ワタクシと北関東(JEP)の出会い プロローグその3

 「誰にも言うな、というのはどういう意味でしょうか」、あまりにも唐突な言葉だったので思わず聞き返したら、彼はにっこり笑って「いや、実は僕、あの会社を辞めた人間なんです」とますます混乱するようなことを言い始めた。なんと答えていいか分からず、黙って助手席に座ったまま前を見ていたらその雰囲気を察したのか、「宮崎から来たんですか、今までは何をしていたんですか」と尋ねてきた。どこまで話していいのか良く分からなかったので、適当に「ええ、これまではいろいろアルバイトしていました」と答えると、彼は大きく頷きながら「なるほど、この会社が初めての就職ですか。うん、いい会社ですよ、実にいい会社です」と自分自身の言葉をかみしめながら言った。しかし、である。僕はココロの中で「そんな。適当言うたらあかんやんけ、あんた、辞めたんやろ、ちゅうことは何らかの不平不満があったんちがうけ、それを『いい会社だ』なんて、なんぼなんでもなめとるんと違う。こんなん見えてもなカカアや子供に不自由させてヘンのんじゃ、ハハハハ、お前らといっしょにすな、このタニシ」と、最後のほうはINUの「おっさんとおばはん」の中のせりふだが、正直この迎えに来てくれた「よかにせ」(かごんま弁で僕のような人のことをいう)は信用ならんぞ、と身構えた。

 その感じが伝わったのか運転していた彼は話題を変えて「しかし、今日は大変でしたね。駅で心細かったでしょう。この会社は本当にいい会社だけど、ときどきこういうポカをやるんですよ。まあ、それがご愛嬌ですけど」などとエクスキューズのつもりなのかやたら愛想よく話しかけてきた。僕は生返事をしていた。突然大きな陸橋が見えてきてその手前の細い道を曲がるとビルの駐車場に着いた。「さあ、ここです。ここの4階です。荷物持ちますよ」と彼は言うのだが、こんな正体不明の男に荷物持たせたらどうなるか分からないので、「大丈夫です」と僕は答えてボストンバッグを抱きかかえるようにして、彼と一緒にエレベータに乗った。余談だが、てつ100%というバンドに「エレベータに乗って」という曲があり、歌詞は「エレベータに乗って」というフレーズが延々と呪文のように続く。そして最後の最後で女性の声で「エスカレータで降りた」という落ちの曲がある。いや、ただそれだけです。ちょっと思い出したものだから、あ、ヒットしたのは「TOKYO TACO BLUES」って曲ね、こういうの。



 エレベータを出ると左手に鉄のドアがあり、そこにもカッティング・シートで「日本教育企画株式会社」と書いてあった。男は勝手知った顔でノックもせず「ただいま」などと言いながら事務所に入り、立ち止まっている僕に入るよう目で促した。「失礼します」とあいさつをして入ると、かなり広い事務所で壁の2面が大きなサッシの窓になっていて目の前に中洲陸橋が見えた。もひとつ余談だが、この中洲陸橋を駅と反対側のほうから昇ってくるとちょうど一番高い位置の時に、この会社の窓が目に入り中の様子が一瞬見える。あるとき、契約の決まったお客さんの家で雑談していたら、①「おはんの会社は厳しかなぁ」というので「そうですね、営業会社だからそれなりに厳しいですけど、大体どこもそんなもんじゃないですか」などと答えたら、②「いや、無理せんでよかよ。お宅の会社は毎朝成績の悪い社員を立たせちょっどが」などという。「立たせる?は、どういう意味でしょうか」と聞き返すと、③「あたいは毎朝中洲の陸橋を通っどん、おはんの会社の中が見ゆっと。たいてい誰か彼か立っちょっど。そんで、がられちょっど」。あ、かごんま弁講座を取ってなかった人のために和訳しますね(和訳って、もう日本語じゃないぞ、笑)。

① 「あなたの会社は(しつけが)厳しいね」。
② 「いや、無理するなよ。君の会社は毎朝成績の悪い社員を立たせているだろう」。
③ 「私は毎朝中洲陸橋を通るから君の会社の中が見えるんだよ。(そうすると)たいてい誰かが立っていて、叱られているよ」(かごんま弁翻訳ソフトは使っていません)

