DRAC興亡史は不滅です

 きのう書いたエントリーに、sawyer先輩が長文のコメントを投稿していただき、そういえば「DRAC興亡史 1975-1980」などという昔話のシリーズも途中で投げ出してしまったことを思い出し、いやいや、あれはあくまで「真に解放されたblogとして再開する日まで一時中断」しているだけだと、自分に言い訳してもちょっと心苦しい8月の夜である。いや、実は昨日の話の中で、その続編として高校時代にでっち上げたミッシェル・レコード・カンパニーの顛末を書こうか、76年に上映した『バングラディッシュのコンサート』にまつわる話を書こうか、迷っていたのだが「DRAC興亡史」の件もあるので、大学時代の話にしようと決めた。ただ忘れていることもあるので、以前書いたエントリーを見直していたら、75年に上映した『ウッドストック』についての話と、その上映後に発生した婦女暴行未遂事件をワタクシdrac-obが身を挺して救ったのに誰にも感謝されず、敗れたベルボトムのジーンズとかかとのとれたハイヒールのサンダルの費用は誰にも請求できず、泣き寝入りした話を5年ほど前に書いてあって、読み直したら結構面白かったので、ここに再録します。要するにエコだな、エコ。

 僕のいた大学は学園祭の期間が異常に長く、確か9月の半ばから、10月と11月は間違いなくEVE期間といって、いろいろなイベントや研究発表が行われた。もちろんその会場や、開催に関する様々な手続きは学園祭実行委員会(略称;EVE 実)を通して行わねばならなかった。このEVE実には様々な学生が関与していたが、当然大学の自治会関係者のヘゲモニーが圧倒的だった。僕の所属していたサークルは夏休みに合宿(という名の強制コンパ、麻雀、討論、乱暴、狼藉、打ち上げ花火の水平撃ち特訓、修羅場パーティ但しほとんど男子学生のみ etc…)を行いそこで、EVE期間中の計画を立てるのが常であった。僕自身その年はまだペーペーの1回生だったので、先輩方の話にただ頷くだけであった。結局10月に映画を、11月のEVEにゴーゴー喫茶(しかし、古いね。死語だ)をやる事が決定した。映画は「ウッドストック」を上映する事になった。

 今はどうなっているか知らないが、当時学生が映画を上映しようと考えたらフィルムをレンタルしてくれる会社に連絡して、希望の作品、日時、金額等を交渉して借りてくる、というのが一般的だった。当時、その手のフィルムレンタル会社は関西に何社かあったように記憶しているが、学園祭シーズンになると東京の会社がDMを送ってくることがあった。そして、その内容を見ると品数も種類もレンタル単価も圧倒的に地元の会社より優れたものが多かったように思う。特にロック関係の映画は当時、種類も少なかったので別のサークルが同じ映画を企画しているなどと言う情報が入ると急遽ストーリーモノの映画の上映に切り替えたりした事もあった。それにしても、当時の映画上映と言うのは僕たちがたむろしていた別館のすぐ隣にある学生会館(大学当局は必ず『大学会館』と呼んだり書いたりしていたが、心ある学生達はあれはガッカンなのだと譲らなかった。まあ、そのどちらも今は無くなってしまったそうだが)のホールでカンパ制で上映されていた。カンパ制だからいくらでも良い。つまり1円で映画を見る事だって可能だ。中にはその1円を払うのが惜しくて「レポだ」と言ってタダで入る奴もいた。ホールは千人規模のしっかりしたものだったが、何せ入ってくるのはインテリヤクザを気取ってるのがほとんどだったので、タバコの煙はもくもく上がるわ、缶コーヒーの転がる音がするわ、マナーは最低だったが、そこには何か不思議な連帯感があったような気がする。

 映画の上映日程が決まり、フィルムの交渉などは1年上の先輩達が中心になってやっていたが、我々1回生は何をしていたか。もちろん単純肉体労働及び営業活動である。公称2万人の学生のいる大学だったので、不特定多数にアピールするには原始的ではあるが看板とビラ配布が大事な広告媒体であった。しかし、この看板作りは多少大工仕事の上手い奴が指図してやるとすぐ出来るのだが、表側の文字と配色やレイアウトは美的センスが必要で、悲しい事にそれを持ち合わせているサークル員は女の子と上手くやってるので、看板作りなどには参加せず、アリか奴隷のように看板作りをやっているのは、こういってしまうと身も蓋もないが女の子とは縁が無いと言うと言いすぎなので、縁が薄い連中がほとんどだった。幸か不幸か僕はその一人であったというか、積極的に関わる一人だった(口の悪い連中はワンアンドオンリーといっていたが、そんな事は無い。たびたびこのブログに登場する「せんみつのF田」君やカンニングがばれて留年したS戸君などは良き協力者だった。おお類は友を呼ぶ)

