見られ、何かあったら、お前が共謀してるのは明白じゃ、さっさとお縄についてキリキリ歩けと言われるのは必定。そんな手には乗らんぞ。

とまあ、いろいろ考えた翌日、仕事帰りに本屋に寄るが無い。うむ。明日は土曜だし、明日には入るだろうと、またもや1日待ってみた。土曜は朝からいろいろな用事を済まし、午後になって本屋に向かった。新書の棚を丁寧に探したが、無い。お、どーなっとるんや、この国の物流は。え、もしかしてザキミヤは鎖国しとるんか、関所で入り鉄砲と出女は厳しく詮議しとるんか。てか、この場合は入新書か、え、おい、責任者出てこんかい。と、怒鳴り散らしたかったが、気圧のせいか頭痛が酷くなり帰って寝た。オレは休日は寝てばかりだが、ピースオブマインドをキープするには、スリープがナンバーワンと何故かルー大柴化してしまう。

で、本日の日曜だが、例によって午後遅く起きだして、なんだかんだ買い物など済ませて、いや、目的なんかないんよ、週末の気晴らしのサイクリングやねん。本屋、寄らん寄らん、いや、少し疲れたらのぞくかもしれんが、せいぜいマンガの立ち読み。新書のコーナーには寄りません。と、これは誰に言ってるのか、多分、自分に過度の期待を持たせないためのマインド・コントロールか(笑)。

そういう気楽な気持ちが良かったのか、新潮新書の棚の一番最後にありました。たった1冊。もちろん、ゆっくり手に取り、ついでに明治維新なんて長州テロリストのクーデターやんけ、吉田松陰門下生全員共謀罪じゃ、と普段から考えているワタクシなので、もう1冊、気軽に読めそうな本を買って家に帰ったのだ。

ということで、例のエントリーの続きは、もう少し後になりそうな今日この頃(笑)。





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第5回宮崎国際ジャズデイの光と影 その2

 はっと気が付いてみたら夢だった。というのは最悪のオチであることは百も承知で使わせてもらう。はっと気が付いたらGWが終わっていた。GSではない。あれはとっくに終わった。ジュリーとショーケンが腕達者な連中と一緒にPYGを結成したときに終わった。でも、「花・太陽・雨」とか「自由に歩いて、愛して」とか良かったよな。などといっても今どき誰もPYGなんて知らんか、そりゃそうだ。てか、前回の続きを書かねばの娘だということをたった今思いだした。前回の続き、そう、ストリート音楽祭での情宣活動の話だ。

 橘通3丁目のCステージ横での情宣活動が悲惨な敗北だったことは前回書いたとおりだ。いくら人通りが少ないといっても、隣接の飲み物を売ってるテントには千客万来である。それなのに、我がテントには人が寄ってこない。ポスターを机とテントに貼り、パネルの裏面に「チケット販売中」と大書して目立つところに置いているのに全然誰も近寄ってこない。敗因の一つにテント内にいたのが胡散臭そうなオッサン2人だったことが、あげられる。いやオレはさておき、もう一人の担当者N原さんは胡散臭くはないな。ま、どっちにしてもオッサン2人が目をきょろきょろさせて行きかう人を見て居るから、近寄りがたい。隣のテントは若者の男女が数人いるので、若い女の子を見て男性客が寄ってくるし、若い男の子を見て子連れのママさんたちがやってくる。それに引き換え、こちらは、うーむ、オレはZEK3のTシャツを着ていったのだが、残念ながらCDデビューしたZEK3の神通力も通じなかったようだ。

テント情宣

 さて、そうしているうちに副委員長のH原さんが突然現れて、人通りの多い、メイン会場そばのアートセンター前で情宣活動が出来るように話を付けてきたという。よっしゃ、善は急げや、さっさと後片付けをしてわずか2枚しか配布できなかったフライヤーをごっそりもって、こちらも開くことのなかったお釣り用の金庫も持って移動した。流石にアートセンター前はすごい人数である。それはいいのだが、ビラ配布用に確保していた机が無くなっている。テントの位置といい机が行方不明になることといい、誰かが僕たちの活動の邪魔をしているのではないかという疑念が浮かぶ。もしそうであれば鉄パイプかバールでド頭勝ち割ったるぞとキケンなことを考えつつ、とにかくセッティングが大事と机を探し何とか通りに面して配置することが出来た。その時には実行委員長のH高さんを始め、何人か他の実行委員も合流した。時間は16時をとっくに回っており、ステージには地元のジャズ・バンド、Honey Comin’ jazz @ smallがチューニングを始めていた。管楽器の入ったジャズ・バンドでトロンボーンはチャンネーである。向井滋春のトロンボーンもいいが、チャンネーのトロンボーンもいい。いや、オレはたいていチャンネーの、それも若くてきれいなチャンネーの演奏は好きだ。などとどさくさまぎれに訳の分からないことを書いたが、そうこうしている間にこちらも準備が整った。何の準備だ?フライヤーの配布だ。

