あの頃の女の子の話(羊頭狗肉とも言います)

 懐かしい声を聞いた。多分、いや間違いなく30年以上聞いてなかった声だ。今日、昼食を取っていたときに携帯の青ランプに気がついた。着信のしるしだ。画面を見るとK平先輩の名前が出ている。平日の、しかも月曜日のランチタイムにいったいぜんたい何だろうと思ってかけなおしてみた。「あ、車の運転してたの?」と聞きなれた声がしたので「いや、今飯食ってたんですけど電話バイブにしてたもんで、気がつきませんでした」と、こちらは後輩なのでちゃんと敬語で話した(このあたり、某sugarmountain君あたりは見習って欲しいものだ。『長幼の序』という美しい言葉もあることを学んで欲しいものだ、っていい加減くどいですか、そうですか)。電話の回りはずいぶんにぎやかで、K平さんもどこかの出先から電話しているようだった。時候の挨拶が済んで、「…じゃあ、サプライズ・ゲストに代わるからちょっと待って」と言ったかと思うと、突然、明るい女性の声が響いた。「××君(僕の苗字)?うわー、久しぶり、もうかれこれ30年以上やね」と話しかけてくるその人は、サークル時代の同級生、Hさんではないか。

 実は、この電話での再会には先ほど登場したsugarmountain君も関係しているのだ。彼は79年度生だから、75年度生のHさんとは面識はないのだが、あれ、僕も同じ75年度生なんだけど、面識があるどころか彼の面倒は2年間見てやったはずだ(一人で喫茶店にも入れない、見た目と裏腹の地方出身の彼を何とか人前に出せるようにしたのは、オリテやEVE実などで僕がこきつかってあげたおかげである)おかしいな、計算が合わないが、まあ細かいところはどうでもいいか、いや、早い話が僕が6年間大学にいたからなんだけど、その手の話はまた今度。ええと、sugarmountain君が『鳥肌音楽』というblogをやっていて、そこにPurple_Hazeさんがちょくちょくコメント書いたりしてたのだが、いつ頃からか僕もそこに乱入することが多くなり、その僕の書いたコメントからPurple_Hazeさんが僕と同学年だったことに気付きお互いのblogを行き来するようになり、さらにそこから岐阜のTHIS BOYさんも花のD大75年度生だという事が分かり、まあ、それ以来親しくさせていただいていた。

 で、今年の2月初めだったか、Purpleさんから突然メールが来て(ちょっと、余計な話だが、この「突然メールが来て」という言い回しは僕もよく使うが、表現としてはおかしいんじゃないだろうか。「突然~が来る」というのは、予想も予測もしていなかった物や事がやってくるということであって、人間は神様じゃないから「お。もうすぐ誰かからメールが来そうだな」などと考えることはあまりないのではないか。いや、絶対ないとは言わないが、多分にないことのほうが多いような気がする。だから、「突然メールが来て」などと書かずに「メールが来た」と書けばいいようなものだが、そこはそれ、本人がまったく予想してなかったというニュアンスを出したいので、ついつい、こう書いてしまうんだよな。ま、多めに見てちょ。ちなみにこういうカギカッコの中の話を蛇足という、いやー勉強になりますね)、その中にD大75年度生のHさんの名前が出ていたのだ。要するにPurpleさんは学部・学科も同じ、ゼミも同じだったのだがどうもはっきり思い出せない、HさんもDRACにいたらしいので、何か情報は知らないか、というような内容だった。

 今、思い出したが、ちょうどその時期に僕は長い間押し入れにしまいこんでいたアルバムなどが出てきて、そこには70年代のああ恥ずかしい、肩まである長髪、ベルボトム・ジーンズのわが姿や薄汚いアーミー・ジャケットにストレートのブルー・ジーンズ姿や、これはいったい何をトチ狂ったのか理解に苦しむが水色のツナギ(見ようによってはちょっとDEVOぽく見えなくもない)を着て鳥取の海を眺めている写真や、パンク・ニューウェーブ全盛期の髪の毛バッサリ、色鮮やかな緑のパンツに派手なカラーシャツにバッジをいっぱい付けた、見るからにハクチ的な写真などが出てきて、これらはすべて無かったことにしようと思ったが、それでも僕の学生時代の写真というのはあまりにも少ないので、ま、笑ってごまかせるものは残そうと整理を始めた時だったのだ。そういえば緑のオーバーオールを僕は着ていた時期があり、しかもその時の履物はかかとの高いサンダル、ま、ポックリみたいなものだが、そういう恰好をして今出川界隈を平気で歩けたというのは若さの特権だったのだろう。早い話が、人間若いころはバカだということだな。ま、今でもバカではないかと問われればあえて否定はしないというか、できないのだが。その一連の写真の中に大学2回生のときの鳥取合宿の写真があって、そこにHさんが映ってるものもあり、それをPurpleさんにメールしたのだ。

