無茶苦茶な話 学生時代のフィールドワークより

 この間、出町時代の話を書いたらなんだかいろんなことを思い出した。僕は京都に6年間住んでいて最初の2年は修学院、次の2年が出町(正確には相国寺西入ル上ル相生町という住所だったっけ)、最後の2年が烏丸中学前に下宿していた。修学院時代は大学に入ったばかりで全てのものが珍しく、サークルでも1番下の兵隊さんだったので良く「1回生ダッシュ」などといわれてこき使われた想い出が(腐るほど)ある。また最後の2年を過ごした烏丸中学前は、住んでいた下宿に同じサークルの後輩が2人いたし(というより、もともとその下宿に住んでいた後輩がいて、彼の部屋にしょっちゅう遊びに行ってたのだが、その居心地の良さと他の部屋の住人がいい連中ばかりだった。それが引越しを決意させた大きな理由)、何しろ別館がすぐ近くだったのでしょっちゅうサークルの連中が出入りして、そうとう濃い想い出がつまっている。ところが、出町時代というのは大学の3,4回生の頃で、それはそれなりに想い出はあるものの、イマイチ印象が薄かった。よくよく考えてみると「マーマレード」なんていうミニコミをやっていたのもこの時期で、結構面白い話もあったけどどことなくぼんやりした霞にかかっていたような時代だったのだ。しかし、前回大学ノートに書いてあった話を入力しているうちに、ちょっと思い出した話で面白かったのを今日は書いてみよう。あ、注意して頂きたいのは、面白かったと感じたのは、あくまで僕であって、このエントリーを読んでくれているあなたがどのような感想を持つかは別の話だ。

 そういえば前回のエントリーのサブタイトルに「学生時代のフィールドワークから」なんて付けたのは、当然諸星大二郎の「稗田礼二郎のフィールド・ノートより」からパクッたものだが、今回の話もそのサブタイトルを付けたいくらいの、ちょっと怖い話、いや寒い話である。時期は77年の春先、5月の連休が終わりキャンパスにもようやく静けさが訪れ始めた頃だ。僕が当時住んでいた下宿は、外観は普通の一戸建て風で1階に6畳の部屋が3部屋、それに共同の台所(ガスコンロがたしか2つあった)とトイレ(個室が2つ、和風タイプだったな。そういえばあの時代は洋風便座ってまだまだ少なかった。ウォシュレットなど見たことも無かった)、2階にも6畳の部屋が4部屋あった。

 と、ここまで書いてきて、そうそう、今思い出した話だがこの下宿に入ったばかりの頃もうひとつ強烈な話があった。下宿を変わって先ずやることは、他の住人への挨拶なので最初に向いの部屋の入居者に挨拶した。その人は京都の有名な和菓子屋、鶴屋×信に勤めている男の人だった。部屋にビートルズのポスターが貼ってあったので、ステレオ鳴らしても大丈夫だなと安心した。もう一つの部屋は近所の会社の労働組合の部屋で月に2,3回夜集まって会議みたいなことをしていて、昼間は誰もいないし夜も泊まる人がいない、まあ空き部屋みたいなものだった。2階の住人にも挨拶に行ったけど、4部屋中3部屋は京都大学の真面目な学生さんで、あまり印象が無い。そして残りの部屋のヌシが同じ大学で学年も同じだけど三浪して、しかも夜間の経済学部に通ってる目のギョロッとした人だった。名前がどうにも出てこないので、ここではAさんとしておく。

 このAさんは、外見がまるでインドの哲学者という風貌で、話すこともクソ真面目でシェークスピアが大好きという堅物だった。出身はどこだったか忘れたが、とにかく高校卒業してからは親から1円も仕送りなど貰わず、全てバイトして予備校の授業料や生活費を稼ぎ出してる刻苦勉励の人であった。大学も夜間に通うのは、昼間バイトを掛け持ちして生活費を稼ぐためだといっていた。とにかくいろんなバイトをしていて、その中で一番長く続いているのは四条のステーキ屋だといっていた。なんと来日したカーペンターズも食べに来たらしい。一度残り物の肉を持ってきてくれて、それを焼いて食べたが世の中にこんなにやわらかくて美味しい肉があるのかと涙がちょちょぎれたほどだ。

