ワタクシと北関東(JEP)の出会い どてらい立身出世編

 歳月人を待たず、とは昔の人はいいことをいったもんだ。あれこれしているうちに、もう4月、新年度がスタートしたわけですが僕は依然として北関東に出会うことが出来ず迷路の中にいます。だいたい前回、といってもこの前アップしたのが3月の24日とかれこれ10日近く前なので拙blogをお読みいただいている皆様方はストーリーの続きがお分かり頂けるかどうかはなはだ心もとないのだが、まあかまわない。前回はどてらいN沢社長のエピソードをちらりと書いたが、話の行きがかり上もう少しこのN沢社長のことを書いていきたい。前回登場した時はまだ部長だったが、僕が入社した時は勿論社長であり会社案内の最初の見開きのページに満面笑みをたたえた写真があったっけ。しかしながらワタクシが入社した82年当時の会社案内は白黒で、そこに乗っていたN沢社長の顔写真も当然白黒で、果たして写真映りのせいなのか、それとも掲載された写真がずいぶん古かったせいか、そこで笑みをたたえているN沢社長は髪は真っ黒で、見た感じは30代後半くらいにしか見えなかった。今思えばそれが不幸な出会いのアプリオリであった。

 話は一気に飛んで、僕たちの研修が終わり、現場に配属になった頃だから82年の2月の後半あたりだったか、あ、そうだ、オレ、最初研修は鹿児島で1週間だけと言われて、当然着替えやその他もろもろの荷物などは1週間分しか持ってきてなかったのに座学の研修3日間が終わるやいなや現場に出され、それでもなんとか週末を迎え来週からは自宅から通える、ようやくプライバシーというかプライベートな時間が持てる、イェイ、なんて喜んでおったら、鹿児島の支店長というかまあ、九州の支社長なのだがHM田課長が「あ、××君もせっかくH田君といっしょに研修を受けて仲も良くなったことだから、今月いっぱいは鹿児島で仕事したらどう、うん、それがいいわ、そうしよう」とこちらの意見は一切言わせず、無理やり予定組みされたので、ここはひとつしっかり抗弁しておかないとこのままズルズルベッタリで押し込まれたらあかんと本能的に判断し「あ、すいません、お言葉ですが両親にも1週間の研修と言ってきていますし、第一着替えなどもありません。お金も1週間分しかないので、この週末は宮崎に帰していただかないと」と話しながら、あれ、ヤバい、こういう話し方だと「じゃ、週末宮崎に戻ってご両親に事情を話し、着替えやお金を、あ、お金はいいよ、会社で仮払い出すから、心配しなくてもいい。××君は免許持ってないんだよね。だったら往復の電車代もいるでしょう。それも会社で立て替えるから」と言われたらどうするのだ、と慌てていたら、大体想像していた通りのことを言われて週末、つまり土曜の夕方現場から西鹿児島駅に送ってもらい電車で宮崎に戻り、着替えなどを準備してまたもや灰の降る鹿児島に戻ったのだった。

 で、泣く泣く鹿児島でグループセールスの仕事をしていたのだが、普段からジーンズにスニーカーという生活をずっとしていたため(要するに大学6年間)、革靴になじめない僕は膝を痛めてしまい、2月の終わりの頃は足を引きずって歩く、ええと差別だなんだと言われるとあれだが、要するにビッ■を引いていたのだ。■の中に入る単語は残念ながら「チ」ではないって当たり前だのクラッカーである。えーと、回りくどい話だが、要するにある雨の午前中に僕たちは確か記憶では伊敷町の団地のあたりだったと思うのだが、そこをテリトリーとして営業活動をしていた。その日、K波多さんという関西出身の面倒見のいい先輩が私用のため遅れて現場に合流するという話を朝のミーティングの時に聞いていた僕は、雨に煙る道を1台の黄色い軽自動車が走ってくるのを見て、「お、あれはK波多さんに違いない。気がつかないといけないので合図を送ろう」と思って、持っていた傘を思い切り上下左右に振っていたら、こちらを認識したようでその軽はスーッと僕の前に停まった。

