DRAC興亡史 EVE外伝イントロダクション

 何年か前から一応Facebookには登録だけはしていたが、普段はblogやmixiのほうばかりやっていて、月に1回でもログインすればいいくらいだった。ところが、先々週の日曜日に86年度生だったT花君から、グループDRACに誘われて参加してからというもの、ほとんど毎日午前様である。もちろん、最初は面識のある80年度生のCHAさん(時々ここにコメントくれる)やN尾君あたりとチャットをしたりコメントのやり取りをしていたのだが、何気に投稿したコメントに次々と若い(本人たちは「もう若くない」というかもしれないが、混迷と停滞の70年代を生き延びてきた僕なんかからすると、十分若い。なんてジジィの戯言みたいなことを、まさか自分が書くようになるとは夢にも思わなかったな。歳月年を待たず、ん、人を待たずか、年を待たないのは当たり前だのクラッカーである。ジェスロ・タルの「Too Old to Rock 'N' Roll: Too Young to Die!」って気分である)後輩諸君がレスをくれて、まあ話が続く続く。この感じ、なんとなく記憶があるなと思い出していたら、何のことは無い。別館4階のBOXでサークル仲間と良くやっていたバカ話・雑談のノリなのだ。

 最初は入学年度が10年以上離れているので、話がなかなか合わないだろうなと思っていたが、なんのなんの、僕たちが残した「バカと恥知らずは承知の上」エキスはしっかり残っているようだ。何しろ「金太の大冒険」だけで延々と話が続く。というわけで、毎日、自分のコメントに対するレスや、誰かがアップした写真やコメントに対するレスを書いたり読んだりしているとあっという間に午前零時というパターンの繰り返しで、お肌の曲がり角を党の昔に、こらこら、そっちの党じゃないだろ、当の昔に過ぎたワタクシではあるが、寝不足は翌日の仕事にこたえる部分もあるし、何しろ図書館で借りた本が読めずに返却日ぎりぎりで駆け足で読み上げるなんて日々が続いております。で、そういう後輩諸君とのやり取りの中で、「DRACのオカマ喫茶はそんな昔からあったんですか」とか「P-Modelの出た『前夜』のポスターはカッコ良かったですね」とか、要するに同時代に体験した僕からすると、一般常識(世間的には「非常識」かもしれんな、笑)だと思われることをご存じないヤングが多い。こりゃ、こっちの記憶がまだしっかりしているうちに(いや、もうずいぶん怪しくなってはいるのだが、何人かはその時の状況を知ってる人が拙blogを読んでくれているので、間違ったときは訂正をお願いしたい)、一度きちんと書いておこうと考えたのだ。

 そういえば、「DRAC興亡史 1975-1980」というシリーズものが、ちょうど75年のEVEの話の前(正確には夏合宿の話の前)で止まっているし、現在絶賛連載中(こらこら、確認できているのは2人だけだぞ)の「ワタクシとジャズ(喫茶)の出会い」も75年の前期の続きがあるので、こりゃいっちょうシンクロさせてみたらどないだ、というか、75年のEVEに僕はジャズとのまっとうな出会いをするので、その話を書けば一挙両得、三方一両損でちょうどいいじゃないか、いいじゃないか、あ、いいじゃないかいいじゃないかとモップスの「御意見無用」を歌いながらエントリーの導入部とするのだ。ここまで書いてWCに行って思い出した。やっぱり夏合宿の話を書かねばならない。何故ならEVEに何をするかは合宿中の会議でいつも決めていたからだ。

 以前、少し書いたが僕のいたサークルの夏合宿は鳥取の民宿でやることが多かった。僕が入った年には、すでに何度かそこで合宿をしていたようで、合宿場所を決める会議もあったけど、「まあ、今年も鳥取でええやん」といういちいち説明するのが面倒だという73年度生のY田会長とS賀副会長のしゃんしゃんで鳥取は浜湯山のかわとね(今も経営されているようである。山陰方面を旅行されるときは砂丘の近くのかわとねに是非)に決まった。

