駆け足日記アゲイン

 「週記」というものをご存じだろうか。「週記」、つまり週に起こったことを記すものである。日々起こったことを記すのが「日記」、エーゴではDiary、ダィアリーである。週記は1週間ごとの出来事を記すもので、エーゴではWiary、ウィアリーという。しかし、そんなことで驚くのはまだ早い。我がD大の大先輩、偉大なるブルース・マスターの故塩次伸二先輩など「月記」、つまり月に1回しか更新しない、下手すると四半期に1回なんてもこともあった。あ、エーゴではMiary、ミ、ミィアリーという。その昔、日記をちゃんとつけない小娘がいて、そのことをポールが歌にしたことがあった。題して「ミィアリーの子羊」、歌いだしは♪みぁりーはっどありとるらむ~、ミディアムテンポの素朴な歌でウィングスのセカンド・シングルになった。…、自分がblogを更新できないからと言って架空の単語を作って言い訳するのは良くないと思う。

 と、まあ、のっけから言い訳三昧の導入部であるが、早いものであっという間に1週間である。またもや駆け足で振り返るこの1週間。しかし、こういう風に駆け足で走って行ったら、あっという間に雛祭り、あらま、桜が咲いたぞ、藤も咲く、黄金週間はどこに行くか、なんて考えているうちに梅雨も来て、梅雨来たりなば春遠からじなんて洒落てるうちに、もうお盆だ、列島大移動だ、夏の電力は全然問題なくて、クソッタレの原発なんぞの垂れ流し電気は一切使わず、セプテンバー、そしてあなたは、セプテンバーなどと歌っているうちに、おお、秋晴れの体育の日、赤勝て白勝て、運動会にはゼッケンつけてクーコーフンサイ、トーソーショーリ、ありゃ運動って、そっちか、などと慌てているうちにメリクリ、メリー・クリスマスみすたーろーれんす、などと絶叫してごおおおおおおおんと響く除夜の鐘、明けましておめでとうございます、あ、もう正月だ。というように、月日の経つのは早いので、若者よ、書を読んでしっかり学ぼう。ネットばっかりやってるとヒッキ―になっちゃうぞ。と、これは余計なお世話だったか。というわけで、またもや駆け足でつづるこの1週間。今、とっさに思ったけど「駆け足」と「架け橋」って似てるよね。栄光の駆け足、なんつって。

某日、ええと週末だったので例によって図書館に行って、お気に入りのソファで借りていた本を読もうとしたら、なんと図書館が超満員というか、孤独なオジサンたちが右往左往していて、窓際のソファは先客でいっぱい。しょうがないので、あちこちあるいて単体で置いてある小さな椅子(背もたれが無いけど、大きな台があってそれが壁になり背中を預けることが出来る)に座って、本を読んだ。読み進んでいくうち関連書籍を調べたくなり、検索機の所に行き、チェック。次に読みたい本は書庫の中にあった。借りようかと思ったが、今借りている本を読み終えてでないと、また次の本、次の本と手を出してしまうと頭が混乱してしまうし、第一期間内に読み終えることが出来ない。ちょっと後ろ髪をひかれる思いだったが、とりあえず目的の本のデータをプリントアウトしてポケットに入れた。

 それから、先ほどの椅子のほうに戻ろうとしたら、気に入ってるソファが空いていたのでそこに座って読書の続きを始めた。いつ来ても、そのソファにもたれているマフラー、ジャンバーのオジサンがやはり雑誌を何冊かサイドテーブルに置いて、パラパラ開いている。せっかくの週末なのに、図書館で一人本を読んで寂しくないのか。家族から見放されているのか、気の毒なことだと同情しかけて、良く考えたら僕も同じだということに気がつき、それでも親愛の情を示すことはしなかった。人間死ぬときは独りだ。読書に夢中になっているうちに、なんだか一定の感覚で聞こえる音に気がついた。良く聞いてみると、例のオジサンの寝息、というか、明らかにいびきである。ちら、と視線を送ったが、ソファに丸くなって器用な体勢で熟睡している。時々、ものすごい音になる。

