お盆過ぎたけどお盆日記 同窓会編その1

 毎日、暑いな、アジイナ~などと言ってるうちに、先日の同窓会から早1週間(以上過ぎてしまった、わはは)。まっこと月日の経つのは早いものよ、などと言ってる場合ではなかった。前回(といっても、いつのエントリーが前回なのか、曖昧模糊、あなたのモコになってしまっている今日この頃、司会のタマオキでございます)のエントリーの続きを書かないと、河原町の洋酒パブの話も解決しないし、もうすぐ届くはず(訂正:届きました)の新譜レビューのエントリーも書けない。困ったチャンである。大急ぎで、「お盆日記 イントロダクション」を読み直し、そうそうS原が突然YOU TUBEの画面に出てきてびっくりした、その後から話を続ける。

 このS原君とは高校の1年、2年と同じクラスだった。へえ、何か縁があったのか、などと思う人は浅はかで、要するに高校1年から2年は持ち上がりと言って、クラス全員がそのまま同じメンバーで進級したし、ついでに担任の先生も同じだった。高校3年になるときは、それぞれの希望進路と進学するための学力状況を鋭く分析され、彼は国立理系のクラス、それも医学部を狙うやつらがほとんどというトップクラスに、片や僕は、一応国立文系ではあるが、成績も問題あるがどちらかというと思想傾向というか、問題行動を良く起こす連中だけがかき集められた、まあ、当時の同窓生からは「吹き溜まり」と言われたクラスに進んだので、実質2年間の付き合いしかなかったが、お互い高校卒業した後も大学在学中も、さらには社会人になっても、意外なところで再会し、会ったら一献傾けるが、それ以外は全く没交渉という、ま、そのなんだ「君子の交わりは淡きこと水の如し」とでもいうような付き合いだった。

 そういえば、JEP時代に宮崎から出張で鹿児島に営業に出かけた時、訪問先の家が分からず、その近辺の家で車を洗っている人がいたので、その人に尋ねてみようと声をかけたらS原だったことがあった。あの時もずいぶん驚いた。声をかけたほうも驚いたが、かけられたほうもびっくりしていて、ちょうどその日は日曜だったので(今でいうブラック企業だったのよ、JEPは。たまに営業数字は悪いことなんかあるじゃないか。今月ダメなら来月頑張ればいいじゃないか、どこまでいっても明日はあるというようなドン・ガバチョ的な楽観主義を認めることが無かった。その月の数字が悪ければ日曜休みの返上など、日常茶飯事、もちろんこれは社員が自発的に仕事をさせてくれと言ってきたから、上長は仕方なく認めるというアリバイ工作はありましたけどね。ああ、話が長ったらしい。要するに、その月の売り上げが良くなかったから、日曜返上で営業していたら、こちらは日曜日に愛車を洗車していたS原君にばったり会ったという話)、僕がS原の家を訪ねてきたと思ったみたいで、「おお、久しぶりだな、天文館行くか?」などという暖かい言葉をかけてもらったのだが、とてもそんな余裕はなく、また今度なと返事したら、彼は沖縄に再度転勤になりそれっきりなんてことがあった。

 そのS原君が突然YOU TUBEの画面に出てきたので、驚いた僕はこりゃ知らない人たちに教えてやらねばと思い、当然本人のS原あてにメールを作り、CCでS藤君やYKZ君(このときはまさか実家に帰っていたとは思わず、気分的には東京にメールした感覚だった。しかし良く考えてみたらメールなんだからどこにいても同じ、じゃないか、Web Mailだったらどこでも見られるが、メーラーを使っていたらそのPCしか見られないな)、そしてロックバーのマスターにも送っておいた。

 そして、前回のエントリーに書いた対配偶者および対バカ娘1号との不毛な会話があって、僕は反メタボ闘争の一環として、自転車に乗って(by 高田渡、「クドイ」という人がいるかもしれないが、僕はこのフレーズを書くときは必ず「by 高田渡」と書かないと収まらないのだ)イ×ンへの道をひたすら走ったのだ。ひたすら走ったのだが、さすがに8月の濡れた砂じゃなかった、ギラギラ太陽は孤独なサイクリング者には強烈過ぎて、道半ばではあったがハード×フという、ブコフのハード版のお店で休憩した。休憩なら休憩でおとなしくエアコンの風に吹かれて水分補給でもしていればいいのだが、そこはそれ悲しいサガで中古CDのコーナーやアナログディスクのコーナーを物色してしまい、ロック関係は大したものがなかったが、ズージャ関係は結構、珍盤・廃盤が置いてあり、そうそう、笑ってしまったのはあのねのねのLPレコードがあって、アルバムタイトルが『いつまでもあると思うな人気と仕事』というもので、一瞬買おうかと思ったけど、帯を見たら新曲「雪が降っています」などと書いてあり、あれはあのねのねの真面目路線というか「流転の歌」路線で、ちょっと面白くなかったことを思い出して止めておいた。そうそう、フィル・ウッズの『ミュージック・デュ・ボア』もあったっけ。

