ヤングな僕のぽっぷす・なう 反戦歌その1

 シルバー・ウィークなどという砂上の楼閣が消えてしまい、またいつものように不毛な日々がスタートしておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。いや、もう、ちょっと油断するとすぐにエントリーが途絶えてしまうというか、これで結構取り掛かるのに時間のかかるタイプなものだから、頭の中でエントリーのことを考えて、ああいう話を書いてこういう落ちでいこうとか、途中のくすぐりにこの部分をからませてとか、そういう妄想というか想像しただけで何となくblogを更新したような気になるのは、もしかしたら病気でしょうか。

 などというわけの判らないイントロですが、実は今日は以前から頭の片隅にあり、なんとか話がまとまらないかなと以前から考えていたメッセージソング特集というか反戦歌特集をやってみようと思うのだ。どうして今更そんなものを、という気もするがこの前のエレックのコミックソングなんかよりずっと前から暖めていたものなのだ。ま、ヒット・ポップスにかこつけてなんとかまとめてみたい。まとまるか、まとまらなくてもいいか。とにかく進めてみよう。

 最近CMでグランド・ファンクの「ロコモーション」がよく流れる。考えてみたら多分中学から高校にかけての時期のハード・ロック界の一翼を担っていたバンドで雷雨の中の「ハート・ブレイカー」などという伝説もあったが、当時南九州で幼年期の中頃を送っていた僕には夢のまた夢であった。ただ、何故かこの曲は結構ラジオでも流れていたのではないか。「戦争をやめよう」という曲である。



 マーク・ファーナーには別段思いいれはないが、大学に入ったばかりの頃にクラスの同級生にその噂話を聞いたことがあった。僕のいた大学には内部進学できる高校、早い話が付属高校というやつがいくつかあって、D高校出身の人間は真面目でしっかりしていたが、大阪は寝屋川にあった高校出身者はいわゆるシティボーイが多くて、軟弱な男が多かった。当時は男子校だったはずだ。最寄り駅が京阪香里園にあったためかK里と呼ばれていた。そのK里出身でアメリカに1年留学していたやつが、ある時、とあるホールでGFRを見たという。「へー、GFR見たんか、どうやった」などと慣れない関西弁で尋ねた僕に、「いやな、客の性質が悪くてな、野次や空き瓶が飛び交うライブやってんや。それで怒ったマーク・ファーナーがな『この中でオレよりギター上手いやつおるんか、おったら出てきてみい』っていいよったんや。したらな、なんやよぼよぼの爺さん出てきて、マークからギター受け取ったらいきなり弾き始めて、それがごっつう上手いちゅうか、渋いブルース弾きだして、客はもう大喜びや。マーク・ファーナーも小さくなって聞いとった」。などという話をしてくれた。しかし、たった今まで忘れていた話だが、いやー記憶の蘇りというのは恐ろしいな。この話が本当かどうかは知らない。ただ1975年の4月の下旬にK阪という男から僕が聞いたのは間違いない。もっともこのK阪という男はアメリカ帰りを自慢する嫌な奴だったのであまり付き合いはなかった。

 もうひとつこの男がらみで思いだした話がある。ついでだから書いておく。先生が外国人だったので多分英作文の時間だと思うが、クラスの男子生徒が1人欠席していた。理由を尋ねた先生に答えた学生の発言。“He crushed his right leg.”He CRUSHED!?””No,Mr.He was crushed his right leg.””Oh!He wa crushed,I see.”。みたいな会話だったよ。要するに「ナンデかれハ、ケッセキシテルノカ」という先生の質問に対して、ある学生が「彼は右足をフンサイしました」と答えてしまったのだ。それを聞いた先生、ビックリして「かれハ、ジブンデミギアシヲオッテシマッタノカ」といったところ、アメリカ帰りのK阪が「センセ、チャイマッセ。ヤツハミギアシヲコッセツシタダケデンガナ。日本人、中学・高校で受動態なろてるはずやのに、いざとなったら能動態でいいよるからコミュニケーション・ブレークダウンになるちゅうてんねん」みたいな話だ。ああ、思い出しても不愉快だ。実はこの英作文の授業、僕は前期サボるだけサボってしまい、口頭試験のときみんなは「ミスター」「ミス」という敬称をつけるのに、オレだけ敬称なしの呼び捨てされた。挙句、後期の授業を1日でも休んだら”You,Cut”と手のひらをオレの首に当てやがった。で、未だにこのときの試験が全然できずに脂汗をかいている夢をみてしまいます。あれから30年以上たってるのにPTSDかもしれん。

