ヤングな僕のぽっぷす・なう その4

 先日「鳥肌音楽」で、渋谷陽一のことを取り上げていて、珍しくsugarmountain君が怒っていたのでなだめておいた。先輩の気配りである。そのときにチェックした情報でロッキング・オン社が清志郎の追悼号を出すとのことで、昨日、本屋に寄ったら1冊置いてあったので買った。清志郎が過去に受けたインタビューの再録で、半分は既読だったが後半部分は初めてだったので結構興味深く読めた。写真もなかなかいいものが多かった。しかし、まえがきに渋谷“ザ日経”陽一氏の「清志郎が教えてくれた自明の事」という文章の中でちょっと気になるところがあった。もちろん、清志郎を何度もインタビューして、しかも同年代だということで渋谷氏の思いや考えが反映された文章で、それについてどうこう言う気はないが、かってロッキング・オンをそれなりに愛読してきた人間としてちょっと言っておきたいことがあるのだ。

 もともとロッキング・オンは『ロックファンによるロック専門誌』をうたい文句としていたはずだ(『21世紀の精神異常雑誌』なんてコピーもあったが、いつの間にか消えてしまったけど)。取り上げるアーティストはそれなりに先鋭的な、いわゆる小理屈の好きそうなミュージシャンが多かった(このあたり反感買うかな、ま、でも実際そうだもんな)。今でも覚えているエピソードはディランが来日した78年の編集後記かなにかに「ボ」と1文字書いてあって、一体なんだと思っていたら「ディランが来日したのに本誌では何も触れてないので、ボブ・ディランの『ボ』の字に触れておいた」みたいなことが書いてあった。あ、あれは渋谷氏ではなく橘川氏だったか。

 まあ、そういう雑誌だったので日本のロックミュージシャンは松村雄策を除いて(正確にはバンド、イターナウ)登場することがなかった。ましてや雑誌の表紙に取り上げられることはなかったのだが、清志郎とチャボが81年に登場して、以来頻繁に取り上げられることになった。もっとも、それ以外の例えばパンタであったり、めんたんぴんであったり、センチメンタル・シティ・ロマンスであったり70年半ばに商業的には苦しい中、日本独自のロックを展開しようとしていた連中の記事など、少なくとも僕は全く読んだ記憶が無い。あ、後年東京ロッカーズはちょっと記事になったかな。

 少し話が見えなくなってきたが、僕が気になった渋谷氏の文はこういうものだ。『清志郎には多くの事が自明の事だった。…日本のロックは日本語で歌われるべきである。そんな事は自明の事だ。しかし当時は、大マジに日本語のロックは可能なのか、という議論が当たり前のように行われていた。30年経過すれば明らかになる事を、彼は当時から分かっていた』

 ええと、ひいきの引き倒しという言葉がありますが、どうもそれじゃないかな。勿論、清志郎のあの独特の歌詞、言語感覚の素晴らしさは十分認識しているつもりなのだが、少なくともRCがロックの衣装をまとい、シーンに再登場してきた80年にはロックにおける日本語論争なんてなかった。日本語はロックにならない、などという議論(?)は、あのユーヤさんがニュー・ミュージック・マガジンでFTBとか頑張ってるのになんでURC(ウラワ・ロックンロール・センターではない)の連中だけが評価されるのか、というやや逆恨み的な発言をきっかけに70年代初頭におこった、ま、いわばコップの中の嵐だ。

 そのほかにも『“ぼくの好きな先生”というテーマでディープなロックを歌う』というところや『“君が代”はロックになる、それも自明の事だったのである』とか、うーん、どうなんでしょう(ここいわゆるひとつのチョーサン主義者的に発音してください)と思うところもあるのだが、今回のエントリーは渋谷社長批判が目的では無いのでやめる。あ、お断りしておきますが、ロッキング・オンの果たしてきた役割、70年代における渋谷陽一の評論など僕は評価しています。「日本ロック雑誌クロニクル」という本を以前購入し、それ以来一度日本のロック雑誌についてきちんと書いてみようと思ってずるずるになっていますが、近い将来、ちゃんと書くつもりです。ま、予定は未定ですが。

