サイドバイザーにバッタを見た

 昨日の朝、出勤しようと車に乗りエンジンをかけて左右の安全確認をして発車しかけた時に、ちらりと視界に入ったものがあった。よく見るとバッタが右側のドアのガラスに張り付いていた。車を走らせれば、風圧で落とされるだろうと大して気にせず走り出したが、このバッタ根性があるというか、動かない。微動だにしないと言ったら言い過ぎだが、ほとんど動かない。右側を見るときに必ず視野に入るので、鬱陶しくなり少し加速したが、落ちない。よく見るとサイドバイザーの下の所にいるので、風圧から守られているのだ。ちょっといらついて窓を少し開けると、風を感じるのか心持ち上のほうに上がってくる。そのまま上がってきて、車の中に入られるのも嫌だったので慌てて閉めた。たかがバッタごときに右往左往している自分がちょっと滑稽だった。

ガッツあるバッタ

 しばらく気にしないようにして車を走らせ、やや大きな交差点の信号で止まった。相変わらずバッタはしがみついている。このままくっ付いてくるのだろうか。寄らば大樹の陰という言葉が脳裏をかすめたが、ちょっと意味が違うと思った。信号の待ち時間が長かったので、もう一度窓を少し開けると、おっとっとという感じで上のほうに動いてくる。急いで閉めると今度は足を挟んでしまい「いてててて」という声が聞こえそうでちょっと焦って窓を少し開けると、「ああ、痛かった」みたいな感じで軽く挟んだほうの足を振ってまた定位置に戻った。

 しかし、どうしてまたバッタなどが車の窓にへばりついたんだろうか。僕の自宅は川の傍なので、川沿いの草むらに生息しているバッタがよっこらせ、どっこらせと歩いてきて、いや、多分ぴょんぴょん飛び跳ねて、ちょっと疲れたので車の窓のサイドバイザーの下で休憩していたのかもしれない。なぎらの「葛飾にバッタを見た」を思い出した。あの歌は偶然会った同級生の出世した様子と相変わらず売れない音楽をやっている本人の対比がうら寂しい歌である。最後のほうに負け惜しみみたいなフレーズもあり、そこに共感を持てるか持てないかで社会的に成功する人間かそうでないかが分かる歌だ。あ、もちろん共感できる奴は、いわゆる「負け組」とやらになるわけで、当然こういうことを書いている僕は後者の部類だ。



 などと考えると、朝から大変気分がよろしくないので極力考えないようにしているうちに仕事場に着いた。車から降りるときに、強めにドアを閉めてその勢いでバッタが飛び出さないかとみていたが、バッタはしがみついたままだった。まあ、そのうちどこかに行くだろう。ちょうど僕が契約している駐車場のすぐ横が草むらというか空き地で雑草もパラパラ生えているのでバッタが住むのに適している環境だ。まあ夕方戻ってくるときにはバッタはいないだろうと思っていた。

 夕方、仕事を終えて駐車場に来てみたら、車の窓ガラスに相変わらずバッタは止まっていた。日がな一日この場所にいたんだろうか。食事もせず、水も飲まずじっと耐えていたんだろうか。バッタとはいえ健気なもので、よそ様の草や水を施してもらう気はない。渇しても盗泉の水は飲まずという心意気なのだろうか。エライ、立派だ。今のわが国にはこういう意地っ張りというか、てやんでぇ、ゼニカネをどれだけ積まれたってオイラの心意気はうれねぇ、味噌汁で面洗って一昨日きやがれ、みたいな一本芯の通った人間は少ない。というか、ほとんどいない。シモジモのものに勝手に意見言わせて、最終結論はとっくに参加と決めているどこかの金魚かぶれのどじょうに見せてやりたいくらいのバッタの心意気である。

 もちろん、僕は帰りは慎重に運転しバッタが振り落とされないよう気をつけた。自宅の駐車場に着いたときには、思わず「お疲れ」といいそうになったが、バッタ相手に話しかけているところを近所に人に見られると、それでなくてもあそこの人はちょっとオカシイ、夜中までパソコンをかちゃかちゃやっていたり、休みになるとわけのわからない音楽を流して一緒に歌っているし、この前は「オレの事分かるやついるけ~」などと絶叫していた、分かるわけがないのにさわらぬ神にたたりなし、クワバラクワバラ、などと言われかねないので黙っていた。

