ジェイク・シマブクロ Live At Miyazaki Airportの話

 やられた。反則じゃないか、それは、と思ったが、良く考えてみたらそんなことは全然ない。こちらの先入観というか、単なる思い込みだった。

 ジェイク・シマブクロのライブのチケットが当たったので、当然見に行ったわけだが、何とも強烈、圧倒的な50分間であった。そう、50分間。以前のエントリーに書いたように、いつものズージャのライブだとかロックや歌もののライブであれば、デーハーなナオンと一緒に行くのもイッツ・マイ・プレジャーというかシークレット・プレジャーであるのだが、相手は何と言ってもハワイのウクレレの貴公子である。ここは、デーハーでナイスバデのナオンもいいが、知的美少女などと一緒に行くとこりゃまた結構(by 巨泉)なのだが、いかんせん軍資金が無い。つい先日配偶者に給料日に必ず返すからと言って、ガソリン代として1万両借りたばかりで、1万も2万もおんなじやんけ、けちけちするな、金は天下の回りもの、などという捨て台詞が通用するはずもなく、仕方がないので、これまでブコフなどでコツコツ買い集めた『ジパング』全43巻を大人売りしてやろう、ついでにもう読まないだろうバロン吉元の文庫本やその他もろもろ持っていけば、まあ5000円くらいになるんじゃないか。いや、この間ブコフに1巻から20巻までが4000円で売っていたから、もう少し安くなるかもしれん。そういえば前半の1巻から15巻くらいまではブクマで50円で買ったやつなので、20巻くらいまでは1冊25円だとしても、それ以降のはもうちょっと高くで買い取るだろう。

 などとトラタヌして、悪くても3000円にはなるはずだと思いながら握りしめていた番号札5番。呼び出されて、すぐに行くのはいかにもお金が無いことを相手に分からせ足元見られるだけだから、一呼吸おいて、え、なに、呼んだ?みたいなどこかのボンボンみたいな鷹揚な感じで買い取りカウンターに行った。そこで渡されたレシートに書いてある金額を見て気が遠くなりそうになった。総額1350円。あの不朽の名作、かわぐちかいじの傑作『ジパング』全巻43冊が涙、なみだの1070円。これは何かの間違いではないかと抵抗する気力もなく、サインして1000円札と小銭をポケットに入れた。よって、今回のライブはデーハーなナオンも知的美少女も一切無。まいどまいどのY尾君と一緒に行くことになった。いや、つーか、いつものパターンですが、ハイ。

敗戦の証拠

 もともとこのライブは地元の某ケーブルテレビ開局15周年記念のエアポートライブ、希望者はメールかお葉書で申し込んでくださいという広告を見つけて、すぐにメールを入れて、そのままY尾君に電話して「オレはこれこれでメールで申し込んだ。当然、外れる場合があるからお前も申し込んでおいてくれ。ペアでご招待なので、どちらかが当たれば行けるからな」と、タイアップを頼んでいたのだ。で、僕の自宅のポストに当選のはがきが来たので、急いでY尾君に電話してそちらの状況を尋ねてみた。こういう時に日ごろの行いの差がでるのか、彼はハズレだった。いわゆるスカである。つまりレゲエの前身のリズムで、70年代後半にスペシャルズマッドネスセレクターなどがその覇を競いあった市松模様のジャケットで、っていい加減誰か止めてほしい。そっちのスカではなく、アテモン(関西では駄菓子屋で売っているくじのことをアテモンという。この単語は大学に入って、DRACで初めて知った。なるほど、子供にしてみれば目的の景品を「当てるもの」だからアテモン、言いえて妙である。ちなみにポケモンが大ブームになった裏側には、このアテモンという言葉のゴロに似ていることが関係しているのではないかと言語学的に研究する権利は興味のある方に譲る)でいうところのスカ、つまり当たらなかったわけである。

 そういうわけで、いつもの二人連れでライブに行くことにしたのだが、何しろ会場が宮崎空港という、オールモストのピープルはエアプレーンでフライトするために、あるいはファーラウェイのビッグタウンからアライブするために使う場所であって、あまりライブだのコンサートなどで行く場所ではない。と、何故かルー大柴が入ってしまったが、場所はさておき、開場20時半・開演21時・ライブ終了予定が22時40分くらいという、もう、なんていうかアダルトの時間。せっかくのライブなので、軽くアルコールでも入れたいので、公共交通機関のバスや電車(なんと宮崎空港にはJRの駅があり、そこが終着点になっている路線もあるのだ)を調べてみたが、行きはいくらでもあるが最終が23時前なので帰りようがない。いや、懐に余裕があればシータクで帰るとか、そのまま勢いで浮かれ街に行きライブの無念を晴らす尾根遺産関係(©ズトさん)のお店に乱入という、大人の夢があるのだが、しかし悲しいことにお金が無い。それにつけても金の欲しさよ、じっとわが手を見る、などと嘆いていても始まらない。

