発作的昔話

 梅雨が明けたと、このあいだ書いたばかりなのに今日は午後から雨が降り続いている。時々雷の音もする。もっとも、宮崎でちょくちょく見られる突然台風が来たのかと思うくらいの土砂降り(ゲリラ豪雨なんて名前が付く前から、南九州では突発的集中豪雨ただし半日以上へ継続せず、というような気象状況は頻繁にあったのである)ではなく、しとしとしとしと静かに降り続く雨だ。いかにも梅雨の雨みたいだけど、梅雨は明けたんだよなぁ。でも本当に明けたんだろうか。半井さんが天気予報に出なくなってから、とんと天気予報は見なくなったし、気象庁のいうことも信用できないので、もしかしたら梅雨未だ明けずという敗北宣言でも出て来ないかとネットのニュースを探してみたが、とりあえずは見当たらない。

 そんなとりとめのないことを考えていたら、いつの間にか6月も今日までである。さて、1年の半分を振り返ってみても、何もいいことはなかったような気がすると書きかけてちょっと待てと頭の片隅で誰かが言う。そんなことはないぞ、藤井君のライブも見れたではないか。ストリート音楽祭では宮里陽太のバンド御大山下洋輔のグループも2日に渡って見れたではないか、佐山雅弘のソロ・ピアノも堪能したではないか、とここまで振り返ってみると、なんだ楽しかったのはすべて音楽関係ばかりではないか、ほかにもっと楽しいことは無かったのか、友達はいないのか、オレは、と何だか逆上しそうになってきたが、ワハハ、友達なぞおらんわ。人間所詮死ぬときは一人。何が友達じゃ、ぬるいこと言うとるとだちかんぞ。と、あらら、これはどこの方言だったか。確か昔のテレビコマーシャルに出て来たフレーズだったか。でっかいどう、北海道、ちっちゃいどう、H居だどう、とこれは70年代後半にDRACにいた人間でないと分からないギャグだな。

 まあ、とにかくこんな静かな雨の降る日は人生を振り返ってみるのもいいかもしれない。などと書くと、なんだまた修学院の話か、大学時代の話かと言われそうだが、今日はもっと前の中学生の頃の体験で、先ほど雨音とともに思い出した、正直言うと思い出したくない記憶の話を書いてみたい。

 僕は父の仕事の関係で、中2までは宮崎の延岡市というところにいたのだが、中3に上がる年に宮崎市に引っ越すことになった。いわゆる親の転勤ですな。ここで、宮崎をご存じない方にちょっと解説。宮崎県は太平洋に面した県で、南北に長い海岸線を持っています。てなこたぁ、どうでもいいか。ま、延岡市というのは旭化成の企業城下町で、一時は景気のいい時もあったが僕が中学の頃はすでに青息吐息に近い状態で、人口も都城市に抜かれたか、抜かれる直前位だった。つまり宮崎県ではナンバー2か3の位置づけであった。宮崎市は勿論県庁所在地で、県内ナンバーワンのシティだったのよ。何しろ、延岡の中学生は全員丸刈り、つまりボーズ頭で制服着て、雑嚢を肩から下げて通学していたけど、風のうわさによると宮崎は中学生でも長髪、かばんは手提げかばんで制服もブレザー風だとか。そりゃあなた、ちょっと色気づき始めた中学3年生になるかどうかの時期。ボーズ頭の延岡から長髪、自転車通学可能な宮崎に引っ越すんだから、うきうきですよ。しかも、宮崎にはデパートが2つもある(当時はT百貨店、あ、偶然にも咲ちゃんちの苗字と一緒だ、それにY形屋という、それぞれ宮崎資本、鹿児島資本の百貨店がありました。今もどちらもあるけど、T百貨店はJャスコ資本が入って生粋の地元資本ではなくなったけどね)。さらにレコード店も大きなものが2つもある(H楽器店とN村楽器店という2大巨頭がおりましたが、今はどちらもありません。あ、N村楽器店は細々とやってますがCDは注文販売というアンチカスタマーサティスファイド路線を貫徹する楽器販売原理主義の店になってます。要するにCDが売れないってことだな)。そういう宮崎市で高校進学前の中学生活を送るのだから、当然期待しますね。