 おずおずと事務所に入ると、入り口にカウンターがありそこに眼鏡をかけた女子事務員がいた。僕を送ってきた男は「無事にご案内しましたよ」と、ちょっと演技がかったような口調で言った。女子事務員は目じりを下げながら「お疲れ様でした。今日の午後に常務が来られる予定ですよ」と答えた。こいつはこの男に惚れてるな、と直感したが、研修を受ける身の上なので黙っていた。「え、ヤバいな(笑いながら)、じゃ、今回の名簿を借りたいけど、どれかな」という男に、事務員は何やら茶封筒を取り出して渡した。「じゃ、今度来るときに帰すから」と言いながら男は部屋を出ようとして、振り向きざま「これから研修ですね、しっかり頑張って早くトップセールスになれるよう頑張ってください」と今度は結構真面目な顔をして僕に言った。「ありがとうございました」とお礼を言いながら『トップセールス、ってどういう意味だろう』と頭の中で考えていた。男が帰った後は、事務員は机に向かって何か書き物を始めて、こちらには一瞥もくれなかった。

 おなかがすいたのに気がついて、時計を見るともうすぐお昼になる時間帯だった。机に向かっていた事務員が僕の方を振り返り「お昼は何か持ってきてますか」と尋ねた。今だからいうけど、あんまり可愛い事務員ではなかったし、そのものの言い方がいかにもつっけんどんだったので、ちょっとムッとして「いや、特別指示を頂いてないので何も持ってきていません」と答えた後、『しまった、どうして敬語でしゃべってしまったんだろう、後手に回ったからしばらくは敬語でしゃべらないといかんようになったな、まあ、でも新入社員だからしょうがないか』ということをフルスピードで考えながら、そんなことはおくびにも出さず顔は満面の笑みをたたえていた。その、僕の100万ドルの笑顔を完全にスルーした事務員は「良かったら出前のお弁当取りますけど、食べます?」と聞くので、そこは1も2もなくお願いした。電話で出前を注文した後、外線がかかってきた。「にほんきょういく、きかくでございます。あ、ご苦労様です、ハイ、お見えになってます。いえ、一人ですけど、あ、もう一人、あ、そうですか、ハイ、わかりました、そう伝えておきます。ハイ、ご苦労様でした」。電話でやりとりしながらちらちら僕の方を見るので、これは研修を担当する常務と話しているんだろうと見当がついた。しかし、電話の口調と言いちらちらこちらを見る態度はあまり感じのいいものではなかった。

 「今、常務からお電話がありまして、もう一人センダイから研修を受けにくる方が午後1時までには来られるそうです。常務は飛行機が遅れて1時半くらいに到着する予定なので、それまで会社案内など見ておくようにとのことでした」と事務員が言った。会釈の「え」の字もない対応だった。もっとも後で知ったのだが、この女性は根っから人見知りが激しく慣れるまで時間がかかる人らしかった。その後毎日顔を会わせるようになると、それなりに笑顔も見せてくれた。しかし、僕が研修を終えて宮崎に配置になった後すぐに寿退社でいなくなった。口数の少ない女子事務員と一緒に食べる弁当は全く味気ないものだった。あんまり味気ないので、会社においてあった新聞を断って借りてずっと読んでいた。文章もすべて鹿児島弁で書いてある地元の南■本新聞なので、ほとんど何が書いてあるか分からなかった(ウソです)。なにしろ見出しに「おやっとさぁ」と書いてあるのだ(これは事実です)。弁当を食べ終え、ぼんやり新聞を読んでいると突然ノックの音がして扉が開いて真っ赤な顔をした男性が駆け込んできた。

 「遅くなりました。」と大声で挨拶した男は僕と同期入社することになるH田君だった。N体育大学出身のスポーツマンで、陰日向の無いいい男だった。で、大変恥ずかしい話ですが、僕はその頃鹿児島に「川内」という市があるのは知っていたが、その名前を「かわうち」と読んでいたので「センダイから研修を受けにくる方」というのを、東北の仙台だと思い込んでいて、お互いに自己紹介した後に、彼に向かって「訛りがないですね」などと言ってしまい、それを聞いたH田君は僕のことを「妙なことを言う男だな」と警戒していたらしい。まあ、しかしどちらも初めての就職だったのでスーツは浮いてるは、革靴は痛くてたまらないわ、タバコを吸うのにも気を使う、まあ初々しいものだった。

