発作的昔話の4、修学旅行の重い話・軽い話

 K平さんのコメントを読んで、思い出したことがあった。何年か前に家族で長崎旅行をしたことがあって、それは今でも楽しい記憶として残っているのだが、何故だか中学時代に2年連続で修学旅行で長崎に行ったことがすっかり頭の中から消えていた。その消えていた記憶が甦る勤労、闘うドーロー千葉、じゃないか、甦る金嬉老、これも違うっていうか蘇られたらちょっと怖いような話を聞いてみたいような、もとい、甦る金狼とばかりに脳内再生されたことを少し書いて、前回の続きとしたい。あ、甦るシリーズの言葉遊びの落ちは松田優作の映画のタイトルだからね、ってこういうことをいちいちエクスキューズしないと話が通じない時代になったのは嘆かわしいことに、僕もジジィの仲間入りしたからか。

 K平さんのご指摘の通り、宮崎の中学校の修学旅行は初日熊本を経由して長崎入りして、翌日グラバー邸だとか、平和公園だとか大浦天主堂を見学するのだが、バスガイドさんの解説でかなりインパクトのあったことがいくつかある。最初に長崎に向かって走っていくときに、長崎は沢山の歌になったみたいな説明があり、我々クソガキ集団は「知ってる、知ってる、クールファイブの♪長崎は今日もあめぇ(ここちょっとひっくり返るのがミソだったね)だった~」とか「春日八郎の『長崎の女(ひと)』もあるぞ」とか「長崎から船に乗って神戸に着いた~」、というのは71年の8月のヒットだからありえないのだが、まあそんなことを勝手にワイワイ言ってたら、ガイドさんが実に色っぽい歌を教えてくれた。「長崎の夜はむらさき」である。パープルナイトインナガサキである。ん、違うか。とにかく歌詞の意味も分からず、ちょっとエキゾチックなメロディだったので一発で覚えて、修学旅行が終わって何気に自宅で歌っていたらオヤジから怒られた。修学旅行で何を学んできたか、と言われたのだが、もちろん原爆の悲惨さもしっかり見てきたし、ちょっと前にも書いたが、まだ当時は傷痍軍人もいた(もちろん、中には偽者もいたのだろうが太平洋戦争の爪痕としての傷ついた兵隊さんという存在を認識するのにやぶさかではなかった)。

 その原爆の悲惨さは、もちろん平和公園でしっかり見てきたが、頭に刷り込まれたのは、やはりガイドさんの教えてくれた「6つの女の子」という歌だった。歌詞は未だにはっきり覚えている。何しろイントロが♪扉を叩くのは私、あなたのあなたの胸にひびくでしょう、
小さな声が聞こえるでしょう、あたしの姿は見えないの、というショッキングな歌詞と物悲しいメロディは一度聴いたら、耳に残り忘れられなかった。歌詞の最後に実は、その女の子は原爆のため6歳で亡くなったということが語られる。ここまで書いて、記憶が間違ってないかググってみたら、なんとこの歌「死んだ女の子」というタイトルで元ちとせなんかが歌ってるんだね。でんでん、知らなかった。ずっと「むっつの女の子」だと思い込んでいた。たぶん、ご存知の方も多いだろう。歌詞もアレンジも全然違っているけど、教授と元ちとせバージョンの動画を貼っておきます。ただ、僕がガイドさんから教わったメロディと歌詞はここにリンク貼っておきます。



 しかし、平和公園で見たさまざまな写真や資料は強烈な印象だったし、浦上天主堂なども見て当時、ややネオ・ライト的だったワタクシのココロに反ゲンバク、ノーモアウォー、ベトナムに平和を、ベトナム観光公社にも平和を的な印象を強烈に残した歌であった。まあ、イメージが強烈だっただけにある時期からすっかり忘れてしまったのかもしれない。

 おっと、今日は長崎の話ではなくて実は我がポンニチを明治維新から支えてきた製鉄業の見学の話を書こうと思っていたのだ。ご存じのように明治維新以降のスローガンというのは富国強兵・殖産興業であり、もうこれは読んで字のごとく産業興して国力付けて進め一億火の玉だとばかりにいてまえ路線に突っ走れというぶるじょわいでおろぎーで、こういうのをフンサイしたがったのが先進的学友諸君であったことは間違いない、あ、いかん、こういうヤクザなことからはちょっと距離を置かないと。

 えーと気を取りなおして、実は修学旅行というのは物見遊山の旅ではない(延岡のM中学の指導主事のおっかない先生がこういったから間違いない)。義務教育が終わろうかという時期に、広くあちこちの土地や風物を見て彼我の違いを認識したり、各地の産業はどうなっているのか、また文化的な差異はどれほどあるのか、そういうことを学ぶのが本来の狙いであるから、土産物屋でペナントや提灯や木刀を買って、その地にお金を落とすという経済的な効果も確かにないとは言わないが、女子の風呂を覗くとか夜、女の子の部屋に忍び込み彼我の体形の違い、いわゆる生きたジェンダー教育を受けるということも大きな目的で、仮にそれが貫徹できなくても、やろうと志すところに青春の門はあるのだ。あ、その、話がちょっとそれたか。