 いびきというのは本人は気がつかないのだろうが、はたで聴いていると結構大音量である。僕も疲れているときは、いびきをかくのだが、以前は疲れすぎていると目を開いたまま寝てしまうこともあり、ずいぶん家族に気味悪がられた。それ以上にバイヤーなのは、僕は睡眠時無呼吸症みたいで、寝ているときに呼吸をしていないことがあるらしい。配偶者に言わせると、しばらく全く息をしておらず、死んだんじゃないかと心配して覗き込むとふぅううううと苦しそうに呼吸をするので、生存確認して安心するなどと言われたことが何回かあった。本当は安心じゃなくて、保険が降りなくて残念とでも思っているかもしれない。クソッタレ、周りはみんな敵だ、油断するな。などと家庭内不和の話をしている場合ではなく、オジサンのいびき、いよいよものすごく、そのあたりで笑っていた係りの人も、ちょっとマジになって体をゆするが目を覚まさない。女性の係り員だったので、声もあまり荒げた感じではなく、優しく「ちょっと、ちょっと、すいません」とか言いながら体をゆすった。「ハッ」と言ってオジサンは起きたが、体をゆすられて起きたというより、自分のいびきに驚いて起きた感じだった。係りの人が「風邪をひきますよ」と注意したが、「はぁ」と気のない返事をして、それでも照れ隠しだろうか腕時計を見て、「もうこんな時間か」とつぶやきながら帰って行った。

某日、通勤中の車のラジオから「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイト・ニッポン・ゴールド」という番組の予告が流れ、てっきり特番だと思い家に帰ってラジオを引っ張り出し夜10時から聞き始めた。いやー、ラジオの番組を時間通りに聴くなんて経験はずいぶん久しぶりだ。いつ以来かというと、前の県知事が宮崎からオールナイト・ニッポンを放送したことがあり、その時以来じゃないかという気がする。坂崎も拓郎もしゃべりが面白いというかラジオ向きのキャラクターだと思っているが、放送は予想以上に笑いあり、マジな楽曲の裏話ありで大いに楽しめた。しかし、深夜放送を聞く感覚でいたが良く考えてみると22時から23時50分までである。ラジオを一生懸命聞いていた頃だったら、大橋巨泉のポップスナウが終わったくらいの時間で、こんな時間帯は深夜放送とはいわなかった。やはり午前1時以降の番組が深夜放送だよな。拓郎の深夜放送と言えば、あれは高校生の時だったか、地元では放送されていないのでラジオのチューニングを調整しながら聞いたセイ・ヤングでその日のDJだった拓郎が「僕は四角佳子と結婚します」という宣言を聞いたことがあった。あれはずいぶん驚いたが、それ以上に驚いたのは四角佳子と離婚したと思ったら、なんと歌うレッド・バルーンこと浅田美代子と再婚し、ま、それは別段羨ましくはなかったが、その後、おい、お前、また離婚はええけど再再婚なんかないな、無いよな絶対、などという声は当然届きもせず、おお、森下愛子とまたもや結婚した時は羨ましかった。森下愛子ですよ、森下愛子。分かってるのかな、って、オレは誰に語りかけているのだ。

 まあ、坂崎と拓郎のかけあい漫才みたいで、あっという間の2時間近く。途中、加藤和彦の話題がちょっと出たり、79年に篠島で24時間コンサートをやったのだが、途中でゲストとして出演した小室等と長淵剛の二人には強烈な帰れコールが起こったなんて話は面白かったな。帰れコールなんて、拓郎が一番やられて「そうか、じゃ帰る」といってコンサート(当時は単独のコンサートはまず無くて、いくつかのグループやシンガーの合同ライブという形がほとんどで、ファンは目当てのミュージシャン以外には「帰れ、帰れ」と大ブーイングということが多かった)で、1曲も歌わず帰ったこともあった。で、その「帰れコール」を受けなくなったのは、例の金沢事件から後らしい。それまでは、ぼろくそに「帰れ、帰れ」と言われていたが、金沢事件(拓郎がファンの女の子をゴーカンしたというデッチアゲ事件)でマスコミにめちゃくちゃ叩かれて、それ以来なんだか妙な同情をされて「帰れコール」は収まったなんて話していたな。