 そのかわとねでは毎日、午前中が全体会議と班別会議。昼食を取ってから、午前中の簡単な総括をしたら近くの海に行って泳ぐ。夕方帰ってきたら風呂に入り、晩飯を食べて議事の進行状態によっては再度会議をして、だいたい21時前後からは自由時間だった。部屋は大広間みたいなところに我々1回生、2回生は適当に荷物を置き、布団を敷く場所を確保するのだが、さすがに3回生以上と女子部員はちょっとこじんまりした小部屋をあてがわれていた。昼間の海水浴の疲れと会議の疲れなど、全然感じず僕たちは21時から麻雀したり、先輩とビールを飲んでバカ話をしたりという幸福な三泊四日であった。で、こういう場につきもののビールであるが、最初のうちは民宿の人に「すいません、ビール5本」などと注文をしていたのだが、我々があまりに頻繁にビールを注文するし、夜の時間も気にせず注文するので、最後にはビールの冷蔵庫のカギをかけず勝手に取ってくれということになった。もちろん、お金はその冷蔵庫の上にあるざるに置いていくのだが、「おい、drac-ob、のどが渇いた」といって千円札を渡してくれる先輩もいたが、お金も渡さずビール「取ってこい」という先輩もいた。僕は根が素直なのと貨幣制度に対するささやかな疑問があったので、お金を預かった時はざるに入れて、そうでないときはビールだけ持ってきていたので、当然合宿最終日にはビールのお金が不足する。

 会計のY本さんが、あ、あの頃は違ったかな、ま、いいや、会計の人が「ビール飲んだ奴は金払え、おい」と恫喝かけるのを「あ、オレは2本くらい飲んだ」とか「ワシ1本半やったかな」「オレ飲んでへんで。あれは先輩のおごりや」などと、まあ人間いざとなったら金離れの悪いこと悪いこと、結局自己申告で集めたお金は請求金額をはるかに下回り、革命的なビールキョーサン主義はあっというまに破たんしてしまい、翌年からは正しい申告、正しい本数というまるで年末調整か確定申告かという厳しいチェックが入るようになった。イカン、こんなこと書いているといつまでたっても話が進まん。先を急ぐ。

 我がサークルの名誉のために言っておくと、普段は麻雀や酒ばかりやってるように見えるかもしれないが、結構会議は真剣というか丁々発止の意見交換、サークルを今後どのような方向に持っていくべきかなどという話もしたし、大学の移転問題に対してサークルとしてどのように取り組むべきかなどといったテーマの話もあった。また酒を飲んで話すときも音楽に関する議論もあったし、ま、青いと言えば青いのだがその時点ではみんな正直に自分の思うところ、考えるところをぶつけ合い、相互理解もできたいい合宿だった。その合宿の多分2日目が後期の学園祭、通称EVE祭に何をやるかというテーマだった。実は、合宿前に久留米出身のSさんNさんと鹿児島出身のT原さんと学祭のイベントについての話を聞いたことがあり、前年の74年はオカマ喫茶をやって大儲けしてそのお金でサークルのオーディオを買い替えたなんて話を聞いていた。もっとも先ほど書いたように僕は貨幣制度というか、お金に対する執着というものがあまりなくて(これは人生において致命的欠陥であることが数十年後発覚した。イッツトゥーレイトである。今更である。多分配偶者、バカ娘一同そう思っているに違いない)、別に儲かるからオカマ喫茶やるいうのはシホン主義に迎合してるんと違うんですかと先輩にたてついた。「どうせオカマ喫茶来るやつって、ちょっと危ない男ばっかりでしょ。そんなん鬱陶しいわ」とも言った。

 するとお二人は淫靡な笑いを浮かべ、「アホやな、お前。オカマ喫茶に来るんは、女の子ばっかりやでぇ。たまに男も来るけど大抵アベックや。仮に男だけのグループが来ても入り口で断ったらええんや」、などという。僕は意味が解らず黙って聞いていたら、「お前、N君なんかエグイんやで。客で来た女の子をいらいまくって、もうわやくちゃ」「T原、なにいうてんねん。お前も女の子に『わー胸大きい』とかいうて、揉みまくっとったやんか」「いや、オカマ喫茶でナンパしたあんたに言われたくない」「お前こそ、帰ろうとする女の子に電話番号教えんと帰られへんいうて無茶しとったやんか」…。などという会話が続き、僕は決心した。EVEはオカマ喫茶だ。

 しかしながら、世の中そう甘い話は無いわけで、当時まだ1回生だった僕の発言力ではEVEの出店をどうするかという会議の方向性を決めることは出来なかった。結局、オカマは嫌だという、まあある意味健全な考え方をするサークル員が多く、その年のEVEはディスコをやることになった。その店の名前は「王将」。むろん、京都を席巻しつつあった大衆中華料理店から頂いた名前だが、まあインパクトがあっていいんじゃないかということで、こちらは比較的すんなり決まった。学園祭の実行委員をI上さんが、上部組織の文化団体連盟のEVE実を僕が担当することになった。当時の僕の大学は、ちょっとややこしい連中が自治会を握っていて、その影響下にあった文連の会議に出るのはみんな嫌がったので、普段からいらんこといいの僕にお鉢が回ってきたわけである。

