ワタクシと北関東(JEP)の出会い いよいよ登場マイティーチャー編

 で、胸につのる思いどころか胸に湧くどす黒い疑惑を口先三寸のセールスマンの言葉に見事丸め込まれた僕たちは、って、この段階では先輩社員方がまさかセールスマンだとは夢にも思っておらず、とにかく明日の夜は研修の打ち上げも兼ねて飲みに行こうとHM田課長に誘われ、勤務時間に対する疑問や仕事はいったい何をするのかという疑問を持ち越したまま3日目の朝を迎えた。掃除の時間や朝礼、朝のミーティングは前回と同じなので今回は省略。そしていよいよ研修3日目、座学最終日がやって来た。黒板を前にした常務は改まった口調で「今まで二人から質問されていた仕事の内容ですが、これから説明します。二人は企画部門を希望していることは重々わかっていますが、面接で話したようにまずは営業を経験してもらいます。わが社の男性社員は全員1度は営業を経験して、そこから企画、経理、指導部その他の部署に移るという決まりがあります。」

 などと、今考えると、なーにが「二人は企画部門を希望」だ、この野郎。最初から企画部門に行かせるつもりなんか無かったんだろうが、もっとはっきり言うと82年当時、企画部門ってのはS藤課長(後年、改革の議長になった人、議長当時は顎鬚が渋かった)とH山主任(顔ははっきり覚えているのだが名前が出て来なくて、N山としていたが、違う違う、とっちゃん坊やみたいな顔したH山主任、のちに係長だったな)の二人しかいない部門で、しかもそれは水戸にしか部署が無かったやないけ、などという泣きは言いません。だって大人だもの。大人の会社には大人の事情があるんだもん、それを我が侭で自分の行きたい部署にって勝手やってたら組織って駄目になっちゃうもん、などと妙に女々しい口調になったが、これは今だから言えることであって、当然まだ20代半ばだった頃のヤングdrac-obはコーマンの怒りでもって、あ、違った、満腔の怒りでもって糾弾したかった。今更言っても詮無いことだが。

 それはさておき、いよいよ自分たちの仕事内容に入るということで僕たち二人はかなり真剣なまなざしで常務を見つめていたのだが、彼はすっと身を引いて事務所の奥の倉庫みたいなところに行き何やら持って黒板の前に来た。手に持っていたものをマグネットで(あ、マグネットだ、マグネット、いや前回「ボッチ」などと書いて「ロボタンの登場人物ではない」とエクスキューズ書いたのに誰も何も言ってくれなくて悲しい思いをしていた、あのホワイトボードなんかに紙を挟んだり、何かの目印に磁石の力でぺったんことくっつく大きさは3センチとか5センチとか大きいのは10センチくらいの直径の表面プラスティックで後ろの磁石ついてるやつ)、何やら黒板に張り付けた。問題集の1ページみたいなもので、上の題名のところに「かっこを使った式の計算」などと書いてあって、その下になにやら式だとか答えとか書くようになっていた。

 「君たちが販売するのはこれだ。カメラやコピーのメーカーでリ■ーという会社があるが、そのグループ会社のリ■ー教育機器が製造しているマイティーチャーだ」。聞いた瞬間めまいがしたというか、意味が良く分からなかった。リ■ーのマイティーチャーというのは知っている。昔、少年サンデーとかマガジンの裏ページに広告が出ていたり、ちょこっとだけテレビコマーシャルを流していた時期があり、女性の声で♪リ■ー・マイティーチャー~というメロディは覚えている。しかしあれはたしか昭和40年代の代物ではなかったか。まだ、そういうものがあったのか。という素朴な驚きだ。隣のH田君も目を白黒させている。常務は何だか知らないがエンジンがかかったというか、それから怒涛のごとくこの商品についての説明が始まった。「まず、この紙のことをシートというんだ。ほら手に取って見てごらん。表は普通の問題集見ただろう。でも上に2か所、下に1か所小さな穴が開いている。裏返してみると茶色だろう。さあ、これをいったいどうすると思う」