 前回の情宣の失敗は待ちの姿勢だったからだ。待っていても結果はついてこない。これだけ沢山のお客さんが目の前にいて、しかも今から演奏するのはジャズのコンボだ。ジャズに全く無縁な、興味のない人は少ないだろう。ということは目の前のお客さんは全て見込み客ではないか。Honey Comin’ jazz @ smallの演奏を聴こうと席に着いているお客さんにまずフライヤーを配布した。中には積極的に手を伸ばして受け取ってくれる人もいる。いい感触だ。席に着いているお客さんに配り終わったころにバンドの演奏が始まった。A列車などおなじみのスタンダードを演奏する。メンバー紹介のMCもあったが情宣活動に専念していたので聴き逃した。ステージ前のお客さんに配り終えたので、今度は通路にいるお客さんに向けてフライヤーを配布。実行委員何人かで手分けしてやったのだが、この手のビラ配りは負傷ってケガしてどないすんねん、不肖ワタクシに一日の長がある。目の前を通る人がビラを受け取る人か受け取らない人か瞬時に判断がつくし、またビラを手渡すタイミングは体にしみこんでいるのではずれがない。これは苦学生だった頃に、学費のためにやったポケットティッシュ配りの経験が役に立った。などというのは大ウソで学生時代に配ったビラも、あれはボランティアというか自主活動というか、まあ当然無償の活動でした。ライブやイベント関係のビラも配ったけど、一番良く配ったのは大衆団交とか、移転反対とか学費値上げ粉砕とか、あ、そんな話はお呼びで無い、お呼びで無い。こりゃまた失礼しました~。

 気が付くとHoney Comin’ jazz @ smallの演奏は終わり、スガダイロー・トリオのメンバーがチューニングをしている。こちらのフライヤー配布にも力が入る。「今から演奏するスガダイローと山下洋輔のスペシャル・グループが明日市民文化ホールでコンサートします。地元の都城の小中学生の吹奏楽部と一緒に演奏します」などとアピールしながら配った。すると1人の人が「チケットは会場で買えばいいの」と聞いてきた。「当日券は500円高くなるので、今、ここで前売り買った方がお得ですよ」と、これは営業マン時代に鍛えた急がせる決め手で購入を勧める。財布を出した。やったー、1枚チケット売れたぞ。それから勢いに乗ってガンガンフライヤーを手配りしている最中だった。「フー、ミヤザキ・ピープー、フー」という素っ頓狂な声が聞こえてきた。振り返ってステージを見ると蝶ネクタイに半ズボンというけったいな格好したお兄さんがマイクを前にして何やら絶叫している。この人が有名なノイズ中村さんというスガダイローのマネージャーであることを後ほど知った。とにかくハイテンションで客を盛り上げるが、ん、大丈夫か、これから演奏するのはスガダイローだぞ、林栄一と本田珠也と3人で土神というユニットを組み、超強烈なフリージャズを展開したスガダイローだぞと心配だったが、そこはプロのスガダイロー。ストリート向けの聴きやすい演奏をかましてくれた。ところでこのノイズ中村さん、ユニークな人で彼のいろんな失敗談をスガダイローがツイッターでアップしている。僕のお気に入りは、「一昨日を英語でイエスイエスタデイって言ってます。」とか「いや~押しがけでエンジンかかって良かったですよ!JAL呼んだらいくらかかったかわかんないす! と飛行機呼ぼうとしてました。」なんてエピソードだ。翌日、打ち上げで少し話をさせてもらったがいつもニコニコいい笑顔をしていた。

 最終的にはCステージそばからアートセンター前に移動して、約2時間。持参したフライヤー、多分1000枚は完パケ。チケットも6枚売れて何とか情宣の結果は出すことが出来た。本来であれば、そのまま街に繰り出して祝杯を挙げたいところだが、明日はイベント当日。市民文化ホールに朝9時インなので、素直に家に帰りお酒も控えめにして床に就いた。日曜の目覚ましを8時にセットするなんて何年ぶりだろう。昼間の疲れもありすぐに熟睡。気が付いたときは♪朝日が昇るから起きるんじゃ無くて目覚めるときだから旅をする~などと拓郎の「人生を語らず」を口ずさみながら♪ゲラアップ、スタンダップした。あれ、いつの間にかボブ・マーレーになっている(笑)。

