Hの話、いやホントにHの話だって

 花のD大75年度生トリオという言葉がある。いや、僕が勝手に作ったのだが、早い話が某同志社大学に1975年に入学し、何らかの形で音楽にかかわり、そして30年以上の時を過ぎて、全くの偶然にネット上で再会した、僕と岐阜のTHIS BOYさんとblog「BLUES POWER」の管理人Purple_Hazeさんの3人を総称して、このように名乗っている(あ、あくまで僕が勝手に名乗ってるだけだけど)。この3人の出会いも、本当に偶然と必然がからまりあって、廻る廻る廻る因果はい~と~ぐ~る~ま~、などと坂本九が歌いそうなインネン話があるのだが、今日はまたも、ショーゲキの再会の話を書いてみたい。

 最初に書いたように僕は75年に某同志社大学に入学し、5月にDRACというサークルに入った。僕のHNの由来になっているサークルであり、残念ながら別館の崩壊と共に(もしかしたら若干後かも知れないが)消滅したらしいサークルだ。そのサークルは当時女性部員が少なく、地方出身者(とりわけ九州・四国勢が多かった。例外はホッカイドー出身のコロポックルH居くらい、関東勢なんてほとんどいなかったかな)のたまり場というか、音楽と衒学が趣味みたいな魑魅魍魎が跋扈するサークルであった。ある日のBOXでのセンパイとの会話。

当時1回生drac-ob、無邪気に「センパイ、何読んでるんですか?」
レノン風丸眼鏡で缶ピー咥えた2回生、さも鬱陶しげに「・・・ドグラ・マグラ」
「ど、どぐらまぐらってあの夢野久作の?」(当時まだ読んだことが無かった)
ロングヘアーにタバコの似合う3回生(女性)「暗いの読んでるね、レコードかけてよ」
かかったレコードはエリック・ドルフイーの豚のいななきのようなバスクラが延々と・・・。

 うーん、雰囲気が伝わるだろうか。書いていて、オレは何が楽しくてあんな暗いBOXに毎日通い続け、それでも年数がたつうちにサークルのヌシみたいになり、最後は「神」と呼ばれるようになったんだろう。あれはなんだったんだ。などという話を書きたいわけではない。もっと明るい楽しい話なんだって。

 いや、まどろっこしいが、実は先日書いたエントリーにPurple_Hazeさんからのコメント(あ、非公開だからオレしか分からなかったと思うけど)が来て、その中に「DRACの75年度生でHさん(女性)ってご存知ですか」という質問があった。ご存知も何も、数少ない75年度同期生でなおかつ女子部員、忘れるはずが無い。確か76年の夏合宿のとき、一緒に写った写真もあったはずだと、押入れの中をごそごそ探してメールに添付してPurple_Hazeさんに送った。そのときに止めときゃ良かったのに、昔、彼女に借金をしたエピソードも書いて、「ま、今更、時効ですよね」なんておチャラけていたのだが。

 で、そのHさんだが、もう一つ思い出したことに彼女と同じ姓のやはり75年度生の男子部員もいたのだ。こいつは確か1年くらいでBOXに来なくなったので、あまり印象はないのだが結構背も高くて黙っていればまあまあイケメンだったが、残念なことに頭が悪かった。というか、騙され安い男だった。確か、新聞学科じゃなかったかな。元祖イケメンのE副なんかと一緒だったから。その彼の数少ない悲しいエピソードってのはこういう話だ。

 大学の1回生の夏休みに何をするか、というのは正しくレーニンの『何をなすべきか』に匹敵する重大テーマであるが、健康なオトコの子の考えることはただひとつ、お金はやっぱりあるほうがいい(ドンドンってそりゃSTSだ)。いや、その、あれだよ、あれ。でも、アレをやるにはいろんな小道具がいる。先ずは車だ。しかし車に乗るには免許がいる。免許はタダでは取れない。ということは、かのH君もよーく理解していた。彼の計画は大津のコカコーラ工場で夏休み2ヶ月バイトする。そこで金を貯めて、教習所に行って免許を取る。免許を取ったらレンタカーを借りて、女の子をゲットして×××。彼の頭には平山みきの「真夏の出来事」がリフレインのようにこだましていた。♪かーれの口車に乗って災厄の町、わたしーはついた~って、ちょっと歌詞が違うな。



