自立する人、洗濯を語る。

 ここのところずっと鬱陶しい天気が続いたが、今日は珍しく朝から太陽の光があった。とはいうものの陽炎のような儚い力の無い日の光だった。毎日穴蔵みたいな生活をしているのにどうして日の光に反応したかというと、太陽の光のおかげで昨夜洗濯した衣類がきれいに乾いたのだ。そう、洗濯である。今日のテーマは洗濯。お掃除オバちゃんならぬお洗濯オジちゃんなのだ。

 こちらに来てから、料理・掃除・洗濯とほとんど学生時代以来のことをやっている。その中でも掃除や、料理はたまにしていたが洗濯は多分15,6年ぶりである。今では全自動で乾燥機付きというのも珍しくないのだろうが、僕が生まれて初めて洗濯らしい洗濯をしたのは今から30年以上も前の京都・修学院時代である。当時コインランドリーなどは無かったのでアパート(下宿といったほうがあの時代の雰囲気は出るが、最近知ったのだが下宿と言うと賄いつきの賃貸の部屋と思われるようだ。飯なんか付いてる訳が無い。4.5畳1間の何も無い部屋だ。当然トイレや流しは共同。風呂は銭湯が当たり前である)に備え付けの共同の2層式洗濯機である。正直に言ってその洗濯機の使い方がよく解らなかったので、最初のうちは下着類はお風呂で洗っていた。銭湯でそんなことをやったらペナルティものだが、その頃は住んでいたアパートの向かいがそのアパートを紹介してくれた、えーどう説明すれば良いのか、話は高校2年の頃に戻る。

 当時一ツ葉にS原君という仲の良い友人がいて、その日は多分土曜日だったので僕は彼の家に遊びに行っていた。彼の部屋は8畳くらいの洋間で勉強机の他には本棚しかないという、正に理想的な部屋であった。その本棚にはありとあらゆるミステリ小説が所狭しと並んでおり、その背表紙を引っ張り出しては、お互いいろんなミステリの話や音楽の話、時には女の子の話などを際限なくするのが当時の僕たちの息抜きだった。その日も例によって2人であれこれ話していたら、突然ドアが開いて彼の母親と2人のオババが入ってきた。実は僕が遊びに来ていることを、彼の母君はご存知無かったようで、自慢の息子を客に紹介しようとしたら出来の悪い友人の僕がいたのでややひるんだようだった。

 しかしそこは大人の配慮でその2人のオババは友人の母君の学生時代の恩師で、一人の人は京都で高校の先生をしていて、下宿屋もやってるという話を伺った。その時にお世辞であろうが「京都で何か困ったことがあったらいつでもおいで」などと言われたのだ。その時はまさか自分自身京都に行くなどとは夢にも思っていなかったので、適当に返事をしていたと思う。その後、僕が京都に行くことが決まった時にS原君のお母さんがわざわざ、その時の先生(確かT島先生といったと思う)の名前と連絡先を教えてくれて、何でも相談したら良いと言ってくれた。

 ま、そんなことがあっても、ご厄介になることは無いと思っていたが、いざ京都に行き大阪の親戚が申し込んでくれていた大心院の下宿に行ったら窓が無い土壁の部屋で天井にポツリと明り取りの窓があった。おー、風流やのー、エドモン・ダンテスの気持ちが良くわかるワイなどと気取っていたが、ちょうどそこに住んでいた女子学生が卒業で引っ越すところで話を聞いたら(このころは人見知りをしなかったらしい。見知らぬ人に、それも異性に話しかけるなど今ではとても考えられない)、夏は暑くて死にそうになり冬は寒くてとても居られない、気のせいかここに住んでいた間に風邪を引きやすくなったなどと脅かされた。

 そういうことを聞いたらとてもじゃないが住みたくない。かといって今更、他に住むところもないしなどと考えていた時にひらめいた。そう「京都で困った時はいつでも…」の話だ。早速T島先生がお住まいの修学院に飛んでいった。余談だが、当時父もまだまだ元気で一緒に行ったのだが、場所を電話で聞いたとき”修学院プラザ?”が目印と聞き、タクシーの運転手に「修学院プラザというホテルか何かが目印で~」と話したが運ちゃんは「そんなホテル聞いたことありまへんで」と素っ気無かった。現地について解った。プラザ修学院とは商店街のアーケードの名前だった(一番街とか若草通りのもっとこじんまりしたもの)。

 行って相談したものの、もう3月末でT島先生の下宿(2階に10部屋ほどあり、九州人であることが入居の最低条件であった)も全室決まっている。どうしようもないかなと思っていたときにT島先生が「そうだ。向かいのN井さんの下宿は今まで予備校生しか入れてなかったけど、今年から大学生も入れるって言ってたから、もしかしたらまだ部屋があいてるかも…」とのことで、わざわざお向かいに聞きに行ってくれた。WOO,WOO,WHAT A LUCKY MAN HE WAS!(ここEL&P風にって、誰も知らんか)ま、天は自ら助くる者を助くとでも言いましょうか、悪銭身につかずというか(なんのこっちゃ)、おかげで4.5畳一間だが角部屋で2面が窓というまずまずの部屋に入居できたのだ。

 ただ九州から出てくる時に、生活用品は全て生協に頼んでいたのと親しい友人たちに連絡先として大心院の住所を教えていたので、それからちょっと面倒なことになった。まず第一に布団やコタツ、机といった生活用品が全く無い(布団だけは大家さんが好意で生協の荷物が届くまで貸してくれた。僕はこのとき初めて下に敷く毛布があることを知った。南国九州では一年中毛布なんか使わないってまた大嘘こいてるぞ、オッサン)。そして最初は何も言わなかった大家さんだが、日にちが過ぎても荷物の来ない僕の部屋に来て「いつまで人の布団つこてんの!」と怒られ、慌てて生協の本部に行き軽トラ一杯の荷物と共に生還したのだ。

 ところで洗濯機の話は?いやー、すっかり忘れ取ったな。それでは続きは又今度ということで。
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