どこでもある話 その1

 この前の日曜日に、DRACの上級生追放の歴史を確認しようと1年先輩のT原さんに電話した。この人はカゴシマ出身で、正直学生時代に一番濃い付き合いをしたというか、およそ大学で学べる悪いことは全て教わったと言ってもいいくらいのお方である。頭脳明晰、弁も立つ、文章も僕など足元にも及ばないくらい品の無いお下劣なものを書く才能を持っているので、blogを書いたりSNSに参加したりして、その能力をアピールすればいいのにと思うのだが、全くそういう気が無い。先日の電話でも『FBとかmixiは、やらないの』、と尋ねたら『ヨメさん、子供、親戚みんなFBやってるけどオレはやらん』と頑なである。PCスキルに自信が無いのかと思ったが、仕事でネットは駆使しているのでそうでもなさそうである。ちなみに、拙blogに恐怖の記憶力コメントをくださるデューク中島先輩も、FBやblogはやらない。まあ、FBやblogなんかやるのは、所詮群れるのが好きな小物だってことだな。オレも含めて。

 そのT原さんに夕方の5時過ぎに電話したら「おう」と最初から酒臭い。いや電話だから酒臭いはずはないが、すでに呂律が怪しい。ずいぶん前だったが、日曜の午前10時くらいに突然電話がかかってきたことがあり、その時も自分の部屋でビールを飲みながら音楽を聴いていたら、どうしても出てこない曲名がありそれを尋ねてきたのだが、よもやま話をしているうちにいったい何の用事で電話してきたか分からなくなり、お互いの近況報告が終わるとそのまま電話を切ってしまったことがあった。今回は、僕が「主体的」に「問題意識」を持って電話したので、話はちゃんとできたが、しかし相変わらず酔っぱらっていて話すことが素っ頓狂である。この人にはたしか2~3歳上のお兄さんがいらっしゃるのだが、先日、米寿を迎えた父君のお祝いに、お兄さんはエレキギターを持って参加して、何故か「朝日のあたる家」を歌ったらしい。T原さんも、どうしてオヤジの祝いの席でアニマルズのコピーを聴かないといけないか良く分からなかったが、とにかくめでたいからと一緒に歌ったらしい。

 さらに、この兄弟、父君の米寿の祝いの宴席だというのに、そう遠くない未来に起こるであろう父君の葬儀の時に流す音楽をどうするかというテーマで熱く語り合ったらしい。二人ともストーンズと頭脳警察のファンであるが、ハイカラな父君に敬意を表してストーンズ一本で行こうということにしたらしい。選曲では「ジャンピン・ジャック」は、当然決定。「ホンキー・トンク・ウィメン」をT原さんはプッシュしたらしいが、兄上が『オヤジの葬儀で娼婦の歌を入れるのはどうか』と、本人は米寿の席で娼婦の家の歌を歌いながら異議を申し立てたらしい。「悪魔を憐れむ歌」は逆に弟が、『それ、やばいんちゃう。うちのオヤジ、ケネディ殺してへんで』と反対し、結局まとまらず、再度お互い問題点を持ち帰り次回の会議で最終決定しようということになった、などという話を、あなたシラフで聞いてられますか?

 まあ、こんな調子で放っておくとどこまで話が広がるか分からないので、本来の目的である77年2月のO西さん追放劇の真相を聞いた。

 実は、僕のいたサークルは上級生をクーデターで追い出すという歴史が何度か発生している。もちろん、それが「クーデター」なのか、「大義ある革命」なのか、まあ所詮学生サークルのことなので、そこまで大げさに言う必要はさらさらないが、追い出す側にも言い分があれば、追い出される側にもそれなりの言い分はあるだろう。どちらが正しかったかというのは、その後の結果を見れば一目瞭然で勝てば官軍である。要するにこれこそが進化論の生き証人(by P-Model)だろう。なんだかんだいったって、追い出されたほうが負けなのだ。悔しければ捲土重来を期して、リターンマッチを挑めばいい。なんてったって、一応我がポンニチはミンシュ主義の国である。多数決の国である。もっとも投票権がCDの購入枚数で決まるという、シホン主義に汚染されたミンシュ主義ではあるが。ただ、普通選挙の1人1票っていうのもどうかなぁ。大きい声じゃ言えないけど、アホの1票とオレなんかがしっかり考えた1票はそもそも重さが違うだろう。オレなんかアホ1000人分くらいの票を持っていてもいいんじゃないか、などと書くとベサツだと言われるので注意しよう。

