ワタクシと北関東(JEP)の出会い 研修2日目が終わり、そして編

 というわけで、話が少し先に行ったが実はまだ研修2日目の午前中だったことを思い出した。そう、2日目の午前中に「挨拶」の話が出て、そこからN沢社長の宮崎支社屋上の権力闘争(おい、いつの間にか名前が変わってるぞ)の話になり、まあせっかくだからもうちょっとN沢社長の人となりを書いておこうということで昨日のエントリーになったわけだ。しかし、その研修2日目にどういう話があったか、正直大分忘れている。それでも断片的というか多少記憶が前後しているかもしれないが覚えているエピソードはこういうものがあった。

常務が「ある日本人がニューヨークのレストランでライスを注文したら嫌な顔をされた。なーんでか?」などとおちゃらけた言い方ではなかったが、まあ休憩を兼ねて問題を出したのだ。僕は、たぶん”a rice”とかなんとか言ってしまって通じなかった、こういう時は”a cup of”とか”a dish of”とかつけるんだみたいな、英作文ミニテストみたいなことかと思ったら、どうやらその日本人は「ギブミーライス」と言ったために”Give me lice”と受け止められて、相手に嫌な顔をされたんだって(要するに”rice”=“お米”ではなく”lice”=”シラミ(複数形)”となっていたからという落ち)。日本人はアールの発音が苦手なので、「ライス」と発音するのではなく、気持ち「ぅ」という音声を入れて「ゥライス」と発音すると通じる、何しろ私(でたー、社会人は自分のことを「私」というのだぞ、と厳しく教え込まれたなぁ)は、コンテストの表彰式で何度も海外に行ったから、と最後は何だか良く分からない自慢話をされたり。

 あ、あともう一つ覚えているのは漢数字の書きかた。「H田君、黒板の前に行って1から10までの数字を書きなさい」などという指示が大真面目で出て、意味が良く分からないままH田君は黒板の前に行き、チョークを取って1から10まで順番に数字を書いた。「じゃ、その数字の下に漢字で1から10まで書いて」と、なんだ、こっちが本命の質問だったのかと焦りながらH田君は書いたが、どうも自信は無さげだった。「ハイ、××君(オレのことね)、笑ってないで今度は君が書きなさい」と指示されて、正直な話「壱」は書けたが、「弐」が出て来ない。確か「武士」の「武」に似ていたはずだが、と思い出そうとするが出て来ない。そうするうちに「三」は「参」では無かったか、いや「四」は「支」では無かったかともう頭は混乱して収拾がつかず、黒板の前で立ち往生していると、常務から「大学まで行って何習ってきたんだ、こんなもの小学生でも書けるぞ」などと嫌味を言われる。

 その瞬間カチンときて、『てやんでー、こちとらまともに出た授業なんか数えるくらいじゃ、ボケェ、試験フンサイのストはバンバンやったけどよ』、などと言ってしまえば採用取り消し間違いなしなので、ぐっとこらえて「小学生は漢数字は書けないと思いますが」と力なくカウンターを返すしかなかった。こちらのカウンターを余裕でダッキングした常務は「じゃ、いいよ。次は100、1000、10000という漢字をそこに書いて」と言うので、今度は自信たっぷりに「百」と書き、「千」は確か左側にコザト遍が付いたはず、「萬」は間違うわけがない、麻雀でマンズには全部これがついていた、と今度は何とか書くことが出来てメンツが保てた。しかし一体全体これは何の研修だろうと怪訝な顔をしていたら、「君たちもこれから仕事でお客さんに領収書を書くことがある。領収書にはアラビア数字と漢数字の両方を書かないといけないことくらいは知ってるだろう(何、知らない、これだから最近の学生は、というような表情をしたことをワタクシは見逃さなかった)。その漢数字の練習だ。じゃ今から正しい書き方を教えるから今日中に必ず覚えてるように」なんて言われたな。いや、もちろん今時の領収書はアラビア数字だけで十分だけど、まだ昭和のその頃は漢数字で記入して確認するなんて商慣習は残っていたと思う。

