別館グルメ日記のはずが麻雀話に化けてしまった話

これが松乃家、正面です

 「おばちゃーん、松乃家のヤキソバ大盛ねー」「あ、オレはラコステのヤキソバ大盛~」「んじゃ、オレも松乃家の天肉とじ、バイト代入ったから奮発して大盛」、という野郎の怒声がひんぱんに響き渡っていた。場所は室町今出川にあった雀荘グリーンでの日常風景である。先日、guevara129さんからメールが来た。内容は、かつて河原町今出川にあった活動家たちの憩いの場、集いの場であった「金八」の記事を(保存していたCDで)見つけたので送ってくれるという嬉しいお知らせだった。かれこれ十数年前のネットの記事だったようで、当時(ネットの記事)はダウンロードして保存してから読むというのが一般的だったため奇跡的に彼のPCに残っていたらしい。届いた記事と写真を見て僕も懐かしかったが、それ以上に懐かしかったのは「松乃家」と「やぎ」の写真と記事だった。

 75年に大学に入った僕は、何度も書くけどおよそ時間が止まったとしか思えないような学生会館の別館にあるサークルに出入りするようになり、人生が大きく変わったというか、まあ、あそこでやめておけば今頃、年金がもうすぐ入るし楽隠居で妻子に恵まれ人生安泰、ボンボヤージのハズだった。ところがいったい全体何が悲しゅうて通路の壁や天井にビラや張り紙やポスターが糊でべたべた貼り付けられて、いたるところに赤ペンキで「世界同時革命」だとか「造反有理」だとか「組織された暴力とプロレタリア国際主義」だとか「PFLP」だとか、まあ、その手のスローガンが書きなぐってあり、足元にはジュースの空き缶や食べ終えた学生食堂の食器やたばこの吸い殻なんかが散乱してある、およそ不衛生、不健康、インモラルな悪場所が気に入ってしまったのか。居心地良く感じてしまったのか。世間様では大学は4年で卒業するところだというのに6年もいて、揚句は斜めに出ざるを得ないような人生になったのか。責任者出てこーいと叫んでみても、はっきりいって自業自得である。

 と、書いてしまったら身も蓋もなく、じゃ一体今更何を書こうと思っていたのかと振り返ると、そうだそうだ、別館グルメ日記だったと気を取り直したのであった。で、最初の注文の場面に戻るのだが、当時の大学生の娯楽と言えば1に麻雀、2にパチンコ、3・4がなくて5にナンパって、最後のはウソというか見栄だけど僕が入った当時大学1回生の必修単位は酒とタバコと麻雀の役を覚えることと言われていた(いや、だからそういうことを言われるような環境に近づいたのが大きな間違いだったんじゃないか、という考察は今回悲しくなるので止めとく。で、グルメの話のはずがどうして麻雀の話になるかというと、いくらアホ学生であっても一応昼間は授業なりなんなりあって遊ぶのはなかなかであるが、アフター・スクール、おなかはペコペコ、そこでエンゼルパイという昔懐かしい森永のCMのフレーズと同じように友人や先輩たちと麻雀して遊ぶのはどうしても夕方以降。夕方になれば腹も減る。と言って麻雀やる前に飯を食うというのも野暮ったいし、麻雀終わるまで我慢するなんてのはもっと無理だから、当然ゲーム中に出前を頼むことになる。その出前でよく頼んでいたのが大衆食堂の松乃家とそのグリーンという雀荘の1階にあったラコステという喫茶店だった。そういえばBOXで麻雀できるメンツを待ちながらレコードを流し誰か入ってくると「おっ。揃った、揃った、さあ飯打ちに行こう」なんて言って、そのまま回れ右して室町今出川のグリーンに向かったものだ。