 さて、この放逐の歴史というかドンデン返しの歴史というか、ま、とりあえず「クーデター」という言葉に統一して話していくが、僕が知っている話の中で一番古いものは僕がサークルに入る前の年、74年の出来事だった。このあたりは当事者ではないので、学生時代に聞いたことをまとめたい。僕がサークルに入った時、当然執行部は3回生の先輩たち(何度か書いたがゲゲゲの鬼太郎に似たY田さん、東映やくざ路線を地でいってたS賀さん、それとあこがれの君U村さん、ヨーロッパのバス事故で亡くなられたM井さん等)だったが、何故か4回生がいない。いやA井さんという背の高くて温厚な先輩が一人いたけど、ほんのたまにコンパに参加するくらいで他の活動は一切しない。そうそう、もう一人5回生の先輩でY田さん、通称よっちんという先輩がいたがこの人は雀荘で会うくらいで、そもそもBOXに顔を出さない。あるとき、不思議に思って聞いたら、もちろん以前は71年度生、72年度生、73年度生といたらしいが、74年にヘゲモニーを握っていた執行部の人たちが、とんでもない人たちだったので放逐したという。

 どんなふうにとんでもなかったかというと、これは以前書いたことがあるが先述のT原さんがまだ初々しい(本人いわく)1回生の頃、BOXに来たらドアーズが流れている。当時、BOXでロックが流れるのは珍しく誰が流しているのかと見ると2年先輩のUさん(名前も顔も知ってる。見るからに嫌な奴って人だった。苗字も魚の名前でその生態が良く分かっていない魚の名前と同じである。浜松が名産地だけど、鹿児島の池田湖にも大きいのがいる)で、普段はジャズかクラシックを聴いてる人だ。思わず「ドアーズですか、いいですね」と話しかけると、ケッという感じで「こんなん、シャレやシャレ」と吐き捨てるように言われたそうだ。こういう感じの出来事はしょっちゅうで、それでも当時の1回生は耐えがたきを耐え、忍びがたきをしのんでいたらしい。特に、当時の1、2回生は九州や四国の人間が多く「長幼の序」をわきまえていたので、先輩にはむかうということはなかった。しかし、研究会でも自分たちの聴いている音楽は高尚で、他は一切ダメだというようなセクト主義。この手の人って結構多いんだよね。またそういう人に限って、理解の良さそうなふりをするけど、ちょっと突っ込まれると保身に必死になる。この上級生たちも1番高尚なのはクラシック、次がジャズ、ロックなんて言うのは不良少年のたわごと、あんなものは音楽じゃないという態度だったらしい。

 その時の上級生グループは71年度生のA部さんという人が中心で派閥を形成していた。とにかくこの人のいうことは絶対で、この人が白といったらカラスも白というくらいの恐怖政治を行っていたらしい。お父さんはY浜銀行のエライサンで就職はコネ全開で心配なし。なんといっても仕送りのお金が半端じゃないので、自分の気に入った後輩にはガンガン奢ったりするものだから、Uさんとか一杯タイコ持ちがいたらしい。しかし、暴虐の鎖は断つ日が来る。きっかけはどういうことか覚えていないが、EVEの時に当時の1回生・2回生を私用でこき使い、当時の学友会に指摘されるような問題を起こした。またそれまでのやりたい放題の不満が、1・2回生にたまりにたまってサークルの全体会議の場で炸裂し、それまで批判することはあっても、批判されることのなかったA部グループは全て放逐されたらしい。このあたりは実際に見聞きした訳じゃないから、どうも歯切れが良くないが、まあ僕の入る前にそういう形での上級生放逐劇があった。

