さよならなっちゃん、さよならだけが人生か…
PCを立ち上げたら飛び込んできたニュースというか、訃報。野沢那智さんが亡くなられた。72歳、肺がんが原因とのこと。僕はオールナイト・ニッポン派だったが、それでもなっちゃん・ちゃこちゃんのパックはたまに聞いた。高校のクラスにも熱心なファンも多かった。今、聞きなおしてみると上品でおっとりした会話だったんだな。またひとつ時代が終わった。合掌。スポンサーサイト
19の年に入ったサークルの先輩、同期、後輩たちに影響を受けて、結局人生のクレパス(by桐山襲)に落ちていってしまった。極私的70年代ロック史にしたいのだが、馬鹿話がほとんどになりそうな予感が。
Author:drac ob
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コメント
2010/11/01 22:23 by 黒木 燐 URL 編集
山田康雄しかり広川太一郎しかり
>「早乙女愛よ、岩清水弘はきみのためなら死ねる!」…、そうか、死ねや…。
やっぱり柄じゃなかったっす(泣)!
2010/11/01 22:31 by drac-ob URL 編集
あ~世代ですかね
私、オールナイト・ニッポンとかは、鶴光世代なんですわ。
鶴光ファンの小学生で、「鶴光のお~るないとにっぽ~ん♪ で、乳頭の色は?」とか、同級生の女の子にゆうて遊んでましたわ。ほんまにたまらん餓鬼でしたw
中学生では、FMで「ほんばんわぁ、ヤングジョッキーの渋谷よ~いちでふ。レッド・ツエッペリンがぁ~、出した新譜なんですがぁ、○○○なんですよね。あ、どうも、大貫けんしょうです。それ、やっぱりこうなんですよねぇ~」という都立高校ノリの良い加減な与太話を、愛聴しておりましたぁw まぁ、当時はインターネットないので、手に入れられる情報少なかったから、彼の紹介してくれる音楽は、結構ありがたかったですね。1976年にUltravoxの出たばかりのレコードからLonely Hunterかけてくれて、それでUltravoxのレコード必死で探して、聴きまくってましたw
あ、「ハイ、ビート・オン・プラザ、田中まぁさみです」ちゅうのもようきいてたなぁw あ、近畿放送の「ポップス・イン・ピクチャー」で、スージー・クアトロのプロモーション・ビデオ見て、めっちゃ興奮しまくり~のw ツェッペリンのファーストからのプロモーション・ビデオみたのも、Pipだったわ。デデも元気にしてるけど、おじいちゃんなりはりましたなぁw
2010/11/02 07:58 by barretthutter URL 編集
ああ、もちろん鶴光も聞いてましたよ
渋谷君は僕は「若いこだま」(この後につい「誉士夫」とつけたくなる、だってロッキード世代なんだもんって少女漫画か!)ですね。今和泉洋がスクリプトだったのかな。「ビート・オン・プラザ」は京都に行って初めて聴いたときは感動でした。LPレコード1枚を丸丸オンエアするので、こりゃエアチェック(出た、死語)すればレコード代がいらなくなると全く間違ったことを考えたものです。もちろん、レコードで買わないといけないものが沢山あって、エンゲル係数ならぬレコード係数の高い生活でした(笑)。
2010/11/02 22:54 by drac-ob URL 編集
あのねのねw
当時、あのねのねが、「赤とんぼの歌」やってて、ほんまに面白かったのですけど、あのほのぼの馬鹿ネタほんまに面白いです。清水さんは、今やログ・ハウスとかも作っちゃうアウトドアの達人ですけど、のぶろうはほんまに関西ローカルでしか仕事しないで適当にやってますけど、もっと真面目にやったら面白い人やのにw というか、何であの二人仲悪いんでしょうか?w やっぱり若い頃ずっと一緒にいると、恥部しりすぎて嫌になるんでしょうなぁw
2010/11/03 20:31 by barretthutter URL 編集
彼らはコミック・ソングだけではなく
で、彼らはずっと空白期間があって、最近またちょくちょく出て来ますね。僕もてっきり喧嘩でもしていたのかと思いましたが、それは事実ではないようです。
http://ameblo.jp/ramendonchan/entry-10288534310.html
で、この歌初めてラジオで聞いたときもうこいつら怖いものはないんだな、レコ倫なんてぶっ飛ばせという姿勢が、っていうか歌詞を全部覚えていたなぁ…。拙者とて武士の端くれというのは良く使ったけど、決定的チャンスのときは空振りだったっけ(涙)。
http://www.youtube.com/watch?v=GR9DbVBriHQ
2010/11/04 22:23 by drac-ob URL 編集