藤井康一ライブの話、まで行かなかった

ライブチラシ

 行ってきました。見て来ました。およそ4年ぶりの藤井康一、ウクレレ抱いた渡り鳥のソロ・ライブ。以前のエントリーに書いたように、ライブ会場が普通のライブハウスで無いことは、その立地からも分かっておりました。何せ、ビルの名前が西銀座ビル。ザギンですよ、ウェストザギン。場所も宮崎の夜のメインストリート、中央通りの雑居ビルだけに、一抹の不安はあったのだが、それはいい意味で裏切られた。まあ、いいか、せっかく藤井君の楽しいライブの話を書くのだ。ゆっくり、のんびり現在と過去を行ったり来たりしながら書いていこう。

 そもそも、ワタクシと藤井康一君の出会いは、あの銀閣寺にあったサーカス&サーカスのおかげである。正確に云うと、そこでバイトをしていたサークルの仲間であるS戸君のおかげなのだ。場所はサークルのBOXだったか、僕の下宿だったか、それともS戸君の下宿だったか、今では定かではないのだが、彼が僕に「おまえ、サラ金ブルースって知っとる?」「は、サラ金、何?」「サラ金ブルースや、歌っとるのはウシャコダちゅうブルース・バンドなんやけどな」「ブルース・バンド、また辛気臭い話やな」「いや、それが、もうめっちゃおもろいバンドなんや。ギター投げ飛ばしたり、肩車したり、飛び上がったり、ああ、もう説明するのは無理やさかい、次ライブあるとき呼んだるわ。千葉のバンドやけど、ヤマハのイースト・ウェストの78年のグランプリバンドやで」「へえ、関東の8.8ロックディみたいなやつやな、イースト・ウェストて」。というような会話が行われたのが79年の春先だったか。



 というのも、ウシャコダを初めて見たのはS戸君のバイトしていたサーカス&サーカスであるのは間違いないが、夏場のエアコンの利いているときだったのか、それとも冬のちょっと寒い時だったか曖昧なのだ。さらにサーカスでは最低でも3回以上は確実に見ているはずだし、拾得には先輩のT原さんも一緒に行ったし、磔磔でも一度見ている。で、その頃のデータがどこかに無いかと考えたところ、そうだ、磔磔の過去のライブデータを見ればいいと気がついて、78年から81年3月まで見なおしたところ、ウシャコダは79年の5.24と80年の6.3の二回に渡って磔磔では演奏している。京都でライブをするのに、磔磔だけということは無いので、確実にその時サーカスや拾得にも参戦しているはずだから、磔磔の履歴から79年の春に最初に見たんだろう。もうひとつ年代を特定する方法としては、79年当時すでに大学5回生だった僕より、上の先輩だったT原さんと一緒に拾得(この時は冬に間違いない。熱燗飲んだ記憶がある)では見ているし、その時にはアンコールに「ザンバ」コールをしたので、結構ウシャコダ常連さんになっていたはずだ。つまり、T原さんが大学にいたときなので80年ということはあり得ない。よって79年の冬には、何度目かのライブを見ていたのだから、初見は79年春という結論が導き出せる。これが演繹法だよ、ワトソン君。あ、違った?

 いや、実はこのエントリー書くために、これまでのウシャコダに関してのエントリーをぱらぱらと見なおしてみたら、結構書いてるんだな、これが。単なる名詞としてウシャコダという名前が出て来る話から、どっぷりまるごとウシャコダ話まで全部で20も書いていた。で、たいていはS戸君の紹介があって、ザンバという遊びがあって、それから30年近くたってmixiで珍教祖(ベースの恵副君のことです)とマイミクになれた話と、宮崎でリトルジャイヴボーイズのライブを見た話、でまとまっている。もっとも、ウシャコダがどんなバンドで、そのバンド名の由来だとかデビューのきっかけの話はまだそんなに書いてないので、その辺を少し。

 さっきのS戸君の話に出てきたイースト・ウェストってのは、当時ヤマハが主催していたバンドコンテストの関東エリアで、8.8ロックディというのはそれの関西エリアなのだ。ちなみにD大花の75年度生トリオと勝手に僕がネーミングしている、元気な中年トリオの一人であるPurple_Hazeさんも、8.8ロックディの76年の決勝大会にコッキー・マスターというグループで参加、見事に入賞しております。ちなみにこの花の75年度生トリオはPurpleさんがロックバンドのギタリストで女の子をキャーキャー言わせておりました。もう一人のTHIS BOYさんはS戸君のバイトしていたライブハウス、サーカス&サーカスでオープンの頃からバイトしており、お客さんの女の子にワルイことを一杯していました。残る最後の僕は別館にこもって、女の子とは無縁の学究生活をしておりました。まあ、その反動があって今では、って話がそれた。