 などといきなりな話が続いたが、ちょっとはヒットポップスということで、反戦歌と当時は全然思わず、ただこの曲のおかげで現在完了形をマスターしたという、もはや皆さんおなじみのこのバンドのこの曲をお送りします。



 歌詞も聞き取りやすく(さむわんとーみあろーんぐあごー、なんて聞こえて真似してたな)、メロディも覚えやすいこの曲は当時大ヒットした。もっとも当時はここでいう「雨」がナパーム弾のことだとは夢にも思わず、いわゆる「きつねの嫁入り」、「天気雨」のことを歌っていると単純に思い込んでいた。それと、当時はシングル盤を買って(借りて)、音楽と一緒に歌うということをよくやっていたのだが、シングルの歌詞カードには、サビの部分が” I won't know Have you ever seen the rain? Comin down on a sunny day”と書いてあり、” I won't know”の意味がイマイチよく判らず、ま、それで天気雨の歌だと単純に思い込んでいたのだ。よくよく考えてみれば” I want to know, have you ever seen the rain?”が正しいのは火を見るより明らかだ。まあ、当時は結構歌詞カードデタラメだったしな。ひどいときは「聞き取り不能のため歌詞を載せられません」なんて平気で書いてあったし。

 そういえば、巷では「びいとるず」なるグループの随分昔のアルバムがモノーラルやステーレオでセット販売されるとかで大騒ぎだったようで。などと憎まれ口を叩くのはやめて、せっかくだからビートルズ関係の反戦歌をちょっと集めてみた。もっともアフター・ザ・ビートルズだけどね。まず、頭に浮かんだのはオレンジの箱に腹が出て、手足は極端に細く、目だけがぎらぎらしているあのアルバム。CBSがディランを貸さないって意地悪したり、あれで初めてレオン・ラッセルを見てその異様なスタイルに見入ったり、懐かしい想い出が多いのだが、ジョージ・ハリスンの「バングラデッシュ」をお届けします。



 バングラデッシュはベンガル人民共和国というのが正しい国名だと教わったが、この歌とアルバムと映画のおかげで「バングラデッシュ」が僕にとってはポピュラーになった。と、書いてナニゲニ調べてみたら、いまや「バングラデシュ人民共和国」が正式国名と外務省のHPにも書いてある。じゃ、「ベンガル人民共和国」ってナンだったんだ。しかも、僕はずっと「バングラデッシュ」と表記してきた(発音もそのまま)が、よく見てみると「バングラデシュ」が正しいようで、なんだかよく判らなくなってきた。

 で、もう眠くなってきたので続きはまた次回なんだけど、予告編だけアップしておきます。ポールがウィングスを結成したのは「ハイハイハイ」のようなキワドイ歌やこの歌のように政治的メッセージを歌いたかったからではないか、などとしたり顔で書いていた音楽評論家も多かったけど、そんなの全然関係なかったというか、未だにベスト盤にも入ってないこの名曲のリハーサルシーンです。