 結局、Y尾君の車で行くことにした。当然、アルコールは抜きである。19時半に僕の家の近くの駐車場で待ち合わせ、合流して空港に向かった。晩御飯はどうしようか迷ったが、とりあえず自宅で札幌一番味噌ラーメンと買い置きの王将の豚まん(ちなみに豚まんは関西での名前で、一般的には肉まんというらしいが、何ぬかし豚年、いや、何ぬかしとんねん、あれは豚まんじゃ!!)を食べておいた。一方、Y尾君は何も食べていないようで、空港近くにある長崎ちゃんぽん屋で食事して、時間を見計らって空港に行こうという。自分だけインスタントラーメンと冷凍の豚まんとはいえ、食べてきたというのは何となく言いそびれたので、適当に相槌をうっておいた。

 そのちゃんぽん屋は長崎に本社のあるチェーン店で、女の子が驚いたような名前である。その心は「リンがハット」なんつって。えー、笑いが取れなかったようなので、無視してお店に入った。しかし僕は、つい先ほど食べたばかりなので当然それほどおなかはすいていない。それなのに、ああ、それなのに、ウェイトレスが持ってきたメニューを見て、一番無難なちゃんぽんを頼んだまではいいが、相手の「麺の量はどうなさいますか?」の質問に、再度メニューを見ると麺は普通・1.5倍・2倍と3パターンあって値段は変わらないと書いてある。思わず「い、いってんごばい」と答えてしまったワタクシには、今日まで支配階級に苦しめられた飢えたる者たちのタマシイが乗り移っていたに違いない。そんなワタクシを誰が責めらりょうか?飢えたる人民の怒りを思い知れとばかりに敢然と1.5倍の増量麺を注文する、これが男の生きる道~などと勝手に盛り上がっていたら、Y尾君から「ビール飲んだら?」という悪魔の誘いが。いや、君が運転しているのに、オレだけ飲むわけにはいかん、あ、そうだ、ならお前はノンアルコールビール頼むか、などと一応は辞退したが、再度勧められたので、あまり固辞するのも人間関係にひびが入る、人の好意は素直に受けるというのが、このシホン主義社会で学んだ人生の真理であると、このあたりは適当だが、せっかくなので中ビンを1本だけ頂いた。そうそう、ここの支払いはチケット代が要らなかったからとY尾君が奢ってくれた。いやー、持つべきものは友である。携帯でメールが出来ないとか、パソコンが使えないくらいがなんだ、人間の価値はそんなもんじゃないんだ。などとセンダじゃないほうの、「みつを」が言いそうなことを思わず書いてしまった。

 Y尾君はさすがに何も食べていないので、注文した皿うどんを軽快なペースで摂取していくが、僕は途中から明らかにペースダウン。なんといっても1.5倍の麺。食えども食えども麺が減らない。しかし、食べ物を残すのはイケナイと、これは小学校の頃から教わった文部省の方針、ではなく、父母、祖父祖母の教えであるから必死に食った。人間必死に食えば何とかなる。しかし、こうやって無理に食べているとちょっと厄介な病気になる危険性がある。どんな病気か、その心はメンヘル(麺減る)。などと、またもや大外れのダジャレを放ち、我々は空港に向かった。

 ここから先は、前日の携帯からのエントリーを参照していただきたいのだが、まず空港に入る交差点で信号待ちしていたら、目の前をやたら車が走る。夜の8時過ぎに空港に向かう車というのは、到着便の迎え以外ないはずだが、とにかくやたら目の前を通過する。少し嫌な予感をはらみつつ、青信号とともに空港の駐車場入り口に近づくと、大渋滞。車が止まって動かない。後から来た車は、僕たちの車を追い越して先に行く。空港の駐車場は入り口近くの西口と、その反対側の東口とある。待っている車のあまりの多さに、東口に移動するかと話したが、おそらくそちらも大して変わらないだろう。こういう時は、その場で待機が一番とじっくり腰を据えた。少しずつ車が駐車場に入っていき、僕たちの乗っている車の番になった。こういうときに、歩くのを惜しんで奥のほうに行くと今度は車を止めるスペースを探すのに時間がかかるので、ゲートのそばの空いたスペースに車を追いて歩いて会場に向かった。そのあたりにいた人たちは服装や会話の感じで、みんなライブを見に来た人だと分かった。圧倒的に尾根遺産たちが多い。もう少し、心に余裕があればじっくり観察できるのだが、そんなことをしている間に席が無くなると思い、断腸の思いで無視して進んだ。

