嬉しいメールのお話 もちろんその2

 えー、たった1日でどこまで書いたかを忘れてしまう、ケンチャン症のdrac-obである。あ、いや、ケンボー症か。などとしょうも無いくすぐりは置いといて、前回のエントリーで意外なことに太田竜に対する反応が多くてややびっくりした。びっくりしたといえば、そのエントリーのコメントでかくたさんが中央大の元ブントの三上治のことを書いていたが、今日買った集英社新書の「新左翼とロスジェネ」の中に三上治の『1960年代論』からの引用があった。なんでまたそんな本を買ったかというと、実は今日、仕事の合い間に本屋を冷やかしていたら、「創」の6月号を見つけてしまったのだ。お、まだ頑張ってるんだ、この雑誌と思い立ち読みした。その中で佐藤優が「ナショナリズムという条理」というコラムを連載しており、そこに先ほどの新書が出ていたのだ。ああ、回りくどい話だ。

 何が言いたいかというと、とにかく今忙しくて頭の中が滅茶苦茶だよ、ざくろになって滅茶苦茶だよ(by スターリン)ということを分かってもらいたいのだ。そういう割には本屋で立ち読みとか余裕があるなどと言わないでくれ。こういうのは某中間あり、ちがった、忙中閑あり、というのだ。あ、それと先ほどの「新左翼とロスジェネ」という本は、「貧困」+「自分探し」→「連帯」というくくり方をしていて、それに対しては異論・反論もろもろあると思うが、1点だけこれは僕も「異議なし」の声を上げたい部分があった。引用する。

七十年代最大の運動は三里塚闘争、つまり成田空港建設反対運動だった。(中略)ちなみに近年、三里塚闘争について「ごね得というか、戦後教育が悪かった」と言い放った閣僚もいたが、戦後教育世代は当時の三里塚農民ではなく、たとえば、この閣僚である(155ページ)



 えーと話がまた横道にそれてしまいそうなので、この前のメールの話の戻る。最初の会社でお世話になったT岡さんのメールだが、そのあとはかなりプライベートな記述が続いていた。なんと、今は奥さんとご長男さんと3人で居酒屋をやっており、しかも最近2号店も出しているとあるではないか。うーん。この不景気な世の中で新規店舗を出せるというのはそうとう儲かってまんな、大将、え、どないだ、などと急にお下劣な口調になってしまったが、流石はT岡さんである。しかし、あの小さかった子供さんがもう父親と一緒にお店の経営をしているとは、歳月のたつのは早いものだ。もっともあのご長男さんは、人の上に立つタイプというか、人を使うことの出来るタイプだと僕は昔から睨んでいた。

 というのは、T岡さんと僕が同じ鹿児島の営業所で働いていた頃の話だ。前にも書いたが、当時の会社は本社が茨城にあり(最初は水戸が本社だったが、そのご筑波に移転した。ん、移転?ツクバ?何やらまた心の中からメラメラと燃えるものが…)、当時は管理職がよく本社に呼ばれて1,2週間くらい不在になることがあった。そのときもT岡さんが2週間くらいの予定で本社に呼ばれていて、夜9時くらいだったか、事務所には僕と事務員の女の子だけがいた。電話が鳴って事務の子が取った。二言三言話したあと、その子は半分笑いながら受話器を僕に渡した。「ノリ君からです。○○君(僕の本名)いますか、っていってますけど」と言いながら。ノリ君が、オレに何の用だろうと怪訝に思い、電話を代わった。「もしもし、ノリ君、どうした?」「あ、○○クン(おいおい、いくら父親の部下だといっても、僕ははるかに年上だぞ)、ファミコンが写らんでこまっちょるとよ。付けにきて」「はぁ?」「ファミコン、困ってるから、じゃあね」

 僕は当時まだ平社員だったか、もしかしたら主任だったかもしれない。電話がかかってきたのは、一応僕のメインの業務の終わった夜9時過ぎ。これからあとは、営業社員の最終連絡を受けて、それを本社に電話ないしファックスして終わるという、まあ、暇といえば暇な時間帯である。しかし、いくら上司の子供の依頼でも勤務中に職場を勝手に離れるわけには行かない。ここは父親で上司であるT岡さんにバシッと言ってもらおうと思い、本社に電話した。「お疲れ様です。T岡支社長お願いします」「ハイ、T岡です」「実はかくかくしかじかで、ご子息が私に『ファミコン取り付けに来い』といわれるのですが、どのように処理したら…」「あ、そうね、うん、行ってやって」「いや、しかし、まだ仕事が」「もう最終だけやろ。鹿児島にかけて誰も出なかったら宮崎に最終が入るから、お前は居なくても大丈夫じゃが」

 この後も僕は、公私の区別は付けるべきではないか、とか、なんでオレがいちいちファミコンの取り付けに行かなくちゃ行けないのかということを、礼を尽くして話したと思う。いや、話したはずだ。しかし、常日頃からT岡さんの家に晩飯をゴチになりに行くことも多かったし、まあいろいろお世話になっているからと思い直し、車をT岡さんの家に向けて走らせた。家についてセッティングをしたが、当時はまだ同軸ケーブルが珍しく、チャンネル調整が上手くいかない。最初は応援してくれたノリ君もだんだん表情が変わってきて、いかにもこいつは使えないというような顔つきに変わっていった。数十分悪戦苦闘したが上手く写らず、奥さんからも「もういいですよ、我慢させますから」と言われ、己の無力感を感じながら帰ろうとしたそのとき、もう1台のテレビが目に入った。アンテナ線を見るとフィーダー式だ。「あ、これだったらすぐ取り付けできます」と僕は叫んだ。

 3分後にはファミコンに夢中になってるノリ君の姿があった。どうだ、やったぞ、と思いつつ、当然お礼の言葉が返ってくるものと思っていたが、ノリ君は僕のほうを一切見向きもしない。「じゃ、私はもう帰りますから」というとチラとこっちを見てバイバイと手を振った。いや、こいつは将来大物にナルだろうと思いながら僕は桜島の灰が舞う夜の道を武町に向かって車を走らせたのだ。

 てなこともあったな。このメールのおかげで昔むかしの会社員時代の面白話思い出したので、それはまた改めて書いていきます。続いて僕を喜ばせてくれたメールは、あ、いかん、もう零時回ってるではないか。夜更かしするとアホになるので、今日はこっでしみゃー(今日はこれでおしまい、という意味の諸県弁でした)。

スポンサーサイト

コメント

そういえば、ノリ君の結婚式の時、立R一家が来てました。懐かしいでしょう!!

立R一家って

893みたいだな。ナベちゃん一家でしょう。彼はいま、どうしてるのかな…。

非公開コメント

プロフィール

drac ob

Author:drac ob
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

QRコード

QR

鳩時計

フリーエリア

ブログ内検索