 このグリーンは縦に長い雀荘でテーブルの数が32,3あった。麻雀は4人でやるゲームなので仮に30テーブルあれば4×30=120人以上の人間がそこでじゃらじゃらと牌を掻き回したり賽子を振ったり点棒を投げつけたりしていたわけだ。またそれだけのお客さんをさばく従業員というかアルバイトもいた。何を隠そう、僕も75年の秋から何か月かバイトさせてもらった。雀荘のバイトというのはお客さんが来たらお茶を出して、暇なときは牌を磨くくらいだと思ったら大きな間違いで、何しろ少ないときで数十人、多いときは百数十人(麻雀は4人でやるゲームだが、たまに5人で来て2抜け、つまり2位になった人が見学に回り5人でケンカせずにゲームする連中もいたのだ。余談だけど、高知の人間は4人そろっていても3人麻雀をやる、とか四国には三角形の麻雀卓があるなどという高知麻雀伝説があった。この辺は本当なんだろうか、ズトさんあたりにお訊ねしたいものだ)もの人間が遊んでいるのだ。まずお客さんが来たらおしぼりと飲み物(ドリンクバーみたいな機械があって、コップを押し付けてコーラとか不安だ!とかいう飲み物を注ぐ)をお盆に乗せて持っていき「いらっしゃいませ」とやるわけだ。

 そのお店、グリーンの顧客管理はオセロの盤でやっていて、1卓始まるとチップというのかあの片面が黒で反対が白の丸い奴を1枚、1つの区画に置き、2時間たつとそれをひっくり返しお茶とお菓子(もちろん客の好みによってコーラやコーヒーの場合もある)を出し、また2時間たつとひっくり返すというシステムで実にシンプルなんだけど一目で30数卓の客の状況が分かるものだった。お客さんはゲームで興奮してくると「お茶、お代わりっ」とか「ツメシボ2本」とか「こっちはアツシボね」とかリクエストする(今更注釈をつけるのも気が引けるが「ツメシボ=冷たいおしぼり」、「アツシボ=熱いおしぼり」である。常識だよね)。またおなかがすいたお客さんは出前を注文するから、その取次ぎをして、出前が届いたらサイドテーブルを準備してお客がこぼしたりしないように用心する。用心はするが、やはりこぼしたりコップや皿を落として割ったりする粗忽モノがいるのでモップもって掃除に行ったり、片づけたり結構忙しいのだ。で、客が少ないときは卓の角の部分を外して、下のシーツを抜いて埃を払ったり、もちろん牌をバケツの中のぬるま湯に入れて掃除したり、時間がないときはおしぼりで磨いたりするわけだ。牌を表向きにしてごしごしこすり、それを全部裏返してまたこすり、さらに各側面もそろえて磨くのだ。これがさっとできるといかにも打ち手という感じでカッコ良かった。小島武夫のツバメ返しなんて喚きながらよく磨いたものだ。

 グリーンのバイトは結構、割のいいバイトでなんといってもその日即金で払ってもらうことができるのが魅力だった。いや、普通のバイト生やパートのおばちゃんたちは週給か月給(これはどちらでも良かった)でもらうのだが、バイトが終わったらそのまま客として遊ぶようなアホ学生はその場でバイト代をもらい、それを賭けてまた遊ぶのだ。負けてオケラになったらまた翌日バイトすればいいのだ。その日のバイトが終わってタイムカードを打って、そのタイムカードを入口のレジに持っていくとそのお店の女主人、僕らはグリーンのおばちゃんと呼んでいたが、そのおばちゃんが、あ、その時は雇い主だからなんと呼んでいたのか、僕は厚かましくおばちゃんとそのまま呼んでいたような気がする、タイムカードを見て素早く時給計算し、レジを開けて数枚の千円札と小銭を受け取りサークルの友人、先輩たちがいる卓におもむろに向かうなんてことをしょっちゅうやっていた。

 で、思い出してみるとそのグリーンに行き始めたのは、サークルに入ってすぐ、たぶん5月の終わりか6月の初めだっただろう。メンバーは四国は愛媛出身でゲゲゲの鬼太郎によく似たY田さん、サークルの会長だったな、同じく四国は高知出身で角刈り、安っぽい着流しのブレザーを肩に背負い、夜店で買った偽レイバンのサングラスをしたS賀さん、こう見えても法学部の理論家で副会長だったっけ、そして鹿児島ラサール出身などと大噓をサークルの会員名簿にぬけぬけと書いていたボーリョク学生のT原さんというメンバー、またはここに久留米出身で背は低いが甘い2枚目、でもナンパしようとした女子学生に「御嬢さん、僕と一緒にそこらをさるきませんか?」と言って大爆笑されたNさん、その高校時代の同級生で3回生になったら急にパーマをかけて色気づいたI上さん、そうそう、この人は修学院に下宿していて僕に畑の野菜を盗んで来いという命令を出したこともある。

