ベンガル人民共和国の思い出

 多少、高めのボール球でもブンブン振っていくことで定評のある(しかし、意味が分からない人が多いだろうが、わかる人に分かってもらえればいいので訂正はしないのだ)花の75年度生のPurple_Hazeさんのblogで、バングラディッシュのコンサートが71年の8月1日、つまり40年前の出来事であることを思い出した。僕のいたサークルはレコード音楽を研究するサークルだったので、学園祭やオリエンテーションの時に発表する作品とか研究結果というものがないので、そういう時期には音楽に関連した映画の上映やレコード・コンサート(これ、分からないだろうな、今の人たちには。大学の教室に手製のスピーカーやアンプなどのオーディオセットを設置して、そこでレコード流すというもので、一応趣意書なるものを書いてパンフレットなんか置いてたな)、あるいはライブのイベントなんかをやっていた。そういえば『バングラディッシュのコンサート』は76年と、えーと79年だったか80年だったか、2回上映したなんてことを思い出した。

 僕の所属していたサークルの上部団体に文化団体連盟、通称文連という組織があり、学園祭やその手のイベントに参加するときは必ず趣意書を書いて、承諾をもらわないと何もできなかった。詳しいことは、いずれまた書くかもしれないが、当時の学内の政治力の関係上、75年、76年あたりは僕のいたサークルは発言力が弱く、しかも僕らのことを結構目の敵にしている他所のサークルもあったおかげで肩身の狭い思いをした。その一つはDプロダクション、通称Dプロというサークルで、映画を研究しているというか、映画を作っているはずだけど、その完成品というのは一度も見たことのない不思議なサークルだった。そこに僕と同学年のTという男がいて、何かにつけて当時僕のいたサークルにケチをつけるのだった(後年、えーと77年の終わりくらいから関係改善が行われて78年くらいには結構「同志・友人諸君」という関係になったと思うけど)。僕たちが学園祭やオリエンテーション期間に映画を上映しようとすると、必ず横槍を入れてきて「ストーンズはいいけどビートルズの映画は認めない」とか「ウッドストックはいいけどバングラディッシュは商業主義だから駄目だ」とか、まあわけのわからないことをいう訳だ。

 しかしながら、毎回毎回そういう横槍にハイハイと従うのも腹が立つし、まあ75年は僕も1回生で発言力もなかったし、学内の政治関係も微妙だったのでおとなしくしていたのだが、76年、2回生になってからは多少なりとも言いたいことは言う、いや、出しゃばってどうこう言う気はさらさらないが、それでも一言言わせておくんなせぇ、てな感じでちょこちょこ会議の場でものを言ったり、自分たちのやりたい映画や企画を通せるようになった。バングラの映画はTが強く反対していて、なかなか手ごわかったのだが、僕もさまざまな手を使い、また他のサークルの人間関係なども利用させてもらい、どさくさまぎれで趣意書を通して、Tが気がついたときは本部としては許可した後という展開になった。それでもTは未練がましく「どこからフィルム借りたんや、え、××、あっこは高いことで有名やんけ、なんで一言事前に相談せえへんかったんや」「(お前に相談したら、ビートルズがらみは全部ヨヨギやと言われてつぶされるやんけ、ボケと心の底で思いながらも)あ、いっぺんな、相談しよう思って、そっちのボックスいったんやけど、なんや自分、風邪ひいて休んでいたやんけ、たかがうっとこの上映映画の話に、DプロのTさんに病を押して出てきてもらう訳にもいかんやんけ」「フン。まあ、ええわ。ところで、何ぼで借りたんや?」「いや、これこれの金額やけど」「あほか。お前は。こんなんあと3割は負けさせられるで、お前、文連の金やと思って適当に交渉したん違うか?まあええわ、今後、DRACの映画をやるときは事前に相談にこいや」「(誰が行くか、ボケェ、と腹の底で舌を出しながら)もちろん、そんな安くなるんやったら毎回頼むわ、やっぱ、餅は餅屋やんな~」。などという戦略会議があったことを知っている人は数少ないと思う。

 とまあ、本当はもっといろんな妨害工作というか、なんだかんだあったんだけど、無事76年の10月だったと思うけどバングラの映画は上映できた。で、その上映の日に、実はこのblogには珍しく、女の子の話が出てくる。というのも、その1週間ほど前に僕のサークルにいたE副というイケメンが河原町のグラスホッパーだったか、その手の洋酒パブで女子大生のグループをナンパして、たまたまその時E副と一緒に遊びに行っていた僕と、やはり同級生のN谷という男がそのおこぼれを頂戴して、時ならぬ恋の発情期を迎える話を書こうと思っていたけど、長くなりそうなのでまた次の機会にします。