 などと常務は盛り上げようとするのだが、僕は裏の茶色い部分を見て『ああ。テープというかそういう感じの音声教材なんだろうな』と見当はつけていた。「なんと、この紙は魔法の紙でね、この紙から先生の声がでてくるんだ。そして子供たちひとりひとりに分かり易く勉強を教えてくれる。まるで家庭教師が家にいるみたいだろう。だからマイティーチャーというんだ」。僕はそんなん、家に来るから家庭教師やんけ、外におったら外部講師と違うんかいという突っ込みをしたかったがこらえて話の続きをきいた。「もちろん、紙から声が出るといっても、この紙を眺めているだけでは何も起こらないのは分かるだろう。だからこの紙をセットするものが必要なんだ」と言って、毎日先輩社員が会社から出るときに持っていく茶色いバッグのジッパーを開き、その中からなにやらひとかかえある物体を出してきた。「これがマイティーチャーの本体だ」といいながら机に置いたのは、見るからに不恰好で重たそうな白い機械だった。「なんだ、機械か」と僕とH田君は思わず声に出して言った途端、「機械、なんていうな、女の人は機械が苦手なんだ。お母さん方の中には機械アレルギーの人だっているんだ」と突然怒鳴る。僕は何故いきなり女の人とかお母さん方などという言葉が出るのか質問した(というか、ある意味物凄い女性蔑視というか、問題発言だな、今思うと。むろん本人にはそういう気持ちはさらさらないんだろうけど)。

これはE-200タイプ

 「何故か、だって?君は小学生の勉強は誰が見るか知らないのか。」と小馬鹿にしたような口調で常務が言うので、ちょっとムキになり「そりゃ、母親でしょうけど」と答えた瞬間謎が解けた。そうか、俺たちの仕事は母親にこのマイティーチャーという機械を売ることなんじゃないか。でも、そんなことは今まで一言も言ってなかっただろう。学校に視聴覚機器を導入している仕事をしているチームもいる、みたいな話は聞いたけど、などともう心は乱れ、頭は混乱の極みであった。「で、結局、これを売る、いわゆるセールスマンが僕たちの仕事なんですか?」と恐る恐る僕が尋ねたら、常務はまたもや意外なことを言い出した。

 「セールスマン?何だい、セールスマンって」「いや、こういうバッタもんを、いやちごた、こういう教材は世間的にはセールスマンが口先で丸め込んで売るというイメージがありますが」ともうこの際開き直った僕は鋭く突っ込んだ。「君たちが想像していることは分かるよ。この器具(そういえば絶対機械って言わなかったな、当時の常務は)をぶら下げてあちこちの家に押しかけて売りつけるというイメージだろう」「違うんですか」「はっはっはっは、まったく違うね。君たちはアポインターになるんだよ。アポインターの仕事をまず覚えてそれをマスターしたらアポクロになって最終的にはクローザーになるんだ」「あぽいんたー?あぽくろ?くろーざー?」と僕とH田君ははいからパクチーのように一緒に声を出した。そうえいえば朝先輩方が現場に出る直前にHM田課長が「H田くぅん~、しっかり研修受けるようにね。今日帰ったら飲みに連れていくけどその前に決め手七則を覚えたかどうか質問するからね」というなんだかわけのわからないことを言ったっけ。そのときにH田君が常務に「決め手七則って何ですか」と質問したら、「あれはクローザーの、あ、いや、気にしなくていい。今日、ちゃんと教えるから」とあいまいにしたことがあった。あのときにすでに布石は打たれていたのか…。しかし、聞きなれないアポインターとかクローザーとか一体なんだろうという疑問をはらみつつ今日のお話はここまで。続く。



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コメント

>あれはたしか昭和40年代の代物ではなかったか

中学時代に学校でマイ・ティチャーを使わされました。72,3年ごろですね。磁気を含んだペラペラの円盤を乗っけて読み取るやつですよね、当時使ってもなんじゃこりゃとおもったものです。80年代半ばにそれをセールスするって、普通は信じられないですね。というかまだ生産されていたのが不思議です。いかにもいかがわしい会社という匂いがプンプンですね。

