発作的昔話の2だけど、まだまだイントロなんです

 その集落の地名はF城といった。意味はold castleだ。今でこそ、その付近は山が切り開かれたので、南宮崎の幹線道路からまっすぐ平坦な道路で行けるが、当時は中心部から二山(ふたやま)超えてようやくたどり着く小さな集落だった。とにかく家はバス停のある場所を中心に14,5戸ほど固まっているだけで、あとは道路に沿ってぽつぽつ立っているのみ。電柱の間隔が家と家の間隔でもあった。父はこの集落に、仕事の関係で住んでいた友人を頼って家をあっせんしてもらったらしい。しかし、何度も書くが延岡から宮崎に引っ越す、つまり宮崎ローカルでの勝ち組パターンだと思っていたら、とんでもないどんでん返し。僕が生まれた漁村だって、もっと人家はあったし、第一お店もあった。

 とにかく、その日は引っ越してきたばかりで、応援に来てくれた父の友人たちも引越しの手伝いを済ませたら、宴会どころではなくさっさと引き上げていった。そりゃそうだ。こんなところでお酒を飲んだら、帰り道に狸に化かされて小便の池で泳がされたり、コエタゴ(これは古代ローマのカルタゴとは全く関係ない、別の呼び方ではコエダメとも言ったな。今日日の平成ボーイズ&ガールズにはなんのことだか分からないだろうが、君たちの大好きなエコライフにはこういうものが付いてくるんだよ、わかるかね明智君)の風呂につからされたりすることが、絶対ないとは言い切れないような、真っ暗な闇が訪れるド田舎である。

 それでも、その日は引っ越し祝いということで近所に住んでる父の友人一家と僕達一家でささやかながらちょっとした食事会をやった。驚いたことに、そんな辺鄙なところなのに電話が通っていて、あ、いや僕の家には電話が通ってなくて、父の友人の家に通っていたのだが、そこから寿司屋に電話して出前を持ってきてもらった。パワー寿司(キャッチコピーが、「ち」からつく―「か」らだの調子―「ら」んらんらん、という正しく錯乱というかコンフュージョン・ウィル・ビー・マイ・エピタフと泣きながら歌いたくなるようなコピーである。ちなみにカッコの中の文字を続けて読むと、あーら不思議、お店の名前が浮かんできます、ってオレ頭にウジが湧いてきたかもしれん)という名前のその寿司屋は、南宮崎名物といっていいかもしれないが、大人の握りこぶしくらいある大きな寿司で有名なところであった。もっとも、僕はその時に、生まれて初めて握り鮨というものを食べて、世の中にこんなにおいしいものがあるとは思わず、流した涙がひとすじ、ふたすじ。いや、それまで「寿司」というのは「ちらし」や「いなり」に「海苔巻き」、せいぜいが「バッテラ」どまりで、生の魚の切り身が甘酢で味付けしたシャリの上に鎮座し、しかもその魚とシャリの間のかすかな隙間にその実存を緑色で主張しているワサビがオブジェクトをイグジスタンスしているのは、なんというか、アンビリーバブルなミラクルワールドで、ええと、初めての鮨で興奮してうまく言えないのだが、多分、これくらいエキサイトして、その鮨を食べてみんなで談笑している間は、このさびしい集落のことを忘れることができた。

 しかし、どんな宴も終わりがやってくる。ショー・マスト・ゴー・オンと祈っていた中学生のワタクシの祈りも通用せず、お開きの時間が来た。書き忘れたが、父の友人の家には、僕の弟と同学年の男の子がいて、翌日からの通学は一緒に自転車で行ってくれると約束してくれていた。ちょっと頼りなさそうな中学1年坊主だったが、背に腹は代えられん。こいつをおだてて学校まで案内させないとバイヤーだと思い、別れる前に「じゃ明日は何時にそっちの家に行けばいい?」と聞いたら「6時45分」などという。ハァ、そんな時間は眠っている時間だっちゅうの、というフレーズは当時まだブレイクしていなかったが、早い、なんという早い時間に通学するのだと思いつつも、「遅れると置いていくよ」という言葉に少し気おくれして、「大丈夫、ちゃんと行くから」と返事した。

