藤井康一ライブの話、まで行かなかった その2

 昨日買ったPONTA BOXのCDを今聴いているのだが、これが実に大当たり、大当たりの海水浴場って、それをいうなら大洗の海水浴場ですが、いや、吉田美奈子のボーカルが素晴らしいのは当然として、1曲目の「バードランドの子守唄」のヤノピがしびれます。佐山雅弘のリリカルなピアノにバカボン鈴木のベースがからんで、あれ、ポンタの太鼓は?と思わせるところがミソですな。こういうの聴くと、やっぱしロックはクソガキの音楽で、いい歳こいた大人が聴くものじゃない、50過ぎた人間はロックなんか聴いたらいかんと特定年齢者制限ロック禁止法案みたいなものが、必要ではないか。そういう国民運動を起こして真のポンニチ人たらしめんといかんのではないか、などという考えが浮かぶくらい素晴らしいのだ。

 えーと、そういうヨタ話はさておき、藤井君のライブを見てきた話を完結しないとどうも収まりが悪いのだが、はっと気がついてみたら彼のライブから早1週間以上、正確に云うと10日は経過してしまっていて、いったいぜんたいどうしてそういうことになったかというと、これは連日仕事が忙しくて、残業しても追い付かず家に持ち帰ってなんとかしのぐなどという、まあ、仕事でけへんやつが一杯資料持ちたがるんですよ、僕なんかこれだけですよ、これだけと片手にパイプ持って頭髪は9:1というか見方によっては1:9の分け方をしている関西弁のオッサンは最近見かけないな、あのオッサンが出ていた「ルックルックこんにちは」って番組も最近見かけないが、どうしているんだろう。江本の子供を産んだんじゃないかと噂された、ってもういい。いったいいつの話をしているのか、混乱してしまう今日この頃でした。

 いや、言い訳するわけじゃないけど、実はこの週末、そう金曜の夜か土曜日には藤井君の話を書いてしまおうと思っていたのだが、金曜の夜にナニゲニ、某ヤマダ電気というところに行ったのが運のつき。そこでばったり、昔の同窓生に会った。このblogにもたまにコメント書いてくれるYKZ君である。実はこの男、高校の同窓生であると同時に、僕の実家の斜め向かいに家があり、まあご近所さんでもあるのだ。高校に入って、そうそう、同じクラスだったS尾君のいとこということで、親しくなり、ちょくちょくレコードの貸し借りをしたり、終わりのない話を延々としたり、さらに彼は生徒会の役員(あれ、会長じゃないし副会長でも無かった、会計だったかな、忘れた)だったこともあり、僕が計画した文化祭アフターファイブ総決起大会(懐かしき旧制高校はしょっちゅうこういうことをしていたのではないか的ファイアーストーム)が未遂に終わった時も、その一部始終を見ていたはずだ。

 まあ、世間一般的には腐れ縁とでもいうような関係でもあるのだが、確か彼は東京の会社で働いていたのだが、今回の震災で東京の事務所が大変なことになり、大阪の事務所に単身赴任しているなんてメールを今年の春先に貰ったきり、そのままになっていた。そうだ、もうひとつ思い出した。こういうことを書くとアレなのだが、僕は現役で大学に進んだが彼は一浪して進学した。そんなことはどうでもいいと言えば、どうでもいいのだが18,9歳の時に立場が大学生であるのと浪人生であるのは雲泥の差があって、まあ、そういうときのエピソード話です。

