3連荘というのか、こういうのも

 もうまったくもって、どたばたしながら生きているここ最近なのだが、なかなかエントリーを書く気が起こらないというか、時間もなくはないのだが雑件をあれこれやってるとすぐ眠くなってしまう。昔から僕は季節の変わり目に無性に眠くなるという習性があり、さらに今月になって環境の変化もあり、これが変化こそ生きがいというか、チェンジ、チェンジ、チェンジ、チェンジ、インターチェンジ、チェンジ、チェンジ(by Panta)の時代ならどうでもないのだが、人生に秋の夕暮を感じてしまうオッチャンエイジに入ってしまった段階では、なかなか変化はつらいところがある。人間歳食うと保守的になるというのも郁子なるかなである。あ、「むべなるかな」と入力したら「イクコなるかな」と変換されたが、イクコちゃんはもしかしたらあだ名がむべちゃんだったんだろうか、などという妄想はもう止そう、ってダジャレもトゥー・クールなエブリディだ。

 ただ、しかしエントリーを書きたいなと思うことも多々あって、ネタというか題材というかそんな大げさなものでもないのだが、話の骨子というかテーマみたいなものはしょっちゅう浮かんでは消えているのだ。このまえコメントのレスで書いた78年の東京滞在記の話や、このまえフルモトでミカ・バンドの『ナルキッソス』初版というかDVD付きのやつが、本来の500円コーナーに復帰して素早くゲットしたことや、そのついでに眺めていたら、なななななな、なんと恒松正敏グループの『欲望のオブジェ』も500円のコーナーで発見、素早く保護した話とか、そのアルバムのゲストミュージシャンに谷川賢作の名前があって、えっ、彼はこういうアルバムにも参加していたのかと軽いショックを覚えた話とか、あるんだいろいろ。生きていればね。

 と、先ほどから、やたら「生きていれば」というフレーズが出てくるが、これはこの前の日曜の新聞の訃報欄を見て感じたキーワードなのよ。というのも、日曜の朝コーヒー飲みながら何気に新聞開いたら松崎明氏死亡というのが目に入り、おお、鬼の動労を率いたZの松崎さんもついに昇天か、しかしまだまだ74歳。早いと言えば早いな。この人が口を割らずに墓場まで持っていった話はたくさんあるんだろうな、などと、まあこの記事ではそれほどショックを受けなかった。

 続いて、訃報欄に朝倉喬司氏の名前を見たときは、もうちょっとインパクトがあった。河内音頭の記事をミュージックマガジンで良く見かけたし、連続射殺魔(ロック・バンドじゃない、オリジナルのほう、要するに永山則夫だ。などと書いても『それ、誰』と言われそうな時代になりましたな、今日日の流行は「鞭の涙」か「無恥の涙」だからなぁ)のルポなどは結構真面目に読んだ。彼も67歳って、そんなに歳ではないし、第一あまりに寂しい、いわゆる孤独死だったのに驚いた。日経の記事を引用する。

ノンフィクション作家の朝倉喬司さん アパートで死亡 2010/12/9 22:30
 9日午前9時半ごろ、神奈川県愛川町中津のアパートの一室で、この部屋に住むノンフィクション作家の朝倉喬司(あさくら・きょうじ、本名=大島啓司=おおしま・ひろし)さん(67)が死亡しているのが見つかった。県警によると、異臭がすると、近所の人から連絡を受けた不動産会社の社員が発見した。目立った外傷や着衣の乱れはないことなどから、事件性は低いとみられる。

 朝倉さんは早稲田大学中退後、週刊誌記者を経てフリーに。犯罪ルポのほか音楽評論活動でも活躍した。著書に「涙の射殺魔・永山則夫と六〇年代」や「スキャンダリズムの明治」などがある。


 この寒い日が続く毎日の中で近所の人から「異臭がする」と連絡があったわけだから、そうとう腐敗が進んでいたと思われる。一時期、犯罪もののニュース番組や雑誌記事などでしょっちゅう見聞きしていた名前の持ち主が離婚して、長年住んだところを引き払い孤独に死んでいったのかと思うと、少しヘビーでした。