 ドアが開いて、覗き込むと見たことのない中年のオッサンがにこにこしながら僕の方を見て「君が××君か、足は大丈夫か?まあ乗れよ、車に」と馴れ馴れしく話しかけてくる。まだ入社してそれほど日が経っていなかったが、こういう人は見かけたことがない。大体、当時の鹿児島の社員は支社長のHM田さんが26歳、最年長のO山主任が27歳、あとは全部20代半ばから前半くらいの人ばかりだったので、研修を受け持った常務以外、オッサンみたいな人はいなかった。しかしながら会社の営業車(汚い軽のポンコツだけど)に乗って現場に来るし、僕の名前や足を痛めいていること、出身が宮崎だということなども良く知っていて「どうだい、この仕事は。大変だろうが、今は理屈抜きで思いっきり汗をかいて覚えればいいから。焦らなくても大丈夫だぞ」などと話しかけてくるので、ハイ、ハイと返事はしていたけれど、いったいこのオッサン何者やという気持ちに勝てず、つい言ってしまった言葉が「あのー、大変失礼ですがどちら様でしょうか」。

 運転していたオッサンは腹から大声を出して笑いだして、その笑い声はしばらく止まらなかった。そしておもむろに僕の方を向いてこういった。「社長だ」。

 やってもうた、もうアウトや、お前の体はフェイドアウトや、消え入り果てていくんや、と頭の中で町蔵の歌声と演奏がガンガン響き渡るが、しかし、なにくそ、就職氷河期を、いや単にオレが留年して自ら作り出した氷河期ではあるのだが、そこを突破して2時間以上の面接もクリアして、脳みそ腐りまくりそうな研修も我慢して(エントリーではまだ2日目の途中までしか書いてないが)、ようやく入れたこの会社、こんなことで首になっては申し開きが効かんと、もう心の中は半泣き状態で「失礼しました。申し訳ありません。お顔は会社案内で拝見しただけだったので、分からなくて、というか、あの写真は髪が真っ黒で、いや、そのイメージも別人28号で、ビルの町にガオー、夜のハイウェイにガオーで」ともう言い訳にもならないことを言ってるうちに車は全員が集まっている場所に着いて、「おお、みんな揃ってるな。ちょっとコーヒーでも飲もう」と社長の鶴の一声で全員喫茶店に集合して30分ほど雑談をした。僕はもう生きている心地がせず、『おまえもういいから』、かなんか言われて首、というか、万一そんなことを言ってきたら不当解雇糾弾、我々は戦うぞと一発、いや、あかん、あかん、折角堅気を装って会社入れたのに、そんなこと言うてあいつはちょっとアブナイ奴と違うかなどと痛くもない腹を探られるのは、いやこの場合明らかに痛い腹を探られるというか身から埃はぼろぼろ出るから、ってオレは何を考えているのだ状態で全くコーヒーを味わうどころではなかった。

 結局、セイガクあがりのアホ社員が社長の顔も知らんと仕事しとったんか、ということをその日の夜HM田課長にねちねちと説教があったのは言うまでもない。しかし、「オレもずっと社長をやって来たが、今日ほど情けない思いをしたことはない。社員から『あんた誰ですか』と言われたのと同じだぞ、HM田ぁ!!!!お前は何を教育してるんだ、そんなことだから九州は売り上げも上がらない。ボーナスも自分たちで稼げないから関東から金を送らないと経営がなりたたん、そんな会社があるか!!!!」みたいな話が間違いなく2時間はあったと思うね。このWho are you?事件の顛末はHM田課長が仙台の支社長として異動になるときに初めて聞かされて、大変申し訳なく思ったっけ。ま、アフターマスじゃねーや。アフターフェスつまり後の祭りってもんですな。