 で、H君は75年の6月終りからBOXでは全然見かけなくなった。大津の工場で7,8月の丸々2ヶ月働き続けたのだ。そうして当時のお金で20万近くの大金をゲットして9月から教習所に通い、2週間で免許を取れば、ぎりぎり9月の中旬には彼女と車でデート、悲しい出来事が起こらないように常に否認するのだ、と、多分単語が違うと思うけど、ま、そういう下心行動委員会の決定に従っていたのだ。そうして、僕は9月の後半にバリッとしたスーツ姿のH君に会った。その横にはセンミツで有名なF田君も一緒だった。「おー、H、久しぶり、どう、免許取った、彼女と上手くいった?」と僕が尋ねると、彼は悲しそうに首を振った。「え、なんで、バイトの金足らんかったん?」と畳み掛ける僕。その横でケペル先生のような満面の笑みをたたえたF田君が答えてくれた。

 「いや。こいつアホなんや。2ヶ月バイトした金貰って、工場でたら、そこになんやしらん変な兄ちゃんおってな、オイデオイデってしたんやって」「へ、そうなん、で、どないした」「うん、その兄ちゃんについて行ったら、なんや大きなバンが停まっててな、そこに入れって言われたらしいわ」「なんや怪しいな、お前、H、まさかそんな車に入ったと違うヤロナ」「それが、あんた、H君の人のいいとこや。その車の中にはスーツが一杯吊るしてあって、兄ちゃんいわく、『もう大学生やったら、スーツの1着や2着もっとかなアカン。ええの選んだるわ』って」「で、スーツこうた?」「おう、こうたんやて。それで1着買って車から出ようとしたら、『兄ちゃん、そのスーツ汚れたらどうするんや。お洒落な人は同じスーツをこうとくもんや』って、また声かけられて」「まさか、2着買わされた?」「いや全部で4着、柄違いの奴買わされて、ほんまは24万くらいするけど学生さんやから20万丁度でええわって」「20万、全部?」「全部や」

 僕はH君のスーツ姿をじっと見た。彼はちょっと恥ずかしそうに「ま、でも結構上等なスーツやったし、また今度バイトして免許取るわ」と小さな声で話してくれた。で、彼は学校に通いながら、またバイトにせいを出して確か1回生の終わりに免許を取り、それからは彼女とのお付き合いが忙しくなりサークルに出てくることはなくなった。しかし、ひどい奴もいるもんだが、そういうのにコロッとやられる方もどうかと思うな。

 で、肝心の女性のHさんだが、サークルに入ったのは多分ほぼ一緒の頃だったな。結構普段は大人しいけど、あ、いかん、ここで妙なこと書くとまた苛められるのでちょっと自粛しておきます。しかし、不思議なもんだな、人生って。そうそう、文中に出てきたケペル先生をご存じない人もいるだろうから、最後に貼っておきます。♪エイチ、オー、ダブリュ、ハウ、ハウ、ハウ~インディアンじゃないんっだよ、エイゴで『どして』って聞いてんだ、ケペル先生、こんばんは~



スポンサーサイト

コメント

ダブルHの思い出

MR.Hの事は、完全に記憶から飛んでおりました。
ERIC DOLPHYを聴くと、当時、若手で DOLPHY好きな奴がいたよなあ
と思うことがあったのですが、あれがH君でしたっけ。スーツの話も忘れてました。
H小姐の方は、記憶鮮明です。彼女は、自分から 持って来たレコードを
好きにかけていた記憶がありません。S本Y子嬢とか、ケペル先生とかとは、
エライ違いでした。第二期JEFF BECK GROUPの「ROUGH&READY」を
お貸しして、気に入ってくれたことは 憶えています。
諸状況から判断すると、H小姐は、現在 関東圏におられると言う事でしょうか。
連絡がついたら 私の携帯TEL NO./ADDRESSを お伝えしてもらって
かまいませんよ。直接会話できたら さしつかえない範囲で、
また教えて下さると幸いです。私の話が出たら 
「帰省された時に お互い都合が合えば、お目にかかりましょう。本番もOKです。
・・・と言っていた。」とでも お伝え下さいませ。

どうも!!