 さらに、追い打ちをかけたのは正司玲児の死亡記事。『うわ、あの夫婦どつき漫才の敏江・玲児の玲児が死んだんや』と、これはもうビックリ、最近メディアの登場もないし正月のお笑い特番でも見かけることが少なくなったコンビだが間違いなく一時代を築いたと言える二人、なんつっても本当の夫婦(のちに離婚したが)で、あのどつきあいは偶然の産物だと初めて知った。そして一番ショックだったのは71歳という年齢もだが、その死因。成人T細胞白血病リンパ腫、という病名だがATLと略すこともある。ま、厄介な病気なんです、これ。南九州の風土病だと思われていたのだけど、実はってこの病気の話を書こうかと思ったけど、書いてもせんないのでやめておきます。しかし、日曜の朝に訃報記事が3つもあると気が重いよな。今、彼らの名前をもう一度見てみると、それぞれの分野で活躍していた人たちだけど、所詮死ぬときは一人か、って、いかんいかん、また何だか暗くなってしまった。次回は気分を変えて、昔の馬鹿話でも書こうっと。



 で、終わったつもりでYOU TUBE見てたら、たぶん隠し撮りだと思うけど強烈な演奏の映像があったので貼っておきます。いやー、相変わらずすごい音出してるなぁ。


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コメント

>ATL

HIVと同じくウイルス病ですね。
主に母親からの垂直感染だったと思います。
確か、母乳もダメでした。

発症まで何十年もかかるから、結構年とってから病気がでちゃいます。

日沼夫さんの「ウイルスと人間」という本にくわしいことが書いてありました。

>孤独死

一番可能性のある死に方です。
我が家では、最後まで生き残った者が負けということになってます。まるで「墓掘りサム」ですな。

山は下りる時が難しいらしいですが、人生ってのも同じですね。

さすが、博覧凶器の燐さん、良くご存じで

って凶器じゃなくて狂気でしたっけ(笑)。いや、実は5年ほど前に僕自身がATLのキャリアだと分かり、それで発症を防ぐため毎週土曜日に病院で注射しているんです。で、その時の衝撃をエントリーに書きかけたけど、めちゃくちゃ暗くなるので止めたわけ。で、何だか中途半端なエントリーになってる次第です。

え、いつもと変わらない?それをいっちゃあおしまいよ。人間生きてる内が花なのよ、死んでしまえば全部おしまい、価値ある人生、好き勝手にやるのさ~と最後は「ダイナマイトに火をつけろ」になってしまいましたが。

うーん、珍しく深いことを言うじゃないか

ジャマイカ、じゃないか、ジャマイカ、ってとこだな。などと豊田勇造を知らないとなんのこっちゃというフレーズですが。

まあ、そうなんだよな、何事も仕舞い時ってのは大事なんだ。我が祖国ポンニチも仕舞い時を間違えたらえらいこっちゃの大騒ぎになりそうだし…。

朝倉喬司さん、びっくりしました。。

訃報知った晩「ウィークエンドスーパー」を引っぱり出して読んでました。
写真も出ててサングラスした風貌は今とかわらないけど、
まだ30代だったんですよねこの頃。若いな。
たしかに河内音頭は力入れてましたね。
実はそれで興味抱いて鉄砲光三郎のカセットとか買ったりしましたわ。
その流れで、大阪在住時代は八尾に河内音頭見にいったりして。。

そいえばバンドの方の連射魔、ぼくは昔和田さんと話してて
「永山則夫どう思う?いまの世の中どう思う?」みたいな話を振られたのを
思い出しました。86年位(笑)
なんていいながら朝倉喬司さんの著作たぶん一冊も読んでないんですよ、
ちと読まねばの娘。。

う~ん、無知の涙かぁ

若い頃、永山則夫の『無知の涙』を読んで、わたしゃ感動するどころか、この糞ボケ甘え腐るなと大激怒してましたw お前色々書いてるけど、結局社会が悪かったとか、生まれ育った環境が悪かったとか、全部人のせいにしとるだけじゃないか、ふざけるなと思ったわけです。

でも、年を取ると考えが変わるというか、まぁちょっとだけ何か判るようになるのですね。相変わらず、『無知の涙』に共感はできませんが、読んでも「激怒」はしなくなりました。ああ、この時点では彼もここまでしか判らなかったのだろうと、それは仕方がないということが、判るようになったのでしょう。まぁ、要するに、年を取るに従って、自分が如何に恵まれた環境で育ってきたのかを理解できるようになったということですかね。