 そして今朝、駐車場に出てみるとバッタはもうどこにもいなかった。やはり、元の川の傍の草むらにもどったんだろう。どうしてるんだろうか、などとバッタを心配している場合ではない。今朝は寝坊してしまったので、急いでいかないと仕事に間に合わないのだ。やれやれ、こうしてまたあわただしい一日が過ぎていくのだ。しかし、バッタと自分とどっちが幸せなんだろうかと考えると、悲しくなるのでやめた。今日はちょっと志賀直哉で行こうと思ったが、やはり僕にはシラカバは無理であった。

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コメント

葛飾のバッタは

根性がありますね。


バッタ、ひなたぼっこで、1970年代のフォークシーンを想起してしまいました。

ひなたぼっことくれば、金森幸介の「ひなたぼっこ」でしょう。

「日がな一日、小石のように紙に包んだ飴玉しゃぶりながら、ひなたぼっこ・・・」
「何度も何度も頷き合って手をとりあって・・・」

のどかな光景に見えますが・・・

家にいると電気代がかかるため、家族が帰る時間まで近くのスーパーで一日過ごす老人の姿は、よく見る光景になって来ました。

金森の歌は1970年代ですから、そういう光景ではなく、誰もいなくなった寂しい家を出て近所の年寄りが集まって、ひなたぼっこをしながら昔のことを話している光景が歌われます。

「子供の頃は可愛かった自慢の息子は、とてもよくしてくれると言うけれど、毎日ひなたぼっこ」

ここに表現されるのは、「老いの寂しさ」、本当は「家族から邪魔者扱いにされている」ことが伺える悲しい歌です。
金森は推情感込めて歌っています。金森の歌は見つかりませんげしたが、中川イサトの歌が下記URLにあります。
http://www.youtube.com/watch?v=ie0fT5rJn8Q

アーロガスリーが

追伸

「ひなたぼっこ」は、中川イサト作を金森幸介が歌ったものですが、どうもアーロガスリーが原曲のようです。

「LastTrain」 Arlo Guthrie
http://www.youtube.com/watch?v=kfPs73Mmcvc&feature=player_embedded#!

オリジナル

http://www.youtube.com/watch?v=R8oxMWjWynU&feature=related

アーロガスリーのオリジナルを見つけました。

sawyer先輩、怒涛の3連続コメント

ありがとうございます。金森幸介の名前は、ここしばらく聞いたことがないので、検索してみたらいかにも彼らしいホームページを見つけました。
http://www.kanamori-kosuke.com/index.html

そして、アーロ・ガスリー。『アリスのレストラン』のアルバムは一時期どこのレコード店にもありました。良く考えたら、ミュージシャンも「ア」アルバムタイトルも「ア」から始まるので、五十音順でもアルファベット順でも最初に出てくるから、レコード棚の陳列順序も最初のほうにあったのかもしれないと今頃気がつきました。

偉大な父を持って、その影響を振り払うのが大変だったと思いますが、なんとなく高田親子のイメージがあって、結構気にせずマイペースだったのかもしれませんね。個人的には「シティ・オブ・ニュー・オーリンズ」が一番のお気に入りです。

しかし、当時のフォークはあちらの歌の換骨奪胎が上手でした。言葉本来の意味のオリジナルではありませんが、ある意味日本語のオリジナル作品と言ってもいいような気がします。

このバッタ、シルエットからしてキリギリスの仲間のツユムシっぽい・・・と思ったけど、触角の感じからしてショウリョウバッタかなあ。

虫ってたまに車にへばりつきますよね。
何を考えているのでしょう。遠くへ行きたいとか?

会社の私の席の横に、けっこう大きなハイビスカスの鉢植えがあるのですが、青々としててとてお綺麗で、仕事の合間に時々彼女を見てなごんでいます。昨日、その葉に小さいクモがいました。ハエトリグモかな。害はないので放っておきましたが、いつの間にかいなくなっていました。
こんなところに居ても食べ物なさそうだと思って心配でしたが、3階まで来れたのですから、まあ、どこにでも行けますわな。

昆虫ではないけど、虫つながり話でした。

うん、ショウリョウバッタだと思います

顔が馬面で二辺が長い二等辺三角形でしたから、多分そうでしょう。

>虫ってたまに車にへばりつきますよね。

注射した車のエンジンの熱が残っていて、その暖かさに釣られてやってくるんじゃないかとも考えたりするんですが、どうなんでしょうね。まさか車が好きで寄ってくるわけじゃないでしょうけど。

我が家では以前は結構クモが多かったけど、配偶者を始め子供全員が、クモ嫌いで見つけると殺していました。その結果、ゴキブリ天国となって今度はそれで大騒ぎしています。まあ、所詮オンナコドモのやることは、あわわ、口が滑った。
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