D大1975トリオの一員です。
そうそう、S戸君の情報とか有ったら、又教えてね。

またまた、寒波で寒いと思ってたら、なんと
北海道のどこかでー34.4度やって!! どんな感じやろ?

花のD大

75年度生3バカ・トリオと言う声が聞こえてきそうです(笑)
実は白状しちゃうとdrac-obさんと出会うまでDRACというサークルの存在を全く知りませんでしたm(__)m
だからHさん(女性)もE副もDRACだったと言うのは当時全く認識していませんでした。
ところでその男性の方のHは僕も全く記憶にないし卒業アルバムでも見つからんかったです。
しかしK平先輩、かなり危ない発言しちゃてますが大丈夫でしょうか?(笑)

drac
 知りませんでしたか?
ちゅう私も、サーカスの厨房でフライパンふってた奴が、
同じ75年度生でdracの一員だったから、
知ったのかな??????(笑)

キャー、小平先輩のスケベ、ダブルエッチやて!!

って、オレは小学生かっ!!

そうそう、H君はジャズ班でした。ロックは全然聞いてなかったような感じ、っていうか元々あんまり喋るほうじゃなかったし、一緒に遊んだこともほとんどなかったので、僕もすっかり忘れていました。しかしHさんのエピソードを書こうと思ったときに、ふと思い出し、そういえばあいつ当時まだ珍しかったキャッチ・セールスに引っかかったなと…。H君自身がいつもどちらかというと寂しそうな顔してたのに、F田はいつも満面の笑みをたたえて人の悪口いったり、大法螺吹いたりしてたな、と。

しかしF田君、今、どこで何をしているのだろう。未だに「それどころやなかったんや」と言い続けているだろうか。彼の「それどころ」は何時来るのだろうか…。あ、K平さん、Hさんにメールしておきました。業務連絡終わりっ。

S戸君は、ですね

全然情報ないんですよ。何年か前、元DRACのM原君という76年度生が亡くなったときに、お葬式で会った連中から会社や自宅の電話番号教えてもらったけど、僕が知った頃にはもう使われておりません、か呼び出しだけで誰もデンワ(やってもた)。

彼は、大学出た後塾の先生していて、それから結構いい歳になってから会社に入って、でも持ち前の人間性でバリバリ出世して取締役まで行った、なんて風の噂で聞きましたが、その後はどうしているのか。何年か前mixiで彼の本名で検索かけたら2名ヒット。メール出しましたが返事なしで別人28号だったようです。どうしてるかな、豊田勇造、ちごた、S戸。

あー、そうかもしれませんね

演奏系のサークルと聴くだけのサークルって、ほとんど接点無かったもんね。別館もこちらは薄汚れた怨念の溜まった今出川別館、そちらはあの75年当時にエアコン完備の新町別館、場所も違ってたから、まあゼッタイどこかですれ違っていたでしょうが…。DRACも人に説明するときに「ドラッグ?なんか危ない薬やるとこ?」なんて良くからかわれました。室町にあった大規模雀荘グリーンでは、結構有名でバイトのA城君から「降りたらアカンで、レコ研の麻雀見せたらんかい!!」とハッパかけられました。まあ、ドラッグだけにハッパもありか、と…。

>サーカスの厨房でフライパンふってた奴

が、S戸君でした。彼から聞いたサーカス時代の武勇伝は「トイレに行って手を洗わんと出てきて、それからチーズこねくり回して作ったピザが旨いんや」というのがありました。また、一緒のバイトだったキー坊(N村)が下宿で麻雀したとき買い込んだケンチキが冷めてまずくなったから揚げてくれと頼まれ、店で揚げてそれを分けて食べたなんて話もありました。

しかし、S戸もそうだけどF田の消息も知りたいな。どなたか情報はお持ちでないか?
非公開コメント

プロフィール

drac ob

Author:drac ob
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

QRコード

QR

鳩時計

フリーエリア

ブログ内検索