 そして、僕の年になるのだが75年は全く無風状態というか、それまでの上級生の恐怖政治を放逐した人たちがサークルの中心にいたので、愛想が悪いのと女っけのないのは仕方がなかったが、サークルを運営していく上ではなんということはなかった。そして、75年の1年間を通して見た時に、次の執行部の中心はT原さんがリーダーシップを取ってやっていくことが、暗黙の了解であった。ところが、このT原さんが学友会の活動家だったことがその翌年の放逐劇の伏線になるのだった。一気に書こうと思ったけど、現在進行形の嫌なことを思い出してしまうので、続きはまた今度。しかし、自由にものが言えない空間って嫌だな。バカ話の出来ない人間関係って一体なんだよ。



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コメント

このハンドルネームだと、誰だかわかりませんよね。革命的警戒心でカキコ。パチパチ。

自分の葬式

連投スミマセン。実は自分の争議、違う葬儀にかける曲はもう決めて、息子たちに託してあります。①キンクス・オールデイオブザナイト②シュープリームス・恋はあせらず③ビーチボーイズ・
素敵じゃないか④フー・アイキャントエクスプレイン⑤クリスタルズ・ヒーイズアレベル以上です。

DRAC静クン、まとめレスですが

連投大いに結構です。僕のblogは「開かれたblog」、「愛されるblog」を目指しているので、ネタ・噂話・スキャンダル・デッチアゲなんでもOK(笑)。

しかし、子供さんたちに自分の葬儀に書ける曲を決めて伝えてあるのはスゴイですな。僕も、以前なんとなくそういうことを考えたことがあったけど、何故かマクドナルド&ジャイルスの「アイビスの飛行」が頭に浮かんできて、当時はまだ子供がいなかったので配偶者に話したら、鼻の先で笑われました。以来、配偶者とは非和解的存在であると確信しています。しかし、あまり露骨に敵対行動をとっていると、葬儀の時に嫌がらせで「さだまさし」をエンドレスで流されて、成仏できないといけないので、そのあたりが難しいところです。

彼も元気そうで 何よりです

再会されたら 昔話に花を咲かせて、差し支えない範囲内で情報 教えて下さい。「ホンキートンクウィメン」は、故M原君 出棺の時のBGMでした。私の時は、「汚れた英雄」のテーマで 宜しくお願いします。

あの人も結構しぶとい

いや、肝臓の1個や2個悪くしていてもおかしくないくらいですが、僕の知る限りではいたって健康ですね。タバコも結構早い時期に止めていたから、あれでどうしてなかなか健康志向、カリフォルニア志向、の筈はないか(笑)。

僕がまだ独身の頃、鹿児島のT原さんの家に週末良く泊まりに行ってました。ある週末、やはりT原さんの家に泊まって、翌朝彼の居間でぼんやりしていたら、親戚の方が来ていて「アキトはまたしょつ飲んでばっかりおるとか。一遍、がらんといかん、。奥さんも、あんわろに呑ましたらいかんど」と結構マジな口調で話しているのを聞いたことがあります。あれから、もう四半世紀です(笑)。

>「ホンキートンクウィメン」は、故M原君 出棺の時のBGM

彼のことだから、村八分の「あっ」のほうがふさわしかったような気がします。M原君のことは、何度か書こうとしたことがありますが、いろんな思い出がありすぎて「まっちゃん伝」みたいな大長編になり、まとめきれない気がして・・・。

京都は異境だ

京都は敬して遠ざける土地というか、どうも縁がありません。大阪に行く際に通過するぐらいです。関西自体が苦手なので足が向きません。
しかし読んでいると1970年代頃の京都の風景の一部が見えてくるようです。そして、今までうすうす感じていたが確信していなかったことがつながったようなそうでもないような。

大学の気質というのが違うのでしょうか、あるいはたまたま遭遇しなかっただけなのか(國學院のような右翼学校なのになぜか未だに過激派(dracさんにはこの言葉は不愉快かもしれませんが、一般的な名詞として使います)の拠点としてたまに三面記事に載る学校もありますが)、数年違うと随分違うのかなと思ったり、おそらく京都ではなかったからなのかな(そして早稲田や法政でもない)。

そして私が大学に入ったころというのは70年代のように大学に入る事が特権的(それゆえに学生運動に対し、白眼視する人間が多数いたのは事実と思う)だった時期からだいぶ進学率が上がっていった時期だったので入る側にも入れる側にも気負いのような物が薄れてきた時期だったからかもしれません。

音楽の嗜好といえば1940年代までの生まれの「いいとこの人」はクラシック以外の音楽を下に見る傾向が強いと思います。私の父親がまさにそういう人でした。父親が死んだらとりあえず家にあった「NHK名曲アルバム」のVHS集を流したいですが、VHSレコーダーあるのかな???
しかし1960年代以降だと「いいとこの人」でもクラシック聞いている人間のほうが珍しくなってきます。(好例は竹下首相の孫でロック歌手やってる人とか)

walker-bros さん、お元気でしたか?