 それはいいのだが、その年のEVEには僕の高校時代の先輩のバンドが生バンドとして会場で演奏するのだが、そのきっかけが何だったかちょっとはっきり思い出せないので、今日はここまで。しかし、結局ジャズにもEVEの話にも到達しなかったが、それはあくまで結果論である。なんとかつなげる努力をしたが、力が及ばず、って言い訳はこの程度で。



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コメント

久留米出身のSさんって、全く記憶に無いのですが…

IとN以外に久留米出身って居ましたっけ? それとSに該当する人を 思いつかないのですが…またの機会に 個人的にメールか電話でお教え下さると幸いです。貴殿の下宿でだったと思いますが、バンドのボーカル氏とギター氏が居て、私が 何気なく「ピストル型のライターが有るけど、横に炎をまっすぐ出す事って 出来ないのだろうか?」と言ったら お二人が 物理や化学の用語で 真面目に検証を始められ 「百万遍にある超一流国立一期校は、そうなるか!?」と思ったものでした(笑)。

ああああ、スイマセン、訂正します

ご指摘の通り、ここに登場しているのは久留米のよかにせ、Nさんです。何しろこの時のT原さんの発言が「お前、N君なんかエグイんやで。客で来た女の子をいらいまくって、もうわやくちゃ」というのは耳元にしっかり残っていて、しいて言い訳するとN君の最後の子音が「Si」なので、思い込みでSさんと書いてしまったようです。謹んで訂正いたします。また「梨バンド」(僕の高校の先輩のバンドというか、「百万遍にある超一流国立一期校」のギタリストがリーダーだったバンドの名前)のエピソードも思い出すきっかけを戴きありがとうございました。

張り切って続編を書いてまいります(と、返事はいいけど動きが遅いdrac-obでした)。

素晴らしい夏合宿。。

いいなあ鳥取に毎年。なんだかんだいって理想の世界つか。泳いで、飲んで…!はぁ~(ため息)。

楽しみにしています

先輩、こちらに初めて書き込みします、DRACの柴田の「静」のほうです。
夏の合宿も伝統的に鳥取なんですね。僕の参加した81年は食事のあと花火大会(といっても二組に別れて、火花をかけあうものでしたが・・・)していました。DRAC興亡史楽しみに待っております。

ズトさん、今やっと気がつきました、鳥取が

僕の天国に一番近い島、違った、場所だったんですね。午前中はあーだこーだとギロンして、昼飯食ったら泳いで、疲れて帰ったら風呂に入り、晩飯には新鮮なイカ刺しやカニの酢の物なんぞつまみにビールを飲んで、お、面子揃ったな、じゃやるかと四者面談ただし中国語会話付をじゃらじゃらと、真夜中になったらふらふら散歩する奴、まだ飲むやつ、トイレでゲーゲーやってる奴、まさしくハライソでした(笑)。

お、誰かと思えば柴田君

って、君大丈夫か実名出して。革命的警戒心が薄いぞ(笑)。オレが絶対ばれないハンドルネームつけてやるよ。S田君ってのはどうだ、ゼッタイ「柴田」だってバレないから。それとも「静」君ってのもいいな。四条河原町にあった落書きだらけの飲み屋みたいだが(笑)。良かったら次回からはどちらか好きなほう使ってや。

そうですか、81年も鳥取に行ったんだ。やっぱりかわとねだろうな、民宿は。http://site5.tori-info.co.jp/p/sakyu/guide/spots/stay/kawatone/

>食事のあと花火大会(といっても二組に別れて、火花をかけあうものでしたが・・・)

これも75年に始まった花火の水平撃ちからなんだけど、最初は特定個人を狙ってみんなで花火を水平撃ちしていたけど、だんだん二組に分かれて、砂山の上に陣取るグループと下から包囲するグループに分かれてドンパチやるようになったな。別名、学生対キドータイごっこなどといってました(笑)。

続編はなるべく早く書くつもりですが、ついついFBの書き込みしてると…。

Re: 楽しみにしています

すまん、今気がついた。ちゃんと「DRAC静」ってハンドルネームあったんだ。じゃ以後はそのHNで。しかし、オレは相変わらず粗忽だな。
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