 それからのことはあまり思い出したくない。毎朝、朝日はもう昇るよ、少しずつだけどね、その時その日こそ自由になるんだ~という歌詞を当時知っていたら、嘘つくなこの野郎、こちとらこれから自由のない学校に行くんじゃボケと毒舌を喚き散らしていたに間違いないのだが、当時はまだヒットポップスを聞き始めたばかりで、でぃらんⅡなぞ知りようもなかった。とにかく、朝は眠いのに起こされて、朝飯食べずに学校へ、1時間目が終わったら、あ、この歌は知っていたな、何しろ自分自身が受験生だったから。などという音楽小ネタはどうでもいいのだが、本当にこのころは毎朝まだ少し暗いうちに自転車を漕いで1つ目の山を登り、そのてっぺんからは一気に滑走して2つ目の山に差し掛かるのだが、あれほど加速のあった自転車がだんだん遅くなりついにはふらふらし始める。倒れてはならじと思いペダルを踏む。力を込めて踏むが、回転しなくなる。ええい、ここだと一気に立ちこぎに切り替え、必死でペダルを踏むのだが、何度挑戦しても2つ目の山の途中で自転車は立ち往生してしまい、仕方なくサドルから降りて、自転車を押しながら坂道を登るのであった。

 引っ越して何日目だったか、日曜か土曜日だったと思う。お昼前の時間に母親から買い物を頼まれた。F城の僕の家の近くには煙草屋ともう一軒魚や肉や惣菜を売ってる小さな店があった。母親から、その煙草屋じゃないほうの店に行ってアゲミ(魚のすり身を油で揚げたものを延岡近辺ではこう呼んでいた。さつま揚げとか丸天とかいうやつ、いわゆる練り物の一種)を買ってきてくれというのだ。お安い御用なので二つ返事で行こうとしたら、母親が急に声を潜めて「この辺ではアゲミのことをテンプラというから、テンプラ4枚と言わないと通じない」などといった。そんなアホな。アゲミも方言だけど、魚のすり身がどうしてテンプラだっちゅうの。ほな、テンプラ定食頼んだら魚のすり身が山ほどでるんかいな、逆に野菜やエビや肉を衣で巻いて油で揚げたあの食べ物はなんちゅうねん、え、そういうのはカマボコとでもいうんかいな。は、笑わせらぁ。テンプラは南蛮渡来のごちそうじゃねえか、このあたりの田舎モンが食えるようなしろものじゃねーんだ、てやんでぃ、と、もはや言語も錯乱して、要するに「ほんまかいな」ということが言いたかったのだが、まあ、ここは親の顔を立ててだまされたと思っていってみた。

 「ごめんください」「いらっしゃいませ、どこか悪いんですか」「あ、頭が痛いんですよ」「頭ねぇ」などとスネークマンショーをやってる場合ではなかった。ごめんください、とその小さな店の1間の扉を開けると、平たな木製のケースにガラスがはめ込まれた陳列台があり、その中に確かにアゲミというか目指す魚のすり身があった。僕はそれを目で押さえながら、店のおばさんに「テ、テンプラを4枚ください」と小さくいった。おばさんは「ハイよ、テンプラ4丁ね。あら、あんたはこんど引っ越した来なさった家のボクじゃね。何年生ね、えー、じゃったらO淀中じゃね、うちの親戚の子も一緒の中学に行きよるっちゃが」と、こちらが余所から来た人間、つまり、この共同体で新たに商品を購入する見込みのある人間と認識した途端饒舌になった。しかし、言葉もちょっと違うし、第一、テンプラが通用したことに驚いて、僕はさっさと買ったすり身を受け取ってさっさと家に帰った。

 ええと、こんなしょうもない話ですが、本当に描きたかった思い出したくない話には、まだまだたどり着けません。とりあえず、この話続けます。



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