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コメント

>未だにベスト盤にも入ってないこの名曲

僕の持ってる95年版『ウイングス・ワイルド・ライフ』には「メアリー」ともどもボートラで入ってまっせ。アマゾン見ても今も普通に買えそうですよ。

GFRもCCRも

持ってはいますが、これらの曲が流行った頃には、
彼らへの興味を失ってました。
GFRは、SURVIVALまで、CCRは COSMO’S
FACTORYまでが 好きな時期でした。
1)GFRのこのアルバム ほとんど聴きませんでした。
  20数年前、シンガポールで 乗ったバスの運転手さんは、
  私より少し年上に見えた中国系の人。白のカッターシャツに
  眼鏡で、まじめそうに 淡々と運転していたのですが、
  ふと彼の運転席の周りを見たら 70年代初期ハードロックの
  カセットテープが ずらっと並んでいるではないですか。
  「兄さん、あなたは70年代初期のハードロック好きで
  聴いてるの人ですか?私もそうあるよ ・・・」風の事を 
  話しかけたら その運転手さんも乗ってきて、
  他の乗客そっちのけで、しばらく 二人でロック談義でした。
  その人が好きだったのが、GFRのこのLPの「ロンリネス」で、  彼がテープをかけながら 陶酔して歌ってたのを思い出しました。
  私は、「CLOSER TO HOME」の
  「SIN’S A GOOD MAN’S BROTHER」
  が好きでした。
  カバーでも「孤独の叫び」「GIMME SHELTER」
  「FEELIN’ ALRIGHT」とかは、彼らの
  元々の芸風にマッチするので、好きなのですが、
  「ロコモーション」は大ヒットしましたけれど、私としては
  どうも 納得できず、支持できないのです。
  マークファーナーが髪を切り、4人組のGRAND FUNKと
  なってからの彼らには もひとつ興味ありません。
  ジャケットしか知らないのですが、バンド名か、タイトルで、
  「GRAND PUNK RAILROAD」には
  「一本取られた!」って感じでした。
  sugarmountainさんあたりが、詳しいかな?

2)CCRは、ご存知のように 2枚目が 日本初登場で、
  私は2~5枚目までが 好きでした。
  最初CCRを聴いた時は、ジョン フォガティーの声と
  彼らの風貌から 遅咲きの30代のおっさんのバンドかと
  思ってました。世田谷区代沢の八木誠氏が 東芝のラジオ番組で
  グラスルーツとCCRを 大PUSHしてましたが、
  それが無くても シンプルなサウンドで、一世風靡しましたね。
  ROCKやPOPSに縁の遠い連中にも 浸透してました。
  ジョン フォガティーのVOCALは、本当に個性がありました。
  「ペンデュラム」「マルディグラ」の頃には、私としては、
  CCRに興味がなくなっていて、惰性で 買った感じですが、
  「雨を見たかい?」は 本当にヒットしましたね。
  友人らと「雨を見たかいでも歌おうか」と、気軽に歌えました。
  ギターだけの時は、ベースのラインが ハ長調で言えば、
  「ラソミミレド、ドシラソソド」みたいな感じだったので、
  最後の低いドが出せず、6弦開放をミュートして
  間に合せてました。私も 単に天気の歌だと思ってました。
  「WHO’LL STOP THE RAIN?」みたいな
  メッセージソングだったとは。勉強になりました。

3)付属高校からのエスカレーター、多かったですよね。
  一割位いたんじゃないでしょうか?
  「普通に受験したら こいつは 受かってないな」って感じ
  の連中も 中には いましたね。
  私立だから 仕方がないけど、一般の受験枠が 彼らのおかげで、  狭くなってるのには、時々 憤りを感じました。  
  
  また長くなってしまい、申し訳ありません。
  バングラデッシュとポールマッカートニーの話は またの機会に。  OTHERWISE, SOMEBODY WILL でしょう。  最後に ポールと聞いて、思い出した くだらない話を ひとつ。
  DRACで私と同期の O西君が、VIRGINITYの
  男子新入部員に「お前は ポール ニューマンか
  ポール 真っ赤ートニーだ」と侮蔑してましたが、
  O西君も 付き合ってる相手が「S本Y子」嬢では、
  決して 自慢できるものではないだろうにと 思ったものでした。 

ポール&ウィングスはこの頃の音がとても好きです。「ハイ・ハイ・ハイ」はLIVEで普通の8ビートでやってるのがYouTubeにあって、新鮮でした。もちろんこの「アイルランドに平和を」も好きな曲ですよ。

えっ、オレの持ってる『ワイルドライフ』には入ってないぞ!