 つまり、そのアマチュアバンドの登竜門であるイースト・ウェストの78年度大会のグランプリバンドがウシャコダなのだ。藤井君のインタビューを読んでみると、バンドメンバーが勝手にイースト・ウェストに申し込みしてきたので、大慌てで2曲練習して衣装やステージアクションを研究したらしいが、それがまともというか普通のバンドの発想じゃないんだよね。要するに自分たちは千葉県松戸市の百姓バンドなんだというコンセプト、まあ藤井君曰くアース、ウィンド&ファイアを意識したらしいが、麦わら帽に首から手拭い、野良着、腰巻、まあなんというか彼らのファーストアルバムが『土一揆』というタイトルで、田んぼの真ん中で野良仕事の服を着て、かがり火を振り回しているというジャケットから、そのコンセプトを想像して欲しい。

 さらに、バンドのメンバー・プロフィールが凄かった。これは彼らのホームページからそのままコピペします。

「ウシャコダ」千葉県松戸市、ジョーヂア州金作(キンサク)農場で生まれた快男児6人!各地のコンサートなどにおいて大好評を博し、今回のデビューをかざることにあい成る!
'78イースト・ウエスト大会最優秀グランプリ受賞!
*メンバー・プロフィール
藤井ヤクハナ(ボーカル)土地は命ぢゃ。
若山ゲゾミ(キーボード)のれば都ぢゃ。
レイパー陰ぢ(ギター)マブチモーター入り電動バイブギター。このおやぢのわざ、三段スライド・チョーキングがでるか?
中むらホラレ(ギター)名器船橋OS335がぬめる!!
胃の珍味(ドラムス)…私、ピンクのサウスポー。
種なしエッグ(ベース)…語り草にもある恐怖のだっこくベース・サウンド


 ちなみに本名はそれぞれ、藤井康一(Vo)、若山光一郎(Kb)、菅野賢二(Gr)、中村智(Gr)、井野信司(Dr)、恵福浩司(Bs)。もっとも、僕がライブを見始めた頃は、キーボードがいない5人編成だった。

 ウシャコダのデビューはイースト・ウェストでグランプリを獲得したことがきっかけだったが、このイースト・ウェストのグランプリ受賞グループは売れないというジンクスがあったみたいだ。なにしろ76年から行われているが、その最初の年のグランプリはASOCAというバンド、あ、そうかなどと洒落ている場合ではなくその年のベストギタリスト賞には野呂一生がである。つまりカシオペアも出ていた。翌77年にグランプリ獲得したのは、たぬきブラザーズ、って一体どんな連中だ!?なお、この年にはシャネルズも出ているし、サザン・オールスターズも登場して、桑田はベストボーカリスト賞を取っている。そして78年はウシャコダがグランプリなのだが、彼らの名誉のために書いておくとバンドとしてグランプリを取っただけでなく、ベストボーカリスト賞、キーボード賞、ベーシスト賞も取っている。審査員の名前を見て驚かないで欲しい。相倉久人、小倉エージ、竹田和夫、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫という当時としては、ある意味最強の審査員である。しかし、ウシャコダの演奏を見た相倉さんや小倉エージの顔を見てみたかったな。

 で、脱線ついでだけど、その頃はワタクシ京都にいましたので、イースト・ウェストのことは風の便りくらいしか知らず、77年のサザンのことも高校時代の同窓生がギターで参加していたのでO森のバンドが入賞したけど、なにやら凄いボーカルがいるらしいくなんて噂しか知らなかった。だって、僕たちにはハチハチがあったから。