 当時の僕の実家は平屋で、その一番端っこの東側の4畳半(フォージョーハーフという日本のロックバンドもありましたが)の部屋が僕の部屋でした。そして75年の夏、7月の下旬に帰省してきた僕は、その4畳半で昼夜逆転の生活をしていたのだが、ある晩のこと例によってもう深夜零時を過ぎた頃、ぼんやり煙草を吸っていた僕はただならぬ気配に気がついた。「殺気!」、このあたりの感覚は伊賀の影丸をリアルタイムで読んでいた方にはおわかりだろうが、どこかで誰かがこちらを見ているという感覚、しかもそれは単なる感覚ではなく、現実的に物音として聞こえた。我が家とYKZ君の家の間にある生垣がガサガサ揺れたかと思うと、何とランニング姿のYKZ君が登場したのだ。「うす」とかなんとかいって、片手をあげて、窓を乗り越えて僕の部屋に入ってきて、机にあったハイライトを1本とって火をつけて旨そうに吸う。僕はあっけにとられて「なんや、お前、何しに来た?」と聞いたら「いや、受験勉強に行き詰って、気分転換に大学生の方のお話を伺いに参りました」などと、こちらを持ち上げる。窮鳥懐に入れば、なんとやらというが、要するに毎日受験勉強で汗水たらして苦しんでいるのに、ふと下を眺めると(彼の部屋は確か2階にあった)、極楽とんぼみたいなアホ大学生が訳の分らぬ音楽を流していたり、ときにはチャイニーズタイルをがちゃがちゃ言わせて「あ、それポン、ドラ3ね」とか、「あー鳴くな、鳴くな、この流れがいいんや、下手に食うと積られる、ほら、見てみいや」とか「ローン、単騎は西(シャー)で待てって、ほんまやな」とか、言語明瞭意味不明瞭な会話を伴った亡国遊戯をしていたり、まあ、要するに、人が遊んでいるのを見ながら己は苦行を強いられるという、賽の河原的状況に日々あったので、夜の受験勉強の合間ちくっと息抜きに来たということらしい。

 まあ、こちらも一人で暇をしていたのでいい話相手が来たと思い、なんだかんだバカ話をして、明け方の5時くらいになると「ほな」とかいって帰って行った。まあ、受験勉強の毎日でストレスがたまっているんだろうな、オレなんか偶然現役で大学行けたから良かったけど、ひょっとしたら浪人して今頃は彼のようにストレス抱えて勉強していたかもしれん、情けは人の為ならずというし、今日はいいことをしたと思いながら夏の朝のまだ陽が昇る前の涼しい時間に布団に入り惰眠をむさぼったのである。

 しかし、ちょっと考えてみると僕は現役で大学に入ったが、それは決していいことではなかったのではないか、という考えもある。だいたい、D大に進学したのも高3のぎりぎりの時に父親がそれまで絶対ダメだと言ってた私立大学の受験を関西だったらいいと許可してくれて、そんなに情報収集もしてなかったワタクシが蛍雪時代をぱらぱらめくって決めた進学先で、しかも大学入ったのか学生会館に入ったのか良く分からないような学生生活だったわけで、ああいうことなら浪人して初志貫徹すべきだったのではないか、そうしておけば今頃は、などと考えても詮無いことなので止める。

 で、僕は夏休みの寄生虫、ちごた、帰省中だったので、そのまま寝てしまったがYKZ君は補修科の授業があるので高校に行ったはずだ。あ、補修科というのは、僕たちの通っていた高校の独自の制度というか、予備校が産業として成り立たなかった時代の宮崎県の高校教育の補完物というか、高校を卒業したけど大学受験に失敗した生徒を格安の授業料で補習授業してくれるという、官製予備校みたいなもので、僕の高校の補修科は結構名前が通っていたため宮崎県内のあちこちの高校から通っている生徒もいた。この補修科に通っている連中は全員高校を卒業しているわけだから、今考えれば私服でも構わないと思うのだが、全員制服で授業時間もほぼ高校に準じていて、まあ校舎の外に出るのは自由、じゃなかったのかな、夏休みに帰ってきた僕は補修科に遊びに行って、自主学習していたS尾君を喫茶店に誘って駄弁った記憶があるが、彼が次の授業は出ておかないと講師がうるさいとか言っていた。

 この補修科というのは、現役高校生にとってはタブーというか、お前は補修科に行けと担任から言われることすなわち現役合格は無理だということなので、オレは補修科には絶対行かんぞ、そのためだったら大学はどこでもいいという極論を言いだす連中も多かった。僕が体験した補修科エピソードにはこういうのがある。僕の高校の近くに美味しいラーメン屋があって、まあ、名前は英雄軒とでもしておこう。そこのラーメン屋は土曜の午後とか平日の夕方は僕の通っていた高校の生徒で占領されるお店で、特に中間テストや期末テストの頃は、そこでラーメン食べて英気を養い、それから自宅に帰って何時間もテスト勉強をするというのが、典型的高校生であった。あるとき、高校3年の定期テストの時だったが、午前中の試験が終わり、腹をすかせた僕は英雄軒にまっしぐらに行き、そこで麺デら(麺デラックスの略で、いわゆる大盛り。ちなみに肉デラというのもあって、そちらはチャーシューメンのこと)を食べた。当然、店に置いてある週刊マンガを見ながら食べた。で、なんのマンガだったかは忘れたのだが、どうにも話の筋が良く分からないものがあり、これはバックナンバーを確認しないといかんと思い、それから手元に以前の雑誌を持ってきて本格的に読みだした。多分10冊以上は読んだと思う。ようやくストーリーが分かり、一人納得してふと周りを見ると誰もいない。先ほどまでは芋の子を洗うような人口密度だったのに、今は広い座敷にたった一人。ローンリー、アイムミスタロンリーなどとJET STREAMのテーマを口ずさみたくなるような光景であった。