 で、その清志郎追悼の雑誌と今日のエントリーがどのようにシンクロするかというと、アルバム「COVERS」を発売直後のインタビューが載っていて、その中に「バラバラ」という曲はチャボが選んだという部分を読んで、何か頭にひっかかるものがあったのだ。♪マベビベビバラバラ、マベビベビバラバラ~という意味の無いフレーズが延々と続く「バラバラ」だが、どっかで別の曲とシンクロする、あれは一体なんだ…。あ、想い出した!!「スィングスィングバルバラ」だっ!!ということで映像をどうぞ。



 いやー、一体全体どうしてこんな曲がヒットしたのか、よく分かりませんが一頃ラジオで狂ったようにかかっていました。しかし、その後ぱったりと聞かなくなりました。こういういわゆる一発屋というのはヒットポップスの世界には数限りいますな。K平さんのリクエストもあったクリスティの「イエロー・リバー」もその中の1つですね。



 いやー、プロモーションビデオが出ていたとは知りませんでした。てっきりあのモノクロっていうかややくすんだ感じのレコードジャケットを貼り付けた、音楽のみの動画だと思っていたら、こういうしっかりした映像があったんですね。クリスティといえば「アクロイド殺し」や「そして誰もいなくなった」とか「ABC殺人事件」など数多くのヒットを飛ばした女流作家ですが、ってそりゃアガサ・クリスティだろっての。ほら、スタン・ケントンのピアノをバックにしっとりバラードを歌い上げたって、そりゃジューン・クリスティだろって。…えーと誰も止めてくれないので自制します。ま、このヒットポップスにおける一発屋は改めて特集できるくらいいますな。ゼーガーとエバンスの「西暦2525年」なんてのもあったっけ。

 で、続いてお送りするのは逆にヒット曲は一杯あるのに何故か我がポンニチではぱっとしなかったというか、本国ほどの評価を得られなかった人。そうです、ニールです。ニールといってもヤングじゃない(ベンベン)、もちろんセダカでもない(ベンベン)、そ・れ・は・誰かと尋ねたら、デーヤモンド、じゃなかったダイヤモンド、ダイヤモンド。失礼しました。ニール・ダイヤモンドで「スィート・キャロライン」をどうぞ。



 この人、アメリカでは押しも押されぬスーパースターだけど、何故か我が国では評価が低いというかほとんど無視されている。個人的にはリチャード・バックの小説「かもめのジョナサン」のサントラが非常に気に入っていてます。そうそう、旺文社の大学入試ラジオ講座のテキストにこの「かもめのジョナサン」出ておりました。親に受験勉強のテキストを買うからといってお金をせしめ、ペーパーバックを買って、残ったおつりでLPレコードを買った高校時代を思い出します。そういえばこの人の曲をハードロックにアレンジしたバンドもおりました。



 第1期のDPですね。リッチーは既にこのころから瞳に狂気を帯びておりました。ロッド・エバンスのボーカルはクールでカッチョ良かったです。この後のキャプテン・ビヨンドも2枚目のアルバムまでは凄かったけど、3枚目にボーカル変えて出したのはもうアウトでした。それでも大いに期待してレコードも買って、確か当時やっていたミニコミにレコードレビューを書いたよな…。

 おっと、話がヒットポップスからそれてしまったので、ここでもう一人。日本ではかなり過小評価されているシンガーというかギタリストというか、世の中、こんなに凄い人がいたんだということで、ホセに登場してもらいましょう。ホセといってもメンドーサではありません。盲目のシンガー、ホセ・フェリシアーノです。曲は「雨のささやき」といいたいところですが、何故か「Feliz Navidad(フェリス・ナヴィダ)」。いや、この曲ラジオで1回聞いただけで強烈に印象に残った曲なんです。



 YOU TUBEというのは大変便利なもので、こうやって懐かしい歌や演奏の動画を見られるだけでなく、その曲に関するいろんな人の思い入れやエピソードを知ることができる。恥ずかしながらこの歌のタイトルの意味がスペイン語で「メリークリスマス」という意味だとはでんでん知りませんでした。いやーためになるなぁ。というところで、おい、綺麗どころはどうした、という声が聞こえそうなので、雨つながりでジリオラ・チンクェッティの「雨」をどうぞ。