続くぜ DRACより

私宛の餌かなと わかっていたものの すぐ反応せず 失礼しました。
ボッチと言えば、「ボッチのパパ(財津一郎)」ですね。
バカボンのパパと並ぶ「このキャラクターには この声」でした。
蛇足ながら 家内の兄のニックネームが、「ボッチさん」です。

おお、これは実は初めて見ました。。ちょっと検索しましたが割と普及してたんですね。おれより5~6歳若い人でも使ってたみたいだし、四国に普及してなかったのか、それともおれ以外知ってたりして。。ともかくCMも知りませんし、不思議というか置いてかれた感が生まれたというか、一度使いたかった。なんてこった。。。

いや、でも当時は使いたいとはまったく思わないでしょうが(笑)それにちょっとあれですよね、中流階級のご家庭がターゲットなんでしょね。

ボッチだと寂しくて...死んじゃうの・・・ってウサギさんかっ!

申し訳ない。
まさかdrac-obさんが構って厨だとは思いもせず・・・

ところで、今度から突っ込む場所をわかりやすく指定して頂けませんか?(太字で表示するとかw)

どーも九州人はそーいうの苦手で...(笑)

文部省の指定教材として主に複式学級や

研究指定校に導入されていた。ただしマイティーチャーというのはリ■ーの商品名だから、学校では本来の名称、シート式磁気録音機いわゆるシンクロファックスという名称だったはずだけどな。まあ、先生によってはダイレクトにマイティーチャーと言ってた人がいたかもしれんが。

ところで、後から書くつもりだったがこのマイティーチャーしっかり80年代を生き残り、さらに任天堂のjファミコンに使われたICチップがリ■ー製だった関係で、ファミコンチックな付属品も開発されてその名もパーソナル学習システムになるのは、今ではごく少数の人しかしらない。このあたりの話はちょっとおちゃらけを除外して、日経あたりの連載記事みたいなエントリーにする、かもしれない。

流石はK平先輩、ボッチのパパの

声優が「まかせて~ちょーだい」の財津一郎だったというニッチなところを突いてきました(笑)。しかし、ボッチのテーマソング♪ボーッチ、ボッチ、ボーッチ、うひゃひゃ、ききき、ローボタンの勲章なんかおんぼろだい、うひゃひゃ、きききってのはいったいなんだったんですかね。で、今、ゆちゅぶって見たらインド人もびっくりしたロボタン発見。ボッチをご存じない方は、ご覧ください。布団からふっとんだ(ここシャレ)ロボタンが着地したベッドにいるのがボッチです。しかし、ロボタンってどらえもんの旧タイプみたいなもんだな、良く見ると。

http://youtu.be/RoNA4hM-nWc

いや、四国にも販売網はあったと思います

中国マイティーチャーという強力な販社があり、毎回コンテストにも入賞していました。四国もそこから遠征というか合宿販売していたのか、あるいはさぬきマイティーチャーとか道後マイティーチャー、マドンナマイティーチャーとかその手の名前の販社が…、あるわけないか(笑)。

>中流階級のご家庭がターゲットなんでしょね。

でもないんですよ。一番売れたのは結構経済的には厳しい家庭だったと思います。両親が自分たちが苦労した分、子供の教育にかけたいという願いを込めて購入してくれるんですね。それで、その意気に感じた子供はしっかり使って成績も上がるのですが、やはりその時だけ夢中になって後はおもちゃにしてしまう子も結構いて、そういう家庭に学年が変わる時期に訪問するとつらいものがありました。大金持ちの家に売れるようになるのはファミコンタイプの付属品が付くようになってからですね。しかし、僕もマイティーチャーをググってみましたが、blogで書いている人のほとんどが若いセールスマンが来て売ったって書いてますね。まあさすがは、営業のリ■ーです。

>ボッチだと寂しくて...死んじゃうの

誰がそんなこと言ったかよ(怒)。いや、ワタクシの予測では鉄人に反応があるなら当然グリコ系列のロボタンも反応があるのではないか、という「小さな灰色の脳細胞」がもたらした結論だからなのだ。

