DRAC興亡史 EVE外伝バンド登場

 やはり、人の記憶というのは限界があるというか、それでもちょっとしたきっかけで思い出すこともある。先日、発作的に書いたDRACのEVEに関するエントリーで、先ずは時系列で75年のゴーゴー喫茶(すまん、ディスコと前回は書いたが、正確には「Go Go & Disco 王将」が正式名称だった)の話からスタートしたが、僕の高校の先輩のバンドがどうして大学は異なり、ましてやDRACとは何の交流もないのに、僕たちの学園祭のGo Go喫茶のハコバンになったか、そのいきさつを思い出した。きっかけはデューク中島先輩から頂いたコメントのお蔭であった。「…貴殿の下宿でだったと思いますが、バンドのボーカル氏とギター氏が居て、私が 何気なく『ピストル型のライターが有るけど、横に炎をまっすぐ出す事って出来ないのだろうか?』と言ったら お二人が 物理や化学の用語で 真面目に検証を始められ 『百万遍にある超一流国立一期校は、そうなるか!?』と思ったものでした(笑)。」という部分だ。

 この話は最初思い出せなかったけど、いろいろ考えていたら突然その日の情景が浮かび上がった。多分、もうEVEは終わっていた時期で、偶然僕の下宿に高校時代の先輩であるそのバンドのボーカル氏(A部さん)とギター氏(U野さん)が遊びに来ていて、そこにばったりデューク中島先輩が遊びに来たのだ。当時は喫煙者であらずば人に非ずという時代、テツガクする大学生は全員喫煙することが思索の前提条件だった時代(大嘘です)、まあ、圧倒的多数の学生諸君は喫煙者だった時代で、当然イチビリの多い大学生は人と違うライターなど持ちたがる。ちなみに僕はWinというメーカーのバッテリーライターというのを買ったことがある。つるんとしたメタリックボディに丸いボタンがついていて、そのボタンを指で下げると内臓のバッテリーが火花を飛ばし点火する仕組みだった。着火音もライター独特のカチャッという音ではなく、ほとんどサイレント、無理に表現すればチッという音ともいえない音がして火がつく。これカッコ良くて、メーカーがテレビコマーシャルしていて、それを見た僕はすぐに買った。確か4,5千円くらいしたと思う。そんなライターを買えるのはブルジョワではないかというご指摘があるかもしれないが、その時はちょうど76年の新学期が始まるときで実家から口先三寸でせしめたお金が懐にたんと入っていたから買えたのである。

 しかしながら、いくら一時的にお金が入っていても生活費というのはかかる。下宿していれば毎月の下宿代、電気代、水道代、さらには食費、たまには飲んだりコンパ行ったりするから交際費もいる。そして、もちろんバクチ(麻雀)の種銭がいる。そうそう大学生だから本やレコードも買わないとイケナイ。そんな一時金などあっという間になくなり、次の仕送りが来る1週間前はイソップの名作『アリとキリギリス』に出てくる冬のキリギリス並みの生活苦が襲ってくる。そんなことは百も承知で発作的にレコード買ったり、本を買ったり、飲みに行ったり、ライブを見たり、そのたんびに仕送り前の1週間水だけで生活するとか、苦し紛れにウスターソースの一気飲みをして気分が悪くなるとか何回経験しても、同じことの繰り返し。パブロフの犬以下の学習能力しかなかった。

 今でも思い出すそういう時期の貧乏生活の話で、あの時は出町にいたから77年だったと思う。毎日かかさずBOXに顔を出すワタクシが1か月の中で2~3日顔を出さない時期がある。僕の先輩、友人諸君は当然ご存じの僕が仕送り前の耐乏生活期間に入っていて下宿に籠って出てこない、いや出て来られない時期だ。それを察した高知出身の先輩のS賀さんと鹿児島出身のT原さん、もしかしたら同期のN谷君もいたかもしれない。とにかく3人か4人くらいで僕の下宿にどやどやとやってきて「おーいdrac-ob、生きてるか。味噌とコメを買ってきたから飯を炊いてくれ。一緒に食おう」と声をかけてくれた。この時はありがたくて、持つべきものは先輩・友人だと感謝して、いくらバクチで巻き上げられようが、いくら余計なボーリョク学生のスローガンを植え付けられようが、いくら単位を落とそうがオレは先輩たちについて行くぞ、と固く心に誓ったものだ。おかげで今は立派なルンペンプレカリアートである。ありがたくて涙が出る。おっと愚痴が出た。