 入り口の自動ドアの所に来て、ちょっと固まった。なんと目の前にはすでに長い行列ができている。もどかしい思いで、中に入ると列の後方が折れ曲がっていて、その最後の所に『最後尾』と書いた立札を持った係員がいた。小走りにそこに行って並んだ。先を見ると、エスカレータのベルトが見えて、その先の会場からずっと人の列ができている。並んでいる人の話から、無料チケットで300人招待しているらしい。300人なら、なんとか会場内で座って見られるなと思ったのは大きな間違いであった。20時半過ぎくらいから行列が動き出した。会場に客を入れ始めたようだ。少しずつ、少しずつ列は動き、ようやく会場の近くまで来たときに、妙な景色が見えた。会場は、空港のロビーの真ん中にあるイベント用のスペースで、その手前に2階に上がる階段とエスカレータが並行してある。会場に入るには、当然、その階段とエスカレータの横を通過していくはずなのに、僕たちの前の人々は、エスカレータのところで左に曲がり、上に向かっている。「おい、あれ、おかしいんと違うか」「もしかしたら1階は、もう満員で上の階で見るのかもしれんな」。

 悪い予感は当たった。1階の会場は、もう全席満員で、そこに入れない人たちは止めてあるエスカレータを歩いて上がり、2階の通路に鈴なりにならんでいた。僕たちもなんとか2階で場所を確保したかったが、とてもじゃないが空いている場所は無く、仕方なく最上階の3階に上がった。3階の西側通路のどん詰まりの手摺の所に、ようやく場所を確保して上からステージを眺めた。かなり小さい。これじゃ演奏者の顔とかはっきり見れない。しかし、まだ僕たちはいいほうで、あとから来た人たちは僕たちの後ろで隙間から下をのぞく形でしか、ステージを見ることが出来ないのだ。

 今回のライブの目玉は、なんといってもスーパー・ウクレレ・プレイヤーのジェイク・シマブクロである。昨年の宮崎口蹄疫の時も、ずいぶん心配してくれて全国からカンパを集めてくれた。また今年の3.11には、自分のルーツが福島ということもあり、熱心に復興の応援をしてくれている。僕は、5~6年前に『フラガール』のサントラと、もう1枚彼のCDを、閉店する電気店のコーナーで格安で手に入れ、その卓越した演奏能力と作曲能力に興味を持った。もっとも、それほど熱心なファンだったわけではなく、たまにYOU TUBEで演奏を眺めるくらいだった。そういう意味では今回のライブは大いなる収穫、発見が沢山あった。



 21時になり、空港の最上部のからくり時計が動き出した。1階の椅子に座っているお客さんからは、やんやの喝采と口笛が鳴り響く。2階、3階の通路で立って待っているお客さん(インクルーディングY尾君&ワタクシ)たちは、やや疲れてやけくその拍手が起こった。からくり時計が動いている間、何気に下を見たら、スモークが結構たかれている。風味堂というグループが前座に出るはずなので、その演出だろうと思って見ていた。からくり時計が終わり、暗くなった1階の客席から大きなどよめきと拍手が上がった。「ん」と思わず声を出して、下を見るとジェイク・シマブクロがいきなり出てきた。「アローハ。ミヤザキ、ウェルカムトウザミヤザキエアポート」とあいさつを述べた後、いきなり演奏が始まった。音響は思っていた以上にいい。空港は吹き抜けなので、音が広がりすぎるんじゃないかとか、僕たちのいたところは3階の通路なので、すぐ後ろに壁があり音がこもってしまうんじゃないかなんて心配は無用だった。