 いまでも思い出すのは、我がDRACのタテカンは常に黄色の背景色に黒の太文字のワンパターンだった。ひと頃、♪黄色と黒は勇気のしるし、24時間戦えますか?→ 出来ません!などと歌われ、黄色に黒目立つじゃないかと思われそうだが、再度言います。看板はセンス。美的センスの無い奴が作るとブザマだった。しかし、とにかくサブロク(判じ物の一種ですね。三尺×六尺、建築用語で言う900ミリ×1800ミリ)のベニヤを4枚縦に並べて作るものだから、目立つには目立った。ビラはガリを切り(今の人に理解できるだろうか。しょうがを切るのではなく、油紙の用紙に鉄筆で文字を書き、謄写版で印刷するのだ。何?言葉が解らない?「イミダス」か「現代用語の基礎知識」の「死語」のコーナーで調べてくれ!!)、シャツの手首を真っ青にしながら刷った。文化団体連盟という上部組織があり、そこのBOXには輪転機があったが何せ順番待ちだったので、大抵は自分達のBOXで刷りまくった。BGMはRCAが出した「ブルースの古典」という企画モノでワークソングを聞きながら、ひたすら印刷をした。

 印刷をしたら次はビラ配りである。キャンパスで一番人通りの多いM徳館の前で、配るのである。ここはビラ配りのメッカというか、D大の原宿、表参道と呼ばれたところで(ウソ)数多の人たちがビラを配っていた。最初何も知らずにこの場所にいたら、やたら髪が短く青春ドラマの悩み多き若者みたいな連中がビラを配っているのに遭遇した。ナニゲニ眺めていると、いきなり、そうたとえて言えば公園の噴水の周囲にいた鳩が一斉に飛び立つような感じで、ビラを投げ散らかして逃げ出す光景が見られた。唖然としてると、そこに赤いヘルメットに白衣を着て、手には角材を持ってる人たちが駆け込んできて、逃げていく青春ドラマを追いかけていった。当時のD大の自治会をおさえていたセクトと日本 ××党の青年同盟の学内自治をめぐる権力闘争であった。どう見ても正しいのはヘルメットだなと思っていたら、その半年後くらいにある暗いBOXで「中国 ××党との党派闘争をやるのか、否か」とわけの分からないことを言われ、何とか反論して逃げた甘い青春の1ページが…ちょっと脱線した。このあたりの話は後日に譲って、軌道修正する。

 とにかく人通りは多いので、次々にビラを撒こうとするがなかなか上手く受け取ってくれない。ビラ配りは先日アップした「入試情宣」でも散々やったが、これにはちょっとしたコツがあって歩いてくる人の進行をさえぎるような形で渡そうとしても無理である。気の短い奴なら「ケンカ売っとんのか!!」という話になりかねない。コツは歩いてくる人が自分の目の前を通り過ぎるその瞬間に差し出すと(心持ちやや後方から差し出す形)反射的に受け取る可能性が高いのである。このバックハンド方式を発見して以来僕は他のサークル員にビラ配布では圧倒的な差をつけたものだ(得意、得意)。しかしこの時に、身に付けた技術の『ガリキリ』と『ビラ配り』は実社会ではほとんど役に立たなかった。既に時代は青焼き(これも説明がめんどくさいけど、建築図面なんかで青っぽいのあるでしょ。あれ薬品につけて焼くから青焼きというんです。だから年配の人になると未だにコピーする事を「ちょっと焼いてきて」などと使うし、甚だしいのは「これゼ○ックスしといて」とか「リ○ピーする」などと活用する人が…もはや居ないよな!?)ちなみに専門の言語学で習った「狼に育てられたアマラとカマラ」の話はセールストークで使えて重宝した。こんなことならもっと真面目に授業を受けておくべきだった。


