ようやくレイジー・ヒップの話、てかあの頃のヨタ話

 「今日、新聞を読んだ」で始まるのは”A Day In The Life”だけど、今朝地元紙を読んだら都城市の現職市長が、東国原知事が正式に不出馬表明後に立候補するらしいという記事があった。東知事は「しがらみ県政」を批判しており、万一そういう候補者が出た場合は不出馬を取りやめるかもしれないなどという話もあったが、どうも良くわからん。というのも、この都城市長はご本人が「知事と地元が同じで身内意識がある」などと発言してきているし、東知事も「小学校から大学までの同窓」ということから自身の後継者的捉え方をしているという。ん、それはまさしく『地縁』ってやつと違いますか?「小学校から大学までの同窓」といったって年齢的には一回り以上違うし、学校の先輩・後輩なんてのは「しがらみ」以外の何物でもないと思うのだが。いえ、この市長さんのポリシーだとか政治力とか良く知りませんが、地元の私立大学の移転の時に非常に不愉快な思いをしたことがあるのだ。あ、あらかじめお断りしておきますが、僕は「大学移転」と聞くと無条件に「フンサイ」とか「反対」という単語が出てくるように刷り込まれてしまってるので、一般パーポーじゃなかったピープルの人とちょっと感覚が異なってるかもしれません(なんてことは、以前だったら絶対書かなかったことなんだけど、この辺りが最近日和ってるのかな、反省)。

 話を戻すと以前、高鍋町というところにM九州大学という私立大学があり、その歴史は40年以上もあった。かたや都城市にも歴史は浅いがM産業経営大学の都城キャンパスがあった。もっともこちらは大学経営上の問題で宮崎に撤退してしまい、その跡地をどうするか周辺の空きアパートをどうするかという問題があった。で、どっちがどうだったか(つまり大学側が先にアプローチしたのか、それとも行政側がおいでおいでしたのか)は知らないが高鍋町のM九州大学が都城市に全面移転することになった。同じ宮崎同士でパイの取り合いをしてどうするのかということで以前エントリーにも何度か書いたことがある。ま、そういうことがあって僕はあの都城市長は嫌いです。立候補も東知事の不出馬を確認してからなんてところがスケベ心満点でうざったい。東知事が後継者として容認するのであれば、どちらも「正体見たり枯れすすき」って感じで所詮そんなもんかと、おっとこんなきな臭い話を書きたくてキーを叩いてるのではない。レイジー・ヒップであった。

 ♪あの娘ハドソン・リバー越えて 恋のNew York Cityへ 燃える心に夢だけつめて 昔初めてのデイトで見た映画のワン・シーン 輝く街New York~アルバム『フラワー・トップ』のオープニングを飾る、というよりレイジー・ヒップの代表曲である「ハドソン・リバー」。作詞はKURO、作曲は当然西岡恭蔵である。詞も曲もいいが、なんといってもいいのは伸びのある千秋のボーカルとリラックスしたバックの演奏。この演奏力を買われて加川良の名盤『駒沢あたりで』に参加。しばらくはツアーのバック・バンドとしても活動していた。余談だが加川良の唯一の未CD化アルバムであった『プロポーズ』も今回レイジー・ヒップのアルバム発売と併せてCD化される。めでたし、めでたし。

 と、駆け足でレイジー・ヒップのことを書いたが実は一体どうして彼らのライブに足を運ぶようになったのか、またそれが1度や2度ではなくサーカス&サーカスで演奏のあった時は結構な回数見ているし、当然ファースト・アルバムも買ったしシングルになった「Moon Dancing」も購入し、宮崎に帰省した時にいろんな友人に聴かせたが、いまいち反応が良くなくて、まあそれはレコードのアレンジがあまりに甘くてバンドの良さが出てなかったからだと力説して一度ステージを見たら絶対気に入るはずだと断言するも悲しいかな宮崎までツアーで来ることはなく当時聴かせた友人たちも記憶の片隅にも残っていないことは火を見るより明らかで、でもあの曲の♪たとえば、こんな夜、Moon Dancing,Sweet Night~なんてフレーズは未だに口をついて出てくる、あれから30年千秋もチャールズ清水と結婚して子供も出来たという日々があるのだ。そうそう、この「Moon Dancing」、ステージでは冗談半分だろうけど曲名を「たとえば愛」などと紹介していたが、それは間違いなく当時の人気テレビ番組から拝借したのだろう。

 いけません、今朝の新聞読んでちょっと怒りで眼がくらくらして、そうだ今日はお彼岸だから墓参せねばと午前中からお墓に行き、昼は最近の体型を考えて辛抱せいや替え玉をと思いながらも、万一ここで地震でも来て地下に閉じ込められて半年はまともな飯が食えなかったら一生後悔するかもしれん、だったら食えるときに食うのが歴史の必然というものだと、自分に詭弁を弄して注文してしまい、やはり最後少し反省して、それでも後悔先に立たずで立つ鳥跡を濁さずのたとえもあるのでスープまで完食してしまったのがいけなかったのか話が続かないというか例によってまとまらない。記憶を整理してみよう。一体どうしてレイジー・ヒップを聴き始めたのか、見に行き始めたのか。

