学食の話

そのときのランチ、食べかけた途中で写真とったので見苦しい

 久しぶりに大学の生協の食堂でメシを食ってきた。いわゆる学食というやつだ。どれくらい久しぶりかというとアバウト30イアーズアゴーではないか。というのも、上の子の大学の保護者説明会と後援会総会なるものが開催されるという通知が以前届いており、その封書の中に額面1,000円の金券が同封されていたのだ。1年前は、入学の手続きと説明会があり、そのときは配偶者と子供と3人で行っていろいろ必要品を購入したり、単位の登録の仕方などの説明を受けたのだが、進級した今回は説明会の出席率を高めるため、生協の金券をサービスしようという、官が民に学んだ動員手法ではないか、などというのはゲスのかんぐりというもので、ここは素直に今の学生の生活風景を疑似体験させてやろうという大学当局の親心だろうと思うことにした。

 当日は、配偶者は仕事があるので行けないというので今回は子供と二人で行って見た。もっとも子供はサークルの練習に行くのが主目的で、父親と一緒に生協で飯を食うなどということは死ぬほど嫌だといわれて、ま、そりゃそうだと納得。自分自身が大学に入ったとき、一応父親が同伴してきて下宿の手続きや、日用品の購入、さらには大学生協への手続きなどをしてもらったが、「そんなん、オレ一人で大丈夫」といったのだが、なれないお金を持たせたらこいつのことだから、全部レコードと本に化けてしまいまともな生活は出来ないだろうという、親の、正しく、親ならではの鋭い読みで同行されてしまったのだ。そういえば、今思い出した笑い話だが、確か今出川の特設コーナーで机やファンシーケース(分かるかな、ビニール製の簡易たんすみたいなものだ。いや、洋服掛けかな。あれの組み立てが僕は苦手で、初めての下宿のときはたまたま遊びに来ていた元下宿生に組み立ててもらった。Y本君、元気かな。あの時はありがとう。生活費が足りなかったときはジャズのレコードをタンポにお金を借りたこともあったっけ。1枚1,000円だったな)、コタツや水屋などの生活必要品を申し込み、その宅配を受付の女子大生に頼んだ。勿論、生協のアルバイト学生だと思うが。

 僕の父親は結構土地勘が良くて、一度行ったところの地図はそらですらすら描く人だった。そのときも大学から下宿までの略図を描こうとして、「えーと、ここにカラスマル通りがありますよね。で、ここからこういって、それで…」と説明をしていたら、その女子学生がなにやら含み笑いしながら「あの、お父さん、これ『カラスマル』と書いて『カラスマ』言いますんや」とぬかしおった。横で聞いていた僕は、「コノヤロー、田舎もんだと思って小ばかにしやがって、だから京都の人間はイケズだというのだ」などと勝手に怒っていたのだが、今冷静に考えてみると多分にあの女子大生も地方出身者の可能性が高い。目くそ鼻くそを笑うの図だったと思う。まあ、京都などというところで生活していると、どうしても地方を下に見てしまうのはしょうがないかな。

 それと脱線ついでなんだが、僕が最初に借りようとした下宿は上京区大心院町だったのだが、窓が全くなくて部屋の四方は土壁、明り取りに天窓が1つあるだけという環境劣悪な部屋だったため、即座にキャンセルし、それからあちこち探して修学院に落着くわけだが、このときに注文した家具や布団などは大心院町の住所にしていたので、配達しようとした生協の職員が転居先不明でずっと預かりっぱなしになっていた。つまり修学院の下宿は、最初は全くスケルトンの状態で寝具も大家さんの厚意で借りたままだったのだ。大家さんも1日2日はいいとして、いつまでたっても僕が自分の布団を取りに行かなかったので「drac-obはん、いつまでうちの布団使うんでっか、はよう、自分の布団取りに行きよし」などと怒られて、慌てて生協の事務所に行った事があった。