 そんな人だから、生活も切り詰めて無駄を省いていたが、月に何度か安い居酒屋に行くことがあり最初のうちはちょくちょく誘ってもらった。しかし閉口したのは、酒が少し回ると「今の学生は親のスネカジリで、ロクなもんじゃない」とか「drac-ob君は英文科なんだからシェークスピアくらいは原書で読まないとダメだ。福田恒存の翻訳で読んだような気になってるなんてのは論外だぞ」とか「男として生まれた以上は後世に名を残す、立身出世こそが男の本懐だ、そのために今は苦労してもいいんだ」とか「しかし、うちの大学で何が情けないかというと、いい年してヘルメット被って棒振り回してる連中だな。そんなにちゃんばら好きなら太秦でやればいいんだ。親が泣くぞ」とか、まあ一応は目上の人のいうことだからとハイハイと聞いていたが、そのうち鬱陶しくなってきて誘われても口実を作って行かなくなった。そうなると、人間やはりお互いに敬遠しあうようになり4月にはあれほど親しげにしていたのに5月の終りくらいには下宿ですれ違っても朝晩の挨拶をするだけになってしまった。

 ある晩、サークルの1年先輩で鹿児島出身のボーリョク学生T原さんが僕の下宿に泊まることになった。多分いつものように室町今出川のグリーン(雀荘の名前)で麻雀して10時過ぎたので追い出され、そのまま帰るのも面白くないので帰宅途中の僕の下宿に寄ったのだろう。当時T原さんは下鴨神社の近くに住んでいたと思うのだが、一人で帰るのも寂しいのでよく僕たちの下宿を泊まり歩いて無茶ばかりしていた。その日も近所のカジマヤという酒屋で黒の50という当時1000円で買えたニッカのウィスキーを買って部屋で飲み始めた。僕は控えめにステレオのスイッチを入れて、二人で音楽の話や女の子の話や意味の無いバカ話を延々としていたのだろう。突然、コンコンとノックの音がした。ドアを開けるとAさんが迷惑そうな顔をしてこういった。「盛り上がってるところ悪いんだけど、明日のバイトが早いので声と音楽を小さくするか、出来ればやめて欲しいんだけど」。

 ごもっともである。いくら若気の至りとはいえ真面目な勤労学生が怒って怒鳴り込んできたならまだしも「音を小さく」するか「出来ればやめて」欲しいとお願いしているのだ。長幼の序という言葉を身体にしみこませている僕は当然二つ返事で「すいません。ちょっと先輩が来ていて話に夢中になってました。ステレオは止めます。ただもう少し起きていると思うので、声は小さくして話しますから」と頭を下げた。相手はわかったとか頼むとか言ってすぐに2階の部屋に戻っていった。僕は部屋のドアを閉めてからT原さんの方を見た。

 「なんや、今の男は」と明らかに酔っ払った声でT原さんが言った。「いや上の部屋に住んでるうちの大学の二部の学生なんやけど」と僕は、彼が学年よりも3つも年上(当然T原さんよりも年長)で、苦学生でシェークスピアの愛読者で親のすねをかじってるボーリョク学生が大嫌いだという話をした。黙って話を聞いていたT原さんは「話を聞けば聞くほど不愉快な奴やな。どついたらなあかん」と言い出して「おい、drac-ob、オマエも来い」と何とか静止しようとする僕を無視して物凄い足音させて二階に上っていった。そのまま部屋に残った僕の耳に「なんや、オマエ、何考えてんねん、バイトするのがエライんか、自分の金で学校行くのがそんなに偉いんか、なめとったら承知センゾ、ボケィ」とこりゃどうきいても893関係の方としか思えないような暴言を吐き散らすT原さんの声が聞こえてきた。その大声の罵声の後にAさんがか細い声で何とかかんとか言ったかと思うと、その3倍くらいのボリュームでまた恫喝するT原さん。いくら酔っ払っていてもこりゃちょっとひどすぎると、僕もおっとり刀で駆けつけて間に入った。

