根が素直じゃないもんで

 ♪道なき道を我武者羅に、手探りで走ってきた今まで、暗くて何も見えなかった、涙で何も見えなかった、何回となく転びよじれ流され頭からつま先まで汚れきってしまった~

 などと頭脳警察の「暗闇の人生」を口ずさんでしまったが、ふと気がつくと今日はblog開設記念日であった。昨日、Purple_Hazeさんの「Blues Power」が2nd Anniversaryのエントリーをアップしていたので、おめでとう米をカキコしたのだが、何のことは無い、翌日は僕のblogの4th Anniversaryであった。思い返せば2006年4月29日に第1回目のエントリーをアップして拙blogはスタートしたのだ。ということで、今日は丸4年目に入る僕のblogと生活を振り返ってみようと思う。多少、暗い話になるかもしれないが、普段が能天気というか脳天気な話ばかりなのでたまにはご愛嬌だろう。

 このblogを始めるきっかけは何度か書いたが、僕の人生上の大きな転機、2005年6月に鬱病を患って(その病名が分かったのはその年の3月1日、それから通院と投薬の生活が始まった)会社で働くことが出来なくなり、病院と自宅療養で鬱々として過ごす中、それでもいつまでも無職・無収入でいられるわけもなく、2005年の11月くらいからお医者さんのOKも出て職安通いを始めたことから始まる。そこで職業訓練を受けながら求職活動を始めることにしたのだが、そのとき選んだ職業訓練が実用ビジネスパソコンでEXCELやWORDの勉強をしながら資格を取り、勿論その間に失業給付を受けて仕事探し(by 高田渡)をしていたのだ。

 会社を辞めてから求職活動を始めるまでの半年くらいは、まさしく毎日が針のむしろで子供たちは学校に行き、配偶者も仕事に行くのだが、何も出来ない僕は朝起きると(鬱病になると朝起きれなくなる。この症状だけをみて「怠け者」だとか「サボり」などといわれるのが一番つらく、その言葉を聞くだけで死にたくなりました。実際、今生きているというのは単に運が良かっただけかもしれません)薬を飲み精神を落着けて、家の掃除や食器洗いなどをしていた。まあ、カッコよく言えばジョン・レノン的ハウスハズバンドですが、あちらは経済的な心配は一切無し、こちらは毎月の支払いややりくりをどうするか、この時期は家計簿などもつけておりましたが、入るお金より出て行くお金が多くて(贅沢なんかしてません。食費に家賃に教育費それから僕の治療費、いやになるくらいお金が出て行くのだ)、つくづく思ったのは無職でもお金がかかるということ。出て行くお金に歯止めは効かず、将来を考えるとお先真っ暗になり、自分が死んだほうが家族のためになるんじゃないかと、連日そういうことしか考えてなかった、まさしく暗闇の人生のど真ん中でした。

 ええと、あまりに暗くなりすぎたので駆け足で進みます。そういう不安定な精神状態も医者の投薬とカウンセリング、家族の協力(大変照れくさいのだが、配偶者もずいぶん心配してくれたし、子供達二人がダメオヤジに対していつも笑いかけてくれ、僕の気持ちをほぐそうと気をつけてくれた。特に上の子はもうある程度僕の病名を知っていただろうし、そのせいで自分の将来がある程度限定されるものになると覚悟していたようだ)のおかげで、なんとか他人と話しても何とかなるくらいに回復し、そこで自分自身のメンタルリハビリテーションも兼ねて、職業訓練校に3ヶ月通うことにした。2006年の1月18日から始まった訓練だが、その間のことを日記に書いている。初日はこんな具合だ。

 職業訓練校入校。ビジネスソフト実務科、1クラス20名のうち男性5名。最年長かと思ったが1歳年長の人がいた(元測量士Yさん)。前の席のI君が話しかけてくる。左隣には元高校教師のK君。本日の教官はF先生。田中真紀子に外見・話し方が似ている。高鍋から1時間かけて通っているとのこと。午前中オリエンテーションで、1分間の自己紹介、1分間の情報収集、1分間の他者紹介というのをやる。僕の自己紹介では、ネットサーフィンの話や当時よく見ていたきっこの日記の話をしたが全く無反応だった。

 この日記は、修了の4月14日までノートにつづった。今振り返ると、この体験がblogを書いてみようという考えにつながったのかもしれない。最初の1ヶ月は事実関係を淡々とメモ書きしただけだが、教室にもなれて人間関係が出来てくると僕の書いている内容も、他人に読ませることは全然想定して無いのに、一人でボケたり突っ込んだりしている。面白いのは鬱病から開放されていくにしたがって日記に書く内容中身ともに変化してきているところだ。もっともこの日記はあくまで個人的につけていたので、ネットでアップできるようなものではない。