 と、ここまでかいたのが5月7日。そのまま続きを書いてアップすれば、まだ5月も上旬といえる時期に終わっていた作業を、本日27日にやっている。空白の20日間は何だったのか。いいわけになるが続きは書こうと思っていたが、正直、光の話から影の話になるので、若干気が重かったことと、その間に別のイベント、そうサヒカブイの午前様までカラオケ大会とか中山うりのぼっちライブへの参戦など、新しくエントリーのネタになることが次々あり忘れないようにちょこちょこ下書きしているうちに、この話をすっかり置き去りにしていたのだ。置き去りにしたあの悲しみは、とまるで吉田拓郎の歌である(あれ、このフレーズは2回目か)。それを思い出させてくれたのは昨日、ロックバーに来店した名医S原君である。カウンター越しに話をしていたのだが、突然、「ところで『宮崎国際ジャズデイの光と影』の続きはどうなった。もう書いたのか」と聞かれ、クリビツテンギョー。え、あんなしょうもない話を読んでいてくれたのかと一瞬ビビった。正直にまだ書いていないことを伝え、それでも自慢じゃないがオレのエントリーのシリーズものは完結するほうが珍しい。たとえば「フォークソング・クロニクル」、たとえば「過去への旅路」、たとえば「帰ってきた過去への旅路」、あ、過去への旅路は最初の関西ツアーの話が終わっていないのに、2度目のツアー話を書き始めたのでさらに混迷と停滞、でいずど・あんど・こんふゅーずど状態である。ま、要するに完結しないことが多いと言い訳したが、そのままにしてはいかんと本日書いている次第。

 さてイベント当日は9時集合だったので、5分ほど前に市民文化ホールに行った。スタッフの楽屋に入ると、すでに実行委員長と副委員長を始め多のメンバーが揃っていた。大多数のメンバーが集合した段階で、昨日までの状況報告を実行委員長が行い、本日の予定と注意事項の説明を受ける。実行委員はステージ・搬入搬出担当、受付・案内・物販担当、ケータリング担当とそれぞれ役割が決まっており、その担当ごとのリーダーの指示に従って、事前の打ち合わせ、そして本番前の最終打ち合わせを行うことが決まった。僕は場内警備の担当だったが、これは事前に準備することはあまりない。ステージが始まる少し前に準備することはあるが当面はこれという仕事はない。ステージの担当は朝一番から搬入をしており、午前中いっぱいは機材搬入や設営で忙しそうだ。仕方ないので午前中はあちこちうろつき、何か手伝えることはないか探したが、ほとんど何もなかった。そうそう、学生チケットが不足したので、手持ちのチケットを自宅に取りに帰ったくらいかな、12時にはケータリング班からもらった弁当を食べた。宮崎名物チキン南蛮が結構なボリュームで入っており、食べたらおなかいっぱいになり眠くなった。昼休みだし、自分の車の中でのんびりしようと思い駐車場に向かうと、その手前の喫煙スペースにタバコを吸ってる人がいた。スタッフかアルバイトの人だと思い「お疲れ様です。」と声かけしたら、その人も満面の笑みを浮かべて「お疲れ様です。」と答えてくれた。なんと本日の山下洋輔スペシャル・グループのドラム、高橋信之介さんである。昨年もしなやかなドラムを聴かせてくれたが、今年もまた聴けるとはなんという幸運だ。自分の車の中でリクライニングを倒して少し昼寝をしようと思ったが、4月にしては強烈な日差しで全く眠れなかった。しょうがないのでまたホールに戻った。

当日

 13時からはいよいよ準備も本格的になった。あちこちに案内のパネルを貼ったり、物販の机を配置したり、そうそう今回のイベント・プログラムにアンケートや様々な案内用フライヤーの差仕込み作業もあり、これは結構大変な作業だった。それでも大勢のスタッフと協力して流れ作業でやるのは楽しかった。今回、このイベントの実行委員として参加したが、全てボランティアで自分の時間と体力を使って何が楽しいのかとよく言われたが、みんなで協力して1つのことをやることが楽しいのだ。音楽が好きだから出来るのであって、音楽に興味のない人から見れば単なる酔狂である。道楽である。それがどうした、オレのハンドル・ネームはDRACや!しかし、今回のイベントを通していろいろ考えることはあった。まずこんな小さいなシティなのに、なんというのかイベントの縄張り争いというのか、地元に民放テレビ、メディア、行政関係、全て仲良くやればいいのに、なんだかんだメンツの張り合いがある。たとえば、このジャズデイの当日に別の企画をやっている団体が目玉イベントをぶつけてくる。今回の打ち上げで知事も話していたが、両方のイベントから誘われているので、時間が重なって困ったそうだ。またジャズデイのイベントとは直接関係ないが、毎年夏に行われるジャズの野外イベントの日に市内で祭りが行われる。ジャズのイベントを押しているテレビ局と祭りを押しているテレビ局があるのだ。自慢じゃないが宮崎は民放が2局しかない。たった2局なんだから手を取りあってそのまま行こう(by Queen)となればいいけど、なんというのか、意地の張り合いである。