 まあ、僕も学生時代の酒癖は悪かったが、このT原さんは別格だった。口も悪いし手も早い。あるときはコンパでまだ高校を卒業したばかりの1回生の頭をビール瓶でごんごん殴っているのをみたこともあった。「先輩、あかん、なにしてますの」と止めたら「教育的指導や」などと居直ったこともあったし、いや、こういう事例は枚挙に暇が無い。で、そのときの騒ぎだが、僕も止めに入り他の部屋の住人も迷惑そうな顔して出てきて、ようやくT原さんも少し落着いて僕の部屋に戻った。酔っ払った上に大騒ぎしたものだから、それからはすぐ寝てしまった。翌日起きたときは、当然Aさんはバイトに行っていた。T原さんも「昨日はちょっと無茶言い過ぎたな。あいつ帰ってきたら謝っといてくれ」と勝手なことを言って自分の下宿に帰っていった。で、その晩待っていたのだがAさんは帰ってこなかった。昼・夜連続のバイトをすることもあったので特別なんとも思わなかった。

 それから2,3日後の午前中、車の音で目が覚めた。人の声とドカドカ足音がする。一体何事だと思って、寝ぼけマナコで外を見ると軽トラが停まっていて男の人が二人で荷物を運んでいる。誰か引越しかと思って、玄関に出ると頭に鉢巻したAさんがいた。「Aさん、どうしたんですか、引越し?」と声をかけると、僕をチラッと見たAさんは「drac-ob君、朱に交われば赤くなるって言葉知ってる?」と返事が来た。「知ってますけど…」「あんな先輩と付き合ってると碌なことはないよ。あれは学生じゃない暴力団だ、ヤクザだよ」「まあ、確かに血の気の多い人ですけどね。で、どうして引越し、え、まさか、この前の…」「いや、あんな人が出入りする下宿には住めないから、友達に頼んで別の下宿に移ることにした」「いやAさん、あんなん単なるヨッパライのたわ言ですよ、気にせんといてください」。それから先は何を話しかけてもAさんは答えてくれなかった。随分気の小さい人だったんだ。しかし、あんないい人追い出したりしたらバチが当たります。そのバチが当たった話はまた今度。

スポンサーサイト

コメント

後輩として書かせていただくと

>朱に交われば赤くなる
なるほどなぁと思いました。

下宿の話色々

drac-obさんの出町の下宿は、確か板張りでしたよね。
とても新鮮でした。14インチのTVもあって。
総じて静かだった印象です。
京大生と勤労青年がメンバーだと 納得です。
私は、修学院のN井下宿の方が、親近感がありました。

私の一乗寺の下宿は、上下各7部屋で、うるさいのが三部屋。
向かいの同級生(卓球同好会、今やP社の取締役)、
隣(一年下のフェンシング同好会)、斜め向かい(一年下、
サークルは不明、たぶん文化系)が、毎晩のように
マージャンと酒盛りをしてましたね。他の部屋は静かでした。
学友会のF委員長、岡山の女たらし(数股がばれて、中の1人から
包丁で追っかけまわされたりしてた)とか、
別の一年下の奴の所に「朝田」と言う男が たまに来ていて、
そいつは、知らずに「朝田~!」とか言って 頭とかを
いじって遊んでたら 他の奴に ある日、
「おい、あいつは、解同朝田一派の息子だぞ!」と聞かされて、
急に態度を改めたこととか、色々懐かしいです。
坂の中腹にあったので、夜は 京都タワーまで見えて、
来る連中から 夜景がきれいな下宿と言われてました。

S戸、F田、故M原の三君がいた伊藤荘、下宿らしかったです。
何度も言ってしまいますが、当時、LED ZEPPELIN II や
ELP「展覧会の絵」を持ってる奴が 三人いる下宿は、
日本全国 腐るほどあったでしょうけど、DON NIXの
LIVING BY THE DAYSを持ってる奴が 三人いる
下宿は、日本で あそこだけだったと思います。

A水君が、グリーンのママの紹介でしたか、引越した
アパートは、明るくて 感じよかったです。
同じアパートに ストラトを持ってるのがいるからと聞いて、
わざわざ一乗寺から SGとグヤトーンのアンプを
持って行って、その人と 真昼間に でかい音を
鳴らしたりしました。(A山さん と言う人だったと思う)
彼の最初の下宿の時も 隣に ヤマハの
エレキを持ってるのがいて、似たような事をしてました。