 この訓練校では20代30代の若い人たちと一緒に机を並べ、勉強したり休憩時間にお茶を飲みながら雑談したり、一種のコンミューンみたいな経験をした。これは長いこと忘れていた学生時代の感覚に近いものだった。また欝の頃は音楽も聴けず、本も読んでも頭に入らないというか積極的に読みたいという気持ちがなく、惰性で読んでいたためちっとも面白くなかったが、この年の3月くらいからまた積極的に音楽が聴きたくなり、アマゾンで注文したりするようになった。

 その訓練校修了のときに、せっかく縁があって集まった20名(正確には18名。2名中退者が出た)のためにblogを始めるので、みんなで読んでくれとスタートしたのが拙blogなのだ。したがった最初は「人生はさすらい」(キャット・スティーブンスの4枚目のアルバムタイトルから)という名前で、パスワードを設定していた。そこから始まったのだ。それから5月の終わりに高校時代の同級生が東京で自営の仕事をしていて、アルバイトに来ないかと誘われて2ヶ月ほど出稼ぎ状態が続いた。仕事は内勤で体力的には問題なかったが、何しろ花のお江戸なので暇さえあればCDショップ周りをしていた。この時期に購入したCDは長いこと欲しかったが手に入らなくて諦めていたものが多く、そのきっかけをくれた同級生には感謝している。

 その出稼ぎツアーも終わり、同級生も宮崎で仕事を始めることになり、僕も金魚のフンでいっしょにやっていたのだが、僕のblogのエントリーが原因で仲違いしてしまい、仕事もダメになった。要は僕が友人に対する甘えがあったのだろう。友人だからなんでも書いていいという甘えが。もっともその当時は多少感情的にもなったが、今は逆に苦しかったときに助けてもらってありがたかった記憶しかない。

 それから9月、10月と職探しをして、なんとか今の会社にもぐりこんだのだがこれもいつまでどうなるかさっぱり分からない。いや、会社が倒産するか僕がぶっつぶれるか、先のことは誰にもわからないって話だ。もっとも子供や配偶者に借りをつくったままくたばるわけにはいかないので、なんとか生きぬいていくしかない。

 えーと、落ちなしです。こういうぎりぎりの状態からなんとか人並みに喜怒哀楽を取り戻し今に至っています。しかし、僕が鬱病から生還できたことと、今をとりあえず生きていけるのはちょっと大袈裟だけど、このblogで好きなことを書いて、それにレスしてくれる人たちがいて、勿論コメントは書かないけど拍手ボタンを押してくれる人、それと圧倒的多数のただ読んでくれるだけの人たちがいるからです。僕の家族とそれらの皆さん全員に深い感謝を捧げます。

 sawyer先輩、sugarmountain君、THIS BOYさん、guevara129さん、Purple_Hazeさん、黒木燐さん、MM21さん、K平先輩、かくたさん、barrett_hutterさん、akkunさん、zappy君、jazz manさん、イカさん、ズトさん、Goteauxssonさん、walker-brosさん、狸さん、Dahliaさん、佐藤澪ちゃん、もりさん、その他多くの人たちに感謝します。あ、スペシャルサンクストゥでmakiさん、くるみさん、さがゆきさん、さかいはるかさんどうもありがとうございました。皆さんの登場で拙blog大変盛り上がりました。また機会があれば遊びに来てください。こういう根暗な話は滅多にありませんので…。

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コメント

色々あったことはさておいて、とりあえずはおめでとうございます。なんですがブログ開設の記念日がひろひと天ちゃんの誕生日というのも、なんだかんだブログではいろいろ書いておきながら実はやっぱりそうやったんかという感じですよね。
って書くといろいろ誤解うみますかね・・・・BOXは4階でしたが(意味不明)

1日過ぎちゃったけど3周年おめでとうございます。
お互い長い人生いろいろあるけど常に前を向いていたいものですね。
今日の記事の内容も以前に過去記事辿った時、だいたいの流れは読ませてもらってました。
でもこうやって記事に出来るdarac-obさんはとても素敵だと思います。
と言う事でこれからもよろしくお願いしまっする。
そうそう「高めの釣り玉」の球を玉にしてたのは笑いました。
ただ女性の方もいらっしゃったので拙ブログ内での言及は差し控えました。
って、すみません、こちらにも素敵な女性の方がたくさんいらっしゃるのに・・・。

