お盆過ぎたけどお盆日記 同窓会編その2

 さて、開演時間じゃなかった、ああいう場合はなんというのか、開催時間でいいのか、要するに同窓会が始まる時間が近づくと、いったいどこから湧いてきたのかと思うくらい、怒涛の勢いでオジサン・オバサンが会場に入ってきて、あ、あいつはもしかしたら何とかといったやつじゃなかったか(名前が出てこないのだ)、とか、ん、あいつは確か高校の頃はもっと痩せていた(人の事は言えんぞ、おっさん、キャインキャイン)とか、うーん、あの方は絶対同世代ではないはずだが、あ、よく見たらエイゴの先生だったU先生ではないか、とか、もっとも僕は目が良くないのであまりいろんな人を見ていても良く分からず、知り合いの顔を探すのも面倒なので隣の席に座った元担任の先生とずっと話をしていた。すると突然先生が、「あなたはアレだったよね、お酒とか飲んでも全然変わらないというか、落ち着いていたよね」と、一体全体どこをどう間違えたらそういう記憶になるのだろうかというようなことを言われ、おののきながら「いや、もう、お酒の上での失敗は数限りなくありまして、ハイ、医者から断酒だと言われて2年間ほど1滴も飲まない生活をしていたのですが、まあ、転職とか人生の転機がいろいろあって、本当は未だに飲んじゃいけないというか飲まないほうがいいのですが、飲まずにいられないこの憂世とでもいいますか。あ、要するに全然お酒にはだらしがないです」と訂正というか修正をしたりしていた。

 すると、元担任は「そうそう、あなたは昔から音楽が好きで、レクレーションの時にいろんなレコードかけたりしてたよね。それで、あなたの好きだった歌い手の、あれ、なんと言ったかな、この間亡くなった野原とかなんとかいう人」。野原?誰だそれ、と頭の中で最近亡くなったミュージシャンの顔と名前を思い出していたら、その話を聞いていた元女子(失礼!)が「あ、RCのイマーノキヨシローじゃないの、drac-ob君の好きだった!」などと言って、思わず「そうか忌野清志郎か、先生、彼はもう三回忌が来ますよ」と話すと、「え、もうそんなになるのか、ついこの間亡くなったように思っていたが」などと、去る者日々に疎しの会話などしていた。そして、そのような話をしているうちに時間は19時になり同窓会が始まるというアナウンスがあり、それからなんだか良く分からないけど主催者側の女性のスピーチがあり、全部で123名参加しているとか、亡くなられた先生が3人に対して、同窓の物故者が15名だとか、一種の近況報告みたいなものがあった。その後、同窓会長のやはりスピーチがあり、彼はO合君というのだが、当時、同窓生で現役で東大の理3に入った秀才のO合君という別人28号がいたので、相変わらずつかみの部分は「みなさん、こんばんは。アホのO合です」というもので、確か20年ほど前の全体同窓会の時のつかみも、「勉強が出来んほうのO合です」というものだったな、などと過去を思い出していた。

 脱線ついでにこの秀才のO合君のことを書くと、あ、彼は故人なので故O合君と書くべきかな。その故O合君は、地元では超有名な秀才で高校進学の時も、お隣の鹿児島にある名門Rサール高校に進むという選択肢があったらしいが、本人いわく「Rサールから東大理3は当たり前だろ、オレは地元のO宮高校から現役で東大理3に行く」と豪語して実現させたから、大したものである。しかし、こういう発言を中学生の段階でぬけぬけと言えるのだから、まあ、あまり仲のいい友人はいなかったように思う。僕が彼を初めて知ったのは、高校の音楽の時間で、芸術の授業は選択制だったのでクラスの異なるO合君をそこで初めて見たのだ。それも強烈な印象で。音楽の先生は太宰治ファンで、あ、そんなことはどうでもいいか、音楽の最初の授業で「わが心はや」とかいう歌があって、その楽譜に訳のわからない横文字が書いてあって英語ではないし、こりゃ何語だと思っていたら、その先生が「O合、読んでみろ」と指名し、はあ、こんなん読めるわけないのに、この先生は何考えてるんだと見ていたら、なんとO合君、教科書片手に流暢な発音で読み上げた。以下、歌詞をググったらあったのでコピペする。