 これを読んでびっくりしたのは、他でもないワタクシでした。昨日のsawyer先輩のコメ返しに「また別の機会に書きます」みたいなこと書いているのに、5年前のエントリーにも同じようなことを書いているとは(汗)。うーん、薄暗いボックスでねちねちオルグされていた話は、しっかり思い出して書きます(多分、年内、などというのがイカンのか、笑)。それで、この話の続きが以下に続きます。

 M徳館前でのビラ配りはランチタイムがメインだったが、各授業の休み時間なども行った。しかしながら確実に大勢に配布出来るのはランチタイムだったので、その間は「1回生ダッシュ」と先輩から号令がかかりメシも後回しで、みんな結構真面目に配ったように思う。前にも書いたが映画の入場料はカンパ制なので、前売券の販売などはなかったが、それでも入場者を確保するために普段はさぼってばかりいる専門の授業にも出て、クラスの連中にもPRした。しかしロックに意識的な連中は既に「ウッドストック」は見ており、もっと他の映画は無いのかと無茶を言うし、僕が所属していた英文科はクラス50人中40人が女性という今考えると「はらいそ」とか「天国に一番近い島」などの言葉が脳裏をよぎるが、僕は授業にほとんど出ないイケナイ学生だったので自ずと親しくしてくれる女の子も決まっていて、彼女らはロックと言えば上田正樹やファニカン(もう解散してたが)、あるいは我がD大の誇るウェストロードブルースバンドみたいな純国産がお好きであった。

 と、ここまで書いてまた寝てしまい1日過ぎた。このところ夜の散歩の時間が、10時過ぎだったので終わって汗を流すと、すぐに12時。それからあちこち御馴染みのサイトをうろついてるとすぐに 2時を過ぎてしまい翌朝きついというパターンだった。そこで、今日から散歩は夕食が終わるとすぐ、時間にすると8時半くらいから始めた。一人でぼんやり大淀川の橋を渡っていると前方に半月が見えて、思わず口元から”Burn down the mission~”とエルトン・ジョンの「布教本部を焼き落とせ」のフレーズが出て来た。昨日は「オリオン頌歌」を口ずさんでいたが、今日はエルトンで次は自然と「だにえるとらべりんとぅないとおなぷれいん、あいきゃんしざれっらいとうへでぃんふぉすぺぇえん~」と名曲「ダニエル」のフレーズが出て来た。何でだろうと考えていたら、夜空の合間を点滅等をつけたジェット機が音も無く、闇に溶けて行くのが見えたからだった(ここ、ちょっと城達也のジェットストリームぽくね?オッサン無理して若者用語つこてもアカンデ!!)。

 そして帰り道、橋の途中で振り返ってみた観光ホテルの夜景と月の風景が綺麗で思わず、携帯で写したが画素数が少ないので、ちょっとぼんやりしている。ただ雰囲気はわかってもらえるのではないかと思っている。今日の散歩道も寒かった。京都の秋はもっと寒かった。あー、やっと話が元に戻った。映画上映の当日は朝一番から集合がかけられたが、平日で当然授業のある者も多く、上映時間とその日出席しないとまずい授業の確認があったが、こういうとき1回生はほとんど意見を聞いてもらえない。まあ文化系のサークルだったので、怖い先輩もそれほどおらず、結局この手のイベントが好きな奴が受け付けやお金の保管、その他もろもろの雑用をやる事になった。僕?僕は当然「お祭好き、騒ぎの好きな男」だったので指名されるまでも無く、朝から最終まで付き合うことにした。正直な話、この映画の上映前の準備の大変さは良く覚えているのだが、上映当日の事はほとんど覚えていない。予想より1回目の上映に人が入り、その売上で購入予定のツィーターがかなり良いランクの物が買えそうだと会計担当のY本さんがその端正な顔をニヒルにゆがめて笑っていた事くらいだ。