 イヤーこの人、こんなに綺麗だとは当時は全然わかりませんでした。これもYOU TUBE様様です。というところで、今回のエントリーはお終いです。続きは勿論やります。そうそう、最後に清志郎の追悼本のまえがきで僕が一番感動した部分を最後に書いておきます。
『…僕(注:渋谷氏)がそんな事を言っても、無論耳を貸さなかった。一度だけ、暑中見舞いに、一言「君の意見も分かるよ」と書いてきた事があった。とても嬉しかった記憶がある』。感動したのは渋谷氏の正直な書き方と、清志郎はちゃんと暑中見舞いを出す人だったんだ(まあ、手紙に印鑑押す人ですから)、というところです。

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コメント

「若いこだま」は聞いていましたがロッキング・オンは正直きちんと読んだことがないので印象だけで書くのもなんですが。
僕が中学くらいの時例えばゼップやストーンズみたいな音楽は難しいこと考えなくても「かっこいい」の一言で聞ける音楽でした。逆にディランやバンドのような音楽は当時は聞いても何がいいのか分からない、考えなきゃ良さがわからん音楽みたいやなぁという印象でした。
ロッキング・オンってのは単純に「かっこいい」と思える音楽を無理やり自分達(だけに通じる)の言葉で語ろうとこねくり回してる感じがしてました。逆に言葉で語らんと分からないような音楽は敬遠するというか、まぁ単純に渋谷が嫌いなだけでしょうが。
>ディランが来日したのに本誌では何も触れてないので、ボブ・ディランの『ボ』の字に触れておいた
これなんかも身内とシンパの読者だけに受けるつまらん冗談にしか思えません。
とかなんとか書いてますが要は渋谷が嫌いなだけなんで・・・
ただ、大滝について”やれば「ロンバケ」みたいな(売れる)の作れるのにわざと分けの分からない音頭でヨイヨイなんてやってた”みたいな発言を読むとこの人はホント自分のちいこいモノサシしか持ってないんやなぁと可哀そうになってしまいました。ロンバケなんて<産業ロック>で音頭をやってた大滝こそ<ロック>だったとなぜ分からないのでしょう。あっ<産業ロック>が好きなのか・・・

「イエロー・リバー」といえばトレメローズもやってるのですが、クリスティーとオケが全く一緒。→http://www.youtube.com/watch?v=wHJAY6OS5fE
なんでと思って調べたら元々トレメローズのシングルになる予定だったのがボツになって、そのまま消えさせるのは惜しいとそのトレメローズのオケ(多分スタジオ・ミュージシャン)を使って作者のジェフがバンドをでっちあげたということみたいですね。昔はこういうことよくあったみたいですね。

ニール・ダイアモンドの「かもめのジョナサン」はいいアルバムですね。一時期寝る前にこればっかり聞いてることがありました。

個人的な意見ですがw

ヤング・ジョッキーは結構聴いていて、当時まだ小学生だったので、色々なバンドを紹介して貰って、それなりに影響ありました。ただし、ロッキング・オンという雑誌を買っては、毎々失望と嫌悪感に囚われることを繰り返しておりまして、何度読んでもミニコミ誌のノリを商業誌でやっているとしか見えず、毎々金返せという気分になったものです。そういうわけで、ロッキング・オンはたまにしか読んでないですな。正直言って、あの当時の独特な衒学的ノリにはついていけませんでした。