 しかし、いきなり本日のメインが登場するとは思わなかった。ステージにはドラムセットもキーボードも、そして見えなかったがベースのアンプなどもセットされていたから、またキャリア的にも当然風味堂が前半の小一時間やって、そのあとジェイクだと思っていたのだ。もっとも、ハプニングというか演出で、オープニングにジェイクが2曲ほどやって、そのあと風味堂の登場じゃないかとまだまだ疑っていたのだが、なんとなんと、そのままジェイクは演奏していく。途中、MCを入れながら演奏するのだが、このMCが聞き取りにくかった。声がこもってしまうのと、ちょっとジェイク自身の滑舌が良くないのと、英語と日本語とハワイの言葉のちゃんぽん(お、ここ偶然にもちゃんぽんだ)で、良く分からないところがあった。

 それにしても、1曲目で腰が抜けた。彼のテクニックの素晴らしさは織り込み済みのつもりだったが、とにかくライブは凄い。ウクレレでチョッパーはやるわ、トレモロは強烈だわ、おい、この楽器は弦が4本だろう、どうしてこんな音が出るんだ。え、ウクレレって弦楽器だよね、鍵盤楽器じゃないよね。左手と右手でリード弾いてるぞ、アンビリーバブル。などと頭の中には紫の煙(by ウシャコダ)であった。それで、最初に出てきた感想が「マキシンより上手い、さらに藤井君よりも上手いぞ」と、当たり前といえば当たり前だが、要するにウクレレプレイヤーとして後知ってるのは高木ブーだけだが、ちょっと彼と比較するには、僕はブーさんのことを知らなすぎるので、子供のころから見慣れてるマキシン(こう書くと、なんだか外国のミュージシャンのようだが、これはもちろん、あの偉大なる牧伸二である)と比較してしまったのだが、これはどちらにも失礼だった。闘っているフィールドが違うんだから、比較のしようが無いよな。



 ジェイクのMCは端的なものが多く「日本の音楽は大好きです。一番好きな曲『さくら、さくら』をやります」とか「次の曲はロックぽいです。エディ・ヴァン・ヘイレンにインスパイアされました」とか「一番好きなグループにビートルズがあります。そのビートルズのジョージ・ハリスンの曲で『While my guitar gently weeps』です」とか、簡単な曲目紹介だけやってすぐに演奏に入る。あ、そうそう、ステージの半ばくらいに今回のイベントの主催者である某ケーブルテレビとFM曲の名前とスペシャルサンクスで宮崎空港なんて言ってたな。それと、もう一つ、こちらは笑い話と言えば笑い話だが、ライブの途中に到着便のアナウンスが入り「エアポートからのお知らせです」とジェイクが手を差し出して、放送を聞かせたけど、あれ演奏中だったらとんでもない話だよな。まあ、空港は当然の業務だったわけだけど、MCの時間で良かった。

 演奏を見ているときに気になったのが、ステージの一番前の席に派手な扇を持って、1曲ごとに体全体を左右にゆすっているTシャツ姿の子供だった。ちょっと、その会場では浮いた感じだったが、とにかく休むということを知らず、全身で演奏に反応していた。よっぽどジェイクが好きなんだろうとその時はそれくらいしか思わなかった。まあ、それが分かったのも3階から見下ろしていたからだけど。そのTシャツの横に髪の長い女性がいて、その人も扇を持っていたように見えたので、ファンクラブの人かと思っていた。ところが、演奏の最後のほうでジェイクがMCで自分のルーツは福島で、その縁もあってフラガールの作曲をしたみたいな話を始め、その後に福島からこちらに来ている母子だと紹介した。いやー、ええ話やないか。オジサン二人は3階から涙を流しながら、拍手を惜しまなかった。



 ジェイク・シマブクロの演奏については、もう書くことが無い。というか、何度もこのblogに書いているのだが、本当に素晴らしい演奏を聴いた(見た)あとは、その感動を言葉に、文章に書いてもどこか違ってしまうのだ。ウソという訳ではないが、やはり音楽というのは瞬間の芸術なんだと思う。プレイヤーが奏でたフレーズはその瞬間に消えてしまうのだ。あまりにも儚い。その儚い美しさを形に残そうと作られたものが、レコード(記録)であり、今やCDなのだが、ただどうしても録音された音楽と生(ライブ)の音楽は異なる。というか、全く別のものではないかという気が最近している。その瞬間瞬間に消えてしまうものを、後に残る言葉(文章)にしようというのは土台無理な話じゃないのか。じゃあ、どうしてそんな無理なことをしているかというと、自分の体験した楽しさを残しておきたいからとしか言いようがない。それと、こんなに素晴らしいものだから、もし機会があれば是非体験してみないかという、まあ一種の勧誘だろうか。