 ああ、思い出してきた。確か2浪していたからY田さんと同い年だった姫路の商店の跡継ぎでお店の白いカローラバンで大学に来ていたO西さんとか、そのO西政権の時に会計をやっていて僕のサークルへの借金をばらして選挙の横やりいれたむっつりスケベっぽいY本さん、岡山はえーと、どこだったっけ、色が真っ白で髪の毛は天然茶髪でバイト先のクラブのホステスと所帯を持って大学をバックれたO崎さん、そのO崎さんと高校時代同級生だったキング・クリムゾンが好きだったO石さん、ごつい体の割に料理研究会と掛け持ちしていたN田さん、いやもうきりがないくらい麻雀ではお世話になった諸先輩方である。あ、ここにコメントくれるK平さんは賭け麻雀はしない人でした。

 で、こういうメンバーの中で一番腕が立って強いといわれたY田さん、S賀さん、T原さん、Nさんというメンバーと僕はしょっちゅう一緒にやっていた。当然1回生の前半はカモネギ状態であった。何しろ僕自身がまだ麻雀の役もろくすっぽ知らなかったし、ガイドブックも今の様に懇切丁寧ではなく、視覚的にも見にくく説明もなんだか良く分からない、とにかく面前でテンパれとか安易に鳴くなくらいしか書いて無くて、いまだに覚えているチョンボは対局中当たり牌が出たので「面前ロン」といって倒して、ほかのメンバーが「なんじゃこれは」という顔をしているので「面前で上がったら面前ロンとルールブックに書いていた」などと説明しても、そんなものが通るわけがなく「お前、アホやろ。面前というのはリーチがかけられる状態のことや。手役が無かったら牌を曲げてリーチいうて1000点棒出せば何が出ても上がれるけど、これは役がないからチョンボや」と言われたっけ。

 それと、これは僕の麻雀が禁止されていた修学院の下宿で初めて徹マンしたときのことだけど、手の内の12枚が全部マンズで1枚だけ6ソウがあり、単騎待ちで聴牌していた。次の自模を見ると6ソウで、ずっとへこんでいたせいもあって「自模っ」といって倒してしまった。当然、自模のみで500,300(ゴミと言ってましたな)点。親だったY田さんが100点棒を5本投げるようによこして「親でこんなん自模られたら助かるわ」と言った。後のT原さんとS賀さんは「お前、これ6ソウは自模切りだろうが。マンズは何を引いてきても聴牌や」と言って、ご丁寧にT原さんは僕の自模順を次々めくっていって「お前、あと4順で倍満自模やぞ」などとよけいなお世話をしてくれた。根が負けず嫌いで楽天家の僕は「上がり癖、あがりぐせ」と言ったのだが、そのとき対局していた3人は「こいつは一生カモやな」と思ったそうだが、それ以降もブンブン丸で突っ張る僕を見て「新人時代の長嶋を見た金田の心境、いつかこいつは大化けする」とも思ったそうだ。おかげで麻雀はかなりの腕になった。

 えーと、肝心の松乃家の話になりません。麻雀の話を始めると終わらないんだな、これが。しかし、グリーンのおばちゃんがあるときこういったことを思い出した。例によってサークルの先輩たちと卓を囲みつつ、腹が減ったので松乃家に出前をお願いしたがいつまでたっても届かない。「おばちゃん、松乃家、まだけ?ええかげん遅すぎるでぇ」と言った僕に対して、「せやから、あの店は『まつのや』言うねん」と見事な逆襲。上手い、座布団一枚、なんて言ってたら松乃家のおっちゃんがヘルメット脱ぎながらやって来たのであった。うーん、この話書いてて楽しいので続けます。誰も読まないだろうけど(笑)。

松乃家のおっちゃんとおばちゃん、真ん中は松乃家に下宿していた人らしい

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コメント

懐かしい名前のオンパレードですな

グリーンって もう無いんだよね?
ママは、健在だったら70代後半位かな?  
ラコステ、そんなのが有りましたね。
ずいぶん前に 烏丸今出川界隈を通った時でも 
無くなった店が多かったですよ。
今年こそ あのあたりを再訪してみたいです。
NETで見たら なかじまが ややおしゃれに
変貌してますね。不似合いです。 
王将に行っても タヌキ親父もヤンキー兄ちゃんもいないから意味無いよなあ。