H居君の下宿は、暗いのが難点でしたね。
生中継でない、録画番組とかを観てると 外の景色が
わからなくて、「あれ? もうこんな時間か。」と言う事が
よくありました。

T原君が 学業延長後に 引越した先も 明るかったですね。
社会人になってから G/Wに 訪問した事が あります。
先々週、京都の八坂神社界隈を 訪れましたが、
「インキョート」は 見つけられませんでした。
ガールズバーやホストクラブが 増えてました。

S戸君が 引越した「ドーミトリー アルバ」は 
カルチャーショックでした。

E副君とY本君の所には、行った事がないですね。

長々とすみませんでした。まあ色々と懐かしいです。

上手いやないかい!!

>>朱に交われば赤くなる
なるほどなぁと思いました。

今年のベストコメントかもしれんな…。

いえ、6畳の和室でした

多分、カーペットを敷いていたのでフローリングの部屋と間違われたのではないでしょうか。結構静かで、何より共同のガスコンロが使い放題だったのが嬉しかったです。その後の清友荘(しかし、何度書いても違和感のあるアパート名です。悪友荘の間違いだろうって)は、コイン式のガスコンロで確かコイン1枚が5円でしたが、家賃を滞納していたので大家の家に行きにくくて、K君かT畠君のコインを買っていました。

伊藤荘の話はそのうちアップするつもりです。センミツのF田が下宿する、下宿すると大法螺吹きまくるところから多分話は始まると思います。A水さんがグリーンのママから紹介された下宿は確か、麻雀セミプロのA山さんも一緒にいたのでK平さんの記憶に間違いないと思います。色白の穏やかな人でしたがいざ勝負となるとしぶとくなかなかの理論派でした。6畳と4畳半の二間あったのが衝撃的でした。あの下宿でイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』を聞いて、週刊プレイボーイに書いてあった記事をそのまま研究会で喋ったら、新人の1回生が『スゴイ』と言って目を回していたのをA水さんと二人で大笑いした想い出があります。

E副は親戚の家に住んでいたので、いわゆる下宿ではなく僕も行ったことはありません。Y本さんの下宿はO西さんに一度だけ連れて行ってもらいましたが、綺麗に整理整頓されていて流石はサークルの会計をしている人の部屋だと妙に感心したものです。そのときにご馳走になったクィーン・メリーの味は未だに覚えています。

などと下宿の話を書き始めるとキリが無いので、一度「京都下宿物語」なんてタイトルでバカ話を書いてみようと思います(ホントか、という声がどこからか聞こえるが、気にしない、気にしない by一休さん)。

タイミング遅いですが(汗)

T原さん、いいキャラですねえ。いまはこんな人間模様ないよなあ。。ここの話ときどき思い出すんでさっきツイッタにもURLアップしてすまったす(笑)。映画化もいいな。。

いや、ズトさん、そりゃ誉め過ぎ

確かにT原さんみたいなキャラは、最近見かけないですね。というか、あの時代にのみ棲息出来た人種だと思います。自ら破滅型無法者と名乗ってましたから。サークルの研究会でも言いたい放題で、持論は『ロックはSexとViolenceだ』。お気に入りは、頭脳警察とストーンズ。プログレなんか聞いてた連中が何人も泣かされ、サークル辞めて行きました。

僕は同じ南九州出身ということもあり、また結構ウマがあったので学生時代はずっと付き合い、就職してからも結婚式に呼ばれたり、休みの日には泊まりにいったり、多分DRACの関係者の中では一番長く付き合ってると思います。

ここ最近は、ご無沙汰ですが、今は福岡に単身赴任してると油断してたら、いきなり携帯で『おう、ピンクレディーがライブ盤で歌ってたロックナンバーは、何やった?』等と聞かれ『イーグルスのホテルカリフォルニアだったけど』と答えると『そうか』と言って電話が切れ、一体何だったという事が、しばしばあります。
非公開コメント

プロフィール

drac ob

Author:drac ob
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

QRコード

QR

鳩時計

フリーエリア

ブログ内検索