ワタクシとジャズ(喫茶)の出会い~アイル・リメンバー・エイプリル

 なんだか、この前も同じようなことを書いた気がするが多分気のせいだろう。世の中にはシンクロという出来事があって、さらに摩訶不思議なことも十分起こる。いったい何の話かというと、この間書きかけては挫折している「ワタクシとジャズの出会い」であるが、ようやく高校時代の話も終わり、そして高校時代の同級生の女性陣と楽しくお喋りをして愉快な時間を過ごしたという話も終えて、さあ今度こそ時は1975年、ワタクシの大学生活第一歩とそれに伴うジャズ(喫茶)との出会いの話を書くはずだったが、前回の酒池肉林話(何が、いったい何が酒池肉林だったのか、今では忘却の彼方です)に嫉妬したYKZ君が、「オレにもちったぁいい目を見させろ」とばかりに無理やり土曜の夜の飲み会の予定を組み、その時に「7人とは言わないが女性の1人や二人はそろえるのがマナーだろう」みたいな無理難題を押し付けてきた。たしかに野郎二人でROCK BARのカウンターに並んでよもやま話をするよりは、そりゃ女の人が誰か一人でもいたほうが雰囲気も華やぐし、だいたいYKZ君と一緒に飲んだところで30分もすれば悪酔いして昔話を好き放題喚いて終わりというのが明白なので、僕もあちこちの女性陣に呼びかけたが、やんぬるかな、好漢未だに不射の射を知らず、などと突然、中島敦の「名人伝」が出てきてしまうくらい、徹底して拒否された。先週は7人の女性たちと一緒に楽しく飲めたのに、今週はYKZ君と一緒に楽しく歓談しようと誘ったら誰も来ないというのは、いったい誰に原因があるか火を見るより明らかですね。

 それで、もう土曜の午後には諦めて、しょうがないからYKZ君とここ最近の音楽の話、ZEK3の話でもするか、ということはゼップのアルバムをファーストから順番に流してもらうか、などと考えながら、例によって図書館のソファで本を読んでいたら携帯が鳴った。見るとROCK BARのマスターからで、YKZ君が可哀想だからと同学年の女性を1人誘ったとのことだった。もっとも、その女性も好き好んで来るわけじゃないから、飲み代は当然受益者負担の原則でYKZ君が払わないといけないともっともなことを言うので、よっしゃ任しとけ、ワシがあいつに納得も得心も行くようにしたるさかい、その辺はまかせといてんか、そらなんちゅうても銭の花は白いと一人コバコごっこをしながらYKZ君にさっそく電話した。おっと、それともう一つ、美味しい話には裏があるというか、その宴席にI上君も来るから、という一言があったわけよ。I上君というのは、元サッカー部のキャプテンでスポーツマンで陰ひなたが無く、人の面倒見のとてもいい男で、僕が良く「男は日に三言」などと出来もしないことを言ってるが、その言葉をまさしく体現している九州男児である。しかし、悲しいことに酒癖が悪い。飲むとやたら絡む。殴る、蹴る。本人は親愛の情を示しているのかもしれないが、アレを他人にやったら間違いなく刑事事件になる。

 さらにYKZ君は元サッカー部で、当然I上君に対しては頭が上がらない。まあ、しかし自ら望んだ結果がこうなのだから、それは仕方がない。という訳で僕は女性一人来るからその人の飲み代は君負担ね、ということと酒癖の悪いI上君も来るらしいからオレは欠席すると言って電話を切った。君子危うきに近づかず。これは昔からの格言である。しかし、虎穴に入らずんば虎児を得ずという言葉もあるし、なんといっても「騒ぎの好きな俺(by 泉谷)」であるだけに、土壇場になってとりあえず様子だけ見に行こうとしたのが間違いの始まりであった。