 ということで、8.8ROCK DAYのこともちょっとだけ。8.8はイースト・ウェストより2年早く74年から始まっている。この年入賞したのは、オープン・チャック、ストロベリー・ジャム、山本憲一とアビーロード、ELECTRIC BANANA、ほとんど僕は知らない。入賞していないだるま食堂(当時の関西ハードロック界のドン)やウェストロード(ご存知、D大ライラックレインボウ出身の伸ちゃんのバンド)、ZOOM(飛んで、飛んでのヒットを出す前の円広志のいたバンド)などは、サーカスを始めとしたライブハウスや円山の野音なんかで見た。そして75年は凄かった。優秀バンド賞にはスターキング・デリシャス(通称スタキン、”That’s how strong my love is”を♪好っきゃで~、すっきやでぇ~、ベイビーと絶叫していたな)、ZOOM、激突モモンガ・パートII(いやあ、物凄いバンド名です)。そして個人賞のボーカルにはスタキンの大上留理子、キーボードはアイドル・ワイルド・サウスのチャールズ清水(レイジー・ヒップのデビューアルバムでもキーボード弾いていて、挙句はボーカルの千秋と結婚したっけ)。そうそう、それとこの年は高知からツインドラムのトラベリンバンドが参加していて、サウストゥサウスを解散したキー坊が自分のバックバンドにしましたな。その演奏は後年円山の野音でジミー・クリフの前座として見ました。



 この75年というのは僕が大学に、正確に云うとDRACに入った年であることは何度も書いたので繰り返さないが、この75年の8.8のライブアルバムはとにかくしょっちゅうBOXで誰かがかけていた。スタキンの演奏から始まる1枚目も良く聴いたが、それこそ擦り切れるほど聴いた(かかっていた)のは2枚目のほう。C面は山岸潤史スーパーグループwith北京一の「かたつむり」。この曲が流れだすと必ず誰かが、♪わっかいかたつむりが家を出た~と真似をしたものだ。片面に2曲しか入っておらず(それだけ演奏が長いのだが)、もう1曲は前のメンバープラス石田長生の「ストーンジャンキーブルース」。好漢八尾の浅吉親分の歌である。



 で、もっと凄いというか当時話題になったのは、D面に入っている沖縄のバンド、紫であった。紫=Purple、そうディープ・パープルに触発されたハードロックバンド。パープルのコピーも上手かったけど、オリジナルの「デビル・ウーマン」(山本翔にも同名異曲があったな)も良かったけど、やはり「ダブル・ディーリング・ウーマン」にとどめを刺すだろう。まあ、とにかくこのアルバムは繰り返し繰り返しかかったというか聴いたな。BOXに持ってきたのは大阪出身のF水さんだったと思う。ちょっと75年に時間かけすぎたので、あとは駆け足で行くと76年はサザンブリード、コールド・ラビッシュ、ファッツ・ボトル・ブルースバンドが優秀バンド。77年はグランプリが花伸(憂歌団のベーシスト花岡献治の弟、伸二のバンド花岡伸二を略して花伸というのと、ちょうどその頃のNHK大河ドラマの花神から取ったのではないかという噂もあり)、この年は後に原田伸二やチャーと一緒にROCK御三家の一人である世良正則がツイストで参加、もっともドラムの金太は金太バンドとして参加していた。

 こういうことを書いていくと切りが無いので、もう止める。ところで、今気がついたがイースト・ウェストは1回目からグランプリってのがあったけど、8.8は77年からだ。そのあたりのいきさつは昔、誰かから教わった気がするが忘れた。どなたかご存知の方はご教示ください。

 えーと、全然ウシャコダから話がそれてしまったのと、もうひとつ、ウシャコダのバンド名の由来について書いてなかった。「ザ・ブルース」とかいう音楽雑誌が昔あって、かなりマニアックなものだったが、僕のサークルにもそういう雑誌を定期購読している人間が二人いた。京都の綴喜郡という山奥から通ってきていたO崎、通称マス坊とディープ大阪から通ってくる、まいどのO畑という根クラコンビである。人数の少ないブルース班の貴重なメンバーで、どっちが教えてくれたのか、多分マス坊だと思うけど、「drac-obはん、ウシャコダの名前の意味知ってはりますか?」と聞くので「知らん、知らないことを知らないというのは決して恥ずかしいことではないと孔子も言ってる」などと素直に教えてくれといえないワタクシでしたが、「あれはブルースの歌詞にある”I wish I could”ちゅうフレーズを“うっしゃこっだ”と聞き間違えたのが理由みたいです」などと言うので、「そんなん誰から聞いたんや」と尋ねると「ザ・ブルースに書いてありましてん」。

 しかし仮定法過去完了形を聞き間違えてバンド名にしたっていうのも、なんだか分かるようでよく分からないのだが、藤井君のインタビューによると「『ウシャコダ』の名前の由来は、ジャマイカのミュージシャンが“Wish I Could”(できるならこうありたいと望む)という言葉を歌った時、“ウシャコダ”と訛って聞こえた事」とあったけど、それも何だかよく分からない。