 そうこうしているうちに開場時間が近づいてきた。15時に実行委員とサポーターの全体説明会が行われ、最終確認が入った。その後は、各部署ごとに分かれ、打ち合わせ。僕は警備担当なのでリーダーのB東さんと一緒に打ち合わせ。このホールの警備を何度もやっている学生バイト5名とサポーターの人たちと役割の確認をする。ドア係、案内係と役を振っていき僕は指定席の担当になった。車いすで来られる方もいるので、その座席スペースの確認などを行う。もっともこちらの仕事は受付が始まった後からが本番なので、しばらく時間の余裕はある。その時間を利用して忙しそうな部署の手伝いをした。案内のパネルを貼る仕事があったので、持参した強力テープで貼りつけて居たらホール・スタッフのT本さんが飛んできて、「そのテープは使わないでください。このホール専用のテープがあるからこれを使ってください」と注意された。不透明なばんそうこうみたいなテープだが、これだと剥がした時に痕が残らない。そうか、僕の持ってきたテープは粘着力はすごいが、剥がすのに苦労するし、第一、強力な痕が残る。それを知った僕は鬼の首を取ったように指定外のテープを使っているスタッフを見つけると、「あ、それはダメです。これを使いなさい」などといってたのでずいぶん嫌がられたと思う。上等や、人間嫌がられてナンボや、そんなこというてるから友達がすくないんや、おう、それがなんじゃい、人間死ぬときは一人や、そんな強がりばかり言ってると数少ない友達も離れまっせ、それは堪忍、キャインキャインと殿山泰司ごっこは始めるときりがないのでやめる。

 16時になりホワイエに客入れを開始した。会場入り口は2か所あり、一般客用と指定席(こちらにサポーターと招待客も並ぶのだが、それが不徹底だったため後で地獄を見た)用に分かれている。初めはパラパラという感じだったが、だんだん人が増えてきて一般客は最後尾がどこだかわからない。通常この手のイベントの時は最後尾と書いたプラカードを持った人がいるのだが、なんとそういうプラカードは準備してないし、第一誰がそれを持つのかも決めてない。こういうところがプロのイベンターとボランティアによるアマチュア集団の違いだ。前日の情宣活動の時にジャズデイのパネルの裏に「チケット販売中」とマジックで書いたことを思い出し、裏が白いパネルがもう一枚あるので、そこに最後尾と記入してもらい、行きがかり上僕が持った。最初は簡単にさばけていたが、次々やってくる客、そして致命的だったのはチケットの開場時間と実際の開場時間が異なっていたため不満が重なる。副実行委員長のH原さんがお詫びのパネルを作成していたが、ホールの入り口に掲示したので人が増えて来たら見えない。仕方がないので大声でお詫びしながら並べて居たら、「招待客、サポーターが一般に紛れて居ないか確認して」と受付担当のM崎さんから指示が入る。

 「一般客の最後尾はこちらです。お手持ちのチケットが招待客の方、サポーターの方はいませんか。」と叫んでいると、やはりパラパラと招待客のチケットを持っている方、サポーター会員証を持っている方が五月雨的にやって来る。その人たちを指定席のコーナーを案内するが、いかんせん人手が足りない。ようやく学生バイトが1人来たので、僕より背の高い彼に最後尾のパネルを持たせた。客の列はその段階で、1列では並びきれず大きく蛇行して並んでもらった。後日、この判断にクレームがあったとさんざん言われるが、じゃ、どうしろというのだ。何の指示も方法論もなく、突然その日のその時になって客を整然と並ばせろなど無理な相談だ。文句言うならてめえがやれや。後からこうすりゃよかったなんて何とでも言えらあ。その時、その瞬間、その現場でどうするか、それが現実というものだ。まあ、4月だというのに気温も高く倒れた人が出なかったのは不幸中の幸いであった。ここまで書いたら、また影の話を思い出したので一旦終わる。続きは多分、そのうちアップします。

ユセフ・イスラムは、このアルバムをどう考えているのだろうか?



という疑問が突然湧いた。ユセフ・イスラム、以前はキャット・スティーヴンスという名前で活躍していたシンガー・ソングライターである。スエーデン人とギリシャ人のハーフとして生まれた彼は、最初は当然クリスチャン。ルックスが良かったのでスカウトされ、ポップスターとしてデビュー。その頃のヒット曲、「マシューアンドサン」もなかなかいい曲だが、芸能生活に疲れて結核で入院。その頃から自分で歌を作り始めて、入院中の窓越しに見た女性のために「リリー・ホワイト」を作ったなどというのは、少し出来過ぎかな。

