イト・ワズ30イアーズ・アゴー・トゥディ


パンタのインタビューの時のメモ、○は聞いたこと、×は聞けなかったこと
 予兆はあった。この前、年末の整理をしていたら、どこかにやってしまったと思っていたパンタへのインタビューテープ(多分79年だと思う)が出てきた。年末年始の休みの間にテープ起こしをやろうと思っていたが、テープの状態が良くないのと僕自身の怠慢からそのままになってしまった。これはそのうち時間を見つけて必ずやろうと思っている。それとmixiの隣さんの日記(もちろん、あの偉大なる「だててんりゅう」の隣さんである)に1979年のライブのチケットの写真がアップされていたので、懐かしくなってコメント書いたら、似たような感想を書き込んだ人がいてちょっと気になっていたら、その当人からメールを頂いた。

 そのメールの内容と彼自身のプロフィールを読んでいたら、もしかしたら僕の知ってる人間かもしれないと返事を書いたら、なんと見事にその通りだったのだ。まだ、本人の承諾を得ていないのであまり詳しい話は書けないのだが、仮にその人の名前をN村さんとしよう。N村さんは、僕と同じ大学の79年度生で、ということはsugarmountain君と同期になるのだが、関西のニュー・ウェイブ・シーンが活発な頃、良く現場で出会った。あまり詳しい話はしなかったように思うが、自分でバンドをしながらいろんなライブ・イベントの手伝いをしていた。連続射殺魔のマネージャーをしていた故M原君とも一緒にいろいろなイベントを仕掛けたらしい。

 未だに良く覚えているのは、ある日僕が別館の階段を4階に向かって歩いていたとき、N村さんから声をかけられて、「今丁度BOXに行こうと思ってたところです。これ僕たちのバンドのデモ・テープです。是非聞いてください」と言われて1本のカセットを渡されたことだ。結構ポップな感じの演奏が入っていた。で、およそ30年ぶりに彼から届いたメールには「当時私はスーパーミルクというバンドのメンバーでした。 ストラングラーズの前座で西部講堂に出て満場の帰れコールを浴びました。」と書いてあった。

 しかしほとんど30年ぶりのネット上での再会だったが、今日は更に恐ろしいものが出てきた。僕の部屋の押入れを、たまたま配偶者が整理していたらアナログ・レコードが出てきてその横にあったダンボールの中から、大学時代のノートが2冊、それと80年代半ば関東で働いていた頃のノートが1冊出てきた。大学時代のノートは76年の夏合宿の記録や77年に始めたミニコミの記録が残っていた。そこには、ミニコミやサークルの会報に書いた原稿や、自分自身の確認のために書いたいろんな文章があり、いやー、オレは21,2の頃から全然進歩していないということが確認できた。で、このノートに書いてある話、全く僕の個人的な話ばかりなのだが、ちょこちょこ当時のロック・シーンに関係する話もあるのでここにアップしようと考えています。いやー、うれし恥ずかし、朝帰りという心境だな。では、乞うご期待、DRAC興亡史も新展開出来そうです。あ、N村さん、了解取らずにメールの一部をアップしたけど、許してください。あなたが歴史の証人であることを残しておきたくて…。そうそう、そのノートと一緒に、大変稀な記録であるんだが、ある女の子から貰った手紙も出てきた。白い便箋に青いインクで書いてあって、ああ、これ以上はもう書けません、っていうか、こんなもん我が家のオンナコドモに見られたら大変なことになる。隠さねば。

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コメント

故M原君が

スーパーミルク~ハニー&ザ コスチュームを 
イディオット オクロックと共に 非常に気に入っていて、
彼の部屋に行くと よく音を聴かせてもらい、話をしてくれました。
N村さんとは、M原君と一緒に どこかに行った時、
お顔は拝見していると思いますが、面と向かっての
正式なご挨拶はしておりません。
N村さんは、本業の傍ら 蔵でLIVE他のイベントを
精力的にされていて、機会があれば ご訪問したいとは、
考えているものの 自由行動が出来ず、かなわないままと
なっております。

そりゃハニコスでしょと書こうと思ったのですが、前身はスーパーミルクというバンドだったとは知りませんでした。ハニコスのメンバーは確かに僕と同級生でした、学部は違ってましたけど。卒業後もMっちゃんがらみで何度か一緒に飲んだこともあります。N村くんとはあまり縁がなかったけどM田くんやハニー(犬のなるこさんの妹)とは何回かご一緒しました。今はどうしてるんでしょうね。N村君の滋賀の造り酒屋を改装したというライヴ・ハウスに一度尋ねたいと思いつつK平先輩同様行かず仕舞いになっています。
話し変わりますが東京のH本さん(Hっしゃん)からメールをもらったのですが。元バンドマンがやっている焼き鳥屋があるということで連れられていったらなんとマスターはウシャコダのKeyの若山さんだったとか。サーカスや天一の話で盛り上がり、店にあるエレピで「ダークエンド・オブ・ザ・ストリート」なんて弾いてもらったりしたそうです。

やはりK平先輩もご存知でしたか

この広い日本のネット界で、こういう出会いもあるんですね。隣さんの日記のコメントを読んだときに「もしかしたら」と思いましたが、「まあ、ありえないわな」とすぐに思いました。しかし、彼から「ビンゴ」と書いたメールが届いたときは、「え」と一瞬目が点になり、そうか、やはりそうだったんだと妙に力が入りました。しかし、大学時代のノートは笑いますよ。ノートの後ろに、これは76年の夏合宿の打ち合わせでしょうか、某F田敏雄君の字で「後期予定 ジャズ入門編 チャーリー・パーカー N,N田、S賀。バド・パウエル N。」などと書いてあります。NというのはI上さんと同級だったNさんです。多分、研究会のリーダーとして名前を書いていたんでしょう。9月にジャズろう会という企画と11月はジャズのライブスポットに行く予定だったみたいです。

実現したかって?それどころやなかったんや、お前なんも知らんのやな(これ解ってくれる人限られてるよな…)。

ウシャコダといえば、ついこの前

「松戸一揆」やったばかりだぞ。これもmixiの日記からだけど、見に行った狸さんのレポートから想像するに、やはり寄る年波にはちょっと勝てない部分はあったみたいだ。もっとも「50にして立つ」がモットーのバンドだけに、まだまだ頑張って欲しいよな。あ、そういえばH本はずっと東京暮らしだっけ?M原(こちらは岡山出身の軽い方)もまだ東京かな?O原はって、身内話ばかりやってもしょうがないけど、たまにはオレにもメールするよう言っといてくれ。
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