河原町の洋酒パブの話 その予告編

 ちょっと、どうしようかなとも思ったが、こういうのは行きがかり上ちゃんとしなくちゃいけないと思って始めてみる。つまり、「河原町の洋酒パブの話」である。時期的には76年の学園祭の前、つまりEVE期間中の話なんだけどね、この間から思い出そうと努力はしているけど、どうしても思い出せないことがいくつかある。自慢ではないが、僕は結構記憶に自信があって、いったん忘れていたことも何かのきっかけで完全に思い出すことが多いのだが、この時の話だけは断片的にしか思い出せない。記憶の奥の底に眠らせておいたほうがいいと誰かが言ってるような気がしないでもない。まあ、勿体つけるほどの話でもないし、見方によってはアナザー・サイド・オブDRAC興亡史とも言えなくないので、とにかく始めてみよう。

 76年という年は、僕も大学の2回生になっていてサークルでも後輩が出来たし、なんといっても大学に入って1年以上たつわけだから、大抵の事は2度目であり当然初めての時のような失敗はしない。最初は、分からないことでも1年たって2回目になれば、やり方だとかうまい対処の仕方というのは自然と学ぶものである。もっとも、これはサークル活動に関してだけであって、世間一般で大学はサークルの府ではなく、学問の府であるため、講義を聴いて試験を受けて単位を取って進学・就職するらしいのだが、僕にとって大学の単位ばかりはどうしようもなかった。1回生でとるべき単位のほとんどを落としてしまい、もっと正確に言うとD大の1回生の必須科目だった宗教学の4単位と保健理論の1単位の合わせて5単位しか取れなかったのだが、だからといって再履修したら取れるというものではない。まあ、このあたりのマスプロ教育に対するカクメー的批判というか、つくばチューキョーシン路線を体を張ってフンサイしていた僕の思想活動については割愛する。話せば長くなるから、というのは大嘘で、ようするにサークルばっかりやっていて授業に出てないだけではなく、試験すらまともに受けてなかったから当然の報いである。その報いが今も延々と続いているので、我が子には「大学ちゅうとこは単位取ってナンボじゃ、気合入れていかんかい」と反面教師的に教えるのだが、イデンというかDNAの反乱というか、あ、愚痴になるのでやめます。

 えーと、単位の話なんかする気はなかった。どっから切り出せばいいのかちょっと迷っていたが、そうだな、まあ、拙blogにはほとんど出てこない、おねいさん関係のお話になる。75年に大学に入り、別館、サークルという居場所を見つけてごそごそ動き出したワタクシでしたが、友達づきあいというのは、最初のうちは大学のクラスの連中が多かったけど、授業に出なくなったらどんどんそういう関係は薄くなり、それと反比例してサークルの友人・先輩との付き合いは濃くなっていった。それでも、まだ76年はちょくちょくクラスの連中との付き合いもあり、そうそう、岩倉在住のN谷君がDRACに入ってくるきっかけを作ったのは、ほかならぬワタクシでありました。N谷君は姫路の出身で、D大の英文科のクラスメイトで、75年に入学して親しくなった。というのも、英文科というのは1クラスが50人ほどいたのだが、そのうちの40人以上が女性で男は、えーと、M鳥、O川、K坂、K藤、あと名前が出てこないが、全部で10人いるかいないかだったので、すぐ顔と名前を覚えたのだ。また、この男はジャズが好きで、コルトレーンがどうしたとかロリンズがなんたらと良く言ってたので、当時はジャズの知識がなかったワタクシもこいつはもしかしたらなかなかデキル奴かもしれんと一目置いていた。

 もっとも75年当時は、あんまり親しく話した記憶は無くて、M鳥クンという熊本出身のザ・九州男児を間にはさんでつきあっていた。当時の僕の下宿が修学院で、彼は岩倉だったから同じエイデンで一緒になることもあり、そういうことからちょくちょくしゃべったりしてはいたのだが、まあ75年までは挨拶とちょっとした世間話、噂話をするくらいだった。ところが、この男が76年になったらいきなり「おう、お前確かレコード音楽をなんたらするサークル入っとったやろ、ワシもいれてぇな」みたいな感じで話しかけてきて、2回生になったばかりの僕は新規会員を勧誘すると他のサークル員たちに対して箔が付くみたいなところもあったので二つ返事で4階のボックスに連れて行った。