 それでも、近所の出町の商店街で大の男が何人か手分けしてコメや味噌や豆腐、ちょっとした野菜やおかずになりそうなものを買ってきていたので、愛媛出身のY田さんから譲り受けた3合炊きの電気炊飯器でご飯を炊き、味噌汁と簡単なおかずを作ってみんなで食べようとしたその時、一番年長のS賀さんがブッと口にしたものを噴出した。「S賀さん、行儀悪いで、なんぼ先輩でもこういうときは、みんな揃って『戸締り用心、火の用心、お金は世の為、人の為。 チョキチョキ貯金の金曜日~』と一日一善の歌を歌って、声をそろえて『頂きます』、せんとあかんのちゃう」と、これは予期せぬ食事にありつける嬉しさのあまり僕が発した軽口。するとT原さんも口につけていた味噌汁の椀をかざし「お前、なんやこれ、薄すぎて味噌の味がせえへんぞ」と怒鳴る。確かに料理を作った僕の姑息な計算があって、今日届いた食料品を上手く使って、仕送りまでの間、飢餓に苦しむことが無いようにしようと、味噌汁に入れる味噌はほんの気持ちだけ、それ以前に出汁に使った鰹節も出汁の素もかなりケチって使ったので、それがバレたわけである。僕は「え、こんなもん違います。京風のうす味って。いややわ、これやから四国とか九州のお方は。味を濃くせえへんと食べた気がしはらんのやて。いややわ。うち。こんなん」などと必死で抵抗したが、それぞれの椀の味噌汁は再度、ナベに戻され今度は味噌を定量入れるかどうか僕がガス台に立っている間は見張りがついてしまったという顛末。さすがに作り直したものはちゃんと食べられたので、そこにいた全員で美味しくいただいた。

 おっと、余計な話だった。要は何故僕の高校時代の先輩のバンドが我がDRACのEVEに参加するようになったのか、という話だった。それは75年の4月の終わりくらいにさかのぼる(っていうか、このDRAC興亡史は、いつまでたっても75年の前期あたりで話が堂々めぐりしてないかという疑問点を持った方、あなたは鋭い。僕も話を先に進めよう、進めようとしているのだが、どうしても同じところをぐるぐる回ってしまう。そうだな、これからはメビウスblogと、これからは呼んでくれって何を格好つけているのだ)。まだ修学院の生活に入ったばかりの頃だが、ある日の夕方大家さんから電話が来ていると呼び出された。この辺の描写は今の人たちに分かるだろうか。当時は携帯などなかったし、電話は基本的に母屋の大家さんの家に1台あるだけで、下宿生の家族や友人、知人要するに関係者の連絡は全て大家さんの家の電話を通じてしか出来なかったのだ。

 大家さんの声に返事をして、階段を駆け下りておもむろに電話に出ると、それは実家からで僕の出身校の同窓会事務所から葉書が来ており、関西の同窓会があるので是非参加してほしいと、そしてその返事を往復はがきの片面に丸印をして返送しろと書いてあるらしかった。その往復はがきを修学院に転送してもらえば何のこともなかったのだが、たまたまその往復はがきの受取人の住所が同じ修学院であることと、受取人の苗字から察するに同窓生だったA部の兄貴ではないかということが分かったので、直接その返事をA部さんの下宿に行って話せばいいと考えたのだ。A部というのは、高校時代映画研究会にいた男で、クラスは一緒になったことはなかったがいつの間にか良く喋るようになり、ある時に兄貴が『百万遍にある超一流国立一期校』に通っているということを聞いたことがあった。今から考えると、地元を離れて1か月経過して、ちょっと同郷の人間に会いたいという気持ちが強くなっていたんだろう。同窓会も今ではとても考えられないが、当時は毎回参加していた。