ナイスな選曲ですね

1)バラバラ
  RAINBOWSで持ってました。CBSソニーになる前のコロンビア盤で、
  赤っぽいジャケットだったと思います。
  ザ・シャムロックス「ラ・ラ・ラ」、トミージェイムス&ザ・ションデルス
  「ハンキーパンキー」と同じく、歌詞らしい歌詞が無く、
  英語がわからなくても 無問題だったから 流行ったんでしょうね。
2)イエローリバー
  よく聴きました。シングルも4曲入りもLPも持ってました。
  曲に恵まれて、事務所の方針がしっかりしてたら 
  グラスルーツ程度には続けられたかもしれません。
3)ニールダイヤモンド
  「ヤング」でも「セダカ」でもない「ニール」なら「ママに捧げる詩」の
  「ニールリード(ルーリードではない)」かと思ってしまいました。
  「クラックリンロージー」とかもよかったです。
  DEEP PURPLEの「詩人タリエシンの世界」はグラモフォン盤で持ってました。
  ロッドエバンス在籍中の三枚の中で、一番気に入ってます。
  「キャプテンビヨンド」、私は好きでした期待されたけど、
  「WARHORSE」「MAYBLITZ]「ARMAGEDON」同様、商業的には もひとつでしたね。
4)ホセフェリシアーノ
  やはり「雨のささやき」ですね。
  「ハートに火をつけて」は本家ドアーズの方が 好きでした。
5)ジリオラチンクエッティ
  独特の中低音域の魅力があり、
  「恋よまわれ」あたりまでは、いい曲が多かったです。
  「雨」のシングル盤は、B面が他人と言う けったいなカップリングでした。
  色気では、「シルビーバルタン」の方が 個人的には上で、
  競作「ズンズンズン」も シルビーバルタンバージョンの方が好きでした。
6)渋谷陽一
  それまでの「若いこだま」のDJは、「馬場こずえ(だったかな?)」が
  日本のフォークをかけていたものの 「江守徹」とか 語りが中心で、
  渋谷陽一の登場は、NHK番組での本格的な洋楽ロックDJとして、新鮮でした。
  かけた曲は、旧譜は 私が持ってる曲ばっかりでしたが、新譜は「BLUE OYSTER CULT」とか
  IGGY POP「淫力魔人(と言うタイトルを付けるなよ)」とかをかけていたので、 
  買うときのヒントにはなりました。「TED NUGENT」のソロデビュー作を
  「新人」と紹介して、リスナーから「AMBOY DUKESで有名じゃないか!」と
  指摘され、「皆さんがあまりご存知ないかと思ったんで、
  新人と紹介したんですが・・・」と翌週言ってたのが、印象深いです。
  渋谷陽一の前任者「くしべさゆり(漢字がわからない)」嬢も 語りが中心で、
  合間に 曲をかけているだけの 音楽が付け足しの人でしたが、
  この人の時に 「MC5」1ST(LIVE)の 「RAMBLIN’ ROSE」と
  「KICK OUT THE JAMS」がかかったのは ショッキングでした。
  故M原君の学校では、聴いていた同学年のロックファンが 
  「KICK OUT THE JAMS」のLPを  こぞって 捜し求めたと聞きました。
  個人的には、渋谷陽一氏は、登場した最初の数年間は、
  輝いていた人と言う印象です。
  ついつい長くなり、申し訳ありません。

まあ、そんなに怒るなや~

渋谷嫌いなんだな~、ま、人それぞれだからいいけど。とりあえず彼はロック=電気増幅音楽だから、売れないといけないというセールス至上主義を自らに課していた部分あるので、いろいろ敵も作ったようだけど、いわゆる「ミニコミ」をあそこまで商業主義に乗せたのだから、エライと言えばエライのではないか。あかん、今日はホルモン食べに行った帰りなので頭回りまへん。このあたりの話は改めて…。で、今「シモブクレコード」聞いていますが、クリビツテンギョウ。「ライクアローリングストーン」を下地がそのまま訳して歌ってます。こりゃ面白いや。

うーん、確かに70年代のロッキングオンは

ミニコミの香りが紛々としておりました。もっとも、ロックは好きだけど、楽器は出来ないという圧倒的多数のロックファンの表現衝動としての「ロック批評」を自由なフィールドに提供したROの価値はあると思いますが…。えーと、まだまだホルモンの影響でまともな意見を書けないので、このあたりは改めて…。

ババこずえって、

いや、懐かしいどころか、いたいた、歴史年表にとでもいいたくなるくらい懐かしい名前です。このあたりの話はまた改めてじっくりしたいと思います。どうもホルモン食べ過ぎてやや胃が重いので…。

そうかぁ~w

あ~そうか。私やっと理解しました。

あの当時のロッキング・オンが矢鱈観念的で衒学的だったのは、楽器できない奴が小理屈捏ねくりまわしてたからなんですね。いやぁ、私、ヤング・ギターとかロッキンfとかを読んで、挙句Playerとか創刊したら読んで口なもんで、あのくだらない小理屈の意味が今に至るまで判りませんでしたw

なんだよ。やっぱりつまんねぇ雑誌だな。

閑話休題

なんですかね。
やっぱり根性の入った連中は、濃いものに集まるようでw

http://ukiukirock.blog49.fc2.com/blog-entry-166.html

このBlogを読むと、U.K.の"IN THE DEAD OF NIGHT"の変拍子のイントロに親爺たち全員が手拍子したとかw いや、こうでなくっちゃぁ面白くない!

