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そういえば、今日大臣がやってくるのか

 しばらくエントリーは書きたくないと考えていた。僕のblogは「70年代極私的ロック史」が本来の姿であり、いや、そんな大層なものじゃないか、要するに70年代に京都という特殊な地域で学生生活を送った僕の備忘録的独り言みたいなもので、早い話が圧倒的多数はバカ話、事実よりも加工した話の方が面白ければそれでいいじゃないか、人間だものというスタンスでやってきた。しかし、しかしである。口惜しくてたまらない。四面楚歌というのはこういうことか、とも思う。あるいは、ついに始まったかなとも思う。うん、今までは「可哀想だ」「悲惨だ」「これは政権党の陰謀だ」などと怒りを「共有」してきたはずの「仲間」だと思っていた人たちからのバッシングが始まった。いわく「種牛もさっさと処分しろ」「宮崎のローカル・エゴ、住民エゴだ」「宮崎ナンバーは入ってくるな」「どうしても入ってくるときは1時間以上消毒しろ」「お前らが起した疫病だからお前らのところで食い止めろ、本土にもちこむな」etc,etc。被害妄想かもしれないが、今日(29日)あちこちのメディアで見聞きした。

 今回の口蹄疫で、いろいろ見えてきたものがある。「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」である。今日の夕方、ニコ動でこの動画を見たとき不覚にも悔し泣きしてしまった。予めお断りしておくが、拙blogをご覧戴いている方には僕が「やまと新聞」なるメディアの考え方とは全く反対の立場だということはご存知だろう。また、ここに出てくる江藤拓議員は、僕自身が彼の父親のことをエントリーでおちょくったこともあるし、あの親父譲りのあくの強さ(眉毛もクリソツ)は、また何か機会があったらからかってやろうと思っていたくらいだ。そういえば、一頃追及していた「国士」の中山センセは、どうしたのだろう。ふるさと宮崎の一大事だというのにとんと発言も行動も見聞きしない。おっと、江藤議員だが今回の口蹄疫では随分頑張ってくれた。思想信条が異なっていても、ふるさとを思う気持ちは親を思う気持ちと同じでその1点においては共闘できる、と思った。竹中労である。話が見えないかもしれないが、この間のあまりの悲惨さに今日はちょっと飲みすぎて酔っ払ってしまい、そのままの勢いでこのエントリーを書いている。したがって暴走してしまうかもしれないが、極力それは抑えて、とりあえずこの動画見てください。ニコ動はコメントにかなりの未確認情報というか、あきらかな事実誤認、意図的なデマなどがちりばめられていたのでYOU TUBEでアップします。しかし、気持ちの上ではニコ動のコメントをも信じたくなるような某大臣、副大臣などの発言、態度ではある。



 江藤議員は、まるで一杯入ってるような話し方だ。あるいは、こみ上げてくる感情をなんとか抑えようとして、その反動でああいうざっくばらんというか、くだけた話し方になるのだろうか。それ以前にアップされていたYOU TUBEやニコ動の動画では几帳面にしっかり怒りを込めて話していた印象が強かったが、この動画では匙を投げたように見える。まさしく「心の落ち着き失せて 胸は重し 尋ぬともそは 帰らず ついに」(by ゲーテ&ZK)という状況だ。

 沖縄の問題では、ついに福島大臣が罷免された。いいことだ。社民党も、本来のスタンスを取り戻し沖縄人民との共闘で「最後の最後まで戦うぞ」でいいじゃないか。あんたらは、もともとは「社会党」だろうが。福島さんも同じ宮崎は延岡出身じゃないか。沖縄の問題ももちろんガンガンやってもらい、この口蹄疫の件でも言うべきは言う、やるべきはやってほしい。何でも反対、アンチでいいじゃないか、それこそが党のレーゾン・デートルだろう。あ、そういえば、バカ、いや違った赤松大臣その名の通り元々は社会党でしたっけ。おーい、社会党ってのはその昔庶民の味方、困窮する人民の味方だったよな、たしか。いったいどうなってるんだ、世の中。もう、書いてる僕も支離滅裂になってきて、あとは動画をアップするので、この間の一連の動きを整理しておこう。先ずは赤松大臣が宮崎に来て、これでようやく口蹄疫対策が国レベルで行われ終息するだろうと期待したときの地元テレビのニュース。ここで発言を制止された古川議員(自民党)によると「同席は認めたが発言は認めていない」とか「選挙目当てで発言するな」とか、セクト主義的なことを大臣及び大臣側の議員から言われたらしい。



 で、その翌日、尿路結石(あれはイタイ。なったことのある人間でないとわからない。陣痛のときの痛みに等しいと僕は当時かかっていたドクターに言われたが、残念ながら陣痛は経験したことがないので比較できない、ってこういうことばっかり書いて、お気楽に音楽の動画アップしたいんだよな、ホントは)で大臣と会えなかった江藤議員が国会で赤松大臣を追及する。これを見た全宮崎県人は「異議なし」「赤松、ナンセンス!!」「国家権力の不当な不介入を許さないぞ」「赤松-山田体制フンサイ、緊急予算を確保するぞ」とのシュプレヒコールを上げつつ、国会にデモをかけようという気持ちになったはずだ。え、オレだけ?(しかし、今の宮崎の現状は、こういうオフザケめいたことをしゃべったり、書いたり出来る雰囲気ではない、実際の話)