京都が異境の地であるというのは、分かりますね。何しろ公家の時代の怨念から、明治維新に至るまでの様々な人間の生き血を吸ってきた場所ですから。まあ、そういう特殊な場所でさらに「シラケっぱなしの70年代」という時代を過ごしたので、僕の思考回路は、嗜好回路といってもいいか、いわゆる非常識なものでいっぱいです。それを他人に分かってほしいなどという甘えた気持ちはありませんが、読んで面白かったと思ってもらえれば十分なんです。

あ、どうもまとまらんというか、要するに媒体は音楽と本とか、まあニュースネタもありますが、そのような特殊な環境にいた僕が今こう感じている、こう思っているということを、自分が読んでも面白いように書いていきたいってことなんですね。サークルの歴史を正しく綴るなんて気はさらさらないし、だいたいそんなものに意味があるとは思えません。

僕のblogは「19の年に入ったサークルの先輩、同期、後輩たちに影響を受けて、結局人生のクレパス(by桐山襲)に落ちていってしまった。極私的70年代ロック史にしたいのだが、馬鹿話がほとんどになりそうな予感が。」ということ、これだけなんです、これだけと一時期の9-1分けのパイプ咥えたオッサンみたいなことを書いてしまった。

あ、「過激派」とか、その手の言葉全然気にしなくてOKですよ。2段目、3段目のお話はとても興味深かったです。また何か気がつかれたことがあればコメント宜しくお願いします。

そういえば

Uなんとかさんて人、私の知ってる人にソックリです。屈折した態度を取るので嫌われて人が必ずはなれて行きます。
そういう不愉快というか哀れな人はさておき、今は知りませんが、いわゆる「歌声喫茶」(うたごえ、と表記すべきか)とか労働者、いや「はたらくもの」か、の合唱好きな人たちもロック、ポップスは米帝の文化侵略、歌謡曲は低俗、という考えがありましたよね。

http://www.youtube.com/watch?v=lwbAsQn2NbE


ところで、実は趣味のサークルで中学から同志社という女性がいます。1961年か1962年だったかの生まれだったと思います。同志社女子中高→同志社だったかな?出かけた先では必ずその地の氏神さんに参拝するだの、捕鯨禁止はけしからん!(と本当に青筋立てて怒っていた)言うし、実際武道やってる年長のメンバーにも尊敬されていたりするので、この人右翼かしら、と思っていたら、同じ歳の上智出のN経新聞の男に「あの人、共産党ですよ」とこそっと教えられてビックリしつつ、京都は共産党強いんだよなーとか、あー言動とかそういえばそうかもと思ったことがありました。(妙に説教好きとか・笑)

どんな集団にもUさん的な人って

必ずいますね。要は程度がどのくらいかで、このエントリーに出てくるくらい甚だしいと誰も付いてこない、というか親分いなけりゃただのカスです。そして、この手の人は何故か自分に人望があると思い込んでいて、仕切りたがる。いや、あなたに人望があるんじゃなくて、あなたの後ろにある権力、あるいは権威にみんな頭を下げてるわけで、あなたはみんなから嫌われてるんですよ、ってことが分からない。バカは死ななきゃ治らないっていうのは、けだし名言だと思います。蛇足ですが、バカにつける薬はないというのも真理ですね。

D大で、61,2年生まれでヨヨギだったら本物です(笑)。当時はまだ学友会の力が強かったので、キャンパス内を大手を振って歩けなかったはずですが、そこでも転向せず自らの信念を貫いたんなら多分「腐」学連の執行部くらいやってたかも。間違っても、論争したらダメですよ(笑)。いや論破するのは簡単なんですが、蛇以上にしつこいから、死ぬまでまとわりつかれます。なんつっても歌って踊って革命する人達ですからね(笑)。
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