それほど観念的でも衒学的でもなかったような

気がしますけどね。もっとも、ミュージックライフやニューミュージックマガジンなどとの差別化を図るため、あえて小理屈をこね回していた感はぬぐえませんが(笑)。ひとついえるのは、今までの音楽雑誌と違って専門の評論家やライターはいなかった(後年専属ライターばかりになりますが)ことと、基本は投稿誌だったことが新鮮だったと思います。ロッキング・オンについては、一度ゆっくり書いてみようかと考えていますが、あまり読みたがる人はいないだろうな…。

しかし、渋谷社長ここまで嫌われているとは。小倉並だな。

ゾンビーのお祭りですか(笑)

なんだか凄いメンバーが凄い演奏をしていたようで、それを見に行く連中もちょっと「キ」印っぽい感じですが、いややはり一度は生で見てみたいですな。アンコールが「太陽と戦慄パート2」なんてのが泣かせます。

寺内タケシがゲストだったラジオ番組の思い出

エントリーからはずれた話で申し訳ありませんが・・・
昭和46年(1971)の9月だったと思います。
ある日曜日の朝に何気なくダイヤルまわしたAM放送で、聞き手が「高嶋秀武」、
ゲストが「寺内タケシ」と言う番組をやってました。
寺内タケシは、日本エレキブームの立役者とは思うけれど、別に好きではないし、
昭和39年位に雑誌で読んだ 彼の苦労話と言うか自慢話、
「エレキを買うために沖仲仕(ニコヨン)をした、小学生のときにエレキギターの試作品を作った、
外タレが俺のギターを聴いて 俺たちよりうまいと驚いた ETC.」の
印象があって、いい印象を持ってませんでした。
したがって、ただ そのラジオ番組を 漫然と流していただけでした。
最後になって 高嶋アナが 「寺内さん、最後にリクエストを・・・」と言いました。
私は、九割がた「ベンチャーズ(ノーキーエドワーズ)」、一割が自分の曲
(ブルージーンズかバニーズ)だろうなあと思いました。
皆さんもそう思うでしょう? ところが・・・
「俺は コイツが好きなんだよ。ジミーペイジ」と
LED ZEPPELINを リクエストしたのです。
「なんで、このおっさんが、ジミーペイジ?」と 
まるで森進一が「BLACK NIGHTを歌います。」と言うかのように驚いたのでした。
当時 寺内タケシは 30台前半でしょうから 今になると
そういう事があっても 多少納得できるのですが、その時はぶったまげました。
渋谷陽一 -> LED ZEPPELIN から思い出したエピソードでした。失礼!

今日は

ちょっと嬉しい事が^^;
K平先輩が僕のブログに何時もの長文のコメントを下さいました。
と思ったらまた面白いエピソードをコメントで書いていられる(笑)
Sing Sing Barbaraは全く知らんです。
CBSがコロンビアの頃と言うと1969年頃?
クリスティの川下りの映像は以前僕も貼り付けたけどこんな映像があったんだって一人で感動してました。
ジリオラ・チンクェッティの「雨」、悔しいけど先を越されちゃいました。
ほんとこの人綺麗だったんですね。
この映像はめちゃ可愛いです。

http://www.youtube.com/watch?v=FCVISC5kZaY


すんませんね、drac-obさん

実は私もそのゾンビーのお祭りに、公式ファン・クラブを通して買った最前列のチケットで大阪公演に行くのですがw

http://www.youtube.com/watch?v=YFlnG3AKOW8
http://www.youtube.com/watch?v=cgnbkhv5CZg

K平さん
>まるで森進一が「BLACK NIGHTを歌います。」と言うかのように驚いたのでした。

森進一の”Twist & Shout”をTVで見たことがありますが、そりゃすごかったですよ。ちなみに、布施明が”All Right Now”か、”Fire and Water”を唄ったら、もっと凄いかもw