Nel cor più non mi sento
brillar la gioventù;
cagion del mio tormento,
amor, sei colpa tu,

Mi pizzichi, mi stuzzichi,
mi pungichi, mi mastichi,
che cosa è qesto ahimè?
pietà, pietà, pietà!
amore è un certo che,
che disperar mi fa!

 で、こんな感じで読んだわけです。



 あたしゃ、しょんべんばちびりました。左門豊作です。こちとら中学出たばかりで、ようやく英語の文章の簡単なものなら何とか読めるというレベルなのに、イタリア歌曲を原語でそのまま読めるってのはどういうことだと。いったいあいつは何者なんだと、周りの連中に聞いたら、彼が秀才の誉れ高きO合君で、あいつを知らなきゃもぐりだと言われ、オレたちゃ高校合格良かったよかったなんて人種だが、彼はこの段階から東大現役合格を宿命づけられてると、それも理1や理2じゃだめで理3、つまり医学部ですな、そういう人種だと。こういうことを教えてくれたのは、O合君と中学が同じだったS藤君で、彼は何故かO合君に気に入られていたようだった。で、なんでO合君はイタリア語をすらすら読めたかというと、大学というところは英語以外に外国語を勉強するらしく(おかしいな、僕はフランス語とラテン語を登録した記憶はあるが、習った記憶が無い。あ、授業出てなかったからか)、その準備のためにイタリア語とドイツ語を趣味で勉強しているという話だった。やれやれ。

 しかし、まあ、O合君も賢かったが、こいつは本当に賢いなと思ったのはN井君といってクラスは一緒になったことはないが、日本史を教えてくれた先生が話してくれたエピソード。その日本史の先生は、僕の通っていた高校のOBで歴代秀才の5本の指に入ると言われるくらいの人だったのだが、授業中に良く脱線することで有名だった。あるとき、夏の暑い時だったと思うが、教室が何となくざわざわした感じでだらけていたその時に、「あんたたち、静かに授業を聞かんね。あんたたちは普通の人間じゃかい、私のいうことをよく聞いてノートにとって勉強せんとダメよ」などという。なんだか聞き捨てならず、誰かが「普通の人間て、普通じゃない人間がいるんですか」などと尋ねたら、「D級のN井君よ。彼のような頭をあんたたちが持っていたら何も言わんよ。何しろ彼は、授業中に私が話したことは一言一句間違わず記憶しているよ」などとおっしゃる。そりゃいったいどういうこった、とみんなが聞き耳立てていると、こういう話だった。

 日本史の先生がN井君のクラスに入ると、当然彼以外の人間はみんな教科書を開き、ノートを取りながら授業を受けるわけだが、N井君は何故か机の上には何もおかず、両腕を組んでまっすぐ先生のほうをにらんでいるらしい。それが毎回毎回なので、いい加減先生も頭に来て、ある時に「N井君、あんたそんなことで私の話が頭に入るね?」と聞いたところ、N井君はその日のその時間、先生が入ってきて「じゃ教科書の××ページを開いて」というところから、「N井君、あんたそんなことで私の話が頭に入るね?」というところまで、一言も間違わず再現したらしい。しかし、日本史のややこしい授業を一回聞いただけで全部記憶できるというのは、どういう頭の構造なんだと、その元秀才の先生はこぼしておりました。しかし、さすがは教師という仕事を長年やっているだけあって、N井君はしょうがないが、他の「普通の人間」である我々にはしっかり話を聞いてノートを取るよう説教したという訳である。