 そんなことをしているうちに小一時間は過ぎて、汗はすっかりひいたので、またもや♪アイ・ウォント・トゥ・ライド・マイ・バイスィクル~などと鼻歌交じりでイ×ンはタワレコに向かった。タワレコに着いてからは、CDの配置がどうも気にくわないとか、バカやろ、サンハウスを有頂天のコーナーに置くなとか、え、なんで下地の新譜がないんだとか、いい加減ZKのアルバムを補充しておけよとか、ぶつぶつ言って、その時の様子は8/13の「舐めとんか!!」に書いた。そしてイ×ンの帰り道にブコフではない、フルモトに寄ろうとしたら携帯が鳴った。出てみるとロックバーのマスターである。「どーも、メール見ました。ところで今日の同窓会は参加?」と聞かれたので、「あ、あれね、一応出席のはがきは出したけど、面倒になったのでやめようと思ってる」と答えたところ、出席の返事をしたのであれば人数に入れてあるはずだから、ドタキャンはマズイ。どうしても参加できないなら幹事に早めに連絡するよう言われた。よく考えたら彼も幹事で、その時間は同窓会の開始1時間前くらいだったのだが、準備のために会場に向かう途中だったらしい。とりあえず、分かったと返事をしていったん家に帰った。とにかく全身が汗まみれなので、シャワーを浴びないと気持ちが悪い。

 で、家に帰ってシャワーを浴びて、身だしなみのコロンを振って、あ、いや、ほら、オトコたるもの常在戦場で、いつ何時、何が起こるかは予測不能で、そういうときに汗臭かったり下着が古かったりすると、せっかくのチャンスが、ノー、ノー、同窓の人たちをどうこうしようとかいう話ではなくてね、ほら一次会の後、勢いでラウンジだとか、なんちゅうのかな、その低めのストライクゾーンいっぱいのおねいさんたちが、たむろしている、そういうところにもしかしたら乱入というパターンが無いとは言い切れないではないか。明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは、などともいうではないか、とこれはいったい誰に言い訳しているのか良く分からないが、かような心の動きのまま、とりあえず同窓会には行ってみることを決意したのだ。

 それで、会場は街中のホテルで19時スタートだったが、18時30分から受付という案内を見て、とりあえず会場に着いたのは18時45分くらいだった。ホテルに入ると、いきなりロックバーのマスターがいたので「ども、一応来たぞ」と声をかけたら、すぐ横に受付の机があり、そこに見たことのないオバサンたちが沢山いた。ふと、気がついて周囲を見渡すと、あれあれ、見たことのないオジサン・オバサンが沢山いるではないか。僕の記憶によれば、同窓会というのは、同じホタルノヒカリ窓の雪で、共に学んだ友人たちとの再会の場だと認識していたのだが、なぜにこんなに知らないオジサン・オバサンがたむろしているのか。そうか、僕はここが僕のいた学校の同窓会会場だと思い込んでいたが、別のイベントの受付に来てしまったに違いない。そうか、そうだな、で、僕のいた学校の同窓会は、と目をあちこちしたら、その受付に置いてある名札に見覚えのある名前とどこかで見たことのある顔写真が付いていた。あれ、あの名前と顔はどこかでみたぞ、ええと、あれは、あれは、オレではないか、高校の卒業アルバムでこの顔写真だけは絶対嫌だと思っていた顔が、ああああ、とやや錯乱しながらその名札を受け取り、代わりに会費を払って力なく階段を上がり会場に入っていった。