 ところが、こいつはとんでもない酒乱でヘンタイなところがあって、普段は真面目な小難しい顔をして「ブルースの真実は」とか「虐げられたゲットーの黒人たちへの連帯」だとか「組織された暴力とプ××タリア国際主義」とか言ってるくせに、ちょっと酒が入ると暴れる・喚く・絡む、というトンデモな男だった。忘れもしない76年4月の新歓コンパ。場所は祇園のかがり火だったか。2回生とはいっても、サークルに入ったばかりのN谷君は諸先輩方や同期生たちに挨拶をして回るべきなのに、一人手酌で日本酒をあおり、当時二日酔い防止のためにお酒を飲んだ後は軽くお茶漬けで胃を満たすという日本の正しいお酒飲みの行為をしていたワタクシに持っていた徳利の酒をぶちまけるわ、サークルの先輩たちを片っ端からわけのわからない議論に巻き込み、最後はこちらも酒癖の悪さでは人後に落ちないT原さんにも絡んでいき、ついにはあのT原さんが「おーい、drac-ob!!こいつなんとかせぇ」と叫んだという事実もあるのだ。

 その翌日にエイデンで顔を合わせたN谷君は、屈託のない笑顔で「昨日のコンパ、おもろかったな、ああいうのは毎月あるん?」と聞いてきた。僕は怒る気力もなく、「ああ、うちは結構酒が好きなやつ多いし、月に1回はなんだかんだ口実つけてコンパするし、同級生同士や研究会単位でもちょくちょくコンパするけど、しかし、お前、酒癖悪いな」というと、「え。ワシ、何かした?あ、お前に酒かけたんは、みんなで酒飲んどるちゅうのにお前が茶碗もって飯食ってたから、ちょっと腹立ってな。かんにんな、悪気はないんや、オレも陰ひなたのないまっすぐな人間やし」などとシャーシャーというのである。さらに、他の先輩たちに絡んだことを追及すると、満面の笑みをたたえて「ほんま?ほんま?全然覚えてへんわ~。そらT原さんやS賀さんは怒ってるやろな~。今日、謝っとくわ」と全然へこたれない。よく見ると眼鏡の奥の目はまっすぐ一直線である。普段も目の細い男だが、笑うと目が無くなるんだなと思った。後年、テレビを見ていたら突然、このN谷君の顔が出てきてびっくりしたことがある。よく見たら「グリコ・森永事件」のモンタージュ写真であった。あの事件が発生してあちこちで「どくいりきけん たべたらしぬで」のコピーとモンタージュが出回った時、僕はN谷君も間違いなく容疑者としてポリのマークが付いているはずと確信していた。まあ、こういう男だということが分かって、徐々にサークルに溶け込んでいき梅雨が明けるころにはもう一端のサークル員で、ボックスのど真ん中で胡坐をかいてタバコを吸ってジャズのレコードをかけるという態度であった。

 えーと、ここまで書いて気がついたこと。エントリーを書くときは、さっさと書こう。後でいい、あとでいいなどと思っていたら眠くなってはかどらない。これからはこういうことをしてはいけないが、本日は睡魔が手を変え品を変え、やってくるので一時中断して、また明日。という体験は大学時代と言わず、学生時代さんざんやってきて、それじゃだめだということを嫌になるくらい経験したはずなのに、ああ、それなのに、学習能力がないというのはこういうことかもしれん。もしかしたらCIAの陰謀かもしれん、などと考えている頭がすでに眠っているのだ。ということで、今回は予告編まで。

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コメント

彼は英文科でしたか

ずっと 経済学部だと思ってました。
まあ サークルの男のほとんどは、入試の時は
それなりに頑張って入学したものの その後 
勉強しなくなって、どこの学部、学科だろうが 
関係なくなった感があります。
ただ、F田君のイメージで、サークル内では、
「社福は(D大で最も)アホだ」と見られてましたね。

アホの社福にセンスの英文

などと言って、当時はおちょくっていました。まあ、アホの社福に漢字の読めない工学部というのが、当時のD大で一番いじめられたんではないでしょうか。あ、うちのサークルだけかな(笑)。

しかし、当時は入試の時に自分の名前が書けたら合格すると言われた社福ですが、今や時代の寵児というか、来るべき高齢化社会に必須の学科じゃなかった、今は学部になってるんですかね、まあ、時代は変わるといういい見本です。

そういえば、僕が高校3年生の時に、進路指導のベテランの先生から「今、ねらい目は筑波大学。今は偏差値が低いけど、これから絶対高くなるから今のうちに入っていると就職に有利だ」などというアドバイスもらいながらも、「学生自治のない大学など、大学ではない。単なる就職予備校だ」などと反抗したおかげで、いつまでたってもプレカリアートの人生です(泣)。
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