 まあ、そういうエピソードみたいなものだけではなく当然本格的な講義というか授業もあった。そう、研修2日目の午前中だというのに、僕とH田君はいまだにどんな仕事をするか教えてもらっていなかったのだ。そのことを尋ねると「教育の仕事だよ。教育産業の仕事」などとあいまいなことを言うのだが、2日目の午後になってついに「教育理論」をやると言い出した。そこで最初に聞かれたのは「どうして教育は必要か」という、こりゃまた哲学的というか、答えに困るような大雑把な質問だった。どういう答えを出したらいいか、もう考えるのも面倒だったので「読み書き計算が出来ないと生活できない」とか「人が生きていく最低限度の知識であり、手段だと思います」みたいなことを二人で交互に応えていたら、「うーん、正解は正解だけどな、もうちょっと絞って、そうだね、今の日本という国で考えたらどうだ」などと、これまた雲をつかむようなことを言う。

 もういい加減疲れたから、「武士ゲバルト権力の最終形態であった江戸幕府の鎖国政策以降、海外との交流が無かった後発帝国主義国家である日本が、先進帝国主義に追いつき追い越すために『富国強兵・殖産興業』のスローガンのもと、下級武士と公家によるクーデターである明治維新を貫徹し、自らの国力を確保増強するために、軍事力を確保するために読み書きの徹底、正確な情報伝達の手段として教育を位置づけ、ええと要するにブルジョワ教育フンサイ、ツクバチューキョーシン路線断固粉砕、闘争貫徹」みたいなめちゃくちゃ言うたろかと思ったが、僕の座右の銘である「ならぬ堪忍するが堪忍」という言葉を思い出して、ぐっとこらえて耐えていた午後1時45分という情景があった。いや、はっきりはもう覚えていないのだが、先ほど書いたようなこともあながち間違いではなく「義務教育と徴兵制」の話などもあったし、まあまとめると資源の無い我が国では加工貿易で経済を成り立たせていたが、今ではモノを加工して輸出するだけではなく技術そのものを加工して輸出していくことが、世界経済の中で成長を続けていくために必要であり、そういう技術を世界の競争からぬきんでて勝ち取るためにもより質の高い教育が必要である、みたいな話だったかな。そういえば、その少し前だと思うがソニーの井深大氏が『幼稚園では遅すぎる』なんていうベストセラーを書いて、幼児教育の必要性を訴えたりしていた、まあそういう時代だったのだ。

 そういうわけで、とりあえず僕もH田君も教育産業の会社に就職したわけだし、これから自分たちが働く教育産業についての研修、訓話はさすがに真面目に聞いていたのだが、それでも実際に何をどうする仕事なのか良く分からない。そのことを常務に質問すると、「焦らない、あせらない、ひとやすみ、一休み」とまるテレビの一休さんみたいなことを言って、インスタントコーヒーを勧めるのであった。結局、2日目の研修も学校教育の必要性とか指導要領の改訂だとか、まあそういう包括的な話だけで終わり、夕方にはまた3人で薩摩料理のお店に行き、今更何を言われても気にしないぞという態度でビールを飲んで飯を食って、さすがに2日目は先輩たちが返ってくるまで寮で待っていようとH田君と話し合った。

 その日も何時になっても誰も帰ってこなかった。10時過ぎには二人とも風呂にも入り、その日の研修で習ったことが翌日テストされると言われていたので、ノートや参考資料なんかを眺めていたのだが、あ、そうそう僕たちの部屋ではなかったがHM田課長と経理のH高さん(もちろん男性)の部屋にはテレビがあり、夜見ても構わないと言われていたので、11PMなんか見ながら「遅いなぁ。まさかこんな時間まで仕事してるとか」などと、気にはなっていたのだが、それを言ったらおしまいじゃないか、でもどうしても口に出して言いたかったという決定的なフレーズがH田君の口からでて、それを聞いた僕は「まさか、だって面接のときに就業時間は9時から18時、ただ営業だから多少遅くなることはある、と言ってたけど」「でも××君、昨日、今日の研修聞いてて何だかおかしいと思わんか。いったい何の仕事をするのかいまだに教えてくれないし、黒板に赤い丸い磁石でくっつくやつ(正式名称はいまだに知らないのだが、僕たちはその物体を『ボッチ』と呼んでいた。残念ながらロボタンの登場人物の名前ではない)が何個か貼り付けてあったけど、あれも何か意味があるはずだよね」「うん、HM田課長のところに2個、O山主任のところに1個ついてたよね。明日常務に聞いてみようか、ていうか今日、先輩たちが帰ってきたらちゃんと聞こうや、勤務時間とか仕事の内容とか」