 そこから、Purpleさんの記憶も鮮明に蘇り無事Hさんとネット上の再会を果たし、僕もHさんから直接メールをもらい、お互いの近況を情報交換したのだが、彼女はなかなかにシャイな人で僕やPurpleさんのblogにコメント書くこともなかった。というところで、ちょっとまた空白の期間はあったが、本日、無事30年ぶりにお互い声を聞くことができたという話である。しかし、こうやって考えてみるとネットの力はすごいものがある。もしネットが存在してなければ、今日、このエントリーに書いた人たちとの再会はなかった(いや、中には学生時代には面識すらなかった人もいるわけで、そうするとネットがなければ、あるいは僕がblogを始めてなければまったく縁がなかったことになるな。うーん、何だか不思議な感じだ)。で、ずいぶん前ふりが長くなったが、今日はそのHさんの話というか、僕のいたサークル、DRACの女性について覚えていることを書いてみよう。あ、これは、75年以降のDRACという狭い社会の話なので、関係者以外は全然つまらない話になるかもしれないので、あらかじめお断りしておきます。

 サークルに入ったばかりの頃の話は以前「DRAC興亡史」シリーズとして書いたことがある(あ、このシリーズも竜頭蛇尾というか、確か75年の前期で終わってるな、EVEの話はまだ終わってなかったはずだ、反省)。75年の5月の連休後に入会して、そのときに会った先輩や同級生の印象ははっきり覚えているのだが、女子部員の印象が薄い。いや、これは別段気取っているわけでもなんでもなくて、まず第一に女子部員の数が圧倒的に少なかったことと、1学年上にとんでもなく苦手というか、性格が合わないというか虫が好かないというか、ええい、じれったい、はっきり言うと大嫌いな人がいたのよ。しかも、オレはその大嫌いだった先輩の操を守るため、頭のぶっ飛んだお兄ちゃんにブッ飛ばされて、先ほど書いたかかとの高いサンダルを使えなくされ、一番気に入っていたベルボトムのジーンズの膝に穴があくという悲劇に見舞われたこともあるのだ。このあたりの話は「アウトオブザブロークンマインド 後編」に書いてあるので、興味を持たれた方はどうぞ。

 うーん、今トイレに行って、それから過去のエントリーを見直してみたけど、やはり入会して最初に会った女子部員は誰だか覚えていない。可能性としてはS本さんが高いのだが、僕の中の何かがそれを拒否している。無意識の意識だ、などと書いてもしょうがないか。今、とにかく思い出すのは僕をいつもからかっていたT永さん(通称、アサさん)、しかし、このアサさん優しいところもあって、出町時代に何故か部屋でご飯を作ってもらった記憶がある。非常に残念だが1対1ではなくて、たしか同級生のN谷と故M原、あと何人か後輩がいたと思う。いったいどうして、そんなことになったのか、確かEVEの準備か何かで遅くなって僕の部屋に米や味噌はあるが、あとは何もないとかこぼしていたら同情してくれたのだろうか。鰹節で出汁を取ってお味噌汁を作ってくれたこと、その鰹節をすくのにフライパン返しを使ったこと、生野菜を適当に切ってそこにサラダオイルと味塩をかけるだけで、結構おいしいサラダが出来たことなどを覚えている。女の子がそうやって甲斐甲斐しく作業するのを見て、一瞬胸がキュンとなりアサさんのことを好きになりかけたが、下品なことでは人後に落ちないN谷がニヤニヤしながら「お前なんかヤラシイこと考えてるのと違うか」などとズバリ指摘され、いや、その、恋愛というのは錯誤からうまれることもあるのだなと。え、その時の感情?気の迷い、気の迷い。あ、そういえばそのときHさんも一緒に、いなかったよな、うん。

 おっと、話が一気に飛んだが、まあ、そのT永さんと今日、久しぶりに声を聞いたHさん、後女子大の子でK谷さんって子がいた。この子は結構化粧も派手で、ミニスカの似合う子だった。しかし、大変残念なことに1年もしないうちに辞めてしまった。そうなのだ。我がDRACはもともと女子部員が少ないうえに、入ってもすぐ辞めてしまうのだ。当時は1年上のS本さんが、全男子部員の注目を集めたいから女子部員が入ったらいびって追い出すのだという説がまことしやかに流布した。発生元はF田君だったか、それとも先輩たちだったかもう覚えていない。しかし、今冷静に考えてみると、もともと女の子の相手をするには野暮ったいというか、薄汚い野郎どもばっかり(例外はE副くらいだったっけ、あ、先輩の中にはK平さんを始めモテモテの人もいたけど、と、さりげなく上の人に花を持たせる、憎いね、この、ってオレ頭大丈夫だろうか)だったので、せっかく入会した女の子も居心地が悪くなって辞めていったのだろう。