退院してからは、お飾り人形は嫌だとギター持って自作の歌を歌い始めた。その頃には、すでに仏教徒になっていた。ファースト・アルバムの『モナ・ボーン・ジャコン』、セカンドの『ティー・フォー・ザ・ティラーマン』、そして名盤のサード、『ティーザー・アンド・ザ・ファイアー・キャット』で人気を不動のものにした。

何しろ当時、赤丸付きでチャートを急上昇していたエルトン・ジョンから一番好きなシンガーと言われていたくらいだ。4作目は仏教の十牛図からインスパイアされた『キャッチ・ブル・アット・フォー』は、ちょっと考え過ぎたんだろう。出た当初は、あまり良いとは思わなかったが、十年くらい前に買い直して聴いてみたら染みる歌が多かった。

そして、問題作というか、僕個人としては一番好きな5作目のアルバム、『フォリナー』は、全くヒットしなかった。片面全部を使って歌われる組曲異邦人は強烈でした。裏目の4曲も、リズムが黒くて歌詞もシニカルでカッコ良かったけど、セールスは大コケ。

それで、原点回帰とばかりにこのアルバムをリリース。アルバム・タイトルは、ある時、飛行機に乗っていて手元に小さな仏像とチョコレートの箱を持っていたそうだ。今、飛行機が落ちたらじぶの手に残るのはブッダとチョコレート・ボックスだと考えて、このアルバムを作ったらしい。

初期の彼の特徴である綺麗なメロディとリリシズムが満載たけど、どこかにちょっと黒い所がある。そのあとライブ・アルバムを出し売上はユニセフに寄付。アルバムに通し番号が売ってあり、僕の買ったやつは10,000番代だった。そこからシングル・カットしたのは、彼のオリジナルではなく、なぜかサム・クックの「アナザー・サタディ・ナイト」。その後も確かアルバムを数枚出し、中にはチック・コリアと共演したものもあるが、鳴かず飛ばず。

ある日、ネットで彼がイスラム教に改宗したことを知った。彼のホームページをみたら、海で溺れかけてイスラムに目覚めたなどと買いてあった。よう分からん。

ということを、ぼんやり考える平日のロックバーの店番であった。





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本日のブツ



連休中に休みが1日しか取れないバカ娘と、久しぶりにフルモト探索。いつも行くお店では無く、大学の近くの店舗に行って見た。CDは、高田渡のベルウッド時代の作品が4、5枚。迷ったが、とりあえずパス。この前、岡林が美空ひばりの歌を歌ったアルバムを買ったばかりで、そのまま渡に行くとフォークジジイになりそうな悪寒が(笑)。

ロック系のアルバムは、これもマニアックなものがあったがパス。何気にハードカバーの廉価コーナーを眺めていたら、飛び込んで来たのが井上光晴の遺作。娘の荒野の日記を以前読んだが、癌との闘病生活が奇妙なユーモアに包まれていて印象に残っていた。

手に取るとブックカバーも綺麗だし、本を包む油紙も変色無し。こりゃ万引本と違うかと訝ったが家に帰ってページをめくると、確かに人が読んだ形跡がある。更に、最後のページには新聞の切り抜きが挟まっていた。なんと、この作品のレビューである。

勝手な想像だが、この本を購入した人が何らかの事情で、手放すことになったのか。その事情は、もしかして亡くなられ、そのご家族ご遺品整理でフルモトに出したのか。

フルモトで買うCDに、ミュージシャンのサインがついてる事があり、フザケンナ、この野郎。せっかく貰ったサインを売るな、と怒った事が何度かあったが、それもこういう理由だと仕方ないか。

などと、勝手な想像ばかりするので文学部出身は世の役に立たん(笑)。





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第5回宮崎国際ジャズデイの光と影 その1

 終わった、終わった。何はともあれ無事に終わった。と、安心している場合ではない。今回のイベントの総括と来年に向けての課題を明確にせねば、などとオレが偉そうにやる必要はないのだが、とにかく今年のイベントを振り返ってみたい。

 最初に宮崎国際ジャズデイの会議に参加したのは昨年の7月30日だった。いや、その前に宮崎公立大で行われた市民講座、「ジャズとアメリカ文学」から話を始めないといけない。ん。違う、そのずっと前、第1回目の宮崎国際ジャズデイのイベントから話を始めないと収拾がつかない可能性があるか。そもそも、このイベントと関わるきっかけは高校時代からの悪友というか、毎度毎度一緒にライブに行く相方であるY尾君の人脈のせいである、いやおかげといわなくてはいけないか。あ、そのY尾君と何十年ぶりかに再会したきっかけも書いておかないとあれだな。「あれだな」って何だよ。「あれ」とか「これ」とか固有名詞を代名詞で言い始めると人はチャンジーの始まり、老化現象の始まりだというぞ。ええい面倒なので駆け足で振り返る。