 というような話はいい加減やめて、さっさとライブの報告をせんかという声は聞こえないが、僕自身もちょっと疲れてきたので、19日のライブ当日に戻る。

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コメント

私は去年見ました。

 私は大阪にできたジャニスという新しいライブハウスで花伸とウシャコタの組み合わせで見ました。ウシャコダは大学にいた当時よく覚えていないのですが、何年かしてから誰かにもらったテープを繰り返し聞いていました。
 トラベリンバンドのリーダー?だったジュリアンはサウスツーサウスのクンチョウ、正木五郎とローローズという名前のバンドをやってて、2年までに春一番で見てから、お気に入りで何度かライブを見ています。
 

>T原さんと一緒に拾得(この時は冬に間違いない。熱燗飲んだ記憶がある)では見ているし

T原さんと拾得で見たのが1回だけなら、その時僕もご一緒していました。T原さん在学中じゃなくて鹿児島(でしたっけ)から遊びに来られていてハタ坊(敬称略)ほかDRACメンバー数人で行ったと記憶します。
僕がDRAC入部したのが79年の夏休み明けで、入ってしばらくしてサーカスでウシャコダを見たのが僕にとって最初のはずです。まだみなさんと馴染んでいないころだったのでウシャコダのソウル・カバーを一緒に口ずさんでいた僕にハタ坊が「お前えらい古いの知ってるなぁ」みたいなこと言われたのを記憶しています。拾得の時はすっかりDRACに馴染んでいたと思いますので80年以降じゃなかったかと思います。
「ソウル・トゥ・ユー」が出たときのサーカスでのライヴのあとにアルバムとシングルにサインをもらい家にあるのですが、その時一緒にライヴ中に割れてしまったシンバルにもイノさんのサインもらっていたのですが引越し繰り返すうちにどこかへやってしまったようです。

書くねぇ

まあ、とにかく好き勝手に・・・(笑)
79年、私もまだ大学にいました(汗)
でも、サーカスには一回も行ってない気が。
ウシャコダも名前しかわからんわ。
「かたつむり」あったねぇ。懐かしい。
花伸・・・これまた懐かしい(笑)
ZOOM・・・これまた・・・・(笑)

>大阪にできたジャニスという新しいライブハウス

イメージとしては、ジョップリンのほうでしょうか。イアンだと、なんだかシンガーソングライター系のミュージシャンしか出て来ないような気がします(笑)。しかし、そういうライブが日常的に見られるから、やはり羨ましいですね。

ローローズ、チェックしてみます。メンツが渋いっすね。

ああ、そうだ、そうだ、思い込み違いだ

確かにT原さんが鹿児島から出てきたときに、ちょうどウシャコダのライブがあるからと言って一緒に見たんだよな。あの人の酒乱ぶりはすさまじいものがあったけど、ウシャコダのライブの時は妙におとなしくて、一緒に手拍子したりアンコール要請したりしてた。今考えたら、その時は学生じゃなくて社会人になっていたから、少し落ち着きが出てきていたんだろうな。

ハタ坊は、その手の音楽が好きだったから君にもそういうことを言ったんだと思う。ところで、DRAC入ったのは79年の後期だったか?そのあたりのことは、あんまり覚えていないけど、本人が言うから間違いないんだろうな。

いやー、これこそblog管理者の特権(笑)

ま、でもPurpleさんもTHIS BOYさんも、当たらずといえども遠からず、でしょうが(笑)。ZOOMは別として、ほかのバンドは未だに何らかの形で音楽やってたり、一時的に再結成したりしてるんじゃないかな。SOO BADなんかも、何回目かの再結成の演奏がYOU TUBEに出てたしね、しかも「かたつむり」やってたっけ。

歩く

○○○と呼ばれた僕が来ましたよ。
プガジャの映像、懐かしい名前ばかりだなぁ。
8.8ROCK DAY僕らは76年の出場だったけど確かにグランプリは無かった。
ウシャコダは東京に戻ってからその名前を知ったけどブルーズ・バンドだったとは知らなかった。

枯山水じゃないですよね(笑)

>プガジャの映像、懐かしい名前ばかりだなぁ。

でしょ、でしょ。実家の押し入れか倉庫の中を探したらプガジャの1冊や2冊出て来そうなんですが、まあ、探し物ってのは探しているときは見つからなくて、探すのを止めたとき見つかることも良くある話らしいですが、ハイ、とんと見つかりません。以前「ぷがじゃの時代」という分厚い新書を買って読みましたが、真面目な文化論だったのでちょっとがっかり。あのアナーキーな面白さって、ちょっと無かったんだよな。まとめ読みしてーよー。
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