 そして上映が無事終わり、片付けもすんでBOXには1年先輩で女性のS本さん(以前書いたと思うが「嗚呼、花の応援団」に出て来る美鈴ちゃんに良く似ていて、いや外見がブサイクだ等というのはまだマシな話で、とにかくこの人性格が悪くて99.9%のサークル員から嫌われていた)、同級生のE副君(こいつが二枚目で静岡出身のええとこのボン、ナンパさせたら仕掛けて仕損じなしの必殺ナンパ人で大変お世話になったのだが、FM○岡に就職したと聞いてからその後の消息は知らない。後年リクルート事件で彼の名を見て驚いたが、単にリクルートの創業者と同姓だっただけだってイニシャルになってないやんけ!)と僕の3 人が何故かBOXに残ってしまった。確か会計のY本さんがどうしても用事があって、お金を預かれないので副会計のS本さんが残っていたと思う。はっきり覚えていないが、ちょっとまとまったお金だったのでS本さんの女子寮まで僕とE副で送るという事になっていたと思う。もちろんE副は女子寮に何らかの意図を持って接近しようとしていたようだし、僕はもしかするとそれは大変な幸運をもたらす事かもしれないと本能的に悟っていたので、この「ザ・ガードマン」役を請け負ったと思う。

 3人で階段を下りて別館の中庭に来てから、僕はBOXのカギを預ける守衛さんの所に行き2人は先に行ってるものと思っていたが、何故か中庭のところにいた。しかもちょっと様子がおかしい。E 副が両手を広げてS本さんの前に立ち、その手の先にはスキンヘッドの背の高い男がいた。ぱっと見たときはE副たちがふざけて通せんぼをしているかと思った。E副とS本さんが左右に動くとスキンヘッドもそれにあわせて動く。「おまえら、ナニしとん?」と僕が声をかけるや否やE副が「○○(僕の本名)、そいつを捕まえろ!」と叫んだ。なんだか解らないが、ふざけてるんだろうと思いスキンヘッドを後ろから羽交い絞めした。その途端、脱兎の如く(余談だが、毎度御馴染みのF田敏雄君はこの「脱兎の如く」の意味をよく理解しておらず、「今から脱兎の如く眠る」などと使い心ある人たちから顰蹙を買っていた。しかし不幸な事に工学部出身のH居クンなどこの使い方が正しいと思いクラスで使い、「品のある表現だ」と言われたらしい。そこから話を広げて、工学部は字が読めなくても大丈夫らしい、というとんでもないデマを広めたのは僕です)、彼ら二人は走り出した。僕は『今度は鬼ごっこかやれやれ』と思っているとスキンヘッドが僕の胸元を掴んでこう呟いた。

 「おま、おま、おまえ、なんでオレに女くれなかった、なんでくれなかったなんで…」壊れたプレイヤーのように際限なく呟きながら、僕の胸元を持ち上げる。その時気がついた。僕は身長175だが、当時はヒールのサンダル(恥っ!ほら、昔流行ったでしょ、ポックリみたいな奴。ロンドンブーツは風を通さないけどサンダルは通気性が良いから履いてましたって今更言い訳するな!!)を履いていたから185くらいあったはずだが、目の位置が同じ、つまりオレよりはるかに背が高く、目が完璧に飛んでいました。それから頭にマジックで線を引いたような、孫悟空の緊箍児 ( きんこじ )みたいなものが目に入った。このスキンヘッドが喋る事、目の異様さ、頭の線、これらを総合して僕の小さな灰色の脳細胞はフル回転する暇も無く結論を出した。「ガイキチだ、基地の外に居る人だ。アウトオブベースいやアウトオブブロークンマインドの人だ」。最後のフレーズはこのブログを書くためにでっち上げた言葉だが、尋常な人ではないことが即座に理解できた。

 右腕がぶぅんという感じで振り回されてきた。両手で防御したが、今度は左手が飛んでくる。転びながらも何とか逆襲をとサンダルのヒールの部分で回し蹴りをお見舞いした所手ごたえあり。「うぅ」か、なんか言いながらスキンヘッドがうずくまった。僕は義経もかくやといわんばかりの、三段跳びで別館の正門のほうに逃げ出した。烏丸通に出るとE副の姿は見えないが、S本さんが半べそでおたおたしていた。「ナニしとるん、はよ逃げぇや!!」と叫び後ろを見るとスキンヘッドが追いかけてくる。既に夕暮れ時で人影もまばらだ。とにかく逃げないとと思いながらも、S本さんの身の上より苦労して集めた売上金が惜しい。人間こういうときに本性が出るが、ブサイクなS本さんは人身御供に差し上げても構わないが、新品のツィーターが手に入らないとみんなに迷惑だ、しかし金庫はS本さんが握り締めている。とコンマ5秒で状況判断をして、S本さんの手を握りながら駆け出した。丁度タクシーが来たのですぐに止め、行く先も告げず早く出すようせかした。