 このときの国会の動画は全部YOU TUBEやニコ動にアップされているので、続きが気になる方はそちらをご覧下さい。江藤議員と赤松大臣、山田副大臣それぞれの立場で発言しているが、やはり議論、討論の場ではそれなりに真摯な態度というか、真剣な顔つきはすべきじゃないか。ましてや発生現場の町の名前すら正しく読めない(知らない)。「かわなみちょう」なんて宮崎にはありません。で、最後の動画だが、これはどうなんだろかとちょっと迷った(残酷とかそういうことではない。mixiでの個人の日記を第3者が動画としてアップしているので、事実関係の確認の仕様がない、というか現地には入れないのだ。いや、言葉を正確に書くと入れなくはないが無用な感染を広げないためにも関係者以外誰も入らないというのが正しいだろう)。「早く楽にしてあげてくれ」という叫び、これは多分畜産農家の方たちの心からの叫びだろう。しかし、悲惨だ。



 最後に少し酔いを醒まして。今、宮崎は「県民総力戦」で口蹄疫と闘っています。当面の敵は目に見えないウイルスですが、可視的仮想的として政権党や担当大臣などが怒りの対象として存在しています。いい、悪いは別として、それが現実です。しかし、この不毛な戦いもいつか終息するでしょう(勿論、1日でもその日が早く来ることを心から願っています。全国の支援していただいている方も同じ気持ちだと思います)。ただ、その終息の日以降が僕は今とても心配です。畜産業は壊滅でしょう。お米や野菜、マンゴーという農業もいわゆる風評被害でダメになっているでしょう。建築業界は口蹄疫以前から連続する倒産、廃業などでそもそも最初から論外です。運輸業も宮崎ナンバー出入り禁止でバタバタ逝ってしまうでしょう。観光?口蹄疫のウイルスを持ち帰るかもしれないのに、わざわざ宮崎に来る物好きはいないでしょう。つまり、産業が、宮崎を、日本で県民所得の低さを沖縄と争っていた宮崎の産業が破綻してしまう。そこからどうやって再建するのか。まさに今まで以上の県民総力戦が始まるでしょう。敗北するかもしれません。宮崎という共同体が存続しえなくなるかもしれません。それは何故、誰が、陰謀論に陥らず冷静に見つけていきたい。そこから、この手の問題の解決策が作られる。それこそがこの悲劇のたったひとつの救いかもしれません。いみじくも今、沖縄と書きましたが県民所得の低い、したがって国税もあまり入らない、とりようによっては金ばかりかかるお荷物県、「だから」国から見捨てられ防波堤にならされるのか。理不尽だ。納得できない。沖縄との怒りの共有を、これは真剣に模索しなければならない、とヨッパライのオッサンは一人力なく呟くのだった(いや、内心満腔の怒りが滾っていますが)。

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コメント

どうもお久しぶりです。

えー、しばらく面倒臭かったので、ここにお邪魔してませんでしたが、宮崎大変なことになってますな。そのうち、宮崎に女房連れて出没しようかと思ってるのですが、その折にはぜひ酒の相手なりして頂けると大変助かります。

というわけで、またしばらく音信普通になるかもしれませんが、よろしく。

B.H.

B.H.さん

おお、ずいぶんご無沙汰でしたね。先月メールしたんですが、SPAM判定されたのかな?
お変わりないようで、何よりです。

>宮崎大変なことになってますな

もう、むちゃくちゃでごじゃりますがな、とでも言って笑ってられたらいいんですが。今回のは根が深いです。さまざまな陰謀論や、党利党略論、民族差別、地域差別などが複雑に情報にまとわりついて、結構冷静な判断するだろうなと思った人が、実はこの人陰謀論大好きだったのか、とか、根は差別主義者だったんだなとか、お、こいつずぶずぶの資本主義者のくせにいうてることはコミュニストみたいやがな、とか、まさしくDAZED&CONFUSEDです。殺処分された牛や豚の墓碑銘にも"CONFUSION"と記されることでしょう。

>宮崎に女房連れて出没しようかと思ってる

どうぞ、おいでになってください。あいにく口蹄疫がいつ、どのようなかたちで終息するかちょっと見えませんが、とてもいいところですから。予めスケジュールをメールして頂ければ、段取り組みます。高校時代の友人がこういうお店オープンしたので、ご案内します。
ROCK BAR 1956 http://www.bar1956.jp/
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Author:drac ob
1975年5月から1981年3月まで、眺め続けた景色から時代と文化が見えてくる。混迷と停滞の時代を撃つ、はずはない。

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