3周年おめでとうございます。

人生は山あり川あり(ウチの会社の元会長の迷言)、人間万事塞翁が馬、苦あれば楽アリ。
私もストラングラーズが無ければかなりやばかったと思います。
これからも先は不明瞭でよく見えませんが、お互い頑張って生きていきましょう。

BLOG、4年目に突入とか、おめでとうございます。始めるきっかけはそれぞれですが、生活に欠かせないものとなっている人にとってはヴァーチャルな付き合いと片付けることが出来ないと思います。僕もその一人です。僕の場合はMixiですが。drac obさんとは知り合ったばかりなのに名前をフィーチャーしていただき恐縮です。ジョン・レノンのハウスハズバンドが出てくるあたりに共感覚えました。今後もどうぞよろしくお願いします。

まぁね

そのうち、宮崎地鶏とチキン南蛮をさかなにして、黒霧島でも飲みましょうかw

おめでとうございます。

drac-obさん個人宛MAILで申し上げたように 4.25(土)に 10年ぶり位に 烏丸今出川を
南から北へ車で走り抜けた際、学生会館が無くなっていた事を初めて知りました。
そう言えば、BOXで写真を撮った事が、一度も無いですね。
当時、ちゃんとしたカメラを持っていたのは、会計のY本君だけで、EVE会場とかで
撮ってもらったことはあるものの EVENT終了後に、BOXで記念撮影ってのは、
一回も無かったです。私個人も「KODAKインスタマチック」と言うチープなカメラは
持ってたけど、普通のフィルムでなく、カセット式で、ストロボも 4面回転式の
使い捨てフラッシュだったので、フィルム、フラッシュ買ったり、現像出すのも面倒臭く 
あまり持ち出ししなくて、BOXの写真は 一枚もありません。
BOXだけでなく、学生会館も 数々のコンサート、EVENTが行われ、
1971.12月には 当時 反戦活動に熱心だった「ジェーンフォンダ」も 来てますもんね。
2階ラウンジの木製テーブルと長椅子で 主に DRAC以外の連中と 
だらだら だべっていたのを思い出します。
ですが、BOX、学館本体とも 何も 画像の記録として残っておらず、今となると、残念です。
DRAC自体も もう存在してないのでしょうか? HPも無いようですが。
まあ せっかくの縁の復活ですから 今後共 宜しくお願いします。

おめでとうございます

燐さん繋がりでこちらにお邪魔する事になりましたが
関西に住んでいらっしゃったというご縁もあり、何か不思議な感じです。
根が鈍感なもので気の利いた事一つ書けませんが
今後ともよろしくお願いいたします。

おめでとうございます。

 私がこのブログを知ったのが、drac-obさんと同じように鬱で家に閉じこもって、家事だけをしていた時期でした。drac-obさんと私が違うのは仕事がら身分保障され、休んでいた期間も給与を保障され、復職できたこと。そして、もうひとつ、これも仕事がらか、鬱からは完全にぬけだせず、病院に通いつづけていること。最近ようやく「やまい」の時期は脱することができたかなと思えるようにはなりつつあります。いろんな意味で壁にぶつかったんだと思います。
 最近、やっと寝る前にすこし音楽を聴く時間ができて、ごそごそとPCさわりながら、古い音楽を聴いています。
 別館の写真、私も持ってないですね。ただ、別館2階、学友会のBOXですが、落書きを集めたHP http://kisaki.hippy.jp/photes/photo.html がありました。これも家で引きこもっている時に見つけたものです。
 この五連休、何年ぶりになるかわかりませんが、「春一番」を見に行こうと思っています。


恐れ多くも畏くも、かのお方の誕生日と

僕のblog開設記念日が一緒なのは、単なる偶然です。本当は4.28がその日になるはずだったけど、単に眠くて一日ずれただけです。もっとも、あと少し遅らせてメーデーを記念日にすることも出来たけど、僕は昔から単なる賃上げの労働運動は第三世界への搾取に加担するという「東アジア反日武装戦線」理論にややカブレタこともあり、我が国のエリート労働運動に対する反発もあり、ああ、面倒くさい。

ま、単なるグーゼンよ偶然、決してテンタンとは関係ございません

え、いや単なる変換ミスです

しかし、我ながらよく出来ているな。「高めの釣り玉」か、ついつい手がでちゃうんですよね。ぐっとこらえて引きつけてから弾き返すのがセオリーなんだけど、って一体何の話だ!!