 事務所に入り口にいた無口なオニーチャンに名前と前の住所を行ったら、倉庫みたいなところに案内してくれて別の人間につないでくれた。今度はやたら良く喋る職員で、「あー、おたくな、えらい迷惑やったわ。重たい荷物トラックで持っていったら、全然別の人間出てきて、こんなん頼んでへん、いいよるし、こら、荷物の預かり賃貰わんと合わんな」などといった。今であれば、「アホンダラ、客には客の都合っちゅうもんがあるんや、そんなもん払えるかい、ボケェ」と強弁すること間違いなしだが、なんせまだ18歳の初々しい頃だったから「あ、すいません。いかほどお支払いしたら宜しいんでしょうか」みたいなことをいってしまった。流石にその職員も薬が効きすぎたと思ったのか、「ええよ、ええよ。まオレが何とかしたるわ。ところで自分九州やな(京都に来て最初にビックリしたのは相手のことを『ジブン』ということだった。僕ら九州人は『ジブン』というときは、当然『自分』のことであり、『自分は星君の練習風景を見るとションベンばちびりますたい』と俄か左門豊作になってしまうのだ)。ほら、さっきおった大人しい男、あれも九州や」などと話をそらすのだった。「へえ、九州っていうとどちらでしょうか」とこれまたクソ真面目に聞いたら「確か佐賀とかいうとったな、宮崎と佐賀っておんなじ九州やし、近いんやろ」などと、およそ九州の地図など見たこともない発言をしてくれた。まあ、この手の誤解は多いので聞き流したのだが。

 時代がいきなり1975年にワープしてしまった。話をもどそう。車で大学について、子供から学食の入っている建物を聞いてそちらに向かった。その日はイマイチおなかの調子が良くなくて、お昼は軽く麺類にしようと思い、食堂の中の麺類のコーナーに向かった。醤油ラーメン360円などと書いてあるので、割烹着来たオバチャンに「これ使えます」と金券を差し出したら、「ええ、勿論使えますけど、これおつりが出ないから勿体ないですよ。向こうの売店で飲み物や他の食べ物も取ってそれから精算したほうが得ですよ」と教えてくれた。僕は昔のイメージで先にお金を払って食券を買い、それを窓口のオバチャンに出すかと思っていたのだが、ビュッフェ形式というのか、大きなお皿に好きなものを入れて最後に精算すればいいとのことだった。

 しかし、そんなにおなかは減ってないし1,000円分も食べられないなとしばし考え、そうだ、地下に書籍部があったはずだから、そこで本を1000円分買って、その後醤油ラーメン360円也を自腹で払えばいいのだ、とひらめいて我ながらいいアイデアだと軽くスキップを踏むような感じで階段を下りた。

 読みたい本はいろいろあったが、とりあえず未読だった森見登美彦の「きつねのはなし」の文庫本とLANケーブルを選びレジに持って行った。「これ使えますよね」と今度は断定的に言って金券を見せると、レジのオバチャンは「あ、えと、うんと、ちょっと待ってください」と昔流行ったポップスのタイトルみたいなことを言って、奥の上司みたいな人に聞きに言った。帰ってきて言った言葉は「すいません、これ食堂だけです」。え、ダメなの、なんだよ、買い物券って書いてあるじゃん、看板に偽りありだろ、ダメ、オレ認めないから、なんだったら学長呼んで来るまで動かないから、だから国立なんてのはユーズーがきかなくてだめだっちゅうの、ツクバ中教審路線断固フンサイ、トーソーショーリだ。などとごねまくったろか、と思ったが万一こんなことが上の子にばれたら、ただでさえ軽い親の権威ちゅうもんが、人情紙風船のごとく雲散霧消するのは明白であるから、ここは黙って堪えてサイフから1100円出して払った。

 で、泣く泣く学食に戻り、人ごみの中を列にならび、大きなお皿にスパサラ、ほうれん草と温泉卵の抱き合わせ(っちゅうか、そんなやつ)、白身魚のフライ(だと思ったんだ、切れ身のところとタルタルがかかってるのを見て)、味噌汁、ご飯、そしてペットボトルのお茶を取って、レジに並ぶと「690円」などといわれた。何っ、ふざけんなよ、コノヤロ、このおかずパターンだとせいぜいがBランチ160円、スパサラ30円、温泉卵30円、味噌汁10円でお茶が100円の330円だろうが、倍じゃねーか、てめー、そういうのをボーリってんだよ。おおかた上部組織の献金のために吹っかけてるんだろ、などという考えが頭に浮かんだが、よくよく考えてみるとBランチ160円ってのは75年当時の値段だもんナ。もっとも僕はエートコのボンだったからお昼は大抵Sランチ200円を食ってたもんね。

 と、Sランチ、Aランチ、Bランチというのは僕らの大学の学食のメニューで、一番立地リッチなのがSランチ、なんつってもメインのおかずが2品(ハンバーグとエビフライとか)もあったっけ。もっとも我がDRACの諸君は圧倒的にBランチ派で仕送りやバイトの金が入ったときだけAランチという連中が多かった。僕など走資派などといわれたものだ、って走資派なんて言葉が通じない時代だっちゅうの。