朝倉喬司の「涙の射殺魔・永山則夫と六〇年代」、読んでみます。でも、朝倉喬司が孤独死とか、凹むなぁw

ズトさん、レス遅れてすいません

でしたね、「ウィークエンドスーパー」ばっちりお持ちでした、裏山C(笑)。朝倉さんの訃報記事はショックというより、唖然としてしまいました。まさか離婚してたった一人でアパートで死んでいたなんていうのは、さびしすぎるけど所詮人間死ぬときは一人ってのを実践したのかな、いやいやそんなことはないんじゃないか。などと考えはエンドレスでまとまりませんでした。

>「永山則夫どう思う?いまの世の中どう思う?」みたいな話を振られた

しかし、86年あたりにそんな質問するってのは和田氏らしいといえばらしいし、返事に困る質問ですよね。バブリーでブリブリな頃、軽薄短小が思いっきりもてはやされていた時代ですね。あのころから今の様子は絶対想像できなかったし、まさかこんな風になるとはだれも思わなかったでしょう。

最後ですが、是非読まねばの娘と化してください(笑)。

永山則夫をどうとらえるかというテーマは

やはり、あまりに60年代的ですね。ライフル魔なんて事件もあったりしましたが、こちらは長生きして自分の国に帰ったけど、あちらでもひと騒動起こしたようで、なにやら物騒なオジサンでした。ずいぶん前ですが、『思想としての60年代』という本を読みまして、導入がいきなりポール・ニザンで、これも時代だなと感じたことを思い出しました。

人間歳とると思い出す話ばっかりだな(笑)。

めっちゃ60年代、いや70年代もですけど

まぁ、ぶっちゃけ言うと、日本の馬鹿左翼あたりが、永山則夫を社会の歪みが生んだある種の犠牲者として喧伝し、「彼のような人間を生んだのは、この日本社会が間違っているからだ、だから我々は彼のような不幸な人物をまた生み出さないためにも、社会変革をしなければいけないのだ」ということを、60年代から70年代にかけて、声高に言ってましたよね。

でもね、じゃぁ、彼が射殺した「無辜の犠牲者」たちは、社会が悪かったから、彼に射殺されたとでも言うつもりなのでしょうかねぇ? 射殺された人間に、何か落ち度でもあったというつもりなのですかねぇ。そんな論理は、私にとって、当時も今も、どう考えても納得できないのですけどね。そんな幼稚な論理が、通用するわけないじゃないですか。でも、60年代とか70年代では、左翼を中心にそういう糞馬鹿な論理で、社会変革を訴える勘違い野郎がいっぱいいましたよね。

ぶっちゃけ言って、drac-obさんの書いてるのは、たぶん金嬉老のことだろうと思いますけど、ああいう心底軽蔑すべき糞馬鹿野郎を、当時の左翼を中心とした思慮の無い連中が、さかんに持ち上げていたのはご承知の通りです。まぁ、それを受けて、民族主義馬鹿の思慮のない勘違い韓国人が、「差別と闘った民族の英雄」とまで持ち上げて、その後、彼が帰国してからの顛末はご承知の通り。私には、ほんまに阿呆丸出しにしか、見えませんわ。

まぁ、もっとぶっちゃけ言うと、戦前には、日本語もまともにできずに日本に出稼ぎに来て、当然まともな仕事にありつけず、助けてくれた人もいたのにその気持ちにも応えることもできず、何でもかんでも人のせい、社会が悪い、日本が悪いといって、とうとう貧困の中で歪んだ考えを持ち、大嘘つきの人の生き血を啜る強盗殺人犯に教唆され、天皇に爆弾を投げたお偉い朝鮮人の「烈士」様もいますがねw

ぶっちゃけいうと、こいつも、永山則夫や金嬉老と、どこが違うのでしょうか? 私には、全部同じに見えるのですけどねw 正直申し上げて、この程度の子供でも判る理屈も判らん連中が、いまだに多数いるので、私、つくづく嫌気がさしてるんですわw

正直、馬鹿ばかしくてやってられない気分ですわw

昔、「現代の眼」だったか「流動」だったか

忘れましたが、永山則夫の獄中日記を連載していた雑誌がありました。「新雑誌X」だったかな、もう記憶はあいまいですが。その日記を読んでいて、どうにもこうにも彼の文章の尊大さと、獄中結婚したかと思うと何やら理屈をつけて一方的に離婚したり、僕には良く分かりませんでした。日本ペンクラブが、彼を入れないということで筒井康隆なんかは抗議して脱退したりしていたけど、うーん、ま、ブンガクは難しいです。「晋金太郎」を読んで笑うくらいが僕にはちょうどいいですね。
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