トノバンが消えた晩 つづき

 昨日(正確には今日、18日だが)は錯乱していたというか、「DAZED AND CONFUSED」の状態でエントリーを書き始めたので、文体も滅茶苦茶だし前半と後半の温度差は一体なんだと自問自答しても答えが出ない。それでも、今朝になって加藤和彦の「自殺」の原因が「音楽的にやるべきことがなくなった」というニュアンスから「新しいものが作れない。昔はこんなことはなかったのに」という創作上のジレンマや、鬱病による自殺念慮に抗えなかった結果ではないか、というようなしたり顔の記事を読んで、納得した、いや納得しようとしているが、やはり分からない。人生は分からない事だらけだ。それでも、彼のことはなんとかエントリーに残しておきたいので続きを書いていこう。

 加藤和彦は言葉を持たないミュージシャンだった。松山猛、北山修といった優れた作詞家が周囲にいたせいもあるが、根本的に自分の言葉は音で表現しようとしたアーティストだったのではないか。もちろん「歌詞」に価値を感じなかったなどということではない。いやそれ以上に「歌詞」に対しては敏感だったと思う。「戦争を知らない子供たち」などという脳天気な歌詞にメロディをつけることを拒否し、その結果ジローズのメジャーデビューが早くなったなんていうエピソードがあるくらいだし。その後、安井かずみという作詞家兼パートナーと出会い彼の音楽的成果はどんどん拡大していったが、ってそんなに慌てずに僕的加藤和彦との出会いの話をぼちぼちと…。

 最初のソロ・アルバム『僕のそばにおいでよ』は、あまりアルバムとしての印象は無い。勿論シングルとしての「おいでよ僕のベッドに」は強烈な印象が残っている。エリック・アンダーセンの「Come to My Bedside」をそのまま訳して歌ったもので、楽曲としての印象よりもその歌のイメージ、早い話が「セッ×スの歌」としてのイメージが一人歩きして、この歌を聞くと「二人のラブジュース」だとか「わいせつ裁判」だとかミニコミ、四畳半、フォークリポートなどの単語が無条件でフラッシュバックする。早い話が「フリー・セッ×ス・スウェーデン」なんて言葉を、意味もろくすっぽ分からず仲間内で話して盛り上がっているガキの頃、ラジオで聞いた歌だ。取り急ぎどうぞ。※アクセス解析していたら、このエントリーに訪問履歴があった。久しぶりに見直してみたら、動画が全部削除されていたので、再度探してみたが加藤和彦のテイクがなかったので岡林信康バージョンにします。この他の動画も2012.1.15再度アップしなおしました。



 加藤和彦をはっきり意識して聞いたのは次のアルバム『スーパー・ガス』だ。当時ナショ×ル住宅のCMソングに使われた「家をつくるなら」が1曲目に入っていた。このアルバムは高校1年のときに一緒のクラスになったS藤君が持っていて、彼から借りて聞いた。スーパーマンのイラストに顔の部分が彼の飼っていた犬の顔写真になっていて、何だか変なジャケットだなと思ったものだ。裏ジャケットは多分彼の家の中の部屋だろうが、ベッドで加藤和彦と最初の奥さんのミカ、そして愛犬ガスとじゃれあったシーンが撮影されている。もっとも背景はモノクロ処理されているので、最初は何だか気持ちが悪かった。しかし、ベッドの横に彼らの靴が写っていて、へえ、加藤和彦の家は土足なんだと妙なところに感心した覚えがある。

 実はこの『スーパー・ガス』は大好きな作品で4年ほど前にCDで再発になりすぐに購入した。このエントリーも全曲『スーパー・ガス』の動画を貼り付けようかと思ったくらいだが、このアルバムで一番好きだった「アーサー博士の人力ヒコーキ」の動画(音源)がYOU TUBEにアップされておらず断念した。そうそう、そういえば新譜ジャーナルの出した「セメントフォーク大全集」という楽譜雑誌があるのだが、アルフィーの坂崎がそこに加藤和彦の作品として「アーサー博士~」が選んでおり、流石は坂崎と感心した。ちなみに他には「家をつくるなら」、「魔法にかかった朝」「あの素晴らしい愛をもう一度」「不思議な日」(この歌はひらがなで「ふしぎな日」となってる場合と感じの「不思議な日」と2パターンある。アルバムには「不思議な日」でクレジットされているのだが)の全5曲。