 そのとき、誰かが刺すような視線でこちらを見ているのに気がついた。おそるおそる、その視線のほうを見ると店のオバちゃんで「あんた、そんげマンガばっかり読んじょったら、あれじゃ、来年は補修科じゃわ」とボソっと呟いた。その言葉を聞いた瞬間雷に打たれたように僕は立ち上がりダッシュで家に帰り、試験勉強をした、と思う。ま、そういう感じのね、公立予備校みたいなものでした。

 で、そのYKZ君、それ以来味をしめたのか、毎晩僕の部屋に来て寛いで駄弁って、煙草を吸いまくっては明け方に帰るという日々が、かれこれ1週間くらい続いただろうか。その日も「ほなまた」と片手をあげて、颯爽と生垣に消えた。消えたと思ったらすぐに「コラッ、タカシ、お前はなんしよっとか!!」という罵声が聞こえた。間違いであって欲しいが、どう聞いてもYKZ君の父上の声である。書き忘れたが、彼の父上は立派な教育者である。その教育者の息子が、夏のまだ朝明るくなったばかりの時間に生垣から、パジャマ姿で出て来るというのは一体どういうことか、いや、どうみても勉強するふりしてサボっていたというのが丸見えである。僕は、徹夜明けのぼんやりした頭で、朝一番から父親の説教食らっているYKZ君の姿を想像して、気の毒だけど、まあ自業自得だよな、だいたいあいつは人の煙草を吸うばかりで一度も買ってきたことが無い、手土産は一度だけ猿酒を持ってきただけだもんな、オレは悪くないよな。あいつが勝手に人の部屋に来て、タバコ吸って喋っていただけだから、みたいな言い訳を頭に浮かべながら爆睡してしまった。

 それからしばらくは流石に夜なかに遊びに来ることは無くなったが、ほとぼりが冷めた頃やってきた。当然、親にばれたときの話になったが、まあ、煙草を吸っていたことはばれなかったようで(いや、僕はばれていたと思う。親が気がつかないふりをしてくれたんだろう)、さんざん説教されたが、まあ気にしてないみたいなことをいっていた。あああ、ダメです。もう寝る。この話も中途で終わり。次回はちゃんと落ちのある話を書くので、それまでしばし、休憩なのだ。藤井君のライブの話に行きつくのか、不安になってきた。しかたがないので、若い頃の藤井君の人柄がしのばれる動画を貼っておきます。もしもオーティスが…。



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コメント

あのですね

いくら何でも「補修科」は無いだろう(笑)。
昔、市役所とか町役場で「すぐやる課」とかそういうのはありましたが、大宮高校に工事現場の修繕を教えるような過激なシステムはなかったですぞ。いやしかし。私が知る限り、私の周辺の落ちこぼれ組のほとんどは3年になったあたりから明るく補習科を目指していたような気がする。みんな行くんだから俺もイカネバ、と思ってた節もあるし。
そういえば、そんなことで親に叱られたこともあったなあ、と遠い目で思い出します。こっちはやっと覚えてるかいないかなのに、管理人の記憶力の凄さに感嘆しますが、その記憶力、大学生くらいまでで無駄に使い果たしていないかい(笑)?