 ROCK BARに着いたのは20時半近くで、店内は非常に静かだった。流れていたのは加藤和彦の『それから先のことは』で、僕が持ち込んだアナログだった。レコードコーナーのマスターに挨拶して、カウンターを見るとYKZ君がきれいな女性の隣、嫌らしいことに1つ席を空けて座っている。その二人にも「お、どもども」とあいさつして「ヨースケは?」と尋ねた。ヨースケというのはI上君の名前というかニックネームというか、まあ、彼をI上と苗字で呼ぶ奴はもぐりである。「まだ来てないけど、もうすぐ来るらしい」とはマスター。そうしているうちにドアが開いて誰か入ってきた。I上君ではないが、やはり同じ高校の同窓生で彼も元サッカー部である。そして、それから30分もしないうちに彼はやって来た。ホール&オーツのヒット曲に「人食い(=マンイーター)」ってのがあったけど、まさしくそんな感じで奴は現れた。それから4時間、延々とバカ話は続き、そして不思議にボーリョク沙汰は起こらず、その日の飲み会は無事終わるように見えた(あ、女性は1時間くらいで僕らのバカ話に愛想を尽かして帰りました、涙)。しかし、飲み足りない僕たちはそれからさらにカラオケボックスに突入し、2時間飲み放題歌い放題の夜を過ごし、いい年こいて午前様であった。

 というようなことを繰り返していると、バカになるし第一いつまでたっても話が進まない。これは大学時代に話が入らないから、高校の時の友人知人がシンクロしてくるのだと判断し、話を無理やり1975年、僕が大学に入った年というかDRACに入った年に持っていく。南九州の片田舎から、花の京都シティに引越し下宿もごたごたしたが修学院の居心地のいい四畳半に決まり、僕の人生は順風満帆であった。これで、大学で学問を修め、その知識と見聞をもとに社会に出れば、まあ外務省は無理でもそこそこいいところに就職し、見目麗しい嫁も貰い、子供は優秀な遺伝子を受け継いだ賢い子が二人ほど、その子供たちも無事成長し、あとは年金なんかに頼らずそれまでにためた貯蓄と財産で世界旅行か、セカンドハネムーンか、なんて幻想は徹底してフンサイされた我が人生であるが、ああ、あの時選択を間違わなければ、今こんな時間に端末の画面を見ながらキーボードを叩いていることはなかったであろう。神は何故に試練を与えたまうのか、と恰好つけようと思ったが、良く考えたらオレは無神論者だった。

 えーと、まあ、話を繰り返すようだが大学に入り、4月が過ぎクラスの中にも若干の顔見知りというか友達もできて(良く考えたら、この時すでにN谷君と出会っている。ということは、やはり僕はクラスの出来んボーイの1員になることは避けられなかったかもしれない)、キャンパスの勝手もすこしずつ分かり始めたその頃だった。ずいぶん前のエントリーに書いたが、僕が修学院の下宿を決めるきっかけになった方がいて、その方、高校の先生をされていたが、ご自身も下宿を経営していてそこには九州出身者しか入れなかった。つまり、その下宿、1階は大家さんのお住まいで2階が10室ほどあっただろうか、全部九州の人たちが住んでる空間があるわけですね。つまり、いったんそこに入ると博多弁、熊本弁、長崎弁、鹿児島弁、佐賀弁そして宮崎弁が飛び交う異空間だった。あ、大分出身の人はたまたまいなかった。南九州のド田舎から出てきた僕は、いくらシティボーイだといっても、やはり京都・大阪の人たちと話をするのはやや緊張というか、極力田舎モンだと思われないように知らず知らずのうちにプレッシャーがかかってしまうのだが、その下宿に行くと、気が楽になり九州それぞれの方言とユーミンの『ミスリム』(これを好きな先輩がいて、この4月の時期は毎日何回もエンドレスで流していた)を耳にしながら、それでも先輩や同輩たちから大学の様々な情報を教えてもらった。

 ちょうど僕と同じ文学部の1学年上の人がいて、T田さんというその人は、出身はどこだったか、珍しく九州なまりのない人だった。後で、この人はヨヨギだったということが分かったのだが、別段イデオロギー的なことをどうこう言うことなく、妙なサークルへの勧誘などもなかったが、単位の登録の仕方を教えてくれた時に、「drac-obクン、君の組み方だと午後に講義が集中して、サークル活動が出来なくなるよ」と言われた。4講目や5講目に授業を入れないほうがいいというのだ。自慢ではないが、僕は宵っ張りの朝寝坊でとてもじゃないが1講目から張り切って授業を受けるなんてことは出来ないことと、土台サークル活動なんかする気はないと答えた。するとT田さんは、じっと僕の目を見て「drac-obクン。大学は、それは学問の場ではあるけど、それ以上に大事なことを学べるのがサークルだよ。これは社会人になってからは絶対できないから、是非サークル、何でもいいから入るべきだ。君は本が好きだから歴史哲学のサークルなんかどうだい」と、今思えば実はこの時ヨヨギ系のサークルに勧誘してオルグしようという気がT田さんにあったかもしれない。もっとも、僕は何が悲しゅうて、花の大学に来て歴史じゃ、テツガクじゃ。そんなもんやっとったら、ギャルにもてん。ワシ、暗かった受験生時代を一気に挽回するために大学来たんじゃけんね。ギャルちゅうかナオンちゅうか、まあ、いわゆる異性っていうんですか、そういう方と仲良くなれるなら、サークルも悪くないか、くらいしか考えてませんでした。