 僕は、高校の同窓会というのは大学時代や20代の終わりから30代の最初の頃までは、結構幹事をしたりして積極的にかかわったのだが、ある時期からいきなりそういうものに興味がなくなり、出席しなくなった。同窓会開催の往復はがきが来ても、そのまま丸めて捨てることもざらで、だからここ15年、下手すると20年近くは一切参加していなかった。したがって、ずいぶん久しぶりなのだが、それにしても知ってる顔がない。うーん。こりゃやっぱり来なければ良かったかなと思いながら、クラス名が掲げられている丸テーブルを見渡し、自分の属していたクラスのテーブルは会場の一番奥にあるのを見つけて、そこに向かって歩いた。会場の一番はずれにあったテーブルの、そのまた一番後ろの席に腰かけて、携帯でエントリーを送ろうとしていたら、3、4人の女性から「お久しぶりです」と声をかけられた。顔を見たら、うーん、なんだか見たような見たことないような感じだったが、名札の名前と写真で記憶がよみがえった。高校3年の時に一緒のクラスにいた人たちだ(同窓会で同じテーブルなんだから当たり前だ)。

 5年前にも、この全学同窓会(こういう呼び方をするかどうか不明だが)が行われて、その時に参加した男性は、なんとY尾君一人だったという話をその人たちから聞いた。そうか、Y尾の野郎、そういう経験をしたから今回不参加なのか、なるほど、などと一人考えていたら、横に座った元同窓生からとんでもないことを言われた。「drac-ob君は高校時代、すごく目立っていたよね」「個性的だったよね」「自分というものを持っていたよね」。いや、ホント、そんな風に言われたんですよ。もう、びっくりぎょうてん、あ、あ、動揺してクリビツテンギョウという暇もないくらい、僕は口を開けて驚いてしまった。「え、オレ、目立っていた?は、何かの間違いでしょ。人見知りして大人しかったのに」「なーに言ってるの、クラスでdrac-ob君の声を聴かない日は無かったわよ。聴こえない日はあなた休んだ日くらいよ」「え、それ絶対間違い、そんなはずないって。オレは20世紀少年で言えばフクベエみたいな、その、クラスにいるかどうか分からないくらい、影の薄い…」「え、なに20世紀梨、いやね、お宅もいうこと古いわね。今は幸水とか豊水、それか新高みたいな大きくて水分多いものが人気あるのよ。相変わらず世間知らずよね」「いや、その梨の話じゃなくて、浦沢直樹のマンガの、いや、その、もういいです」。

 まあ、しかし驚いた。人の記憶はあてにならないことが良く分かる。この後、当時の担任の先生も来られて、この方は元高教組バリバリだった人で、もっともそういうオルガナイザー的ないかにも活動家という人ではなくて、僕たちのような出来損ないもちゃんと人格を認めてくれて大学受験は自由にさせてくれた。大学受験くらい自由にどこでも受けられるだろうというのは、都市部に住まれていた人たちの考えであって、南九州の田舎の進学校ではどこの大学を受験するかというのは、高校3年の時の担任に大きく左右されるのだ。僕のクラスは、担任がそういう先生だったので、真面目な女子学生はさておき、男子学生は、お前は自分の偏差値を見たことがあるのかと思わず言いたくなるような、とんでもないような名門校を志望校に平気でしていた。ところが、僕の隣のクラスのやはり文科系のクラスは担任が、一律地元の宮崎大学以外は内申書を書かないと言って、したがってそのクラスは現役で大学合格した生徒がほとんどだったが、生徒の希望など全く無視されていたのだ。

 もちろん。三者面談などがあり、本人の志望校があまりに現実離れしているときは担任がデータに基づいて、別の大学受験を勧めるというか、まあ半強制的にするなんてことはありだと思うが、一律志望校を統一して、それに向けて頑張らせるというのはどうなのか。片や僕のクラスの担任は、その手の指導は一応するのだが、本人がたとえば東大の文1を受けたいといえば、とりあえずは受験させてくれるという、まあ、思想信条の自由ではないが、進学の自由を担保してくれて、おかげで僕のクラスで大学を現役で合格した男子学生は僕とY尾君の二人だけだった。また、その後の就職や今現在の立場、収入など考えると、うん、管理教育バンザイ、いやいや、その、自由であることは人間が人間であるために、はあああ、しかし、なんだかんだいったって世の中金だもんな~。クソ、こんなことなら、オレもあの時志望校を、いや、あの、はい、多分、タイムスリップが起きて当時に戻ったとしても、やはり僕はD大を選んでしまい、薄暗い別館を徘徊しただろうな。はあああ。三つ子の魂百までか。

 ええと、なんだかちょっと気力を失いかけたので、今日はここまで。次回で同窓会の話は完結します、させます。人生が二度あれば、ああ、幾つになっても甘かねぇなぁ~。



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