で、最後に学園祭のファイアーストームの件だけど、あたしゃ、最後にみんなで円陣組んで学園祭を打ち上げよう、の実行委員長してたのよ。生徒会の役員なんて恐れ多いですわ。
考えてみれば中止させられた理由と言うのが、消防署への届出や帰宅時の安全等、今になって考えてみれば、センセーあんたらが面倒くさいからだろうとすぐわかるのだが、管理人さん、2年後の君だったら実行できてたぞ。かなりの揉め事と共にですが。

当時は嫌だったけれど

今になると、中二の時点で合格圏外だった私が、
SOUTH高校に合格できたのは、中三夏休みの補習の
おかげであったと 実際に感謝しております。
塾にも家庭教師にもお世話になることなく、
補習で、確実に学力が向上したと思います。
こちらの中高は、そう言うことはやっておらず、
余計に あの当時の宮崎は、学校が教育に
熱心だったんだなあと 見直しております。
まあ 私の場合は、そうやって合格した高校が
息苦しくて 合わなかったのが残念です。
学区制が無ければ、BIG-PALACE高校に行きたかったですよ。
drac-obさんを浪人にしてたかも しれないが(笑)。

お、無事に飛行機は飛んだようで(笑)

そうか、「補習科」だ。「補修科」だったら大工さんか左官さんだっちゅうの。俺たちの行ってた学校は建築科だったのか(笑)。もっとも、ワタクシは大学は私立の文系だったのですが、何故か工学部でもないのに白衣着る人が周囲にいたな。破壊工学科なんて自称していました。

あー、お前さん執行部じゃなかったんだっけ。当時、生徒会室を堂々と出入りしていたから、てっきり執行部の一員だったと思い込んでいた。君は確か整備委員会のメンバーだったけど、生徒会ではなかったのか。ま、当時の生徒会は地方税の高額納税者が多かったよな。早い話が喫煙室みたいなもんで。ところで、↑のエントリーは実は夜の部まで書くつもりだったけど、眠くて力尽きた。気が向いたら続き書くのでヨロシク。

要するに経済格差ということでしょうか

ひとつには貧乏県で、平均所得も低いし、官尊民卑の思想が根強かったので、高校も大学も国・公立に行くのは親孝行、私立に行くのは財産食いつぶす極道みたいに思われてましたよね。ま、自分がゴクツブシの極道であることに異議申し立てはしませんが(笑)。

それと、予備校や塾に行くのはやはり経済的に恵まれているというか、親が異常に加熱していると思われていた傾向ありませんでした?補習は全員横一線で、夏休みや早朝、夕方を活用して行われていたから学校の延長ってイメージでした。まあ、でも補習って「ヨダキー」ものでした。そういえば、補習の教材費って、安かったけどボリュームライセンス的に考えたら、結構な金額になりますな。うーん、そこに教材屋と学校管理職の間に癒着というか、札束ヨーカンという疑惑はあったのではないか、って余計なお世話でした(笑)。

ある地方の進学校

えー、最初に断っておきますが、これはあたしの出身高校の話ではない、断じてそうではない。
ある地方進学校の卒業生がデスね、卒業してしばらくしてかつての同級生と話をしていた。その同級生はどっちかっつーと真面目な秀才クンだったんだが、高校時代にどんな勉強をしてたかという話になった。そしたら彼は、高校時代に自分の高校の先生から個人授業を受けてたと言うんだ。
いやいや、そっち方面ではないよ。日活とか女教師油地獄とかが浮かんだチミ、現実は決してそういうものではない。
進学校の先生たちが、小遣い稼ぎなのか教育熱心のあまりか、自分の学校の生徒を家庭教師や塾形式の少人数クラスで、夜、教育していたというのさ。
これでは流石のリコーマイティーチャーも出番がないわな(笑)。
札束ヨーカンがどうだったかは知らんけど。

あ、もしかしてあいつの話か?

などと書くと、何だやっぱり宮崎の田舎の高校の話か、などと思われるな(笑)。

しかし、実際ありうる話だと思うね。露骨に言ってしまえば高校3年生を担任で持った先生であれば、少しでもいわゆる「有名大学」に入れるチャンスがあれば、「個人授業」も厭わずという熱心な人もいただろうね、当時は。もっといやらしいことをいうと、何人現役で国立大学に合格させたかが、教師の指導力として評価されていた、筑波中教審路線の時代の話だから、おっといかん、まるでボーリョク学生が言うようなことを書いてしまった。

そういう意味ではワタクシ、高3の担任には感謝しています。なんつっても、生徒の自己申告通り受験させてくれたもんな。おかげで20人以上いた男子生徒で現役で大学入ったの、あ、オレとY尾君だけだ。あのころからの腐れ縁であったか(笑)。
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