って、よく見たらオイラの持ってるのはアナログ盤でした。そちらの米にも書いたように90年代ってのは一番音楽をチェックしてなかった時期で、CDも日本のロックのものをたまに買うくらいで、このあたりは全然フォローしてなかった。よーく考えてみると「アイルランドに平和を」のシングルジャケットは『ワイルドライフ』と一緒だったし、リリース時期も近かったんだな。そういえば「メアリーの子羊」は最初の会社の社員旅行で関西に行ったとき、故まっちゃんとM原、H本の3人と一緒に梅田の階段上がって入った狭いスナックで聞いたなあ。マスターがシングル盤を掛け捲っていたお店で、飲みすぎて転寝してると「オレが皿回してるのに眠るとはなんちゅう了見や」と怒られたっけ。84,5年くらいの思い出だ。

O西さんのそのセリフ、はっきり覚えています

S本さん、うわー、久しぶりに「みすずちゃん」を思い出しました。今晩、眠れるかな、多分にナイトメアの世界に入りそうです。で、S本さん、ピーポーといってよくおちょくってました。甲高い声で「クラプトン」とか「ジョージ」とかよく喚いていましたね、ってこの辺は当時のDRACを知らない人にはなんのことかわからないでしょう。

いえね、音楽系のサークル、ま、鑑賞系ですが、そういうサークルには綺麗なオネーサンってつき物じゃないですか、あるいはちょっと憂いを帯びたミステリアス・ギャルとか。例えば音楽研究会という僕たちのサークルの名前によく似た二部のサークルがあって、そこには女性部員がいっぱいいて、そこそこ綺麗なオネーサンやボヘミアンぽいオネーサンもいたけど、我がDRACには女っ気がでんでんなくて、それというのも先ほど登場したS本さんという74年度生のオバハンがイケズしたりして、女子部員を辞めさせていったんだよな。要するに「冬山理論」で周囲に女がいなければ、多少不細工な自分でももてるだろうという戦術・戦略だったと思うが。ん。この人ネタでエントリー書ける。と、思ったら以前1つ書いてました。いや、でもまだまだ書けるぞ!!ってK平さん、下品な連想はナシね!。

http://gakkan.blog64.fc2.com/blog-entry-130.html

この頃のポールとウィングスってのは

ちょっと勢いがあるというか、パンキッシュな勢いありましたよね。シングルも「ハイハイハイ」「アイルランド~」「メアリーの子羊」とか変化に富んでいたし、そうそう、「ジュニアズファーム」の中でちょっとした空耳楽しめますよ。

レッツゴーのリフの後、"Down to juniors farm where I want to lay low,"ってとこのWHERE以下が「おーのーれのん」って聞こえます。これは77年度生だったO原君のトリビアでした。それでは動画をどうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=pEil2e_bUvg

ハンセン歌というと

スペクトラムの「サンライズ」ですね。
細かい話をすると、イントロにケニー・ロジャースの「君に夢中」が入って、同じくスペクトラムの「Motion」のイントロSEを挿入して「サンライズ」と。入場曲の名品ですね。

すいません。

あっ、たしかにその空耳、ありますね。ウィングス、勢いがつくまで大変でしたね。随分こき下ろされたし、事実、大ヒット曲なかったですね。「アイルランドに平和を」も「メアリーの小羊」も小ヒット。「ハイハイハイ」も放送禁止。結局「マイ・ラヴ」まで待たなければならなかったという気がします。そのあとは「ジェット」、「バンド・オン・ザ・ラン」と好調で、「夢の旅人」で頂点ですかね~。

かくたさんならそう来ると思ってました(笑)

僕にとっての入場曲は、やはり「スポーツ行進曲」ですね。あのメロディにのせて♪馬場に猪木に吉村、大木、みんな強いぞ、出てくるぞ~という替え歌を教えてくれたのは、77年度生のH本君だったな。根っからの阪神ファンで、コンパで「六甲おろし」を歌って、心ある巨人ファンの先輩たちからボコられていたのも、微笑ましい想い出だ。

しかし、デビュー当時のハンセンは強かった。ブロディと組まれた日にゃ、どうしようもなかったっけ。などとプロレス話のほうが盛り上がったりして…。

この空耳は広島県は福山市

それも東福山あたりでは、かなり広まっていたようです。というのも、やはりロックファンってのは妙なのが多いので、深読みしすぎでポールが最新シングル(当時)で、ジョンにメッセージを送っているなんてことがまことしやかにささやかれたと聞いています。いやー、この手の都市伝説も大好きなんですよ。ま、後で真相しってから無責任にケラケラ笑えますから…。
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