 で、引っ越し当日、電車で宮崎に向かった。当時、父は車の免許は持っていたが車を持っていなかったので、知人の車を借りて先発隊として宮崎の新しい家に家具や荷物を入れ込んでおり、後の家族は日曜日を使って電車、いや言葉は正確に使おう、当時はまだ汽車というべきだな、その汽車に乗って南宮崎駅というところで降りれば迎えに来ているという段取りだったのだ。降車駅が宮崎駅ではないところにちょっと僕は抵抗があったのだが、まあ南という文字は付いているが同じ宮崎市内、そんなに大した違いはないだろうと高をくくっていた。汽車は南宮崎駅に無事到着した。改札を過ぎて通りに出たら、目の間にまっすぐ道路が通っていて、車や人の行き来も多くて結構賑わっていた。

 駅前には父がいた。なんだかぶっきらぼうというか、あまり愛想が無い。今回の宮崎の家は父の友人である人があっせんしてくれたらしく、まだほとんど新築といってもいいくらいの家だと聞いていた。また部屋数も結構あるので、受験生になる僕には1部屋、僕専用の部屋がもらえると聞いていたので、早くその家に行きたくてうずうずしていた。ほかの兄弟や母親も同じ気持ちだったのだろう。おなかが減ってないか、新しい家の近くには食堂が無いので駅の近くで食べて行った方がいいと父が提案したが、そんな贅沢はもったいないし、それよりも早く新しい家に行きたいと母が言った。発言の前半部分は「ナンセンス!!」と否定したかったが、まだ当時は中学生だったので、そのような表現方法を知らず、さらに後半部分は「異議なし!!」状態だったので、あ、もちろんこういう表現方法も知らなかったが、っていい加減くどいですか、そうですか。

 とにかく、父以外の家族全員が早く家を見たいというので、憮然とした感じの父はバス停までみんなを案内した。「××行のバスに乗るから」とぶっきらぼうに言った父の言葉を耳にして、バスの時刻表を見たら本数が少ない。1時間に2,3本である。おかしいな、と思ったがそんなに気にせず、到着したバスに乗り込んだ。

 バスは南宮崎の中心部を快適に走った。途中、大きな池が見えた。それまで見たことのない景色だったので、思わず見とれていたら、バスはそこから大きく曲がり何だかちょっと薄暗い道に入って行った。周囲は木が生い茂っていて、道は舗装されておらずだんだん山の中に入っていく。「この山の中に家があるん?」と父に尋ねたら、黙って首を振った。すぐにバスはその小さな山を下り始めた。ちょっとした集落があった。ここが新しい家のあるところかと父にまたもや尋ねたら、男がペラペラしゃべるなと叱られた。そういう時代だったんだよな。九州の男は白い歯を見せるなとか、男は日に三言とか、良く言われた。そのせいか、僕は人とほとんど話さない。いいたいことがあってもじっと黙っている。耐えに耐えて、もうほとんどの人が我慢できないくらいまで来ても耐える。耐える。耐える。しかし、極限まで行ったら、雪の降る中を唐傘を差しながら歩いていく。途中で、別の男と黙って合流する。オレの目を見ろ、なんにもいううな~、って東映やくざ映画かっちゅうの。

 父に質問を遮られて、不安感はますます募った。バスは小さな集落を過ぎて、またもや山道に入っていく。その頃には家族全員に不安が伝染して、誰も何も言わない。2つ目の山を下って行ったその先に小さなバス停があった。周囲に14,5戸くらいの家がある。バス停の前が煙草屋、そのちょっと先が公民館。その横に交番。父に促されて降りたバス停の風景はそういうものだった。そりゃ食堂はない。それ以前に普通のお店やスーパーが無い。なんというド田舎だ。ここは宮崎市ではないだろう。そういったら、父親から男が小さいことをぐちゃぐちゃいうなと怒られた。父に案内されて向かった家は確かに新しかった。僕の部屋も小さいながら確保してもらった。しかし、僕が通う中学校は先ほどのバスが通って来た道を逆に行かなければならない。つまり、学校に行くのに山を2つ超えていかなければならないのだ。これが夢に見た宮崎での新生活か、と思うと泣けてきた。別れてきた延岡の同級生たち、とくに親しくしていた友人たちの顔を思い出しながら、全身の力が抜けて行った。しかし、僕の思い出したくない話は実はまだ始まっていないのだ。話はその家を2ヵ月もしないうちに引っ越した先で起こるのだ。



スポンサーサイト

コメント

物語の雰囲気が・・・

宮崎に引越だからではないですが、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の最初の場面。

引越しの時の風景とダブってしまいました。

続く物語、近くに廃トンネルなんかが有ったりすると怖い。

半井さん

半井さんの後任のお天気キャスター、美人&感じがいいですよ!私はこの人のほうが「ええなあー」と思います。私には、その気はないですが、同性の私からみてもナイギャ(ナイスギャル)だと思います、みてみて!