 と、ここまで書いてえらいことに気がついた。じゃ、3回生までしょっちゅうDRACに入り浸っていたHさんやT永さんはどうなるのだ。あわわ、世の中知らないほうが幸せなこともあるんじゃないか。ゴホン、えー、話がまとまらないので、ここは僕とHさんの思い出の曲で締めたいと思います。もちろん、モット・ザ・フープルです。Hさん、普段はおとなしいけどモットの研究会のときだけはブイブイ言ってたよね。そうそう、1年下にはストーンズ関係は誰にも文句言わさんぞというI川女史もいたなぁ。彼女も4年間しょっちゅうBOXに来たけど、いや、その、別に行くところがなかったなんて誰も言ってない、などと、今気がついた。僕は自分で墓穴を掘るタイプだ。



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コメント

昨日は 失礼しました。
特にEVEやイベントの時、女性陣には、ガリ版刷りから 
飲み物の世話、呼び込み等、お世話になり 口だけで、
何の役にも立たない私は、今でも 本当に感謝、
敬服しております。
当時は、彼女らのファッションも地味で かえって好感を持ちました。
数年後の世代は、華美になり 圧倒されましたね。
K谷さん? すみません。記憶にありません。
どんなエピソードがあった方ですか?
T永さん、雑談の記憶はあるのですが、彼女が好きだった
音楽ジャンル、アーティスト名は、憶えてません。
木魚叩いて HONKY TONK WOMENでしょうか。
DO YOU REMEMBER?

男も 伊達男、E副君が 別格で、後は ほとんど、
モップスか村八分かCCRみたいな 風貌、ファッションでしたね。

昨日は、健康診断だったのですが・・・
「あなたは、ここに来る健診者の中で、ワースト10に入る
 数値の悪さです。腎臓、肝臓の機能が特に悪いし、
 善玉コレステロールは、ほとんど無し、
 突然倒れてもおかしくない状態です。
 その上、B型肝炎が発症寸前、本格的に治療、投薬を
 始めないと危険です。」と言われました。
この世に未練半分、どうにでもなれが半分、
どうしたものか、宙ぶらりんの心境です。

この前の日曜日、とある観光地の駐車場に入る時、係員から
「ああ、おばあちゃんか。あそこに停めて。」と言われました。
施設への入り口に近い場所に停められたのは ラッキーでしたが、
単なる高齢者ならいざ知らず、「おしん」「渡鬼」の 
橋田先生にでも見えたのだろうかと、苦笑とショックでした。

とりとめのないコメントで 失礼しました。

K平先輩、そりゃマズイっす、早めに治療スタートしてください。
肝臓なんて安静にして、栄養のあるもの取ればすぐに良くなります。
B型肝炎も今は完治する病気なので、とにかく早くいいお医者さんのところに!!

で、以下、ご質問に回答いたします。

>K谷さん? すみません。記憶にありません。
確かEVEの頃には来なくなってたというか、前期だけでしたっけ。僕たちは1回生コンパをやったので、
覚えています。S戸君が狙っていたのですが、僕に気があったはずです(ここは譲れません)。

>T永さん
彼女は良く緑のベレー帽をかぶっていましたね。日本のロック、特に関西のブルースやR&Bが好きで、
サウストウサウスのライブに良く誘われました。確か、研究会はブルース班だったのでは?
S戸君が狙っていたのですが、ご存じのようにI上さんに取られました。しかし、僕に気があったはずです。

それと今日、Hさんからメールが届いて、そこにS本さんが女子部員をいじめたということは無かったと、
S本さんの名誉のためにと書いてあったので、この場を借りてお詫びしたいと思います。
で、たぶんHさんも僕に気があったはずです、ってどんなんや、オレ!?

>男も…モップスか村八分かCCRみたいな 風貌、ファッション
ご指摘の通りです。あの角刈りのS賀さんも、汚い長髪にしていた時期がありました。
僕もいい加減小汚い格好でしたが、本当に薄汚い野郎ばっかりでした。ま、そんなところに
女性は来ないわな、と書いたらHさんやT永さんは何だったんだということになりますが、
いわゆる掃き溜めに鶴でした、そうだよね、Hさん!!