 てなところで、学食懐かしかったです。味は相変わらず味噌汁が薄い。そしてメインのサカナフライだと思ったフライ物は、チーズと鶏肉を巻いたものでした。チクショー、詐欺だ。で、食事が終わって食器をどうしようか考えた。ズトさんに気に入ってもらったT原さんは「こんなん日×(当時のD大生協を牛耳っていた某革新党派。青年部隊が民主〇年同盟)の手伝いが出来るかっ」と毎回捨て台詞を残して、生協職員を睨みつけながら食器をそのままにしていたな。ま、しかしワタクシも酸いも甘いもかみ締めた立派な大人になりましたので、学食職員との連帯を表明して食器を下げにいったら、なんと回転寿司のレールみたいになっていてそこに皿ごと載せるだけ。おいおい、オレ達のころは小さな穴の開いた水道管からちょろちょろ水が流れていて、そこで食器を洗ってからもどしていたぞ。今のセイガクは甘やかされとる、責任者出てこい!!この叫びはその後トイレがシャワートイレでしかも暖房便座だったことを発見して更に大きくなるのだが、今日はここまで。

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コメント

当時、学生会館地下の食堂で

drac-obさん、T原君、A水君と私は、
ソースぶっかけカルテットでしたね。
他の部員が 「あんたら そこまでかけんでも!」と言う位、
我々4人が使うと 5~6CM位 ソースが減ってました。

確かに NATIVE関西人が使う「自分=YOU」には、
違和感ありました。兵庫県の奴で、「自分=I」と言うのも
例外的におりましたが。どこが境界線か わかりません。
関西人の「麻雀」「民青」の頭に アクセントがかかるのも
不思議でした。

そう言えば、当時は宅急便は存在せず、引越荷物は、
国鉄の「チッキ」と呼ばれる手段で 運ばれてました。
先日、当時を思い出して「チッキとはどう書くのか?」と
NETで調べてみましたら「CHECK」か「CHICKET」が
なまったものらしいです。
ワイシャツやメリケン粉みたいな語源でしょうか。

ファンシーケース

うちでは学生時代に買ったのをいまだにそのまま使ってます。
6畳→4畳半→1DK→2LDKと引っ越す過程で、タンス買おうかとは何度も思ったんですが、背広着る仕事じゃないし、なにより本が邪魔でタンス入れる場所がない。
ファンシーケース最大の問題は防虫剤がすぐ気化してなくなっちゃうことですかね。穴あきまくりだから。
そのほか、机、本棚(1本)、扇風機、包丁やざるなど、すべて上京当時のままです。これでいいのか43歳(笑)。

私の8歳下の従兄弟は

親父が受験から何から何まで泊りがけで付き添いでした。
親父が定年になってたからですが(伯父さんが42のときの子だったと思う)、なんか厚遇されてるなあと思った記憶があります。
自分の受験のときは親はガミガミ言うだけ、帰ってきても迎えにも来ない。ホテルに一週間止まった話を親類にしたらその8歳下従兄弟の母親に「優雅なご身分」と嫌味を言われた恨みがまだあったので、余計何か虫唾が走るような気分になりました。
でもまあ親がずっと付きっ切りってのは嫌かもな、とは思いますが・・。なんかうらやましかったですね。大事にされてるなあと。
40過ぎて出来た子宝だったからでしょうけどね。

>YOU

あれは苦手です。大阪大学卒業が人生最大の自慢という教員がいまして、そいつを思い出します。中部地方なのにへんな関西弁使う奴と生徒からよく思われていませんでした。関西弁は何か横柄な印象やずうずうしい印象を与えることが多いんですよね。中部地方や関東地方だと特に。

学食

学生会館の学食で1番世話になったのは、「素うどん」でした。
一杯15円で、これは昼ご飯ではなく、小腹がすいたときに活用しました。
覚えているのは、何ランチだったかは忘れましたが、「スコッチエッグ」:ハンバーグの中にゆで卵が入ったやつ・・がメインのランチで、これはかなり、ヴォリュームたっぷりでしたね。BOXに器ごと持ってきて食べていた輩もいましたし、箸をため込んでいたやつもいました。ときどき入口ドアの前に残骸が置かれているので、汚らしいと思いましたが、犯人は2年先輩の文連委員の人間でした。
ファンシーケースは、小生も使いましたが、Gパンを履くようになってからは必要なくなり、知人の女性にあげてしまいました。ビールケースでベッドを作り、開いた押し入れにオーディオセットを入れ、ふすまを全部はずし、イギリス国旗マークのカーテンをつるしていて、かなり快適な松ケ崎のアパート下宿を1年だけ過ごしました。近くの水路には、蛍が飛ぶのを見ることができた時代でした。

