あえて、傷つくことだけ上手になって

 つかこうへいが亡くなった。62歳。今年の1月に肺がんで入院して、病室から芝居の演出をしていたらしいがついに力尽きたようだ。なんと、1月1日付で遺書も書かれていた。短いセンテンスにまとめられた、つからしい文章だと思う反面、もっと饒舌に書いていてほしかったと思うところもある。ちなみに、「つかこうへい」で先ほど、ググったら変換予測に「つかこうへい 在日」とか「つかこうへい たばこ」とかいうものがあって、いくつかのぞいてみたが品性下劣、便所の落書き以下の罵詈雑言の集まりだった。少なくとも、つかの本を読んだとはとても思えない、いや、下手に読むと書いてあることを真に受けて、もっととんでもないことをWEB上でアップしかねないラクカラーチャ諸君が、好き勝手にあることないこと(まあ、主観的にはないことないことと言いたいくらいのものだが)書いて憂さ晴らしているから、シカトするしかないか。

 つかこうへいと初めて出会ったのは大学に入って間もなくのことだった。暴言と恫喝が得意技だったボーリョク学生のT原さんが、「あの小説はえぐかった」と教えてくれたのが、『初級革命口座飛竜伝』だった。読んでみたが、あまりの話の突飛さについていけず、何度も途中で放り投げた。『熱海殺人事件』もそうだ。つまり、当時の僕はつかこうへいの世界は理解不能というか、演劇とりわけ小劇場なんかやってる連中はちょっとおかしい、いや、そのなんというか常識が通用しないというか、はっきり言うとめちゃくちゃな人間が多く、その彼らの話す内容と近いものを感じたのだ。要するに理解できないからパスしたわけだ。しかし、良く考えてみると、これは本末転倒で、つかの影響を受けた演劇小僧たちがああいうわけのわからない言動や、活動をしていたわけで、それを見ていた僕は、ああいう人たちはちょっと毛色の違う人というややベサツ的対応をしていた。もっとも、喫茶店でいきなり奇声をあげたり、わけの分からない踊りを始めて、一体何ですかと聞いたら「大駱駝艦」などと、そりゃいったいどこの国の軍艦ですかと聴きたくなるようなことしか言わない連中だったもんな、演劇関係のサークルの人たちは。

 そうそう、D大の小劇場をやっていた人で確か1学年上でK藤さんと言う人がいて、この人もめちゃくちゃな人で、当時関西ローカルでやっていた視聴者参加型のテレビ番組に『ラブ・アタック』というのがあり、後の大阪府知事、女性問題で失脚した横山ノックと若い頃の彼とトリオを組んでいた横山フック、あ、もう当時は上岡龍太郎と名乗っていたか、の二人が司会進行でやっている番組で、これはどんな番組かというと地元のちょっとかわいい女の子をかぐや姫といって、あ、もちろん大分出身のおいちゃんが3人組で、♪あしたてんきになあれとか、あなたとおでんを洗面器いっぱい食べるのが月に一度のぜいたくだったとか、窓の下には神田川などと歌ったフォーク・グループの名前ではなく、日本古来の物語(今昔物語だったっけ?)に出てくる意味でのかぐや姫なのだが、あのかぐや姫は竹から生まれたことになっているが、爺さんが竹を切るときに真っ向空竹割りで切ったら、頭から真っ二つになり当然血が吹き出て大惨事になったはずだし、いやたとえ横から切ったにしても一歩切り方を間違えたら胴体から二分の一ずつになった可能性も否定できず、五体満足に竹から出てこれたのは奇跡に近いと、ええと一体何の話だったか、ちょっとここで整理してみよう。あ、つかこうへいの訃報の話だった。その前ふりとして、つかの小説や戯曲が最初はなじめなかったという理由の説明に演劇やってるサークルの連中は変人が多かったという説明をしている途中だったのだ。