 脱線ついでに、この日本史の先生、大変真面目な先生で僕たちがおちゃらけて授業を聴いていると必ず「あんたたちは、このあたりをしっかり勉強しておかんと大学行ってすぐアジられるよ」などというので、「先生、アジられるってなんですか」と聞くと、「頭に帽子以外のものを被ってわっしょいわっしょいやるようになって、親が泣くし、就職もできなくなるし、人生棒に振るような目に合うということよ」などと教えてくれたのだが、その忠告を聞かなかった生徒が約1名いたような気がする。忠言耳に逆らうとか良薬口に苦しなどという言葉の意味がようやく分かる年頃になったワタクシです。あ、遅すぎますか。そうですか。ええと、またもやこのあたりで力が尽きて来ました。本当は今日で終わる話なのに、まだ終わらない。続くような気がします。

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コメント

思い出したことなど

ぼくのクライアントさんで自宅へもおじゃましたり親しくさせていただいてるMさん(ひとまわり年上)が熊本のmリスト高校出身で優秀な人なんですよ。で、mリストの1期上に岡本公三がいるときいてびっくりしました。当時はやはり山本義隆がカリスマだったそうです。もっともMさんはJ智に進んで、当時は学生運動も熱心ではなく、奥さん(おなじJ智)のほうがばりばりだったとかで、いまも新宿争乱のことなど熱く語りますwなんかそんなことを思い出した。あ、同窓会の話でしたね。やっぱ会いたい女子がこないとテンションあがらないんですよね、あは。

岡本公三というと、僕なんかはK大のイメージ

あ、私立のK大ではなくて国立二期校だったK大、つっても今時国立一期校とか二期校とか廃止されてるっちゅうの。ようするにカゴンマ大学のことです。兄である武の後を追って、運動に入り込むというのは、男ムラマサの「高校生無頼控」にシチュエーションが導入されたんじゃないのかな、ま、このあたりは勝手な思い込みですが。

>やっぱ会いたい女子がこないとテンションあがらないんですよね

いや、それがですね、ま、その、次回のエントリーに書こうかと思ったけど、そこまで引っ張る話でもないので、ネタバラシしますが、確かにちょっと会ってみたかった女性もいたのですが、クラスも違うのでテーブルも別で、それでも目を凝らして見ていたら(って、結局探していたのか)、ええええ、何、それ、信じらんなーい、ありえなりかずき~。ということで、見なかったことにしました。モッズの歌が思わず口に浮かびました。♪時はものを壊していく~お前とオレの顔も壊す~

同窓会

だいぶ昔に行った以来行ってないですね。
高校卒業の年の8月に高3のクラス会やったとき、たった4ヶ月でこうも話がかみ合わなくなるものか、と実感したのを覚えてます。
地元残留グループ、名古屋グループ、東京グループ、その他地方大学グループに分かれて話し込んじゃって面白くなかった、という記憶が。

高校出たばかりの頃の同窓会は

1年、2年が持ち上がりだったと以前書きましたが、そのクラスの同窓会は楽しかったですね。夏休みと冬休み、そして春休みと年3回同窓会やってました。僕は幹事を引き受けていて、連絡や会場の手配、余興の段取りなんかやってました。一体全体何がそんなに楽しかったのかと思うくらい、頻繁にやってました。まあ、一つには同窓会の打ち合わせと称して、好きな女の子と会えるのが、いわゆる役得っちゅうんですかね、アレですわ、アレ。ただ、walker-brosさんが書いたような、独特のムードというかグループ化はありましたね。特に、そのクラスの同窓会は浪人していた連中も同じように、誘っていたから大学生だと許されることが浪人生だとダメなんてこともありましたからね。そういう、べたべたした集まりは同級生たちが就職して、何年かしたら自然解消的に終わって、それからは小グループでの集まりは、あったけどクラス単位、学年単位のものはしばらくありませんでした。

ちなみに、3年生の時のクラスの同窓会も大学生の頃1度あった記憶がありますが、大変暗い宴会場で、女子グループが歌う「木綿のハンカチーフ」をぼんやり聞いていた記憶があります。
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