 いやね、その中3の修学旅行に結局行ったんですが。3日目の昼は終日、新日鉄の工場見学が組まれていて、確かお昼を食べた後、バスが工場に入り、そこで我らがガイドさんは降りてしまい代わりに新日鉄の社員がバスに乗り込み、工場を案内するという段取りであった。1年前に、全く同じコースをたどった僕には、全然面白くないところで、まあそれでも一人だけ見学しませんというわけにいかないので、冴えない中年の眼鏡をかけたオッサンのぼそぼそ話す解説を聞きながら、工場見学をしていたその時だった。同じクラスの陸上部だった奴が「なあなあ、あの説明している人、もしかしたら君原と違うかな?」などと聞いてきた。「君原?あのマラソンの?オリンピック選手の?」と僕は半信半疑だったが、確かに良く似ている。痩せた体形はまさしくマラソンランナーのものだし、そういえば眼鏡をかけていたな、でも他人の空似じゃないだろうか。でも君原は新日鉄(当時は八幡製鉄という方が通りが良かったけど)だったしな。と疑問を持ちながらも確信は持てなかった。

 工場見学は2時間ほどだったろうか、最後のほうはその男性の説明を静かに聞いてる生徒はほとんどおらず、「君原?」「キミハラかな」「キミハラじゃないんじゃない」「いやキミハラだって」などというひそひそ声が飛び交う始末だった。ようやく工場見学が終わりに近づき、その男性は「最後に何か質問はありますか」と尋ねた。「ハイッ」と真っ先に手を挙げたのは、もちろんワタクシで、その勢いにつられて「じゃ君」とせっかく指名してくれたのに、僕の質問は日本の重工業における新日鉄の位置づけだとか、世界と比較した製鉄技術などではなく「すいません。ガイドさんのお名前は何ですか」であった。ちょっとためらいながらも、その男性は「キミハラといいます」。ウォーというどよめきが湧き上がり、当時からイチビリだった僕は「すいません。ここにお名前とご住所お願いします」と生徒手帳を出した。

 流石は天下の君原健二、嫌な顔一つせず生徒手帳に名前と住所を書いてくれた。結局、その後は誰も質問せず、それぞれが持っていたカメラ(デジカメなんてなかった。白黒フィルムを入れたペンタックスかちょっとお嬢さんお坊ちゃん連中はポラロイドなんか持ってたからパチパチ写真を撮っていたな。僕はコダクロームで写真を撮った。前はニコンを持っていたんだけど、ママに取り上げられて、ってポール・サイモンかオレは!)で、一緒に写真を撮ったり、僕に釣られた連中がサインをせびって、もうこれ以上は勘弁してと言われたり、いやー、そんなことがありました。で、どうして名前と住所なぞ希望したかというとお礼状を書こうとおもっていたのだ。しかし、思うだけで実行しなければ意味はないとケストナーが言ってるように、僕はその生徒手帳は机の奥にしまいこんだままで次の学校に転校したのだった。この続きはWebで、って、ここがWebと違うんか。まだまだ続く中学3年日記です。



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コメント

「死んだ女の子」は

若松孝二「キャタピラー」のエンディングテーマでしたよ。

去年見に行った映画がこれ1本てどうよ>俺

あー、「キャタピラー」見逃したんですよ

封切られて、見に行こうと思いつつも週末に雑用が続いて、気がついたら終わってました。そのあと、もう一回来たんですが、その時もなんだかんだでそのまま。こりゃDVDをレンタルするしかないな。

>去年見に行った映画がこれ1本てどうよ

あああ、ワタクシ、去年は1本も映画見てません。あのスクリーンの暗闇ともずいぶんご無沙汰です(泣)。

君原選手のサインとは

記念になりましたね。当時の日本は、水泳、陸上、体操、バレーも低迷していて、
オリンピックで、なかなかメダルを取れない時代になっており、君原選手は
数少ないメキシコ五輪銀の英雄でした。
drac-obさんが 君原選手のサインをもらった頃、私は、オールナイトニッポンの
パーソナリティー 今仁哲夫と天井邦夫両氏のサインをもらってました。
お二人ともお疲れで、適当にサインされた印象です。
天井氏がLIVEDOOR騒動の時、ニッポン放送副社長として会見に出てこられたときは、
別人の風貌で驚きました。残念ながら 天井氏は、亡くなられたそうで、
ご冥福をお祈り申し上げます。

以前、同じコメントを入れましたが・・・
昔は バスガイドさんが ご当地ソング(高知なら南国土佐を後にして、
函館なら函館の女とか)を歌うものでしたが、昨今は 観光バスに乗っても 
全くありませんね。これも one of 時代は変わる なのか。




おー、ビバテツショーの哲っちゃんのサインですか!!

アンコーとかテッちゃんとかカメとか、まあ個性的なDJばかりでしたよね。おっとゴー、ゴー、ゴー、ゴーズ、オンの糸井五郎さんを忘れちゃいけない。

>ニッポン放送副社長として会見に出てこられた

え、そうでしたっけ。僕は社長のカメちゃんばかり見ていたので気が付きませんでした。しかし、カメちゃんはあのねのねのオールナイトニッポンのディレクターやってる時から管理職だったけど、唯一ジーンズで出社していると圀明が言ってましたが、まさかトップにまで上り詰めるとは思いませんでした。
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