 で、その『ラブ・アタック』というのは、もう一度説明するとかぐや姫と呼ばれる女の子に求愛し、もちろんすぐに求愛ではなく、その前にクイズやゲームみたいなものがありその中でいかにかぐや姫への愛を訴えるかが大きなポイントになっており、そのゲームを勝ち抜いた男が一人だけ求愛できたのではなかったか。たしか平日の夜10時くらいにやっていたので、放送のある日はテレビのある先輩の下宿に行って、結構みんなで見ていたものだ。確か3人か4人くらいの男がともに競うのだが、見ていて『あ、こいつは絶対あかん、落ちるの間違いナシや』とか『あ、これ、やばいん違います。かぐや姫結構その気ですよ、いいんですか先輩』などと、女の人をあれこれ比べるのを雨夜の品定めとかいったと思うが、この場合はなんというのか、チャレンジする男とそれを待ってる女の子というシチュエーションをあれこれ品定めして、いや、あんな男より絶対オレのほうがましやとか、なんであんな不細工なんがいけるんや、世の中おかしいで、とか散々言ったものでした。あ、そうそう、それで先ほど出てきたK藤さんは、この番組のスペシャルプログラムでかぐや姫が芸能人のときがあり、それに出て、当然かぐや姫に受け入れられることより、いかに見ている人たちを楽しませるかで、確かぼろぼろの学生服のバンカラスタイルで登場し、いろんな小細工をして最後に壮烈にふられる筈が、そのかぐや姫(何回考えても誰だったか思い出せません。三木聖子とか、あの辺のレベルの芸能人だったと思うのだが)が、なんとOK出してしまい、その瞬間K藤さん一瞬マジになったのか固まってしまった。その後どうやって番組が終わったか覚えてないのだが、当日番組に応援に行った人たち全員ひきつれて、番組からもらった賞金を一晩で飲みつくしてしまったというエピソードがあった。

 もっともK藤さんの名誉のために付けくわえると、たまにお酒を飲んでいない時で、回りに人がいないときは信じられないくらい鋭いことを言った。また、ものの考え方も非常に斬新で、これで芝居だとか演劇論だとか、言わなければもっと尊敬した先輩かもしれない。ある時、K藤さんとたまたま二人だけで話したことがあって、その時僕はミニコミを始めたばかりで、その時の仲間とそのミニコミのあるべき姿というか、ま、カッコよく言うと運動論をどうするかで迷っていたときで、何気にそういう話をしたら、いきなり「お前、そんなこと何も考えるな。いいか、俺たちの世代というのは何かを作る世代じゃない。今までにあるものを壊す世代だ。何のために壊すか?そんなことは考えなくていい。壊せ、とにかく壊せ。建設のための破壊だと?そんなことも考えなくていい。建設なんてことは後の世代に任せとけばいいんだ。とにかく壊して壊して壊しつくしてみろ」とアジられて、うーん、こうやって文章に書いてしまうとその時の迫力というか説得力が全然伝わらないのだが、ギョロ目で、背も決して高いほうではない人だったが、その時は物凄い存在感と説得力で、自信のなかった僕にミニコミを続けていく意欲を与えてくれた。余談だが、それからしばらくして東京ロッカーズ時代のモモヨさんのインタビューをする機会があり、僕は自信たっぷりに「僕たちの世代は破壊の世代ですよね」と話しかけたら、いたって冷静に「破壊って、何を破壊するんですか。どうやって破壊するんですか。」と言われ、あっという間に腰砕けになってしまった。それでも気を取り直して話は続けたが、最初にボタンの掛け違えをしてしまったので、どうにもしまらないインタビューになった。はは、今にして思えばいい思い出、になるはずがない。

 えー、まあそんな感じで、初めの頃はつかこうへいの文体やその世界、とりわけ自虐的ともいえる表現や倒錯した論理などになかなかついていけなかったのだが、あるときはっと気が付き、素直につかワールドに入っていけたのは『いつも心に太陽を』に収録されていた『弟よ』を読んでからである。その話の中の世界が、ちょうど当時の僕の家族関係や大学での立場関係にぴったり当てはまったのだ。詳しい話はとてつもなくプライベートになるからここには書かない。いや、書けない。