 バングラディッシュのコンサートでもう一つ思い出したのは、確か71年のガッツというギター雑誌に連載していた加藤和彦のエッセイで、友人からバングラディッシュのコンサートの海賊版を送ってもらい、音はとても悪いのだけど雰囲気が同窓会みたいでとってもいい、とかまだ本来の3枚組のアルバムが出る前で、ディランを貸さないとCBSがごねてるけど、今回の企画の主催者はジョージなんだから快く貸してやれよ、ケツの穴が小さいぞ、みたいなことを書いていて、その文章がとても愛情あふれていてなんだかいいなと思ったことだった。バングラディッシュのライブアルバムはその後、ごついハードケースに入った3枚組としてCBSソニーから発売になった。僕の周囲には、そのアルバムを購入できるお金持ちはいなかったので、全然大嫌いな奴だったけどお金だけは持ってる奴がいて、僕はちょっと悔しかったけど、そいつに頭を下げてアルバムを借りた。もう名前も思い出したくないやつで、普段ロックなんか聴いてもいないくせに、歴史的メモリアルだからといって買い、まあ貸してくれたのであんまり悪く言うのもあれだけど、返した翌日に「お前、もっとレコード丁寧に扱えよ。指紋がいっぱいついていたぞ」と言われ、絶対そんなことはない、ちゃんとレコードスプレーで何度も噴き上げたというが「まあ、今回はオレが泣けばいいけど、他の奴にはそういうことをするなよ」などと説教しやがって、チクショー、と、僕の怒りは根が深いのだ。

 それと、もう一つ。高校時代に音楽専科とかその手の音楽雑誌を読んでいると、最後のほうに読者のコーナーがあって、そこに要らなくなったレコード売りますとか、買います、あるいは交換してくれませんかみたいなページがあった。当時、月の小遣いが2000円で、当時のアルバムがぴったし2000円(その少しあとから2000円を超えるのだけど、このときもCBSソニーは2500円という法外な金額に設定した。畜生、足元見やがって)。つまり、月に1枚レコード買ったら、その月は一切自由に使える小遣いがない。女の子とお茶を飲みにも行けないのだ。しょうがないから、親に参考書を買うからとか昼はパンを買うからと言って小金をちょろまかし、昼飯なぞ全然食わなくても平気でレコードを買っていたのだが、それでも追い付かない。じゃ、こういう雑誌のコーナーを作って売り買いや交換すればいいと思いつき、さっそくミッシェル・レコード・カンパニーというのをでっち上げた。名前の謂れは、当時僕が好きだったミッシェル・ポルナレフと略称がMRCとなり、地元のテレビ局MRTにちょっと似てるので、企業イメージがいいんじゃないかと思ったからだ。

 ま、それはいいが、そのミッシェル・レコード・カンパニーの最初の取引でバングラディッシュの海賊版を手に入れることができた。あれはお金で買ったんじゃなくて、何かのレコードと交換したんだけど、よく覚えていない。そのブートレグを送ってくれた相手が、要らないと思ったのかフォーチュンズの「雨のフィーリング」のシングルを一緒に入れていてくれて、それ以来僕はバングラディッシュのコンサートを聴くと「雨のフィーリング」のイントロが流れてくるのだ。ああ、寝る前に一気に書いたけど、またいろいろ思い出してきたので、このあたりの昔話をまた書くかもしれません。



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コメント

DRACと文連

久しぶりのサークルの話題でコメントです。
貴君の時代は文連の中では肩身が狭かったらしいですが、小生の時代の68年は、文連委員長にDRAC1年先輩のKさんが選ばれたため、文連内の認知度が急激に上がりました。

お陰で何かしら優遇され、活動費も水増ししてもらえたようでした。

しかしやっていたことといえば、研究の成果として、今の小生のブログのような中味を集めた機関誌を発行したこと以外は、貴君の時代と同じように映画上映、レココンが主でした。
映画は「マイフェアレディ」などミュージカルが多かったようです。

文連の中では、活動の割に幅をきかせていましたが、BOX1Fの学術団の法研は、新人がキャンパスで、彼らの立看をパクったことから、DRACを目の敵にしていました。会長以下当事者で謝りに行って事無きを得たのでしたが、その後事あるごとに、「お前たち、こんな時に良く音楽なんか聴いていられるな」「ステレオ装置壊したろか」と、赤ヘルセクトの人間が多く、中にはまるでヤクザのような物言いをする連中もいて、怖い思いをしたのですが、ある日キャンパスでデモで一緒になり、それまでのイメージが払拭されたのか、仲間意識が芽生えたのか、それからというもの、挨拶を交わすまでになったという経験があります。その後、文連委員長の出身サークルと知ったらしく、暴言を吐いたことを侘びにBOXに来たことを思い出しました。

当時押しなべてセクトの人間が多かったのが学術団で、立て直しを手伝った新聞局も学術団傘下にあって、セクトの御用記事を発行する新聞となっていました。

作品観たことなかった同プロは、まずまず先進的でしたが、文連で一番過激だったのは、観研、広研、小劇場、映研のメンバー、ついでDRACといったところでしょうか。

「バングラディッシュ」は、映画の印象がとても強かった時に出町のレコード屋の店頭の安売りの箱に、眼ばかりが大きな飢えた子供の写真のあるえび茶色のBOXを発見。
3枚組4000円、あと少し足せば「魔笛」が買える値段だったが、思わず購入した。帰ってからよく見ると、解説が入ってないことに気がついた。新品に近いものだったから、ブックレットを盗まれたかで、仕方なしにバーゲン品としたのだろう。しかし音盤には音楽だけを聴いて満足出来るものとそうでないものがあり、バングラディシュは後者だから、決して安かったとは言えない。