岡山コンビは、玉野市出身だったと思います。
当時、S賀さんと 味ビルの話をしていて、彼が
「高知には『味のデパート』ってのがある。」と
言ったのですが、昨年夏に高知に行った時に 
あの時の会話を思い出した事でした。
同じ学部なのに S賀さんともNとも 
講義で会った事が無い(笑)。





うわ、まさかこのエントリーに米が付くなんて

そうですね。グリーンはD大が田辺町に移転する前には無くなっていました。83.4年くらいに京都に社員旅行で行った時はあったのですが、ちょうど日曜日で閉店していました。もしかしたら、学生客を求めて別の場所に移転したのかもしれませんが、当時の常連だったA山さんやA城さん(どちらも元バイトでフリーのメンバーでした)の消息も分からないのでトンと知りません。

>同じ学部なのに S賀さんともNとも 
講義で会った事が無い(笑)。

でしょうね。S賀さんは一乗寺からバスで通ってましたが、ちょうどそのバス停の前にパチンコ屋がオープンしてバスを待つ間(by ホリーズじゃねーや、平浩二だ、っちゅうかどっちも曲名は「バス・ストップ」でした)、ちょっと時間つぶしのつもりで入って、ずぶずぶ深みにはまるというパターンだったと思います。Nさんは77年くらいから別館に来なくなりバイト仲間とつるむようになって音沙汰なしでしたね。久留米に戻って教習所の教官になったらしいです。

で、この時代のこういう話誰も読まないでしょうが、書いてる僕が楽しいので時々アップするつもりです。

3/4

どもです。ご本人が楽しんでるだけに面白いし雰囲気も伝わってくるし、グリーンのおばちゃんも味わい深い!

あいにくぼくは麻雀といえば昔いた会社の寮住まいのとき、多少教わってやったくらいで、もうほとんど覚えてません(汗)

で当然3人麻雀も知らなかったんですが、高知在住の旧友でmixi仲間のcooさんにきいてみましたら、やはり知ってました。転記OKももらいましたんでそのまま引用します。
↓以下、原文ママ。
===============================
高知のマージャンは4人メンバーがいても3人でやるという変わった県ながやき。
確かピンズは1、9だけで、すぐに大きな手ができて点数移動が大きくなるようにしている。4人のマージャンは上がりを小さくしても上がっていった者が勝つ(上手な者が勝つ)のですが、3人では一発逆転の賭博性が強くなる。県民性やろね。
===============================

ただ、高知では今マージャンをやっている人はほとんどいないとかで、彼自身ももう20年ほどやってないそうですわ。

ちなみにぼくは麻雀は無知ですが、思い入れある麻雀漫画がありマス。ほんまりう「3/4」というんですが、ごぞんじでしょか。以前mixi日記で紹介しました。機会あったらフルモトなどでぜしー。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1035183876&owner_id=5402492

おー、ズトさん、貴重な情報提供オリゴト

などとプラスティックスのアルバムタイトルをパクッたりして(笑)。そうですか、高知のサンマー(三人麻雀を略してこう呼んでいました)伝説は事実でしたか。ピンズを抜くんでしたっけ、僕はマンズを抜いてやってたと思います。ピンズ抜くと大車輪が出来ないからって、これは麻雀やる人しかも関西ルールの人でないと分からないかな。cooさんにはくれぐれも宜しくお伝えください。

ほんまりう、いましたね。もちろん3/4も読んでいました。ちょっと独特な感じのマンガでしたね。麻雀マンガで僕が好きだったのは、やはりかわぐちかいじの『はっぽうやぶれ』(これは主人公が小島武夫で、その半生記なので面白くないはずがない)、オーソドックスなところで北野英明の一連の作品、叶精作の『下駄を履くまで』シリーズも好きでした。

>ご本人が楽しんでるだけに

やっぱ、分かりますか(笑)。この手のバカ話書いてる時が一番楽しいですね。実は音楽の話を書くのは苦痛だったりして、でもそれこそがカルマなので、仕方なく書いていたりして、なんてことはありませんが(笑)。
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