 それから、81年の3月に僕は大学生活を終えて田舎に帰るのだが、そして学生時代のことはすべて隠してある会社に潜り込むのだが、当然不本意な日々ばかりだった。その中でつかこうへいの小説やエッセイを読むことが、自分自身を取り戻すというかふっと心に灯をともすような時間だった。当時は営業の仕事で、それも結構現場を駆け回る仕事だったので体力的にもきつくて夜も深夜零時すぎないと自分の時間を持てなかったが(当時の会社は社員の脱落を防ぐために強制的に寮に入れていたのだ)、眠りに就く前の30分から1時間、彼の本を読むことでずいぶん癒された。ずいぶん後になるが、僕の子供が生まれたときに付けた名前はつかの『菜の花郵便局』から取っている。

 例によって、全然まとまりのない話だが、つかこうへいの死を悼んで、僕なりのメモとして今日のエントリーは残しておく。そうそう、この映画にもずいぶん助けられたな。つかの話を書くには『娘に語る祖国』にも触れるべきだったかもしれないが、今日はそういう気になれない。つかの遺書は下記の通りだ。

友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。
 思えば恥の多い人生でございました。
 先に逝くものは、後に残る人を煩(わずら)わせてはならないと思っています。
 私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
 通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
 しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
 今までの過分なる御厚意、本当にありがとうございます。




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コメント

どもです


ラブアタック観ていましたよ。
ただ関東では日曜の午前中にやっていたような記憶ありです。
少なくとも夜じゃなかったですねえ。

ワタクシもつか氏のことを日記に書こうと思っていましたがとてもアタマがまわらなくて断念しました。

今朝起きたら、配偶者からつかが死んだと言われました。まだ62歳だったということも。
もっとも肺がんで入院した時から、そう長くはないだろうとお互い思っていましたが、それにしても。
やはり、ちょっと重たかったですね。遺書は夜Yahoo!のニュースで知りました。
読んで、なんで太宰なんだよと毒づきながら、ああ、もうこういうことはこれから出来ないんだと
思うと、またちょっと来ました。思いっきりバカな話を書こうかと思いましたが、中途半端な、
でもそれが今の気持ちにぴったりだったので、何も手を加えずそのままアップしました。

>ラブアタック観ていましたよ。

S大の百田って名物男いましたよね。しかし、当時関西のああいう番組は関西以外では
受けないと思っていたから意外です。

百田氏は今こうなっていますね
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/knightscoop/OSK201005200019.html

つかこうへいは昭和50年代の顔だったなあ、とつくづく思います。
その後も阿部寛を大化けさせたりしてるんだけど、印象としては昭和50年代が強いです。



以前のコメントと重複しますが ・・・・
K藤君が出場した時の かぐや姫は、母親の介護を苦に
自ら命を絶った 清水由貴子でした。
もちろん その後、直接デートできるわけではなく、
収録終わったら ハイ、さようなら だったそうです。
K藤君とは、私に アントニオーニ「欲望」の上映会を紹介してくれた
男を通して知り合いました。DRACのN田君(自称 鈴木ヒロミツ)の
下宿とか、津田蓄音機店の息子の所(吉田山のマンション)とか
予期せぬ場所で バッタリ 顔を合わすものでした。狭い世界です。
上記の男の結婚式で 再会したのですが、新郎新婦の為に
歌った歌は 当然の如く 「♪キネマの天地~」でした。
つか氏 死去で 思う所があるだろうなあと 推察しますが、
私は K藤君とは その後の付き合いはないし、
上記の彼も 音信が途絶えて久しく、K藤君が
どこで何をしているのか、全くわからないそうです。

大学の同じゼミにいた男が 「プロポーズ大作戦」の
「フィーリングカップル5x5」じゃなくて、どこどこで会ったあの人を
探して欲しいと言う 「神の御前に身を委ねたる~」のコーナーの
探される側として登場して、「今度出るから~」の予告もなかったので、
TV(それこそK藤君から借りてたTVだった)を観ていて、
びっくりした事がありました。

なんと、あの百田氏がまさかの作家先生とは…。
いや、確かテレビ局関係に就職したというのは風の噂で聞いたような気がします。
しかし、写真見てクリビツテンギョウ。どこのハゲジジイが映ってるんだろうと、
よーく見てみると、モッズじゃないけど♪時は物を壊していく、お前と俺の顔も壊す~
というフレーズを思い出しました。