 僕がこのblogでライブの話をひんぱんに書くきっかけになったのは、2007年11月9日のカルメン・マキ最強トリオの演奏を宮崎で見たおかげだ。そのライブの客席でY尾君とうん十年ぶりに再会した。そのイベントの仕掛け人の中に今回の宮崎国際ジャズデイの実行委員長であるH高さんと副委員長のM原さんがいたのだ。お二人とも高校の先輩になるのだが、その時点では僕は全くといっていいくらい面識も何もなかった。Y尾君は仕事の関係でお二人と親しくしており、それ以来H高さんのところで不定期に行われるサロン・コンサートの情報を持ってきてくれた。そのサロン・コンサートに初めていったのは西藤ヒロノブ(当時は「大信」と表記していた)とフランシス・マバッペのライブだった。カルメン・マキのライブの翌年、2008年の4月のことだ。このライブは強烈だった。アフリカはカメルーンのリズムでゴリゴリの変則リズム、しかしながらときにはビター・スィートなメロディもあり、歌も演奏も大迫力。YOU TUBEにその時のメンバーでの演奏の動画があったので貼っておく。西藤ヒロノブのギターをフューチャーした”SAWA”という曲だ。



 このような素晴らしいライブが無料で見られるので、H高さんのところであるサロン・コンサートはジャズ系のものはほとんど見に行った。もちろんワタクシは人間がゲスなのでクラシックのような高尚な音楽のコンサートの時は行かない。そんなのは年金で蔵が立つダンカイジジ・ババに任せておけばいいのだ。そのほかに印象に残ったライブはさがゆきをゲストに入れたパリャーソだとか、地元出身のドラマー、トシ永井のライブ、そうそう佐山雅弘のソロ・ピアノも良かった。などと書いているときりがないので話を急ぐ。そのサロン・コンサートの流れの中で起こった話なのか、当時は単なるサポーターだったので良く分からんが2013年に宮崎国際ジャズデイの第一回目のイベントが行われた。山下洋輔スペシャル・グループに地元の大淀小・中の吹奏楽部の子供たちが一緒のステージに立つというものだ。もっとも、その時は直前で山下氏がケガをしてピンチヒッターに立ったのが今回トリオで参加したスガダイローである。そのオープニング・セレモニーもH高さんのところで行われ、プレイベントとして地元で活躍する大西洋介さんたちの演奏があった。まあ、その時から毎年4月30日のコンサートのチケットを預かって友人・知人に売っていた。僕はワン・オブ・ゼンのサポーターだった。

 そして昨年の5月から7月にかけて宮崎公立大で行われたジャズの講座、毎週水曜日でその日は実はロック・バーの店番の日だったが、約2ヶ月はこの講座に参加するため休ませてもらった。いや、最初は10回の講座の中にウィーピング・ハープ妹尾のライブ講座があり、その日だけ休むつもりだった。ただ予定表を見たら、ニュー・ヨーク在住のサックス・プレイヤーの講座もあったので、その2つだけ参加するつもりだった。ところが、たまたま店休日だったので参加できた第1回目の講座が面白くて、最終的にはずべての講座に参加し、無事修了証も頂いた。学生時代はあれほど授業に出ず、単位は落とすもの、試験は粉砕するものという認識だったが、この講座だけは開講30分前には大教室の前で待機し、前のほうの席を確保、しっかりノートを取るという、オレもやればできる、この行動をどうして学生時代に出来なかったのか、それさえやっておけば今頃は左団扇、いやそれとも出世の派閥抗争に巻き込まれて左遷がせきの山か、などと妄想は果てしない。そうそう、この講座に毎回一番前の席に陣取りノートを取っていたのが、同じジャズデイの実行委員になる、あ、もう一つの肩書は会議の書記長であるG原さんであった。

 この時の講座の話は一度きちんと整理しておきたいと思いながらも、そのままになっている。10回の講座の内、いわゆるレクチャーが半分、残りの半分はライブ中心の講座だった。もちろんブルース・ハープの第一人者の妹尾隆一郎の講座は素晴らしかったし、その翌日にライブハウスで行われた補講、つまり追加のライブも素晴らしく打ち上げで酔っ払った僕はパンタのアルバムでの妹尾さんのハープがいかに素晴らしかったかを延々と話し嫌がられるという楽しい思い出もある(笑)。そして、Swing MASAという女性サックス・プレイヤーを知ったこともこの講座での大きな収穫であった。こちらも公立大とは別にH高さんのギャラリーで地元のピアニスト大西洋介と一緒の補講に参加した。演奏中に短歌をラジオ・アナウンサーが読み、その言葉に反応して吹きまくるサックスは強力だったし、何よりも、その短歌を作ったのは獄中の死刑囚というMCを聞いて疑問に思ったことをライブの後に聞いた。「あの短歌は元東アジア反日武装戦線の大道寺将司が作ったものではないですか」「そうです」。いやこれは驚いた。のちにFacebookなどを通じてSwing MASAさんの立ち位置などを知るのだが、素晴らしいジャズ・ミュージシャンであると同時に時代に対する危機意識を明確に持った活動家であることも分かった。そういえば、亡くなられた公立大の林学長も元連合赤軍の永田洋子の研究もされていて、何かの時に少し話を伺ったが今思えばもっと詳しく話を聞いておけば良かった。おっと、この手の話は嫌いな人も多いだろうから、もうやめておく。