 電話で聞いた住所を紙に書いて、大家さんにその場所を尋ねたら僕の住んでいた修学院の中林町から歩いて10分もかからないところらしいので、散歩がてらぶらぶら探しに行くことにした。もっともそのあたりは、あちこち下宿やアパートがあったが、幸いなことにその番地には大きな建物はそこしかなかったので、さほど苦労せずその下宿にたどり着いた。同じような建物が2棟建っていたので、そのうちのどちらかにA部さんはいるものだと思ったが、メモした紙には部屋の号数が書いてなかった。またもや粗忽だなと思いながらも、下宿にはたどり着いたので適当な部屋にノックして出てきた人に、これこれこういう人はいないかと聞いたが、知らないと言われる。じゃ、もう1棟のほうだと思い、そちらで尋ねるがやはりそういう人はいないという。『百万遍にある超一流国立一期校』の在学生で、南九州出身のA部さんと説明するが、その下宿人は長年そこに住んでいるがどちらの棟にも、そんな人はいないという。

 相手の人も『百万遍にある超一流国立一期校』の学生みたいで、嘘や冗談を言ってる感じはなかったので、僕が聞き間違えたのか、あるいは住所を書き間違えたのだろうと思い、お礼を言って帰ろうとしたら、相手が「もしかしたら母屋に住んでる人かも…」といった。詳しく聞いてみると、その下宿の大家さんが裏側の畑の奥に住んでいて、その一番奥のほうに学生が住んでいる。その人がA部さんではないかというのだ。要するに下宿生ではなく、親戚の家に住んでいるんじゃないかという。ダメもとなので、その大家さんの家に尋ねてみると、ビンゴであった。その家はA部さんの親戚の家で、彼はそこに部屋を借りて住んでいたのだ。突然訪ねてきた同郷の後輩をA部さんは、優しく迎えてくれていろいろ京都のことだとか、この近くの安くて美味い定食屋とか、喫茶店は修学院プラザを抜けたところにあるサンルイってところがあるが、あそこのカレーは何故か白いとかいわゆる生活情報をたっぷり教えてくれた。それとA部さんと話が弾んだのは、彼もロックが大好きで、好きが高じて大学の仲間とバンドを組んでいるという点だった。

 A部さんの住んでいたところは、僕が普段晩御飯を食べる定食屋の近くだったので、食事の後のコーヒー目当てで良く足を運んだ。そこでいろんなレコードの話をしたりしていたのだが、あるとき顔のちょっと長いトッド・ラングレンみたいな人がいて、挨拶したら同じバンドのリーダー兼ギタリストだという。その人、U野さんは出身はどこだったか覚えていないが、やはり気さくな人でいろんなバンドの裏話や、実は自分たちのバンドにはボーカルがいないので臨時でA部君に歌ってもらっているが、彼は本当はメンバーでないとかA部さんをからかって言ってるのかマジなのか良く分からないことを話したりした。さて、そこから時間は一気に過ぎて75年の後期が始まる。鳥取の合宿でサークルEVE実(つまりサークルの学園祭責任者)は74年度生のI上さんという久留米出身の人。そして文連EVE実(つまり文化団体連盟の学園祭実行委員)は不肖ワタクシという2人体制で、Go Go & Disco王将プロジェクトはスタートした。