 で、どの曲をアップしようか迷ったのだがここはナンセンス・ソングの「せっかちと■◆■■」という曲にしたい。伏字の部分には「メッ×チ」という単語が入るのだが、当然というかレコ倫からストップがかかり、頭に来た加藤和彦は歌詞カードのその部分を墨で消し(いやー、時代を感じますね。ああいうものは墨で塗って隠すから見たいという欲望が増加するわけで、なんでもかんでも見せればいい、ほらどないだ、とオープンにされると食欲が失せるというものだ。荒木一郎も♪俺はプレイボーイ、墨で消されも売られていく~と歌っているではないか。あ、ナニの話になってしまった)さらに曲からその単語の部分をぶった切った。ZKのファーストやアナーキーのファーストなんかでも使われた手法である。全然意味なんかないオフザケの歌なんだけどね。今だと最後のフレーズが髪の毛が不自由な人に対するベサツだと問題になるかもしれない。※こちらは、アマチュアなんだか良く分からないのだが「加藤和彦命日ライブ」というものからアップ。




 当時、僕は「guts」というフォーク雑誌(!!)を定期的に買っていた。その理由の一つは加藤和彦のコラムを読みたかったからだ。彼と彼の周囲の音楽関係者の話はとても面白かったし、彼のレコードレビューは取り上げているミュージシャンに対する尊敬と愛情にあふれていて他の評論家のそれとは比較にならなかった(どうでもいいけど、当時の彼の書いたエッセイやレビューなどを整理して出版してくれるところは無いだろうか)。当時読んだディスクレビューで未だにはっきり覚えているのはライ・クーダーのセカンド・アルバムだ。「祝ライ・クーダー賛江という花輪でも送ってやりたいくらい嬉しい」と書いてあったそのレビューはライ・クーダーのボトルネックのテクニックのこともそうだが、それ以上に古きよき時代のアメリカ音楽に対する憧憬の念にあふれていた。余談だが、吉田拓郎がメジャー・ブレークするきっかけになったシングル「結婚しようよ」でボトルネックを弾いているのは加藤和彦本人である。また、日本で初めてレゲエを取り入れた曲として泉谷しげるの「君のたよりは南風」も加藤和彦が仕掛け人である。何かのインタビューで泉谷が「レコーディングで困ったら加藤和彦のところに持っていったら何とかなった」と話していた。ついでに「君のたより~」のアレンジを最初聞いたときは「どうやって歌うんだ、こんなリズムで、加藤和彦のバカヤロー」と激怒したらしい。

 まあ、それくらい才能あふれる人だったんだ。才気簡抜とはこういう人のことをいうのだろう。この『スーパー・ガス』を出した後、加藤和彦は宮崎に来た。生憎僕は見ていないのだが、当時授業をサボって見に行ったS藤君に聞いたところ、ギターの弦がヘッドのところからかなり長く飛び出していて、ご本人の体形も大変細長くて2メートル近くあるように見えたらしい。「ボクサーをやります」と言って、あのポール・サイモンの印象的なイントロを弾き始め、マイクに近づき「僕さぁ~」といって終わったり、客を客と思ってないような冗談半分のステージだったらしい。まあ、そうかもしれない。あちらは仏様を作る仏師の家のお生まれで、こちらはミカドに反抗しまくった隼人や熊襲の子孫の地くらいにしか思えなかったのだろう、っていうのはひがみすぎかな。

 さて、フォーク路線に飽きた加藤和彦は次にグラム・ロックに挑戦する。いわずとしれたサディスティック・ミカ・バンドである。こちらは木村カエラがボーカルを取った再々結成のミカ・バンドがやたら評価されているが、オリジナルのミカ・バンドももっと評価されてもいいだろう。僕がサディステック・ミカ・バンドの名前を初めて見た(聞いた)のも先ほど書いた「guts」という雑誌で、「僕たち(加藤和彦とミカ)はつのだひろと一緒にバンドを作りました」みたいなレポートがあり、「サイクリング・ブギ」や「ドーナッツ・レーベル」のことなどが書いてあった。その後NHKの番組でミカ・バンドの演奏を見るのだが、およそ音楽番組には似合わないいかにもNHK的なアナウンサーがミカ・バンドの名前の由来を聞き、「そうですか、ミカさんはサディスティックなんですか、そうですか」と食い入るようにミカを見つめながら発言していた。翌日、学校でその番組を見た友人たちとあのアナウンサーはスケベで欲求不満に違いないと熱く語り合った。欲求不満はどっちだという話だけどね。それではミカ・バンドで僕の最も好きなこの曲をどうぞ。