 「ただいまぁ」という大きな声がして、ドアが開くとそこには以前面接をしてくれた小柄な常務の姿があった。「いやー、××君、H田君、お待たせしました。本当は前の日に鹿児島に入ってるはずだったんだけど、ほらツイチュウで忙しくてね。あ、ツイチュウと言っても分からないよね。いわゆる繁忙期ってやつです。ははは、もうお昼は済んだ?じゃコーヒーを飲んでから研修に入りましょう」。常務が入って来たときに、僕はよほど駅での待ち合わせをすっぽかされたこと、正体不明の男にここまで送ってもらったこと、その男に口止めされたことを話そうかと思ったが、この会社の人間関係も良く分からないし、ある程度様子が分かってから話した方がいいような気がしたので黙っていた。すると、「ああ、××君、今日は申し訳なかった。いや、いつもはH高という経理の男性社員がいるんだけど、彼に迎えに行くよう言ってたんだけど、どうしても今日来てくれというお客さんがあって、うちはお客様第一主義、あ、これは研修でじっくり説明します。そういうことで迎えに行けなかったけど、迷わずに来れた?」と突然聞かれた。僕は事務員の視線を感じながら「ハイ、大丈夫でした。意外と駅から近いんですね」などと当たり障りのない返事をしておいた。

 遅い午後の研修が始まった。最初は会社の歴史を企業案内を使いながら説明された。もともとS藤会長という人が作った会社を今の社長が引き継いで、そのかじ取りの正確さとカリスマ性で最初は水戸と宮崎だけの会社だったけど、あっという間に下館を作り、大宮(いや正確には与野市つっても今はどちらも存在してない地名ですが)を作り、鹿児島を作り、今年は東北と北海道にいよいよ進出すると、これは面接でも言っていた話をまたもや延々と話された。しかし、いったい何をやる会社なのかどうも良く分からない。5時になりその日の研修が終わるときに「何か質問はありますか」と聞かれたので、思い切って「僕たちは何の仕事をするんですか」と尋ねたら、「まず注意しておきます。今日から学生気分を捨てろ(いきなり大声になったのでマジで一瞬びびった)。学生気分を捨てるためには、学生言葉を使うな。今後一切「僕」などという言葉は使わない。自分を表す一人称は、社会人は「わたし」という、それを今日は覚えればいい。仕事については慌てなくても3日間の研修でしっかり教えるから、(突然、笑顔になり)じゃ、これで終わるので今から寮に行って少し休憩して、それから晩御飯を食べに行こう」。

 なんだか狐につままれたような感じで、研修の終わりの挨拶をして常務から寮に案内してもらった。なんと会社のあるビルの3階と2階が社員寮になっていて、僕たちは2階の寮にはいることになった。常務がカギを開けると3DKの部屋がそこにはあった。和室6畳が3室、バス、トイレ、キッチンという今では誰も入らないような間取りだが、82年当時はずいぶんしゃれたマンションに見えた。僕たちは(休憩時間に自己紹介し合って、ちょっと驚いたのはH田君も全く同じ年で、しかも大学を留年しているところまで同じだった。大変残念だったのは、彼は卒業しており学士様で、僕は中退者だったというところだ)、「会社の寮に入るっていうからには最低でも一人1部屋だよね、まさかタコ部屋じゃないよね(笑)」などという会話をしていたのだが、常務が案内した部屋は1部屋でH田君が「こっちが僕、いやわたしの部屋ですね。じゃ××君の部屋は?」と尋ねたら、まったく動揺せず「あ、二人で使ってこの部屋は、本当は6畳の部屋は3人部屋だけど君たちは特別に2人で入っていいって支社長の許可ももらってるから」。僕とH田君はお互い目が点になっていた。

 「さあ、ぼんやりせずに荷物を整理したら食事に行こう。さっき教えてもらった与次郎のレストランに行こう」と常務は我々の気持ちを知ってか知らずか、元気のいい声でそう言った。もう、こうなれば「やけっぱちのルンバ」(by ZK)である。スーツを着替えて、荷物を適当に押し入れに投げ込んで常務が運転する車で与次郎が浜(地名だよ、与次郎という人が一晩で作った海岸なので与次郎が浜、というかどうかは知らない)にあるさつま料理の店に食事に行った。お店に入るとメニューを広げて「さあさあ、好きなものなんでも注文して、このさつま定食Sというのどう、きびなごの刺身付きだ、じゃ、これにしよう、おーい、おねーさん、ここさつま定食Sを3つね。あ、ところで二人とも九州だよね。九州の人はお酒が強いよね。ビール飲む(むろん僕とH田君は力強く頷いた)」。ビールはすぐに運ばれてきた。予想に反して瓶ビールだった。長幼の序ということを厳しくしつけられている、我々九州男児はまず先輩・上司にお酒は注ぐものという教育を受けているので、「ま、ま、ま」などといいながら常務のコップにビールを注ごうとしたら、コップの上を手で塞いで「あ、私はアルコールは一切ダメとお医者さんに言われてるから、遠慮せずに二人で飲んで」などという。