つかが、比較的最近見出した女優では、小西真奈美と黒木メイサが好きです。
などと節操のないオッサンでした。いや、鹿児島と沖縄出身だから応援してるんだ、
というのは明らかに言い訳(汗)。

でした、でした。清水由貴子でしたね。以前、詳しいコメント頂きながらすっかり忘れていました。
確かに、あのK藤さんは神出鬼没でしたね。僕は、I上さん、N田さんそれとちょっと曖昧なんですが、
S賀さんの下宿なんかで良く会った覚えがあります。まだ、それほど親しくなかったというか、たぶん
修学院のI上さんの下宿で2度目に会った時ですが、いきなり指でこちらを示して「おい、お前、今から
飲みに行くからついてこい」と言われて、訳も分からずついていったことがありました。不思議な人でした。

って、勝手に過去形にされたら、K藤さんもいい迷惑だな。

>「神の御前に身を委ねたる~」のコーナー

ありましたね~。すっかり忘れていました。ひょうきん族の懺悔コーナーは、もしかしたらあのパクリ?

 こちらに返事しておきます。「静」 4.5年前に一度行きました。机も壁も小さな座敷もそのまま
スライドギターを弾いている人も、扉をあけたら、違う時代にいったようでした。去年加藤秀一を
熱かった新聞の記事に写真とともにのていたこともありました。ネットで検索しても出てくるので、
店はそのまま現存しているはずです。
 拾得といい「静」といい、京都には当時のままの空気がのこったような場所がありますね。残念ながら
「金八」は残っていませんが・・・・

guevara129さん、Purple_Hazeさんも書いてくれてたけど、静はまだしっかりあるんですね。
先ほど、壁の落書きの写真を見ましたが、小さくてあまり読めなかったのが残念です。
しかし、学生時代は乏しいこづかいで(あ、今も変わらないか…)、飲みに行ったので、
安くてうまいところを探していました。ネットは無い時代だったので、ミニコミやそれ以上に
役に立ったのが口コミでした。元田中に午前4時までやってる「田中」という居酒屋があって、
そこのサバ味噌煮は絶品でした。今もあるのかな…。

>残念ながら 「金八」は残っていませんが・・・・

活動家御用達のお店でしたね。行くと必ずアーミー来た奴が飲んでる(笑)。
この週末は静をじっくり味わってきてください。

まぁ、いつもどおり後だしじゃんけんなんですがw

都立高校演劇部出身の女房(小劇場を高校生で見てた)に連れられて、ほぼ無理やり、つかの熱海を見たのですが、まぁ役者さんたちが根性入った連中でw というのも、時間ぎりぎりに入場して、座ってすぐに芝居が始まったのですが、これがさっぱり私には判らんのですね。つかの戯曲だの小説だのエッセイだのは高校生の頃から読んでたのですが、芝居の文法というか、つかの芝居の文法が合わなかったのか、終始しらけて仏頂面で見てたのです。そしたら、劇団員が気づいたらしく、出てくる役者全員が私の顔を見ながらアホ芸をやり始めたのですわ。もう、何とか笑かそうと必死でやるワケで。さすがに、その必死さに苦笑させられましたw もう笑うしかないですわw

B. H.

お、B.H.さん、お久しぶりです。こちらは口蹄疫問題がようやく収まりつつあります。
宮崎に来るのは今がチャンスかも、あ、あるいは「宮崎」と偽名を名乗りJALの企画に乗るという
手もあります、などと、支援受けようとしている現地の人間がそういうことを書いたらあかんな。
もといっ!!

つかの芝居は残念ながら、ライブで見たことがありません。これはRCのライブを見逃した(屋根裏で
ブレークする少し前に京都のサーカスに来たことがあり、そこのスタッフから「キヨシローは、デビッド・ボウイ
やった」という感想を聞かされた)のと並んで、我が人生の汚点です。しかし、客を徹底して笑わせるというか、
一度来た客を必ずファンにするという手口は凄かったらしいですね。日記の中にもちらっと書いてありますが。
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