九州男児はしゃべっちゃいかんのですか!
だからしゃべりを押えている分、文章が長いのか(笑)

続きはやくね!楽しみにしてますv-238

言い忘れましたが

今回の私の研究所の記事、dracさんのお好きな、VOW的面白画像あります。メインの内容よりも画像のほうが評判がよくて複雑な気持ちです(笑)

最初は南側におられましたか

川の北側は書かれてるように 地方の県庁所在地なりの都会でしたが、
南側は 街として、しょぼかったですよね。私は、
今は無きアイスパレスから西に入る 大字(笑)恒久と言う所で、砂利道でした。
A水君は、月見が丘と言うしゃれた名前の所でしたけど、同じく砂利道でした。
それより南だと 言われるように かなりの田舎だったでしょうね。
そう言えば、3月にA水君と電話で話した時、秦基博は、彼の(甥位の年齢差だけど)
いとこだと言っておりましたよ。

sawyer先輩、レス遅くなりました

ちょうど、先輩のコメを頂いた日に金曜ロードショーだったかで、『もののけ姫』をやってました。久しぶりに子どもと一緒に見ましたが、僕が印象に残ったシーンとは全然違うところを彼女達なりに覚えていて、話が弾みました。

>近くに廃トンネルなんかが有ったりすると怖い。

廃トンネルはありませんでしたが、中学に向かう山への道は昼間でも薄暗くて、カラスが啼いたりすると不気味でした。それ以上に、砂利道で結構勾配があったので、自転車を立ちこぎして、それでもしんどくなったら降りて押していました。あれは、中学生でもきつかったから、今の体力では絶対無理ですね。

本日仕入れた、九州の人間についてですが

1.東北地方の市町村の名前を知らない
2.長幼の序にうるさい(そういう所はあるか)
3.口が悪い(表現がきつい)
4.似合わないサングラスをかける
5.オフレコと言って恫喝をかける

というのが、「九州の人間」の特徴だといってる人がいますが、はっきり言います。違います。

などと、話が飛びましたが、廃、ちごた、ハイ、本日続きを書く予定です。本当はきのう書くはずだったけど、寝てしまったのよ。わはは、寝る子は育つといいます。

あ、ワタクシも言い忘れました

半井さんの後任のお天気キャスターっていうのは、髪の長いちょっとおとなしい感じの人ですか?午後7時半の天気予報は見てないのですが、朝の国営放送の天気予報は見ています。なんだか、おとなしいというか、ちょっと辛気臭い感じのおねいさんがボソボソ言うとるなという感じです。半井さんは美人じゃなかったけど、小首傾げが可愛かったのです。頭を下げた後、ちょっと頷いて首を傾けるんですね。あれがチャームポイントでした。どうしてるのかな。

大字恒久は未だに砂利道のところ

ありますよ(笑)。というか、ちょっと路地裏に引っ込むと未舗装の道路や砂利道が残っています。校舎の白い壁に別れの歌を刻み込むやつがたくさんいます。その心は「路地裏の少年」なんちゃって。

K平さんが書かれているように、宮崎市は本当に大淀川の北と南では生活水準が違うというか、文化レベルも違うというか、北半球と南半球の問題をいみじくも暗示しているようなところがありました。早い話、貧富の差が激しかったのでしょう。ちなみにワタクシ、今も川の南側のスラムに近い街に住んでいますが。月見が丘のA水さんの家には学生時代に泊まりに行ったことがあります。もう、場所はおぼえていませんが。

>秦基博は、彼の(甥位の年齢差だけど)
いとこ

確かに、ちょっと雰囲気が似てますね。音楽的には興味を持てませんが。

本当に発作的ですね

マドレーヌのにおいでもかいだのでしょうか(笑)。

わたしゃ、プルートですか?

あ、プルーストか(笑)。

残念ながら、マドレーヌの匂いではなくラベンダーの香りがして、時をかけてしまったのです。薬缶はもってませんが、ってこのオチ分かる人は人生の年輪を重ねていること間違いなし。

お湯をかける少女を探したけど、ありませんでした。1分30秒過ぎあたりに、オリジナルが出て来ます。

http://youtu.be/BUoEdllPM0o
非公開コメント

プロフィール

drac ob

Author:drac ob
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

QRコード

QR

鳩時計

フリーエリア

ブログ内検索