 そして、その下宿の他の1回生達もそれぞれ所属サークルを決め、ある人は混声合唱団、確かCCDとか言ったっけ、それに入って毎日お隣の女子大のおねーさんたちと青春の歌を歌っていたり、カメラ同好会に入ってヌード撮りまくるぞと息巻いているのもいたし、その中に一人音楽研究会というサークルに入った男がいた。福岡出身の何故だかグレープフルーツとポッカレモンが好きだった男だったが、彼が言うには「いやもう部室にいる人たち全員が音楽好きでね。特にロックの好きな人が多くて、drac-obクンみたいにミュージシャンやレコードの名前が次々に出る人ばかり。入会の仕方も丁寧に教えてくれるし、慣れてずっと続けることが決まるまで、会費は払わなくていい」と、それはナイスなことばかり。さりげなく女性部員は多いかと尋ねると、にっこり笑い「心配しなさんな。本学だけじゃなくて女子部(D大の付属高校出身のやつらはD女子大のことをカッコつけて女子部と呼んでいた。ここでの彼は博多の田舎モンであることを悟られないように、その手の用語を使ったと思われる)の子もたくさんいるよ、スカート短い子ばかり」。

 こういう話を聞いたら、そりゃあなた。サークル入らないわけにはいかないでしょう。だって、皆が音楽好きで、明るく受け入れてくれて、会費は後払いでいいし、なんといっても女子大のお姉さんたちと一緒に「ブルースの影響を受けなかったクィーンが本国以上に日本で人気が出たのは何故か」とか「プログレは何故アメリカでは根付かないのか」とか、ま、なんちゅうか、ええ格好してしゃべったりしたいわけですよ。で、腹は決まった。こりゃ僕も音楽研究会に入部して、楽しい大学生活を送ろうではないかと思い5月の連休が終わった時期に、別館の薄暗い1階の廊下を歩いていた。音研の部室(BOX)は学生会館別館の1階の一番奥にあると聞いていたからだ。廊下の暗さに目が慣れた頃にその扉はあった。大きく『Ⅱ部音楽研究会』と書いてあるが、ドアに鍵がかかっていて開かない。しばらく待ったが、誰も来そうにない。出直そうかと思ったが、確か4階にも同じような名前のサークルがあったことを思い出し、一応そちらをのぞいてみてそちらに入ってもいいかと考えた。

 1階よりも薄暗く、壁や天井にビラがべたべた貼られていて、さらに赤ペンキで壁に直接いろいろな文字が書かれている階段を上り、4階のBOXに着いた。ノックすると「おう」、とか「うん」とか返事らしき声がする。礼節をモットーとしているワタクシは「失礼します」とあいさつしながらその部屋に入った。中央に四角くテーブルというか大机が置かれて、その周囲にパイプ椅子が、また壁際には長椅子が置かれてある。正面左の机にはプレイヤーとアンプが、その右側の棚にはレコードが無造作に置かれていた。音楽は流れてなかったと思う。正面の椅子にゲゲゲの鬼太郎みたいな人がいて、その横にミラーのレイバンのサングラスをかけた角刈りの人がいた。女の子は、一人もいない。床にはタバコの吸い殻があちこちに投げ捨ててあった。机の上の灰皿も吸い終えたタバコが山のようになっていた。ヤバい、引き返せという声が頭のどこかで聞こえたが、僕は「すいません、ここのサークルに入部したいんですが」と出来る限り丁寧に話した。