なんですかな、まぁ内輪の思い出話なんで突っ込みどころがないですが、最後に貼付けてあったビデオを見てたら、Mick Ronsonがまだこの頃生きてたなどと思って、YouTubeだらだら見てました。そしたら、偶然こんなのみつけました。で、ついアマゾンで、Glastonbury06を注文しちゃいまして。
http://www.youtube.com/watch?v=gH9WnSOISv0

いや、まぁどうでもいい話なんですが。

B. H.

へぇ

H氏?も75年なんだ!
しかし、ブログでの出会い!って不思議だね!

そうそう、「はんぶんじゃく」 (古いPCで打ってるから、変換できん)
生写真、一生懸命探してるんやけど、なかなか、見つからない・・・・

B.H.さん、奇遇ですね。僕もこの動画貼り付けるときにボウイの70年代の動画見てて、
プロモ用の「スターマン」見てたら、ミック・ロンソンがギター弾きながらボウイと一緒に
歌ってるところ見て、ちょっとうると来てしまいました。「1984」歌ってるのは『ヤング・アメリカン』時代ですかね。
やたらコーラスの連中の存在感があります(笑)。

Glastonbury06はDVDですか?

>H氏?も75年なんだ!

そうなんです、川崎さん、って同期でないと分かりにくいギャグですね。
いや、マジでPurpleさんのクラスメートのしとやかな女性です(低姿勢、低姿勢)。
なにせ僕は学生時代に合宿費用を借りたことがあって、なんとそれを返さないまま
現在に至ってるという弱みがあるもので…。まあ、他にもいろいろヤバイ話を知られてる
可能性が高いんです。K平先輩には武士の情けで見逃してくれ~と言えますが、
Hさんは、どうなんだろう。いや、オレ素行は良かったから大丈夫、な、はず。

で、范文雀の写真、首を長くしてお待ちしております!!

>Glastonbury06はDVDですか?

もちろん、DVDなんですけどノート•パソコン(MacとPC両方使ってます)で、さらにリージョンの違うDVDが沢山あるもんで(さすがにPALは買ってないですけど)、パソコン側でディバイス•ドライバの設定を調べてリージョン•フリーで使えるようにするつもりです。

ところで、GlastonburyのDVDを見ていて不快なのは、何と言うか実に胡散臭い「コミューン幻想」がイギリスにおいて復活していることです。それも、わざわざディジタルで撮影された画像を荒らして昔撮影されたかのように演出し、ワイト島とかウッドストックとかと二重写しにして演出する制作側の「あざとさ」が見ていて鼻につくのですわ。まぁ、レイヴとかが90年代に流行ったせいもあるんでしょうけどねぇ....。懐古趣味は別として、ああいうことが生産性の点でほとんど全く何も生み出さなかったことなど判っている筈なのに、またもやそれを押し付けてくるのが実に不快窮まりないです。

要するに、また一種の反文明論が復活しているようですね。もちろん、アーミッシュみたいにどっかの田舎で自分らだけで生活するなら文句ないですけど、胡散臭いシーシェパードみたいなのが相変わらずオーストラリアやニュージーランドで影響力を保持して、単なる文化的な背景の違いを倫理の問題に摺り替えて無茶苦茶な文句をつけてくるから、こういう手合いが大嫌いなんです。安易な集団的熱狂が不寛容な自文化中心主義とすぐに結びつく傾向があるのは、わかりきったことですわ。八紘一宇で大東亜共栄圏万歳とか、ファトワ飛ばしてジハードとか、ウリナラ•マンセーで大古朝鮮とかと大して変わらん馬鹿ばかしさですわw

B. H.

ちなみに、これエイドリアン•ブリューがギター弾いてるようですね。

http://www.youtube.com/watch?v=bD3d_GHlYAA&feature=related

B. H.

>一種の反文明論が復活

なんていうのか、もぐらたたきというか起き上がりこぼしみたいなもので、
最近見かけないなと思っていたら、いつの間にかひょっこり出てきてるって
感じですかね。ワイト島とかウッドストックみたいな共同幻想いつまでも
見ていてもしょうがないというか、もういい加減そういう神話は忘れてしまえば
楽になるのに、やはり商売になるならそういうのもリバイバルさせるという見上げた
根性なんでしょう。

>安易な集団的熱狂が不寛容な自文化中心主義とすぐに結びつく

ごもっともです。今回の口蹄疫の陰謀論の中にも多々見受けられます。厄介なのは
純真で、熱心な若者ほどその手のものにからめとられて、自分が染められていることに
気がつかないというか、あくまで自分の頭で考えたことだと思い込む危険性です。

>エイドリアン•ブリューがギター弾いてる

おお、78年の映像ですね。この頃のボウイは神がかっていました。
なんともいえない存在感です。
ちなみにmixi仲間から教えてもらった、最近のキース・リチャード、笑えます。

http://www.latenightwithjimmyfallon.com/blogs/rolling-stones-week/
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