寺内タケシとジミー・ペイジ

共通項はどっちも「ケチ」だということくらいでしょうか(笑)。

エレキで「運命」弾いたり、早い話が単なる「イチビリ」おっちゃんだと思っていましたが、なにやら高校(中学だったかな)回りをやったりとか、イマイチよく分かりません。
ひとついえることは、僕は彼の音楽を気に入ることは無いと思います。何しろ自称「世界で一番ギターが上手い男」ですから、恐れ入谷の鬼子母神です。

「スィング・スィング・バルバラ」は確か中学1年の頃

やたらラジオで「ばいばいばいばい、ばばーばーい」というフレーズが流れていた印象があります。中学生が聞き取れるシンプルな英語の歌というのが、記憶に残っている要因かもしれませんね。K平さんは引き出し広いですよ。何しろ一乗寺の4畳半の下宿の半分以上がレコード棚でしたから(笑)。

うわー、懐かしい、カーブド・エアの

「ヴィヴァルディ」の映像もあったし、Lil'UKって一体なんですのん?プログレ侮れんなー、こういうのだったらゾンビー集会に行ってもいいな(笑)。

演歌のCDが売れないといわれてますが、企画モノをだせばまだまだいけるはず。「森進一ハードロックを歌う」とか「布施明シングズポール・ロジャース」とか、「坂本冬美ミーツジミ・ヘンドリックス」とか、あ、最後のはHISでもうやってるか…。

え~、しつこく爆撃しますがw

昨晩、UKZのライブに行ってきましたが、私の人生で見たライブのベスト5に入る出来でした。ただし、ちょっとLarks Tangues in Aspic PartIIの出来には納得してませんがね。まぁ、他のライブは、Judas PriestがStaind Class発表直後の初来日のライブとか、Jazz発表直後のQueenとか、再結成King CrimsonがDiscipline発表直後のライブとかです。いや、趣味がおも糞偏ってますがw まぁ、その話は自分のBlogで久し振りに濃いこと書こうかと…。

それはさておき、「坂本冬実ミーツジミ・ヘンドリックス」ってなんすか?個人的には、「井上陽水、Michel Polnareffを唄う」とかやって欲しいのですが。「ラース家の舞踏会」とか、「火の玉ロック」をマジで必死で歌う陽水とか笑えます。近年の韜晦して口の端で唄うような唄いかたでは、Polnareffは歌えないでしょうからね。こら陽水、できるもんならお前もう一回「もどり道ライブ」の頃のように「人生が二度あれば」を唄ってみやがれw まぁ、どうせ今の世の中では受けないだろうから、あいつはやらないだろうけどねw

閑話休題しきりなおしですが

え~寺内たけしの人格にやや問題があることは認めますが、それは正当な評価を逸していると思いますが?drac-obさん、「津軽じょんがら節」とかマジで聴いてますか?ついでに、同時代の高橋竹山とかとちゃんと聴きくらべてもその評価なら、もう仕方ないと納得しますが…。

まぁ、どうでもいいんですがねw

いや別に渋谷さん嫌ってませんよ

私の世代だと、「若いこだま」とか言われてもいまひとつピンときませんわ。

私だと「ほんばんわ~、ヤング・ジョッキーの渋谷よーいちでふ」とか、「ハイ、ビート・オン・プラザ田中まさみです」とか、「はい、こんばんわポップス・イン・ピクチャー川村です」とかなんですけどw えー、ちょっと調べたら、pipは近畿放送だったんですね。あのヤング・オー・オー」とかの司会もしてたらしいっすね。でも、んなもん視てないっすけどw ああ、それにつけても、NHKの「ヤング・ミュージック・ショウ」のDVDぜひ売ってくれ~w

というわけで、渋谷さん別に嫌ってないっすよ。それ誤解。

いや~でてくるでてくる池の鯉

森進一に何を唄わせると良いか考えたのですが、The Whoの「The Real Me」あたりはどうでしょう。最高に受けると思いますが。少なくとも、WASPの「The Real Me」に全然負けないと思いますよw
http://www.youtube.com/watch?v=vqT2Y2l6aLA

ついでに、布施明だと、個人的にはFreeの「Wishing Well」あたりが最高ではないかとw 
http://www.youtube.com/watch?v=eKy_puDDnRk

如何思召すや?