 考えたというか、思い出す努力をしたが出て来ない。ただ思い出したのはサーカスで見たライブには必ず男だけの4,5人組がいたことだ。それも外見はいかにもまじめな地方出身の大学生という感じで言葉も関西のイントネーションではなかったと思う。一人だけはっきり顔を覚えているのは銀縁の眼鏡をつけた痩せた小柄な男で、彼がリーダー格で良く千秋のMCの時に合の手や突っ込みいれたりしてたな。そうだ、S戸君が「おい、drac-ob、レイジー・ヒップのライブの時にしょっちゅう来てる男グループおるやろ。あいつら、ごつい熱心でな、うちでライブある時は必ず4,5人で来よるねん。でも、あんまり酒が強くなくてな、いつやったかライブ見て『イエー』はええんやけど、そのままソファにぶっ倒れてほっといたらアゲそう(いわゆる初期のサルトルですな、そのココロは『嘔吐』なんちゃって)やったから、WC連れて行ってやらんかいと他のやつの声かけたらそのままWCから出て来よらへんねん。おかしいな、思て見に行ったら介抱してるほうもゲェゲェやっててな、しゃーないから背中さすったり塩水飲ませたりしたら『えらい、すいません。店に迷惑かけてすいません。これからはもう飲みません』とか言いよるさかい、『アホ、うっとこは飲んでもろてなんぼや、次来る時もガンガン飲んで、でも吐いたらあかんから、そやなつまみをガンガン取って売り上げに貢献してや』て言うったった。などというエピソードも聞いたな。

 で、その男グループとはそれからしょっちゅうサーカスであったのだが、どうも波長が合わないというか彼らはグループで固まっていてライブが終わると以前の悪酔いで学習したのかそそくさと帰ってしまうので、こちらから話しかけることもなく、またライブの休憩時間などに視線があったりすることがあったが、なぜかこちらと視線を合わせることなくあらぬ方向を向いていることが多かった。どうしてなんだろう。当時の僕はもう肩まであった長髪をすっぱり切って耳の出るテクノカットで、たいてい緑のパンツにちょっとラメっぽいシャツにバッジを沢山つけた、いわゆるニュー・ウェーブの若者スタイルで、口を開くと「日本のロックの復権」とか「相互交通形態の獲得」だとか「連帯を求めるほど落ちぶれてはいないぞ、でもヤングなおねーさんからの孤立は断固拒否する」とか、今にして思えば当時のナウでガッツなヤングが深夜喫茶でハイミナールをかじりながらしゃべるようなことばかり言ってたので、「この人たちはジンシュが違う」と判断されていたのかもしれない。うーん、今更だがその判断は正しい。

 だいたい、レイジー・ヒップのライブに行くと店長のG条さんもスタッフのO釜さんも、「え、なんでdrac-ob君が来るの?君はパンクやニュー・ウェーブじゃないの。あ、日にち間違えたんだな。連続射殺魔とINUのジョイントは次の木曜だよ。DUFFだったら明日だけど。」とか、「へえええ、こんなの聞くんだ、この前JJ・ケールのアルバムをボロカスにけなしてたのは、誰だったっけ(スマソ、当時はかったるかったのよ、あの手の音は)。あ、そうそう、君この前DJさせたらオールドのボトル丸丸一本空けたよね。客は10人も来てなかったから大赤字でオーナーから随分怒られたよ。今度やるときはホワイトね、ていうかお客の人数確保してからやろうか」とか、まあ日頃の行いの報いなのか散々な言われ方をした。あ、誤解無いように説明しておくと口ではきついこというけど、根は優しいお二人で隣さんから教わったけどO釜さんは今はナベプロのスタッフらしいな。G条さんは、全くどうしてるか分からないらしいけど。



 あ、それとレイジー・ヒップに興味を持ったきっかけの一つに僕のサークルにいた貴重な女子部員、ええと確か77年度生じゃなかったかな、K上さんて人がいた。彼女はD大じゃなくて、もしかしたらD女子大だったかな。K平先輩なら覚えてると思うのだが、僕はちょっと自信がない。まあ、女っけのないサークルだったのでいわゆる「冬山現象」というのが良くあった。どういうことかというと、冬山には女の人が極端に少ないし、防寒具で全身を隠しているため、多少外見にハンデイキャップのある、いや、その、なんというか十人並みの女性もゼッセイの美女に見えてしまいフォール・イン・ラブまでならまだいいが、まかり間違ってレッツ・ゲッツ・マリッジなんてなってしまったら取り返しがつかない、いや、後悔先に立たず、あれ、このエントリーで二度目だな。などと話を曖昧にぼかしたが、いえ、K上さんはそれなりきにおキレイな方でした。