FOGGY MORNING

某日、朝起きたらあたりには霧が立ち込めていた。霧のロンドン、ベーカー街である。幻想的な景色の中、車のエンジンをかけて職場に向かう。ここは余計な話を書くより写真を見てもらったほうが分かりやすいだろう。朝は一面の霧だったが、お昼前から太陽が射してきて今度はだんだんあったかくなり、日差しも強くなり夕方散歩してたら大淀川に沈む夕日がきれいだった。風景の不思議さに振り回された1日だった。

サンセット


某日、健康診断の一環でVDT検査を受ける。視力や眼圧やいろんな検査があって、結論から言うと全然問題なしだった。ちょっとおかしかったのは僕はもう裸眼では何も見えないと言ってもいいくらいの近視なのだが、視力検査で例の丸い形のどこが空いているか、「右」とか「下」とかいう検査ですよ。その検査を担当した女性スタッフが「6番は?」「えーと、右かな」「右ですか(ちょっときつめの口調)」「あ、いや下、下か」「ハイ正解です。じゃ7番」「いや、もう見えないから」「そういわずに頑張って、どっち」「じゃ、上」「ほら、出来たじゃない。じゃ次」みたいな検査だったけど、あれは頑張って見て数字をあげるべきものなんだろうか。違った答えを出した時の返事が、ずいぶん怒った感じだったけど、その後言い直して正解だと凄く機嫌良さそうな声になるんだよね。おかしかったのは、「そうじゃないでしょ」「うーんと、左、かな」「もう、最初になんて答えたか思い出しなさい」って、思い出して答えるってのは絶対オカシイよな。

某日、先週試験前だというのにバイトに行き、そのことを叱って以来一言も口をきかなかった下の子と久しぶりに話をした。この日もかなり遅くなって疲れて帰ってきたので、またバイトかと小言を言おうとしたら、いきなり「南こうせつ、ウザイ」などという。話を聞いてみると合唱の部活で宮崎の復興を願うコンサートに参加することになり、そこで南こうせつと一緒に歌うらしい。配偶者に「南こうせつって誰?」と、お前その質問ってちょっと変じゃないかと言いたくなったが、要するに南こうせつというのは何者かと尋ねているのだろう。配偶者が、その昔フォークのグループで有名で、とか、お隣の大分出身の歌手とか説明したが、なんだかぴんと来ないようだった。で、止せばいいのにオヤジが「あ~。こうせつか、『うちのお父さん』なんか歌ってる人だな。デビューはロック・キャンディーズといって女の子3人組で確か『普通の女の子に戻りたい』つって解散した。あ、あれは本家キャンディーズだった。ロック・キャンディーズも違うな、あっちはちょび髭にアポロキャップの中国好きだった。ええと、確か日本昔話から取ったようなグループ名で、『金太郎』違うな、あ、思い出した『もののけ姫』だ、で、ヒット曲が『道頓堀川』つってイントロがバイオリンで歌詞は、赤いマフラーをタオルにして、横町の風呂屋に行ったけど男がスポーツ刈りで先に上がって、女を待っていたから風邪をひいて、それ以来月に1度おでんを洗面器一杯に…」などと言ってるうちに全く相手をされなくなった。

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コメント

分かってます(笑)

森下愛子で思い出すのは映画「サード」で
永島敏行との図書館の中でのシーン。
森下愛子のほうから、「やる?」とかいい、
永島が「やる?せめてすると言えよ」ってやつ。
あれは言われてみたいす(笑)
拓郎いまさらですが、裏山しすぎる。。

だって、あの森下愛子ですよ(泣)

と、未練たらたらなワタクシですが、拓郎の結婚歴を振り返って、二番目の浅田美代子はどうでもいいし、良く分かりません。四角佳子(この人はきれいだったし、歌もうまかった。何年か前にテレビで再結成した、いや再々結成かもしれないけど、六文銭で久しぶりにご尊顔を拝見したが、当時きれいなお姉さんとしてあこがれていた雰囲気のままでした)と離婚して、浅田美代子と再婚したばかりの頃、テレビで二人の会話を見ましたが、「アホか」、の一言でした。ムッシュが「拓郎は嫁さんボケしているから、今、詩が書けない」とこぼしていたのが印象的でした。
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