MISTREATED (第三期DEEP PURPLE)あたりなら

森進一に合うのでは ないでしょうか。
五木ひろしには 「LITTLE WING(ジミヘン バージョン」
藤圭子には 「SUMMERTIME (JANIS JOPLINバージョン)」
前川清には 「朝日のあたる家(ANIMALSバージョン)」
布施明には 「愛は不死鳥」の衣装で WHOの「PINBALL WIZARD」か
        「WE’RE NOT GONNA TAKE IT」 を歌って欲しい と思っています。
ギャグで 井上陽水に歌ってもらうなら
        GFR 「HEARTBREAKER」のカラオケで、「傘がない」を
        歌って欲しいですね。歌詞の字数が合わないけれど、
        同じ構成の曲(個人的にはパクリだと思った)ですからね。

何やら オーナー不在の部屋に 勝手に上がりこんで、
TV観たり、冷蔵庫の中のものを 無断で食べてるような感じですな。
帰宅されて 驚かれるでしょうね。

五木ひろしは

ライブ盤で「キープ・ミー・ハンギング・オン」歌ってます。
聞いたことはないんですが、ヴァニラ・ファッジバージョンらしいっすよ。


ああ、ROの話題を書こうとしてほっといたら時間が経ってしまった(笑)。

barrett_hutter さん、一気にいきますが

UKZってバンドが結成されていたなんて全然知りませんでした。エディ・ジョブソンのバンドだから悪いはずは無いでしょうが、メンバーのキャリアみたら重量級とでもいいたくなるような連中ばかり。いやー、最近のプログレ、スルーしてたらこんなことになってるとは、参ったまいった。

「坂本冬美ミーツジミ・ヘンドリックス」というのはシャレで、HISで冬美ちゃんがこぶしきかせて「パープルヘイズ音頭」やってるので、そのことを書いただけです。陽水がポルナレフ歌うなら「僕はロックンローラー」とか「オウ・ルイ」みたいな賑やかな曲のほうがいいのでは?しかし「ラース家の舞踏会」なんて、何十年ぶりに蘇ってきたか、ちょっとした驚きでした。

寺内タケシについては、一切興味ないので、ノーコメです。ちなみに高橋竹山とか津軽三味線というのも僕の関心の外です。

DJ話は懐かしかったですね、「ビートオンプラザ」は75年に京都に住みだして、最初に聞いていたラジオです。民放ラジオでLPレコード1枚、丸々かける番組はこれが初めてでした。NHK-FMには夕方4時くらいからアルバム1枚かける番組があって、クラプトンの「461~」やスパークスの「プロパガンダ」なんかをカセットに録音しました。「ポップス・イン・ピクチャー」の川村は、中卒で英語を独学で勉強して、あそこまで登りつめたという都市伝説がありました。もっとも、その噂の発信元は、我がサークルで「せんみつ」と呼ばれたF田敏雄君だったので、まず間違いなくガセだと思われます。

森進一と布施明についてはまた改めて…。

いえいえ皆さんのコメントは携帯から

見られるようにしているので、全然問題ありません。しかし、blogの更新をサボってるのに、次々とコメント頂けるのは、嬉しい限りです。更新しなくちゃ、という意欲向上につながりますので、今後とも是非宜しくお願い申し上げます。

で、僕も考えた意外な歌手と曲の組み合わせ、橋幸夫に「ラ・バンバ」または「ボラーレ」なんてのはいかがでしょうか。小首かしげて、こぶし利かせたメキシカン・ルックであ・ごーごー。

そういえば、ピンクレディもライブ盤で

「ホテル・カリフォルニア」を日本語で歌っておりました。♪アソビにおいでよ~ほてる・かーりふぉーにあ~なんてね。

しかし、五木ひろしのバックにティム・ボガードやカーマイン・アピスがいて「あ、せっとみ~ふり~ほわいどんちゅべいび~」なんて歌われたら、正直引きます。今、思い出したけど、その昔、野口五郎がアメリカ録音したアルバムのゲストドラマーがジム・ゴードンでした。いえ、ジャパンマネーにまだパワーがあった頃のお話です。
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