 ちょっと白けたものの、まあ、お言葉に甘えてとばかりH田君とふたりで差しつ差されつで飲み始めたら、常務がぼそっと「しかし、研修でビール飲む新人は初めてだな」。なに、じゃ、さっきのあれは外交辞令、おためごかしだったんかい、と思ったが後の祭り。しったこっちゃねーとばかり僕とH田君はそれぞれ大瓶で2本ずつ飲んで、心の中で「今日はこのくらいで勘弁してやる」とつぶやいたのであった。しかし、研修で会社の仕事が明らかになるのは翌日からであった。この項続く、なんちゃって。



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コメント

このヨカニセ

辞めてから名簿借りにくるってw
やっぱ怪しいじゃないですかwww

つうか、会長がいたってのが初耳でありますw
まぁ、どーでもいいけど(笑)


さぁ、張り切って次行きましょう!
(一日、三回くらいアップすればいいのにw)

あのねぇ、言うのは簡単だけど

>一日、三回くらいアップすればいいのに

ワタクシも一応は忙しい身なんですね、実際。読みかけの本は溜まってるのに、またもやフルモトの魔力に魅入られて、文庫本で柔道一直線の第1巻(なんつっても永島慎二の唯一のメジャーヒット作、再読してクリビツテンギョウ、一条直也は小倉生まれの玄海育ちで、最初の柔道は小倉と北九州の争いだった)だとか、たぶん読んではいるはずだけどどこかにしまいこんで行方不明の殿さんの文庫本だとか買っちまったのよ。

しかも例のカンニング事件のD大当局の対応があかんのではないかという声明に賛同したり、夫それ以上に確定申告まだしてなかった、あ、15日までやないけ、とことほど左様に忙しい中やりくりしてアップしているのである。

心して待つべし、ってかどこまで書いていけばいいのか、またしても我、日暮れて道遠しの心境ではある。

なかなか面白くって続きが楽しみです。
確か私、その昔drac-ob氏より『日本教育企画』の社名の入った名刺を頂戴した記憶があります・・
ところでD大被害届は出さないということになりましたね。

また続き期待しています。

ああ、そんなこともあったっけ、お互いまだ

若くて美しかった頃(笑)、いや、マジでCHAは若くて細くて、いや目がって、ウソウソ、可愛かったです(笑)。

あれはたぶんEVEに合わせてだったか、いや違うな、当時第2月曜が休みだったから土・日・月で2泊3日で京都に行ったときじゃなかったかな。正直僕はあまり覚えていませんが、何かご無礼を働いたりしなかったでしょうか?

とりあえず、話のきりのいいところまで行こうと思ってます。ていうか、北関東と早く出会わないと延々と書いていかないとマズイ(汗)。

「今日から学生気分を捨てろ」
「しかし、研修でビール飲む新人は初めてだな」

…このへんの手のひらを返すというか、豹変するとこが怪しさというかこの人のやばさの最たるとこのような。。

で寮ですが、なかなかいい待遇ですよ、そりゃ。おれは最初の寮は和室2部屋で3人でした。8畳くらいの奥の部屋に2人(K知高専のしとと僕)。障子で仕切った(実際閉めてなかったけど)手前の部屋にM橋工業のしとだったという、なんだか変則でした。。

確定申告は

追加納付があるなら締め切りまでに出さないと追徴金加算されますが、還付されるなら5年以内に出せばOKです。
かくいう私は数年前からパソコンで家計簿つけてまして、年末に申告書の数字が計算できるように作ってあるので、通常受付より早めに提出しています。今年は2月1日に出したら24日に振り込まれてました。

いや、今考えてみれば

当時の新入社員の寮生活ってそんなものでしたね。襖1枚のプライバシーというか、会社内ではシホン主義の権化みたいな連中が寮では何故か原始共産制みたいな生活でした。とくに食べ物や酒などは隠しておかないと誰が食べたり飲んだりするかわからない。僕はかって、魚肉ソーセージを1本黙って食べたということが原因で大喧嘩になったのを見たことがあります。

いや、銭金の問題じゃないんだよね。勝手に食ったってのが怒りを呼ぶわけだが、食べる方は食べる方で盗人にも何分の理というか造反有理みたいな屁理屈もあって、お互い抗弁し合う姿は鬼気迫るものがあり、仲裁に入るのをためらっていたら実力行使で、もうシャレにならん…。

うーん、自分なりにお小遣い帳はつけていますが

って、オレは小学生か。いえ、一応は僕も家計簿的なものはつけていましたが、領収書関係を整理してなくて。

そうっすか、早期申告早期還付の原則なんですね。税務署、来年見てろよ!!というほど納税額ありませんけど(涙)。
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