 車のミラーでスキンヘッドの口惜しそうな顔を見て、少し安心して女子寮まで走った。最初は恐怖で二人とも口が聞けなかったが、落ち着いてきて話を聞くとE副と二人で中庭の花壇を通り過ぎようとした時にスキンヘッドがいきなり「おんな、おんな」みたいな事を言いながら近寄ってきたらしい。様子がおかしかったのでE副が庇っていた所に僕が運悪く声をかけたようだ。しかしE副の判断は素晴らしいが別館を出た所で「脱兎の如く」一人だけ逃げて行ったようだ。あいつが居なければ、僕の独力で女子大の寮の厚き扉は開けられないななどと未練なことを考えてはいたが、とにかく無事にお金も(ついでに)S本さんも送り届ける事が出来そうだ。寮の前でタクシーは止まった。車から降りて、いやあ今日は大変だったですねなどと他愛ない会話をしていたら、川の土手のほうでスーッとタクシーが止まった。「まさか」と二人同時に行った途端、目が点になった。スキンヘッドが睨みつけながら降りて来た。「逃げろー」、僕は絶叫した。S本さんは今度は腰を抜かさず、すぐに寮の門をくぐり安全は確保された。次はオレだ。必死で走った。途中サンダルの踵が折れて、足を挫きそうになった。それでもひたすら走った。舗装道路の上を何度か転びながら走った。

 「るるー、道なき道をがむしゃらに手探りで走ってきた、今まで。暗くて何も見えなかった。涙で何も見えなかった。何回と無く転びよじれ流され、頭からつま先まで汚れきってしまった…」と、今になってみれば丁度「暗闇の人生」の歌詞どおりの状況だったのだが、そのときはそんなゆとりは、当然無かった。土手の上を何度も後ろを振り返りスキンヘッドの影を確認しながら、走った。逃げた。「ザ、ヒュージティブ。リチャード・キンブル、職業医師。正しかるべき正義も時として盲入ることがある。彼は身に覚えの無い妻殺しの刑で~」なつかしのTVドラマ「逃亡者」のナレーションが頭の中でぐるぐる回っていた。途中で空のタクシーが通りかかり何とか修学院の下宿までたどり着いた。サンダルは片方の踵が切れて使えないものになっていた。お気に入りのベルボトムのブルージーンズ(恥っ、そんな時代だったの♪ベルボトムブルース、ユーメイクミクライ~)は何か所か穴が空いており、まことに残念ながらその年75年にはまだパンクは始まっていなかった。あのジーンズを穿いていればオレが京都で最初のパンクやと威張れたものだが(良く考えてみるとベルボトムを穿くパンクはおらんな)。

 散々な目にあった、余計なタクシー代は使うは、サンダルやジーンズを買うお金も必要になるしとこんな経済面の心配をするゆとりはなかった。まだ心臓がバクバクいっており、何とか落ち着くためにライ・クーダーの「天国からの夢」をかけた。心地よいアコースティックの音に全身が溶け出したように感じた時に、また緊張が走った。コン、コン。狐の鳴き声ではない。ドアをノックする音だ。「だ、誰」とやや怯えた声で聞くと「Y岡や」と同じ下宿の仲間の声。ふーっとため息をしてカギを開け、Y岡さんを部屋に入れた。「なんや、凄い事になってるな」彼はにっこり笑いながら僕のサンダルとジーンズを指さした。  この話は後日談がある。かのスキンヘッドは、僕は知らなかったが当時の別館では知る人ぞ知る名物男だった。いつもは大人しくて別館1階の学生食堂で、女子学生だけのテーブルを見つけるとそこにうどんを丼ごとぶちまけ四つんばいになって食べるという奇癖のある男だが、過去暴力沙汰などは起こした事は無いらしい。頭の線は、以前脳の手術をしたときの傷跡だという(しかし、ロボトミーでもしたのだろうか。見事に1周、線が回っていた)。このちょっとした事件が彼の保護者の耳に入ったらしく、それから彼を見かけなくなった。