 その公立大の市民講座に毎回通っていたのだが、そこで当然、宮崎国際ジャズデイの実行委員長と副委員長と顔を合わすわけだ。人間、顔を合わせば挨拶もする。世間話もする。そのうちにジャズデイの実行委員に加わらないかという話が出てきた。僕はこう見えても学生時代から漢文が得意で人生の指針は論語にあると考えている人間である(ウソだけど)。人間にはその人の器というか分相応という言葉があり、僕などがそういう大役を果たせるわけがない。固辞していたのだが、何度も誘われるうちに「義を見てせざるは勇無きなり」というではないか、「三顧の礼」を尽くされて、それを無視するのは君子にあらず。今思えば「君子はジャガーチェンジする」という言葉もあるのに、ついつい調子よく引き受けてしまったのだ。まあ「小人閑居して不善を為す」ともいうし、いっちょ市民ボランティアっちゅうやつをやらせて頂くかと思ったのだ。

 さて、それから月に1回の会議に参加するのだが、何しろ実行委員の皆さんは全て社会的立場もしっかりしていらっしゃる方ばかりで、まあルンペン・プロレタリアートなのはオレくらい(苦笑)。居心地はいいような悪いようななんとも不思議な感じだったが、それでも会議には真面目に参加した。意見を求められることも多かったが、僕の意見は果たして的を射た発言だったか今では知る由もない。会議の目的はもちろん翌年4月30日のイベントをいかにして成功させるか、そのために宮崎国際ジャズデイの認知度を高め、積極的に支持・支援してくれるサポーターをいかに結集させるか。メインの4月30日のイベント前にプレ・イベントを打ってサポーターを集めるという課題に取り組んだ、またサポーターに対してDMで積極的に案内をする、戦略的なサポーター再構築にはA川さんとSさんが担当することになった。

 プレ・イベントとして2016年11月20日には西藤ヒロノブのライブと屋上ガーデン・パーティを、2017年1月28日にはグレース・マーヤのソロ・ライブとサポーター・パーティを実施。どちらにも教育プログラムの一環として子供たち(というと怒られる学年の子たちもいるが)の演奏もあり、参加したサポーターの方に喜んでいただいたと思う。さらに本番イベントを迎える4月には写真家綾さん(この人は実名でいいと思う)の写真展とサポーターのための茶話会も実施。着々と本番に向けて動いていた。僕は、この間何をしていたかというとWebの担当ということでホームページのblogを更新したり、Facebookでイイネをくれる人たちにお礼のコメントを入れたりしていたのだが、どうもしっくりいかない。ホームページがWordpressで作られていて、そのソフトの扱いに自信がなかったことと、ま、はっきり言ってオレにはデザイン・センスなどない。いらんことをしてデータを消してしまうのではないかという不安と、ソフトのアップデートをしないと不具合があると思いながらも、やはりインターフェイスをおかしくすることが心配でなかなか手が出せなかった。またblogも自分のblogであれば読んでくれる人も想定の範囲内(これ使って見たかったんだよな、一回、笑)だが、やはり宮崎国際ジャズデイという看板の下では、なかなか僕のスタイルを通すのは難しいと、柄にもなく自粛した部分もある。まあ、今更の話だが、このあたりは来年の課題といえる。

 さて、ここから一気に話は本番前日に行く。会議の話を延々と書いていても進まない。会議は踊る、だ。あ、当日の役割分担の会議のことは書いておこう。それまでの2回のプレ・イベントでは会場整理を担当していたので本番当日も同じ役を振られた。実は、その会議の時は息を潜めて存在感を消していた。出来れば当日は無役で行きたいと思っていたのだが、各実行委員の役割をチェックしていたM崎さんが、「あれ、drac-obさんは何をやるの」と突っ込まれてしまい、泣く泣く会場整理を、いや喜んで会場整理の担当をさせてもらうことにした。会議の話をもうちょっとすると2017年になっては毎週木曜日に会議を、そして最後の週は2日会議を行ったのだ。その最後の会議の時にジャズデイ前日に行われるストリート音楽祭でチケット販売の情宣活動をやるともう一人の副委員長であるH原さんから話を聞いた。ストリート音楽祭とこのジャズデイは、以前は山下さんのグループが出演して翌日のジャズデイのPRをしたりしていたが、ここ何年かは関係が途絶えていた。今年はストリート音楽祭にスガダイロー・トリオも出ることになったので、それに併せて当日チケット売りもやるという話だった。29日はメインの実行委員は皆さん忙しく、ミュージシャンの出迎えに空港に行ったり、会場でのリハの段取りをしたりホテルへの送迎、食事の準備と大変。僕は特別役割もないので、ここは気分は若手(いや、結構トシ食ってるけど周囲がほとんど年上なので、必然的にこちらは1回生ダッシュ的な役割になるのだ。いやー、幾つになっても甘かぁねぇ)、まして情宣活動は得意中の得意。ストリート音楽祭当日は午後1時にアートセンター前のテントに集合になった。