 そうね、タイプとしてはリンダ・ロンシュタットというか、あの手の狸顔、つまりまん丸で愛嬌があるという子だった。ええ、なぜこういうことを書いたかというと、実は77年だったか学園祭でおかま喫茶をやり、僕は「アグネス」という源氏名で出ていたのだが何故だかショー・タイムにピンク・レディーの「渚のシンドバッド」を踊らされて、あれは二人でやるものなんだが相方をしてくれるやつが誰もいなくて、結局振付を教えてくれたK上さんがミーちゃん役で一緒に踊ってくれたのだ。いやー、あれは受けました。そうそう、客にニュー・ジーランド人の英会話の先生が来て、片言のエーゴとボデイ・ランゲージでしゃべっていたら何故かロックの話になってフィル・マンザネラがプロデュースしたニュー・ジーランドのロックバンドでスプリット・エンズという鉄腕アトムみたいな頭した連中がいたのだが、その時にスプリット・エンズというのは” split ends”で「枝毛」のことだと教わり、なるほどそれでああいう髪形をしていたのか連中は、と得心したことがあった。



 いや、それはどうでもいい話で、そのK上さんがレイジー・ヒップのファン・クラブに入っていて「いいバンドだから是非ライブ見てください」って進められて、それで下心行動委員会常任委員だった僕がサーカスに下見にいったのではなかったか。うーん、どうもそれっぽいな。で、当時の僕の聴いていた音楽とははるかに隔たりのある音だったけど、もともとライ・クーダーは大好きだったし、R&Bやソウルも嫌いじゃなかった。自分の部屋ではそういう音も聴いていたのだが、それ以上に70年代後半ってのは日本のロックが大きく変化していきつつあった時代だし、いやそれ以上にパンクやニュー・ウェーブ、そしてスカというかモノ・トーンの連中とか刺激の強い音が沢山ありすぎたくらいだし、僕自身も何かが変わる、変えられる、今こそ何かをせねばみたいな強迫観念がいっぱいだったころ、まあ筒井康隆大先輩の言葉を借りると「あらえっさっさの時代」だったのだ。

 またひとつどうでもいい話を思い出した。僕のサークルにはブルース班という辛気臭い研究班があり、歴代のサークル員は75年Y田さん、76年S戸君、77年O崎君そして78年にO畑君という根の暗い連中が集っていたのだが、そのなかでも多分一番暗いというか、変わり者だったのがO畑君で、彼は地元の大阪から阪急で大学まで通っていたのだが1年を通して1枚のネルシャツで過ごした男だ。流石に冬場はネルシャツ1枚じゃ寒いだろうと聞いたら「軍手嵌めて、手をグーにしてまっすぐ伸ばしてたらあんまり寒くないんですわ」などというような男だった。しかし、音楽に対する耳はシビアなものがあり、めったに意見などいう男ではなかったが、そのO畑君が「タコヤキのスライドはええわ~」と褒めたことがあったな。

 ここまでお読みいただいた方には、大変申し訳ない結論ですが、すんません、レイジー・ヒップのアルバム発売が嬉しくて取りかかったエントリーなんですが、どうにもこうにも断片的な想い出しか出て来なくて、なんとかそれをまとめようと思ったのですが、あまりにも当時のサークルおよびその周辺の話ばかりで完全身内落ちです。とにかく、少しでもこのバンドに興味を持って頂けたなら是非アルバムを聴いてみてください。日本のロックでこういう展開が70年代末に関西であったんだという事実を共感してもらえたらうれしいです。ああ、でもやっぱり音楽はライブだな。このアルバム発売記念して再結成ライブやってアルバム作らないかな。無理かな。おっと、最後の最後にお断りです。このエントリー書き始めたのは、23日でその日にアップするつもりだったので最初の話の日付がややおかしいです。書きなおそうかと思ったけど、最初の部分はそのときのマジな本気だったのであえてそのまま、スマソ。

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コメント

すてき!

「おかま喫茶」で「アグネス」という源氏名、しかもピンクレディーを踊っていたのですね!
行ってみたかった~~(笑)。

ちなみに私は大学の時、周辺大学のクラブの交流の仮装パーティーに出席し、ジョニー・ロットンよろしく、皮のパンツとギザギザのTシャツ着て、髪は金髪のスプレーで染めてキメたのですが、帰宅したら父親が私の恰好にびっくりして「そんな娘に育てた覚えはない!」といって殴りかかってきたエピソードがあります。
学校内だけにしたほうがろしいようですね、アン・ユージュアルな恰好は(とほほ)

えーと、当時僕は痩せていて175センチ48キロという

体型で、自慢じゃないけど髭も薄くて結構オカマ喫茶で受けた記憶があります。

当時の写真がなぜか1枚だけ残っていて、たまたま子供たちと一緒にアルバムを見ていて、「なに、これ信じられん」とか、それなりにレスしてくれていたファミリーが僕の「アグネス」写真を見たとたん固まって、♪何もなかったことにしましょう~と友部の「一本道」を歌い始めたのは、何故でしょうか。
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