名づけて”ザ・南九州ソース・イーターズ”

ソース・ドランカーズというほうが正確かもしれない位、我々4名は「ウスターソースどばどば派」だったですね。F田君が苦々しげに「お前ら、なんも知らんのやな。ソースはそんなたくさんかけたらあかん」などと言った事があって、T原さんが「南国の人間が塩分多目に摂るのは自然の摂理や」と反論したらしゅんとなったことがありました。

「チッキ」懐かしい表現ですね。しかし、修学院からわざわざ京都駅まで荷物取りに行くほうが大変でした。だから少々のものは郵便小包で送ってもらってました。今のように宅急便のお兄ちゃんが在宅を確認して届けるんじゃなくて、玄関口に投げ込んであったり、大家さんが代理で受け取ったりしてましたね。

そういえば、高校時代に使っていた自転車を日通で送って貰ったのですが、Nさん(久留米出身、I上さんの同期)に貸したら、ナンバーチェーンをちゃんとセットしてなくて、あっさりパクラレて二度と戻ってきませんでした。

>学生会館地下の食堂で
あそこは、厳密に言うと1階ですよね。地下の食堂というとM地下ですが、僕はあそこはどうも苦手で(クラスの友達なんかに会うと、まるでシアワセの青い鳥を見つけたように皆が嬉しそうな顔して寄ってきたって、それだけ授業出てなかったもんで…)、まいどまいど学館の食堂に行ってました。

四半世紀ももちますか!?

机や本棚は分かりますが、ファンシーケースって外側がビニールですよね。すぐタバコの煙が染み付いて末期色とでも表現したくなるくらい、まっ黄色になってしまい、チャックのついてるところも開けっ放しにしていると、癖がついてしまって上手く締まらなくなったような記憶があります。

>6畳→4畳半→1DK→2LDK
6畳→4畳半 この時期は何かつらいことでもあったのでしょうか(笑)。

受験に親が付き添うなんてのは

僕たちの頃はとても考えられませんでした。僕自身もD大を地方試験で受けたときは一人で旅館に泊まって受験したし、回りの友人も同じでした。もっともその旅館は親父の伝で広い部屋を一人で泊まったら、仲居のおばちゃんに「おたくは裕福な家なんだろうね。隣の部屋はここより狭いけど3人で泊まってるよ」などといわれた記憶があります。親父の仕事の取引先がゴマするためにいい部屋とってくれただけだっちゅーの。そのときの話はここに書いてあります。

http://gakkan.blog64.fc2.com/blog-entry-334.html

当時のインフレはやはり凄かったというか

僕が入った頃でも素うどんは120円くらいしたと思います。いや天ぷら蕎麦が180円くらいだった(200円でお釣りが来た)から、もっと安かったかもしれませんが…。このあたり70年中期に在学した諸君の投稿をお願いしたい、などとたかが食いもんの値段にこだわる元ビンボー学生でした。

1階の食堂から自分たちのBOXに食器ごと持っていくというのは、僕たちの頃もありました。常習犯は反ヨヨギ系サークルの連中でしたね(笑)。食器の数が合わなくなると割烹着来た体格のいい生協職員(間違いなく日×の党員でしょう)が、回収に各BOXに来ていました。まあ、ボーリョク学生の虫の居所が悪いとどつかれるかもしれないという危機感は漂わせていましたっけ。

今更時効なので、告白すると僕も生協の食器やスプーン、フォークなどは失敬して下宿で使ってました。もっとも、いくら落ちぶれてもソースや醤油までは持って帰りませんでしたが…。

私の履歴書(ウソ)

> 6畳→4畳半 この時期は何かつらいことでもあったのでしょうか(笑)。
ありまくりでしたねぇ(笑)。

・住んでたアパートが取り壊しで立ち退き
・取り壊し前日までアパート決まらず友人の下宿に避難
(この日に昭和天皇死去。年号変わると同時に住所不定に)
・翌日、不動産屋が提示したアパート即決、家財道具輸送
・その日に決して落としてはいけない語学の試験があったことを後で知る。
(講師は外国人で日本語通じず、再試験依頼もできず)
・退学決定

その後4年間住んでましたが、沈みっぱなしの人生でした。
住人は半分が外国人で、大友克洋「ワールド・アパートメント・ホラー」の世界でした。
まあ後にそこも取り壊しで立ち退きになるんですが(笑)。


話変わって。
> 「自分=YOU」
山上たつひこのマンガ読んでて気づいたのですが、関西では「おのれ」「われ」など本来一人称の単語で二人称を指す用法が昔から多いですね。
まぁ関東でも「てめえ」というのがありますが。