 とまあ、僕とN沢社長はこうして無事出会うことが出来たのだが、折角なのでこの人のお話をあと少し書いておく。N沢社長の出身は信州の山の中である。JEPが羽振りの良かった頃はお盆休みや正月休みの時に営業成績の良かった拠点のマネージャーや、いわゆるトップ・セールスの人はN沢社長の自宅に呼ばれて、そりゃもう物凄い酒池肉林というか、まあゴーセーな接待を受けたらしい。もちろん単なる中間管理職だった僕などお呼びがかかるわけもなく、まあ直接招かれた人から聞いた話では、確かに信州の物凄い山の中だが家は旧家みたいで、真田の六文銭の旗や刀、ようするに真田家のゆかりの家だと。このあたりは僕は聞いた話なのでなんとも言えないけど、真田は真田でも幸村一派はほとんど壊滅状態だったはずだから、兄貴の方の一派なんだろうか、などと考えても良く分からない。まあ、そういう家の出身だということ。

 それで、高校を卒業した後、縫製というかスーツの仕立てみたいな仕事に就きたくて東京に出て来たそうだ。で、このあたりはちょっと記憶が定かではないのだが、銀座の赤鬼とか青鬼だったか、まあそういう通り名で呼ばれる腕のいい仕立職人がいて、そこに弟子入りしたのだがその鬼は茨城出身で口が出る前に手が出るというか、何一つ弟子には教えず嫌がらせみたいなことばかりされたらしい。で、ちょっとでも泣きを入れそうになると「こでができねならぐにさけぇれ」(これが出来ないなら田舎に帰れ、みたいなことを茨城訛りで言ったと思ってください)、などと言われ夜みんなが寝静まったときに悔し涙を流しながら「絶対茨城の人間と仕事なんかするもんか」と誓っていたらしい。もっともこの手のどてらい話に付きものの、最初は冷たく突き放すけどそれは愛情の裏返し、お前に伸びてほしいからだよ、てな、まあ今でいうツンデレってやつだったらしく、その赤か青の鬼のところを辞めて、自分で商売を始めようとしたら、普段ろくすっぽ話をしない師匠が何やら紙に書いた書付をくれたらしく、それを見ると「熱、誠意、努力」と書いてあり、人間どんなに落ちぶれてもこの3つがあれば必ず道は拓けると教わり、以来その言葉はN沢社長の座右の銘となり、おかげでJEPの社訓として毎朝唱和させられる羽目になった。

 仕立ての仕事というか、たぶんに衣料関係、今でいうアパレル関係の仕事がN沢社長の最初の仕事だったらしいが、そこを独立したのが20代後半で、何故かこの人雀荘のマスターになるのだ。このあたりが良く分からないのだが、とにかく自分で商売がしたい、アパレル関係でため込んだ小金を使って、安い物件を手に入れてそこで雀荘を開いてマスター、マスターと呼ばれていい気になっていた(これはご本人から間違いなく聞いたな)らしい。その雀荘を30前までやっていたが、ある日徹マンが終わったテーブルに投げ銭の様にゲーム代が置いてあるのを見て、このままじゃいかん、このままでは自分はろくなものにはならんと思い、すっぱり雀荘経営を辞めた。

 辞めたものの、遊んで暮らせる身ではないので何か働かないといけない。それもこれまで雀荘などというバクチのあぶく銭をかすり取るような仕事をしていたので、精神がなまってしまっている。ここは自分を追い込んで厳しい仕事をしようとやり始めたのが車の配送の仕事。当時、新車を納入するには製造工場で出来た車(シートがまだ設置されておらず、ブリキの缶を座席替わりにしていた、というが本当なのか分かりません)を、指定された時間に届けるという陸運の仕事があったらしい。それも乗用車ではなく2トントラックとかその手の工事関係の車を雪が積もった山を越えて横浜から山梨までとか、まあ何だか良く分からないがその手の仕事をしていたらしい。当時の車だから当然クラッチだし、座席はブリキ缶だし、外は雪景色でタイヤがスリップする中、涙を流しながら走ったらしい。この話はたぶん僕が在籍していた13年間の間で、年に最低3回は聞かされたので約40回ほど聞いた。その話を聞くたびに、なんでそんな涙流すような仕事をしなければならないのかちっとも分からず、とはいうものの、そんな態度はおくびにも出さずうーん、と頷いたふりを良くしていました、ハイ。