 「おおそうか、今日は生憎男性部員ばかりでちょっと汚いが、普段は女の子もたくさんいてきれいにしてるんだよ。タイミング悪かったな君は。ま、ま、かけて、椅子に腰かけて」なんて言葉は全くなかった。鬼太郎は僕のほうを胡散臭げに眺めて、横の角刈りに「入会希望だってよ、どうする」といい、「ま、ええんちゃうか」と角刈りが予想以上に軽く答えた。鬼太郎は、さも面倒くさげに「じゃこれに必要事項書いて」と入会用紙を手渡した。氏名、住所、実家、学年、学部などを記入して渡すと、手に取った鬼太郎は横の角刈りに「おい、また九州やで」といって鼻先で笑った。鬼太郎が当時の会長で3回生だったY田さんで、角刈りが副会長で同じく3回生だったS賀さんだった。しかし、何回思い出しても気分の悪い対応である。これだけ愛想が無いサークルに新入生が入るもんか。しかし、何故僕はこんなひどい仕打ちを受けたサークルに居ついてしまったのか。それは、その時は気がつかなかったが淀川長治、あるいはケペル先生に良く似た男が、僕の様子を見ていてこいつは同じ1回生で見るからに田舎モンだから、オレの話をすべて真に受けるに違いないと手ぐすねを引いており、彼の術中に見事にはまってしまったからである。その男、F田敏雄君との出会いが、ある意味ジャズとの出会いでもあった。

 おっと、もう一つ忘れられない思い出がある。最初はすぐに辞めようと思っていたサークルだったが、何度か出入りしているうちにだんだん慣れてきて、多分入部して1週間位したころだろうか。BOXに行くとY田さんが「おう、ちょうどいいところに来た。ゴミ箱がいっぱいだから捨ててきてくれ」と僕に言った。ゴミ箱は結構大きく、また中のごみも多くてとても一人で持ち運びできそうになかった。するとY田さんは、長椅子に座っていた長髪でこざっぱりした感じの男のほうを見て「お前はゴミ捨て場知ってたよな」といい、その男は「残念ながら知ってます。じゃ、君一緒にゴミ捨てに行こう」と言った。僕は、言われるままゴミ箱を持ち、BOXを出たところで「あ、スイマセン先輩。オレdrac-obといいます。英文科の1回生で九州の出身です」とあいさつした。すると、その二枚目は「敬語使わなくていい。オレも1回生だから」と答えた。彼こそ、僕にジャズやジャズ喫茶のことをいろいろ教えてくれることになるE副君であった。



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コメント

おもしろい(笑)

でも1975年にdracさんは大学生かぁ…^^私は、その二年後に生まれます(笑)

ということは、僕が大学に入った頃は

この世にまだイマンさんは存在してなかったわけですか、はぁ~。ま、仕方ないですね、事実は事実だから。面白く読んでいただき、ありがとうございます。何とか続きを書いていきたいけど、ついつい寄り道、脇道が多くて帰り道を忘れる傾向があります(笑)。

ところで、blog閉鎖したんですね。応援メールを送ろうとしたら、そちらもNGでした。またついでの時にでも連絡くださいね。

ありがとうございます。

blog、読んでくださったのですね。ありがとうございます。ほかのところではじめてみました。
メールは利用頻度がないので…^^;
また連絡しますねm(__)m

あ、そうなんですか

今度はどちらでやってるのか、またついでの時にでも教えてください。

でも、以前のblogも独特の味わいで良かったですよ。以前のエントリーは
全部消しちゃったんですか?blogの引っ越しだったら、過去のものも読めるはずだけど。

ありがとうございます

メールもblogも、dracさんからのコメントはないと思っていたので気がつくことはないかなと、連絡なしでお引越ししてしまいました(>_<)すみません。そのうちにゆっくり…思っておりました^^;すみません。
前のblogも読んでくださり本当にありがとうございましたm(__)m

いやいや、そんな薄情ではありません(笑)

メールはですね、気持ちが乗ってどんどん書くときもあれば、面倒になってしまうこともあって…。ただ、せっかく出すメールなので3行じゃ失礼だと思うと、書く材料を考えているうちに時間が過ぎて、ついつい簡単なものになったりするので、って言い訳ですが、以後気をつけます。

後、前のイマンさんのblogはコメント機能が無かったと思うので、FACEBOOKで「いいね」をクリックしてましたよ。http://www.facebook.com/ob.drac

>そのうちにゆっくり…思っておりました^^;

楽しみにお待ちしております(笑)。

いえいえ

以後気をつけなくていいんですm(__)m

今までどおり^^

dracさんは気をつかわれるようなので、コメントのほうがやりとりが楽でいい気がしますよ^^(笑)

ではまた^^/~

僕(たち)の学生時代の合言葉は

「遠慮と勉強はしない」というやつでした。今も、そのあたりは、ほとんど変わってません(笑)。

まあ、また気が変わったらお知らせください。
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