 というような会話をしていたが深夜零時を過ぎても誰も帰ってこない。もう二人とも眠くて仕方がないのだが、どうしても先輩たちに会って話を聞きたい、いったいどうなってるんだという疑惑の心で起きて待っていた。ボーンと時計の音がした。「あ。1時」と思った瞬間玄関のドアが開き、大きな声で話声がした。「お疲れ様です」、こういうときは元体育会系だったH田君が素早い。帰ってきた先輩の前に座り頭を下げて挨拶だ。僕も右へ倣えである。「どーしたの、君たちは。こんな遅くまで。あしたも研修でしょう、寝た寝た」とHM田課長。「すいません、先輩たちに伺いたいことがあって待っていました。質問よろしいでしょうか」とやはり体育会系は上下関係を重んじた発言をする。「なに、どうしたの」「はい、昨日もお帰りが遅かったんですが毎日こんなに遅いんでしょうか、あんまり遅いと心配です」「あ、いや、ほら私たちはみんな話し好きなんだよ。いや、会社にはもっと早く10時、いや9時過ぎには帰ってきてたんだけど、これからの会社をどうしようかとか話しているうちに遅くなったんだよ。あ、そうそう、二人ともお酒が強いんだって、明日、一緒に飲みに行こう。うん、明日は9時過ぎには帰ってくるから」

 という会話があったのは間違いない。しかし、どう考えてもHM田課長の答えはおかしかった。いかに話好きであっても仕事が終わってから4時間も話し続けることができるんだろうか。お酒を飲みながらではないのである。営業して帰ってきて、そのまま事務所で4時間?正直信じられなかったが、まだこの段階ではそういうことも世の中では、堅気の会社では、シホン主義の会社ではあるんだろうな、という気持であった。これがトンデモナイ大噓であることは翌日バレルのであるが、とりあえず今日はここまで。明日はいよいよ幻のリ■ー・マイ・ティーチャーが登場する、かも。



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コメント

読み進むにつれて

やはりトコトン怪しい会社でしたなぁ(笑)
まぁ、今で言う“ブラック企業”ですか...

「鉄は熱いうちに打て」とはよく言ったもので、情熱に燃えた若い人間は、かくもこう簡単に騙されてしまうものなのですねぇw

いや、ホント良い勉強になりました。

ん~辛抱たまりませんなこりゃ、早よ続きをww

いや単なるブラック企業ではないというか

最初にきちんと話をして、こういう仕事だと提示すれば…、あ、社員が集まらないか。まあ、当時の訪販の会社なんてどこだって同じようなやり方で人を集めていたんだと思うよ。そういう中でもこの会社は営業スタイルは正攻法で、ちゃんと訪販法や割賦販売法の研修もあったし、教育一本でやっていればそれなりに「新年にはばたく地元企業」として少なくとも北関東と南九州は制覇できたと思う。

ま、バブルですな。それと、これはちょっと書くのは止めようと思っているけど、本社にいた連中のおどろおどろしい権力闘争と愛と憎しみのネバー・エンディング・ストーリーもあるんだけど、当然まだ存命中の方も多いので、バイヤーなんだよね。

まあ、僕が思うに若い人が会社とは何かとか、世間とはどういうものか、ワタクシ的に言わせて頂くとシホン主義社会を理解するにはいい学校だったと思うけどね。

ども、応援子コメントありがとうございます

いったん書き出すと、いや正確に言うとキーボードを打ち始めると、いろんなことを思い出してきて一気に話が進むんですが、ちょっとでも休んでしまうと再開するのが億劫になる話なんですね(笑)。なんといっても資料らしい資料もないし、当時のことを知ってる人は何人かいるけど、まさかblogにアップするから話を聞かせてくれというわけにもいかず、ひたすらワタクシの「小さな灰色の脳細胞」のメモリー・バックアップが頼りです。

しかし、まあ、思い出すもんです。↑のライスの話や漢数字のエピソードはタイピングしているうちに思い出してきて、本人が一番びっくりしています。この後、さらに濃ゆいキャラクターの純粋茨城人が続々登場する予定です。
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