誰でもだとは思うが、やはり小生もHere Comes the Sunがお気に入りだ。
7カポのDが開始であることを知って、一生懸命練習したことがあったが、最後の分散和音が習得できずにいる。

チャリティコンサートの草分けの意味でもこのコンサートの果たしいた役割は大きく、後世に引き継がれ多くのコンサートが開催されるに至ったが、とりわけ小生はこういうコンサートが好きで、ボランティア出演者には頭がさがる想いで見るのだが、散発的にしか行われない我が国で、大々的全国規模の復興チャリティコンサートを仕掛ける人間誰か居ないのだろうか。

訂正します

書いた後何か引っかるものを感じていましたが、here comes the sunは歌われなかったので、 While My Guitar Gently Weep に訂正です。
後のコンサートとダブったようです。

文連内の立場は

僕の時代も、広研やDプロが結構幅を利かせていましたが、観研は古い人が残っていたくらいであんまり影響力無かったですね。実は、映研がDプロから批判されて、多くのサークルがDプロの立場を支持しましたが、DRACはあえて映研を擁護したことが逆鱗に触れたようで、何かあると難癖つけられました。当時の自治会はご存じのように全学闘争委員会というセクトが握っていて、そこの活動家だったT原さんが75年のEVEの時期に逃亡(本人いわく、ガタガタになった全学闘の委員長を押し付けられそうだったのと、当時の運動方針がトンデモ路線に傾き昔からの活動家が次々と辞めていったから、だそうですが)したことも、文連メンバーから冷たい目で見られた理由の一つです。しかし、これは後日談があってT原さんが運動を抜けるのと交換条件でDRACから、誰か一人人身御供を出せという命令があったようで、いらんこといいのワタクシに白羽の矢が立ち、当時の文連委員長からしつこく勧誘されました。あまりのしつこさに閉口して、よっぽど一緒に活動しようかとも思いましたが、何とか逃げ切りました。あそこで首を縦に振っていたら、77.5.19でドタマかち割られていたか、二度とキャンパスに登場できなかったことと思います。まあ、このあたりの話は70年代のD大をご存じない人には全然面白くもなんともない話ですが。

>立て直しを手伝った新聞局

実は、この新聞局が全学闘ともめて1階から4階のDRACの真正面のBOXに移ってきてからというもの、しょっちゅう「てめえら、うるせぇんだ」とか「移転問題に対する問題意識あるのか」とか恫喝まがいのことを言われておりました。まあ、あちらは全学闘を放逐したF舘委員長を擁しているので強気で強気で…。それでもTという新聞局員と何かの拍子で親しくなり、移転反対のデモの指揮を彼がしていたのですが、途中声が出なくなりコールが立ち消えになりそうになったので、声の大きさではめったに負けたことのないワタクシが、マイクなしで「たなべ~」と叫び、隊列が「フンサイ」と答え、「とうそう~」と絶叫すると「ショウリ」と返す、このパターンでデモの終了までやってずいぶん感謝されました。以来、新聞局のメンバーとも親しくなり、そうそう、うちのサークルの新入生の多少は問題意識を持っていた、貴重な女子部員を新聞局に奪われたこともありました。この辺の話も忘れないうちに、一度整理してみます。

いやいや、間違ってませんよ

"HERE COMES THE SUN"演奏していますよ。バッドフィンガーのメンバーと一緒にアコースティックのスタイルで。

http://youtu.be/ngDpgwRY2bs

見逃し

三振よりは空振り三振がやはり美しい・・・。
まあ、ストライクゾーンが広い事は自慢しても良いかもですね♪
何で学館でバングラディシュコンサートの映画を上映したのスルーしちゃったのか記憶が定かでないです。
なるへそ、上映に至るまでは紆余曲折あったんですな。
とりあえず河原町の洋酒パブの続編お待ちしてます。

河原町の洋酒パブの話ですか(笑)

グラスホッパーとか、田園とかありましたな。まあ、コンパの流れで行ったり、週末や、いやいや意外と成功率が高いのが水曜日あたりで、なんつっても「水曜日は酔曜日」なんて名コピーがお店に貼ってあったりして、そこに女の子だけのグループが来たりすると、餓えた野獣が虎視眈々とチャンスを狙って、もっともそういう時に普段の僕らのグループでは戦闘力が0.5くらいなんですが、E副がいると一気に戦闘力アップ、経験値大幅アップみたいな展開で、美味しい目に合うことが出来て、なんて話を書いたら、ワタクシの人格が疑われます。

といいつつも、↑のエントリーでちらっと書いた話は男の純情物語ともいえなくもないので、そのうちアップします。えぐい話は無しで(笑)。
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