そりゃ悲惨というか、でも不動産屋いい加減では

>住んでたアパートが取り壊しで立ち退き
この場合確か1年前に通告するとか、引越し費用を負担するとか同程度の物件を無償で紹介するとか、普通の不動産屋ならやるはずですが…。ハッ、もしかしたら当局のアパートローラーで燻し出されたとか?時期的にも大喪の礼フンサイ闘争が叫ばれてた頃みたいだし(笑)。

>関西では「おのれ」「われ」など本来一人称の単語で二人称を指す用法が昔から多い

ご指摘の通りですね。言語学的に何かあるのでしょうか。しかし、この発見の要因が山上たつひこというのは、渋すぎます(笑)。喜劇新思想体系あたりでしょうか。

上京後最初に住んだアパートは

大学の学生課の紹介でしてね。不動産屋仲介してないんです。
3年住んでまして、勧告は2年目にありましたけどね(だから契約更新料もなし)、金なくて取り壊し前日までオレだけ残ってました。家賃2カ月溜めてたし。

その後引っ越したアパートでも松本零士風ペーソスエピソード盛りだくさんなんですが、長くなるので割愛(笑)。

> しかし、この発見の要因が山上たつひこというのは、渋すぎます(笑)。

きっかけとなったセリフ採録。

「ぼくの
あそこには
鉄筋
がはいって
いるから
なのです
鉄筋が
入っているのと
いないのでは
地震の時の
耐久性が
違いますからね

「ブロック
ベイかっ
おのれの
ち○ぽはっ
「呼び捨てに
するなっ
ち○ぽ様
と言えっ」
「何が悲しゅうて
おのれの
性器に
様をつけにゃ
ならんのだっ」

さあ、何の作品でしょう(笑)。
やっぱすげえわ山上。

余録(not毎日新聞)

先のコメントを投稿しようと思いましたら、スパム扱いされて難渋しました。
「ち○ぽ」(原文は伏字なし)が問題だったようです。
原典そのままの引用ができない不自由なメディアですね(笑)。

鉄筋トミーか半田溶助あたりでは

と、推測しますが正解をお願いします。この前ブコフに行ったら、豪華版の「光る風」が1400円で出ていました。立ち読みで、未発表シーンを探しましたが天勝大佐が米軍基地に突入するシーンあたりがそれかどうか、僕の持ってるのは朝日ソノラマから出た上下2巻のやつで、押入れのどこかに入っているはずですが見つからないので良く分かりません。

そのときに文庫で「がきデカ」の第1巻があったので、久しぶりに読んだけどいやー、未だに笑えますな。「がきデカ」連載時のチャンピオンって、今考えると凄いメンツで「ドカベン」「750ライダー」「エコエコアザラク」「あばれ天童」「ブラックジャック」「恐怖新聞」「ふたりと5人」「マカロニほうれん荘」…。当時高校生でしたが、発売日に学校近くの本屋で買って、その日の授業中に回覧すると午後にはぼろぼろになっていました。

最近はスパムが来なくて

ちょっと寂しいです(笑)。その分、認証画面なんかで弾いてるのでしょう。しかし原典つってもねぇ、山上たつひこの偉大さをFC2はもっと認識せよとクレーム出しますか?

正解です

「鉄筋トミー」でした。
今読み返すと、無○正の女○器の白黒コピーをコラージュ風に貼って背景にしてたりですごい作品です。

p.s.
あー、またスパム判定にひっかかった。
「女のア○コ」とでも書きゃいいのかい(笑)。

p.p.s.
それでも駄目でした(笑)
「ア○コ」の何が駄目なのか。
ひさうちみちおですな。

p.p.p.s.
問題は「無○正」だったようです(笑)。

テスト

> 今読み返すと、無○正の女性器の白黒コピーをコラージュ風に貼って背景にしてたりですごい作品です。

なんだ、「女性器」はOKなのか。

まとめレスで失礼します

山上ギャグのパターンは関西弁の効果的使用、唐突な地名・動物名の出現(練馬変態倶楽部や、八丈島のきょん、それと「玉鹿市役所 ええじゃない課」の玉鹿市とは熊本の玉名市と山鹿市を合体させているのではと想像しております)、ま、そのほか挙げていくときりがないですが、背景にそのような大胆な構図を使っているとは気がつきませんでした。

スパム判定の基準って、やはりよく分かりませんが、多分、そのパソコンの中に入っている小さいオジサンが判断して「これはOK」「これはダメ」と判断しているのではないかと、ってこういう発想が山上的というか、山上ギャグに毒されている証拠ですね。
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