 ええと、ちょっとマジになってしまったが、圧倒的な50分間はこうして終わった。その後、風味堂という博多出身のバンド、キーボードとベースとドラムというエマーソン、レイク&パーマースタイルのバンドだったが、演奏する曲は、なんていうのか今風のニュー・ミュージックって死語なんすかね、まあ、そういう感じの歌もののバンドでした。結構ファンはいたみたいで、それはそれで盛り上がってたけど、僕の心にはちょっと響かなかったな。

 そして、最後に全然今回の話と関係ない親バカ話を書いておきたい。本日、10月8日に某NHKの合唱コンクール、いわゆるNコン2011の決勝大会が東京で行われたのだが、うちのバカ娘2号の所属する高校が見事金賞を取った。テレビで見て応援していたのだが、まさか全国ナンバーワンになるとは思わなかった。普段、親をアッシーくらいにしか思わないバカ娘であるが、アルバイトをしながら続けた部活の成果である。今年は何回も辞めるといいながらも続けて良かったとつくづく思う。おめでとう、と帰ってきたら迎えてやろう。そういえば3年前は、長崎に応援に行ったっけ。月日の経つのは早いなぁ。

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コメント

ライブ乙様

そりゃ娘さんすごいデスね。テレビはもう放送済ですかね。ともあれおめでとうございます!

それにしてもブクオは本売るとこじゃないですなー。。

ズトさん、ありがとうございます

テレビは今日、放送していました。再放送が無いかと探してみたけど、ちょっと分かりません。FMラジオでは10/29に放送するみたいです。

>それにしてもブクオは本売るとこじゃないですなー。。

以前は、ブコフと比較にならないくらい高い値段で引き取ってくれたんですけどね。『ジパング』が43冊フルセットで1070円というのは、もうクリビツテンギョウ。そのほかのハードカバーも、文庫も1冊10円でした。一番高く買い取ってくれたのが、某エロマンガですが、実はそのコミックは同じ店で100円で購入したものです。それが何故か買い取り250円。どうなってるんだいったい。

ハッ、もしかしたら彼らはシホン主義社会の価格破壊を狙うアナーキスト集団かもしれない。いやきっとそうだ。…ああ、書いていて空しい。

お嬢さん、一等賞おめでとうございます。
継続は力なり。
いっぱい褒めてあげてください。

> 自分のルーツが福島ということもあり
姓がシマブクロ(島袋)つーくらいで先祖は沖縄らしいすが。
http://www.bayfm.co.jp/flint/20040627.html
まー移民5世だから母方の先祖に福島出身がいてもおかしくないか。

昔、スーパーの駐車場なんかで開催されたプロレスの屋外興行では、雨が降り始めるとメインイベントを先に回して試合順を逆にしたそうです。出演順が変わったのはそれと同じ理由かも。

おめでとうございます

娘さん、すごいですね^^
おめでとうございますo(^-^)o

素晴らしいですね。

燐さん、ありがとうございます

合唱部で一番仲の良かった友達が、辞めてしまい本人も辞めたいといったこともありますが、結局家族に愚痴を言うだけで黙々と練習に行ってました。アルバイトをしているので、練習を途中で抜けないといけないこともあり、そのたびに他の部員や顧問の先生に白い目で見られたこともあったようですが、なんとかやり通して今回の栄冠がありました。本日、家族で焼肉食べに行って思い切り褒めてあげました。

お蔭でちょっと図に乗ってるようですが。

うん、ルーツは沖縄だと僕も思っていたけど

突然、MCでそんなことをいったので、ちょっとビックリしました。まあ、ルーツがフクシマだから『フラガール』の音楽担当したんだな、とこれは勝手な思い込み。

>雨が降り始めるとメインイベントを先に回して試合順を逆にした

あ、こういうのよくありましたね。突発的な出来事でイベントそのものが終わる危険性があるときはメインエベンターを最初に出すってやつ。しかし、このコンサートの時はそんな理由は、あ、あの子供たちが眠くなるから先に演奏したのか。メイビー、ザッツライトではないかな?

imane さん、ありがとうございます

俗に、「バカな子ほどかわいい」といいますが、まさしくそれですね。しかし、姉の影響で始めた合唱ですが、とにかくなんとか続けてここまで来れました。決して、才能があるとかいうわけじゃなくて、ただ好きだったんでしょう。苦しいことも多かったようですが、友達もたくさんできて結果オーライだったと思います。ところで、今度は一緒にチキン南蛮食べましょうね(笑)。

ありがとうございます

そうですね^^

ぜひお願いします^^/
来月も行く予定です。

や、約束だからねっ!!