 で、その運送の仕事をしたあと、しばらくぶらぶらしていたがある日新聞に求人募集が出ていて教育の仕事というフレーズにひかれて訪れたのが水戸の市役所の隣にあった茨城教育機器株式会社、つまりイバキョウ。要するにのちのJEPである。そしてその何年かのちに宮崎の屋上でのバトルがあり、見事N沢さんは会社の最高権力を奪取するのであった。ちょっと駆け足で、昔のノートも見ずに記憶頼りで書いたので多少事実誤認のところがあるかもしれませんが、まあこういうどてらい話があったんですわ。で、雀百まで踊り忘れずという言葉があるようにN沢社長、最初のファッション関係の仕事をどうしてもやりたくてもともとは教育産業の会社なのにカタログ通販の仕事なんかやるんですな。まあ、目標がシアーズ・ローバックだったというのもあるんだろうけど。さて、次回こそは研修2日目の続き、いよいよ僕たちがどんな仕事をするのかベールを脱ぐ時がやってきそうです。ま、種明かしをもうこのエントリーでちょっとしてるけどね。というとこで、また。

 おっと、最後になりましたがここ最近で一番感動した話のリンク貼っておきます。エガちゃん、男やのう!!
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コメント

それは仕方ないでしょう

まさか、社長が軽自動車に乗って迎えに来るなんて思いもしませんものw

似たような話で、沖縄出張から戻ってみると、オフィスにくたびれたオッサンがおりまして、「なんだ?新しい集金業務のオッサンかな?」等と思っておりましたところ、実は中途入社してきた高校の同級生だった、という。。。


ま、微妙に外してる感もありますがw、よくある事なんじゃないでしょうか(笑)

君のケースは相手が同級生だろう

こっちは入社間もなく、最高権力者が相手だっただけになぁ…。その日何にも言われなかったのが、かえって不気味でしょうがなかったっけ。あ、確かHM田課長から、「何でそんなこと言ったの」みたいな指摘は受けて、「会社案内の写真とあまりに違ってたので」と言い訳したのを覚えているな。まあ、HM田課長も大人だったから、こっちのことは不問にしたんだろう、たぶん。

そうそう、例の山師ですがその後目立った動きはなさそうです。残念ながらUSTにアップするのは無理かも(笑)。

山師

改めて考えてみたんですが、“口蹄疫”関連の仕事という部分からして、浄水器なんじゃないですかねぇ(笑)

お隣の韓国では、埋設による地下水汚染がニュースになっていましたし。

近くだったら間違いなく皆でコッソリと見物に行くのに...残念(笑)

あ~鉄人28号の歌詞忘れてました。昔はシールを机なんぞに貼ってましたが。つーことでグループセールスか面白そうですね。
江頭の動画きになるけど今見るとあれなんで、のちほど股うかがいましゅ。

あー、なるほどね、放射能で汚染された水も

この浄水器なら大丈夫、なんてことを平気で言える人たちですから(笑)。

>近くだったら間違いなく皆でコッソリと見物に行くのに...残念(笑)

どうせガ■トとかジョイ■ルあたりのファミレスに誘って延々何時間も缶詰にするくらいが関の山だろうけど、マルチじゃあるまいし。誰も付き合わないちゅうの。しかし、タケちゃん一人だったら、洗脳される危険性大だな、面白そうだから見捨てるか、ってウソウソ(笑)。

グリコがスポンサーだった一連のSFマンガは

子供心に痺れましたねぇ。鉄人28号に郵政少年パピーに、「誰だ?」「人呼んで郵政仮面」ですよ。

あ、郵政仮面だと亀井のオッサンになってしまうか。遊星仮面ですな、もちろん。しかし、「人呼んで」って誰が呼んでるんやって話もありますが…。

で、小学校の確か2年生だったと思うけど、グリコの検証に応募して遊星少年パピーのペンダントが当たったときは嬉しくて、学校にしていこうとしたら勉強の道具以外を学校に持っていくとは何事だと親からずいぶん怒られたことがありました。だって、首から下げたらカッコ良かったんだよ~(泣)。
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