 一方、僕は得意満面であった。身を挺してサークルの売上とブサイクとはいえ女子部員の貞操を守ったのだから。「死んでもラッパを離しませんでした」の木口小平(しかし例えが古いな、みんなついて来れるかな?)なみに大絶賛されると思い込んでBOXに行った所が…。例のF田敏雄君がにやにやしながら1級上のO西さん(いかん、この人も発音したら名前がばれる)と一緒に「お前、アホやな。何でS本サンを捨てて逃げんかったんや。金よりS本さんがいなくなるほうがみんなのしあわせや」などと無茶苦茶言われた。さあ、しかし解らないのが男女の仲というやつで、このときS本さんをボロカスに言っていたO西さんとS本さんが付き合い始めるのであった。なお、O西さんは翌年権謀術策の限りを尽くして、サークルの幹事長になるのだが、そのあまりにワンマン体制、人のえり好みの激しさを糾弾され、サークルを放逐されるのだ。その最先端に居たのがナニを隠そう、この僕なのだ。こういうのを「江戸の敵を長崎で」と言うのだが「回る因果は糸車」という言葉もあるようにO西さんの最後の罠に見事ハマって僕は77年度の幹事長の座を逃すのであった。


 ふー、コピペもしんどいけど、もともとのエントリーはもっとごちゃごちゃ書いてあります。全文読んでみたいという奇特なお方は、「アウトオブザブロークンマインド 前篇」と「アウトオブザブロークンマインド 後編」をクリックしてください。さて、次回はちゃんとした話を書かねばの娘だ~。

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コメント

ヒュ~ギティブ

まだ全部読んでいませんが、ガリ版はやったことないなー。なんか残ってたらみたいっす。

「逃亡者」一時はまりました。日記に書いてたの発見。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=486155350&owner_id=5402492

てことでまだ全部読んでないんですが、股。サッ。

映画WOODSTOCKのシンボルマーク

ギターヘッドに鳩の絵を 再現して描いたのが
二枚目E副君だったと思います。
彼の名前を検索すると、神戸、Sテレビ
(そこしかないのでチョンバレだが(笑))のディレクターとして出てきます。
現在の風貌はわかりません。晩年の故岡田真澄みたいではなかろうかと 
私は勝手に思ってます。
東京キー局や大阪のメジャー4局と違い 全国に放映されているドラマや
歌番組を制作してるわけではないから 女優やアイドルに手を出す機会は、
無いに等しいのではないかなあ。
でも 女子社員や一般女性に何もしてないとも考えにくいですが。

ガリ版、多分探せばあると思うんですが

整理が悪くて、どこになにがあるか分からない、まるでミステリーゾーンのようなワタクシのお部屋ですが、がさごそやってたらそれらしいものが出てきたので本日のエントリーでアップしました。アップした後、あ、これはガリじゃないと分かったけど、後の祭り。ま、しょうがないので、そのまま話をつづけましたが(笑)。

そのガサゴソやっていた時に、ひょっこり昔のパスポート(日付を見たら88年でした)が出てきて、そこに貼ってある己の顔を見て大笑い。モノクロ写真に写っているワタクシはがりがりに痩せていて、頬骨がとがっていて、髪型はパーマのかけそこないみたいなもじゃもじゃで、目のところに黒い線を引いたら、どう見ても「この顔にピンときたら」のポスターの人。こっちをアップしたほうが受けたかもしれない(笑)。

ああ、彼はSテレビでしたか

マスコミ関係に入った記憶はありましたが、サーカスの店長だったG条さんとごっちゃになってました。さらに、彼の出身が静岡だったので、てっきりFM静岡だと思い込んでいました。ご指摘ありがとうございました。何しろ、本人の思い込みと記憶だけで書いているので、結構間違いとかあると思います。今後もお気づきの点があれば、なにとぞ宜しくお願いします。

>でも 女子社員や一般女性に何もしてないとも考えにくい

間違いないですね。アルバイトの子や、就職希望の女子大生なんかは手当たり次第、暴れん坊将軍状態であっただろうと推察します。おーい、E副~。今からでも遅くない、またナンパのおこぼれ回してくれ~って節操がないのは若さの証拠(笑)。まだまだバットをブンブン振ります、Purpleさんを見習って!!
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