 ストリート音楽祭というのは、毎年宮崎で行われる国際音楽祭のイベントの一つで、宮崎市内の中心である橘通りをホコ天にして、ステージも大きなものからこじんまりしたものまで複数造り、そこにプロ・アマを問わず様々なミュージシャンが1バンドあたり50分前後の演奏をする。観客は、もちろん全て無料で見られる。ジャンルもセミ・クラシックから合唱、吹奏楽、フォークにロックにジャズ、民謡まで幅広い。このイベントでは、まだ地元で活動していた宮里陽太を3年連続で見たし、大学の先輩である向井滋春も見た。以前、カルメン・マキの最強トリオで見た太田惠資も、これは多分2011年に山下洋輔と一緒に出たと思う。演奏が終わってステージを撤去している太田さんに話かけた記憶がある。そうだ、2012年は洋輔のグループに向井さんがゲストで入っていて、などと書いていくときりがないのでやめる。ただここ数年はロック系のミュージシャンが中心でジャズは少なかった気がする。もちろん「勝手にしやがれ」というバンドの存在を知ったのはこのイベントのおかげだが。ま、それはさておき、当日は午後1時に現地に着いた。そしてアートセンター前のテントを見るが、我が宮崎国際ジャズデイのテントは見当たらない。おかしいなと思いつつ、あちこちウロウロして時間をつぶすがとんと様子が分からない。副委員長のH原さんに電話しようとして気が付いた。オレはあの人の電話番号を知らん。実は宮崎国際ジャズデイのメンバーの99%はLINEでつながっている。しかしながら、ワタクシはある理由からLINEは断固拒否している。したがって実行委員会の会議連絡も通常のメールでやってもらっているのだが、皆さん細かな連絡はLINEで取りあっているので蚊帳の外にいることが多い。じゃ、LINEに入ればいいじゃないかというあなた。そういう安易さがアベ自民の独走を許しているのだ。原則は曲げたらダメ、ダメなものはダメなのだ。それを目先の権力欲しさで妥協した某政党など、どれだけ今は無様な状態か、などという話もいらんな(笑)。

 要するに30分過ぎても誰も来ないし、どうなっているか分からない。こりゃゲルニを決めて相方のY尾君と合流して焼酎呑みながら、会場をうろつこうとしかけたところにH原さん登場。どうもストリート音楽祭の実行委員との話がうまく連携されておらず、テントは午後2時から、しかも場所は一番人の流れの多いアートセンター前ではなく、中高生の吹奏楽が出る橘通り3丁目あたりに設営するらしい。その話を聞いているうちに、もう一人の実行委員であるN原さんとも合流。ついでにサポーターであるY尾君もやってきた。実は、彼にもチケット販売を手伝ってもらうつもりだったのだが、長年の付き合いでこちらの目的は鋭く見抜かれてしまい、彼はさっさと別のステージに移動した。とりあえず、実行委員3人で準備したフライヤーやポスター、チケットにお釣りなどもって3丁目に移動。しかし、そこにはソフトドリンクを売ってるテントがあるだけ。H原さんが話をしたら、そこに宮崎国際ジャズデイのテントが来ることは間違いなく、ただしアートセンターのテントと半分ずつという話だった。それでもテントを設営してもらい、ポスターを貼り、フライヤーをテーブルに並べて情宣活動は開始された。が、しかし、2時間そこで待機中チケットが売れるどころかフライヤーを手にしたのはおじさん二人。それも僕がやけくそ気味に声をかけて、キャッチセールスのテクニックで話かけて、半分強制的に受け取らしただけ。みじめな敗北であった。

 さて、一気に書き上げるつもりだったが、昨日、今日とエントリーを書いて来て、何だか話がおかしな方向に行ってる気もするし、ここで一度整理整頓しておかないとまとまらないと判断しいったん休憩。続きは近日中にカミング・スーンであることを公然と宣言する、って、そんな力入れんでもええんちゃうか。キャインキャイン。ちなみに今回は、かなりあちこちにリンク貼りました。太文字のところはクリックしてね。

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