などと、ズトさんの日記知らない人には何のことか分からないかもしれませんが(笑)。

>今度から突っ込む場所をわかりやすく指定して頂けませんか

こういうところが、やはり新課程の人たちは弱いんだな、やはり国立一期校、二期校世代の旧課程でないとあかん、ちゅうこっちゃ。あれ、ところで君、出身地をずいぶんエリア広げて発言してないか?まあ九州人ではあるけど、南九州人、さらには熊襲系列の薩摩人だよね。などと、どうして僕は鹿児島をコケにしたがるのか、今後のエントリーでその謎は解けていくはずです。こうご期待。

> さらに任天堂のjファミコンに使われたICチップがリ■ー製だった関係で
あれ?
ファミコンのチップはシャープ製ですよ。
だからシャープは任天堂がディスクシステムなんてのを出した際、カセットとディスク両方使えるツインファミコンなんてのを自社製品として販売できたわけで。

マイティーチャーは6歳年上のいとこが使ってました。
小学生のときいじらせてもらって、シート入れてボタン押すと声が出るんで驚いた記憶ありますね。
さらに驚いたことに、あれ録音機能もあって、
いとこはブランクシートに自分で録音した教材自作してました。

でもそれも70年代の話。
私の時代にセールスマンが売りにくるインチキ教材の典型はカセットテープ数十巻とテキストのセットでした。

訂正、CPUでした

なにしろ、この一連のエントリーはワタクシの記憶頼りで書いているのであちこちに間違いがあると思うが、その都度ご指摘いただけたら幸いです。

えー、ライターは誰だったか忘れたがダイヤモンド社あたりから出ていた、ファミコン開発秘話みたいな新書に、任天堂がファミコンの開発を始めたとき当時の山内社長が単価を1万円台にしろという言明が出たと書いてあった。そのココロは大人は子供のおもちゃに2万以上は出さないというもので、1万代でもトンデモじゃないかと思った僕はビンボーだった、なんてことはどうでもよくて、とてもその単価では出来ないとスタッフが困っていたところを、男度胸のリ■ーが『なら、格安でやったろうやないけ、これが男の生きる道』と格安でCPUを作ったなんて美談が書かれていたけど、実際は稼働率1割の工場を何とかするためだったらしいです。

ネタ元
http://www.nintendo.co.jp/n10/interview/mario25th/vol2/index.html

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/special/20081002/1019378/?P=2

で、リ■ーの黒歴史
http://famicon.s348.xrea.com/entries/19870210_shinjinrui/

これで遊んでる子供見たことありますが、眼が完全にイってました。ゲームについていた長州力のアドバイスも頭が痛くなるもので、やはりプロレスラーはバ■なんだ、と確信しました。あ、実はこれ以外にもリ■ーはマイティーチャーの付属品用にしょうもないゲーム作ってました。タイトルが『朝日のガンマンVS夕陽のガンマン』って見ただけでクラクラ日記(by 坂口 三千代)でした。

あちゃ~~

いえいえ、チップって言ったらCPUも含みますからね。こりゃ完璧私の大間違い。
うろ覚えでいい加減なこと書いちまいました。すいません。
そうか初代ファミコンのみリコーの技術なんだ。どこで勘違いしたんだろ俺。

しかし参照URLまで添えてご説明いただけるとは、なんだかんだ自嘲されても当時のお仕事に対するプライドを感じます。

ファミコン開発当時ちょっとした話題でしたが

まあ、リ■ーのイメージではないですからね。僕もずっとリ■ーのコストダウンの賜物と思っていましたが、リンク先のインタビュー読んだら、どっちかいうと鼻から牛乳じゃない、棚からボタモチみたいな話ですな。

>なんだかんだ自嘲されても当時のお仕事に対するプライドを感じます。

ありがとうございます。さすが、かくたさん、ワタクシの隠れた本心を見事に、って、まあなんだかんだ書いてますが、仕事が本当に嫌いだったら13年間も持ちません。バブルで大失敗しなければ、多分僕はずっとこの会社にいたと思います。そうなっていたら、また今とは違った人生、な訳ないか。
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