 僕たちが使う教室はS地下4というところで、正確には至誠館という建物の地下にある第4教室であった。そこにBOXからオーディオを運び、大音量でレコード流して踊って頂こうという企画だったが、果たしてそれでどれだけお客が呼べるかは未知数であった。あ、こう書くと売り上げ至上主義みたいに思われるかもしれないが、僕が受け持った文連EVE実の権力を握っていたのは某セクトだったので、売り上げではない、EVEの72時間自主管理を発展的に継承させて全学自主管理が本来のEVEのなんたらで、まさしく、そのような状況こそが、当局と一体となった、あの卑劣なるニッキョ、いやいや、その、まあこういうことを四六時中おっしゃってるエライサンの会議に出るのは結構しんどかったのよ。いやなんの話だったかというと、とにかく9月段階では生バンドを入れたいけど、コネもないしどうしようか、まあ最悪はレコードだけでいいか、でもそうすると他のサークルに客を持っていかれるし、いやちょっとI上さん、それ本来のEVEの目的と違ってますよ、僕たちはそのような商業主義とは分岐を鮮明にしてですね、アホ、お前ええかっこいうな、今度のEVEでしっかり儲けてツィーターとアンプを買い替えるんじゃ、そのためのディスコに決まってるやろが、いや、もちろん売り上げも大事ですけど、僕たちはサークル運動の理念と系譜を大事にしないと別館自主管理の問題がですね、やかましいわ、おまえ、どこかいいバンド知らんか?

 というような会話を連日、僕はI上さんとしていた。そんなある日、僕の下宿に突然A部さんが登場し、開口一番「ちょっと頼みがある。オレたちのバンドをお前の大学の学園祭に出演させてもらえんか」。「あ、うっとこ今年はGo Go & Discoやるんですけど、その手の音楽出来ます?」「大丈夫、大丈夫、じゃ今度お前のサークルの責任者に会わせてくれ」と、普段から押しの強いところのあったA部さんだが今回も強力に迫ってくる。その迫力に負けてI上さんに話をしたが、一度直接会って出来れば音も聴かせてもらって判断したいということになった。いわゆるオーディションというかリハですな。で、ある日、EVE実のI上さん、僕、そしてこういう時は年長者がいるといいという多くの声に押されて(要するに他のサークル員は面倒が嫌いなので)副会長のS賀さんと3人でA部さんの部屋に行った。そこにはU野さんとA部さんが待ち構えていて、しかしながらそこはスタジオでもない普通の日本家屋なので、アンプを通さずちょっと演奏してもらい、簡単にOKが出た。要するに、そのバンドが僕たちのGo Go & Disco王将の栄えあるハウスバンドとなったのだ。しかし…。というところで時間となりました。続きはまた。



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コメント

懐かしい名前ですね

喫茶店「サンルイ」。「セントルイス」をフラン語読みすると 
そうなるのかって。
当時としては 洒落た名前でしたが、修学院の
原日本的な風景には 少し違和感ありましたね。
カタカナの店名と言えば、修学院駅の近くに 
「クレモナ」ってレコード屋がありましたな。
失礼ながら 特徴に欠けるレコード屋で 一般的な流行ってる
レコードを売って稼いでたのかな。
私は 5枚位 買っただけだったと思います。
百万遍にある超一流国立一期校バンドの A氏は、
ドテラが似合いそうな 少し前の大学生の雰囲気。
U氏は、ストレートな長髪と目が少しギョロッとした風貌に 
私は、フリートウッドマックのミック フリートウッドを連想しました。
EVE本番中に BASS氏が 確か お姉さんの結婚式で
一日不在となるアクシデントがありましたが、代役でしのぎ
まあ大成功で いいEVEでした。

メールにも書きましたが

僕も記憶には多少の自信がありますが、デューク先輩の記憶力は凄いですね。「クレモナ」ありました。川端通りになるんですかね、あそこは。中年のオッサンが一人でやってて、ご指摘の通り在庫があまりないところですよね。でも、あそこでランディ・ニューマンの『ライブ』と『セイルアウェイ』を注文して「趣味がいい」と褒められたことがあります。それと、あそこはLPを1枚買うとペーパーのチケットをくれて、5枚だか10枚だか集めると値引きしてくれたと思います。昨年、偶然京都の修学院から引っ越してきた人と話をする機会があり、「クレモナ」の話題が出ましたが残念ながら閉店したそうです。

それと一乗寺にあった「アコシャン」という熊本出身の姉妹がやっていた喫茶店覚えてますか。姉妹が結構美人だったのと、レコードを持参すると何でもかけてくれたので、修学院時代はちょくちょく行ってました。ググってみたら今も健在のようです。http://www.eonet.ne.jp/~winebar-akoshan/index.html
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