 実はこのエントリーを書き出す前に、YOU TUBEでいろいろ音源を捜してみた。『スーパー・ガス』収録の全曲を探したり、結構不毛な作業をしていたわけだが、その中でミカ・バンドのマンチェスターライブの音源を見つけた。加藤和彦が自分でやっていたラジオ番組でオンエアしたものらしく、投稿者もまさかこういう形でアップするとは思わなかったとコメントしている。カセット録音なので音がややこもった感じだが、『ホットメニュー』の頃のミカ・バンドの雰囲気がたっぷり出ている。いやー、聞きなおして思ったけど、いいバンドだ。前座でロキシー食ったってのもよく分かる。後藤次利がチョッパーでビンビン弾きまくるもんだからロキシーのベースがロコツにいやな顔をしていたと、これはたしかミカの『チャンス・ミーティング』かなにかに書いてあった。ミカ・バンドの話に続いて『それから先のことは』以降のトノバンの話を書こうと思ったのだが、これは以前書いたエントリーがあるのでそちらをどうぞ。おっと忘れていた。トノバンが他のシンガーに提供した楽曲も名曲・珍曲が沢山ある。次回はそういう話を、メイビー、書くかもしれない。何はともあれ、トノバンに合掌。K平先輩、こんなところでどうでしょう?

※追記~「以前書いたエントリーがある」などと書いておきながら、リンクし忘れていました。18日22時20分現在、修正致しました。


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コメント

スーパーガス

加藤のことだから「ガスバッカス」をモジッタのか。
アーサーというと、「アーサーのブティックを知ってるかい・・・という歌もありました。「アリスのレストラン」~のモジリなのかも入れません。
とにかく彼は終始パロディの天才でしたね。

とにかく何でも遊びにしてしまう人で

音楽もファッションも全て遊びみたいなイメージでした。80年代のインタビューだったと思いますが、3日間くらい食事をしてなくておなかがペコペコのときに目の前に丼飯と美味しいお菓子が出されて、どちらかを選べといわれたら、ためらうことなくお菓子を取る、みたいな発言してました。単に空腹を満たすだけの食事には意味を見出さないという人だったんでしょう。

ナイスな選曲

有難うございました。前後まとめて、順不同のコメントになりますが ・・・
「それから先のことは」をBOX内で 浸透させたのは、drac-obさんでした。
私も 「シンガプーラ」をはじめとする 独特の心地よさに「魅せられた」一人です。
シンガポールに行った時は、自然に「♪あつい風かき回し、
羽広げる扇風機~」のフレーズが 浮かびました。
「家をつくるなら」と「あなた」を 家内と聴く時、「この歌のような家には
住めなかったなあ」と言う話になります。
それと、一乗寺の下宿の向かいの部屋の奴(商学部、高校三年の同級生)は、
今やパナホームの取締役です。うらやましいと言うより、
昔から親分肌の めんどうみのいい男でしたから 素直に納得しております。
この前 下宿に行った旨、TELしましたら そいつも「去年 下宿を見に行ったら 
まだ残ってたんで 驚いたよ。」と言ってました。 
修学院の貴下宿で、T原君と三人で 「悲しくてやりきれない」のサビの部分を
演歌風に がなったことを 思い出します。
ミカバンドは、やはり ミカがVOCALだった時が 一番いいですね。
うまい、ヘタを超えた味がありました。

そうでした、修学院のあの下宿で

夜、3人で大声で演歌風に歌いましたね(笑)。あれは実はその前にコロポックルというあだ名だったH居君とT原さんが僕の部屋に来て、サンタナのレコードに合わせて♪オエコモバ、イリーノウェノバノサ、ブラーラなどと喚きながら空き缶を叩いて盛り上がり、心ある下宿人たちから総スカン食らった後でした。何かに取り付かれたように歌ってましたよね。それと「タイムマシンにお願い」の最後のほうで♪タイムマーシンにおーねがい、タイムッと決めたいけど、なかなかドンピシャに決まらず、延々謡続けたこともありました。

そりゃ、下宿追い出される罠というお話でした。
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