行くときは一緒だよ~(by あやまんJAPAN)。

移民の歴史

福井勤務時代、そういや大家のばあさんの知り合いの知り合い(福井大学の学生で下宿してた子の親類だったかなー)の石川県の人の親類というのが来て、「田んぼで食えなかったからアルゼンチンに移民して牧場やっとるんや」という話でビックリ。移民したのは昭和30年ぐらいということで、結婚して(現地民と)なんだったかなアンジェリカだったかそんな名前の子と一緒に来ていました。あんまり珍しい話だったので驚いて福井駅前のデパートまで行っていろいろ土産を買って渡したことを覚えています。北陸ってあんまし移民するイメージがなかったので(せいぜい満蒙ぐらいしか)、はーこういうとこ(基本的に豊かな地域でそれでもケチして金ためて立派な仏壇の部屋を作るために生きているというのが全く侮辱に当たらないほど仏壇が異常に立派。愛知県民も「完敗!」と唸ってしまう地域。確か日本国内で貯蓄率が一番だというのを自慢していた気がする。しかも2位は富山だが差があると自慢していたような)の人でもその昔は移民船に乗った歴史があったのだなと。一般的には平地の少ない瀬戸内、西九州のイメージがあるかもですが。まあ農家の次男以下だとそういう選択したとしても不思議ではないですね。

あ~、あ~、あ~

「移民の歌」の導入部は強烈でした。今、考えてみるとロバート・プラントが、この歌を歌うときのスタイルというのは、ブルーザー・ブロディでリングインするときに似ているのでは。いや、時代的にはブロディがパクったとみるべきか、などと思いました。

なんでいきなりブロディが出てきたかというと、エントリーに書いたジィエク・シマブクロが観客にテキサスロングホーンを作っているのを見たせいです。横にいたY尾君に思わず「スタン・ハンセンやないか、ウェスタン・ラリアートが出るのと違うか」と言ってしまいました。

福井の移民の話も面白かったけど、個人的にはここがツボでした。「日本国内で貯蓄率が一番…しかも2位は富山だが差があると自慢してい」。DRAC時代にT君という福井出身の後輩がいて、似たようなことを言ってたのを思い出しました。その彼は大方の予想通り、福井銀行に就職しました。なんつっても学生時代から7:3に髪型分けて、スラックス履いてるような奴だったからな。そのうち彼のエピソードも書こうっと。

移民の歌というと

小林克也とナンバーワン・バンド「うわさのカム・トゥ・ハワイ」を思い出します。
http://www.youtube.com/watch?v=lUQfl-N8D44

ハワイの日系移民というと1に広島、2に沖縄だったらしく、沖縄初の芥川賞作家、大城立裕が書いた現代喜劇「トートーメー万歳」でも、戦前ハワイに出稼ぎに行ったまま消息不明になったオジーが沖縄海洋博をきっかけに帰ってきて延々広島弁でしゃべります。
http://www.okinawabbtv.com/culture/totome/movie_page/b04022181_totome_07.htm
全部見るならこちらを。
http://www.okinawabbtv.com/culture/totome/index.htm

来んしゃい、来んしゃい、ハワイに来んしゃい!!

わしらー、みんな広島じゃけん~と中国人でもないのに良く歌っておりました。あ、中国地方の人という意味の中国人であって、他意はありません(笑)。

>ハワイの日系移民というと1に広島、2に沖縄

これは不覚にも知りませんでした。それで小林克也が、ああいう歌を歌ったわけですか。以前書いた記憶がありますが、ナンバーワンバンドは2枚目の『東京あたり』を持っていて、その中の「ヤア!ヤア!ヤア!ストーンズがやって来る!」が好きでした。小林克也が同郷の世良に「新しいアルバムでギター弾かない?」と誘ったらしく、「コーラスで参加してくれ、じゃなくて『ギター弾かない?』という誘い方が憎い」と世良君が嬉しそうにインタビューで答えていたのを覚えています。

しかし、かくたさん沖縄関係強いですな。余談ですが、我が宮崎の移民先はダントツで、ブラジルです。サンバのリズムが誘うのかな?
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