そうそう、Purple_Hazeさんとは音楽以外の趣味も非常に近いものがあり、夜の街で「おっ」という光景を見かけると、何とか写真にして教えてあげたくなるのは、まさしく「類は友を呼ぶ」ということではないかと思っています。しかし何時の日か、京都でTHIS BOYさんも交えて会いたいですね。

けだし名言ですね >人生は山あり川あり

"River deep,mountain high"ということを表現したかったのでしょうか。山のてっぺんでオレがトップだなどと威張っていると、いつの間にかカッパと一緒に楽しく川流れしてしまうぞ、という教訓なんでしょうね。

燐さんも最近体調不良みたいで大変ですね。早く元気になってまた深夜チャットやりましょう。テーマは「昭和マンガ家伝説(by 平岡正明)」ということで、ひとつヨロ。

いえ、Goteauxssonさんはどうも同じタイプの

人間では無いかとかってに決め込んでいます。mixiも本当に不思議な因縁があって、配偶者の友人に招待してもらいリザードのモモヨさんとウシャコダの恵福さんとマイミクになれてもうそれで十分と思っていたら、さらにいろんな魅力的な人と知り合えるきっかけになりました。

拙blogに時間が取られるので、どうしてもmixiは週1,2くらいになりますが、テーマに嵌ったらエンドレスで乱入するのでこちらこそヨロシクお願いします。

黒霧島もいいけど、赤霧島ってのが

最近流行りみたいで、makiさんもいたく気に入ってるようです。barrett_hutter さんの料理blogとても面白かったのに、閉店したのは勿体ないですよね。是非また再開して下さい。マジで地鶏とチキン南蛮で一杯やりたいですね。宮崎は豚も旨いけど、今は豚フルとやらの流行がありそうで、なにやら風評被害を蒙りそうな…。

あ、サカナも旨いので是非一度お越しを、お待ちしております。

ああ、懐かしのコダクローム

♪コダック、コダック、インスタマチック~のCMで有名なというか、ポールの奥さんだったリンダ・イーストマンの実家だったコダックの、って回りくどい言い方は止めて、そうですか、コダックのインスタマチックお持ちでしたか。僕も高校時代持ってました。ボディがプラスティックでちゃちかったけど、ピントあわせもフラッシュもオートマだったので結構便利でした。

それとこれは意外にご存じないかもしれませんが、僕は結構カメラ小僧でDRACの頃もオリンパスのカメラを持っていました。確か77年だと思いますが、信州に行ったときの合宿の写真は結構ありますよ。一度整理して送りますね。K平さんが貧血で倒れそうになった写真もあります(笑)。

しかし、本当に集合写真はありませんね。当時はそういう写真を撮るのはみっともないという雰囲気があったのかもしれません。いつでもまた会えるという若さゆえの根拠の無い確信だったんでしょうね。学生会館の雰囲気はguevara129さんがリンクしてくれたHPで味わえますよ。

あ、DRACはもう存在してないようですね。別館と共に消えてしまったのか。

MM21さんらしい丁寧なコメント

ありがとうございます。そうそう、MM21さんも関西出身ですよね。ときどき憂歌団の話なんかが出てくるので、ビックリしてしまうことがあります。まあエキセントリックな燐さんのブレーキ役として大変重要な役割を持っていますので、これからもヨロシクお付き合いのほどを。

guevara129さん感謝感謝です

このHP僕も以前真夜中に見つけて、興奮して見ました。別館の通路やWC,BOXnの雰囲気がそのまま写真に残っているではないですか。僕も確かまだ、仕事してないときに見つけて、ブクマするの忘れていてその後探しきれなかったところだったので、大変懐かしかったです。僕のいた別館の雰囲気はこのHPのFRONT LINEというところをクリックしてもらうと分かります。しかし、汚いところだったな。

「病気」はつらいですよね。でも必ず良くなりますよ。そのための最良の薬は僕にとっては「あの頃」の音楽と「あの頃」の話を記録することだったようです。まだまだネタは一杯あるので、マジな話からシモネタまで、左から極左まで(笑)、まだまだ書いていきます。これからもお付き合いお願いします。

そうそう、春一番のレポート楽しみにしています。

三周年

4年目、突入おめでとうございます。
これからもお邪魔します。(笑) みんな、なんやかんや
いろいろな経験されてるんですよ。  
ちなみに私は、88年に肺結核を患いまして、入退院を3回、
述べ4年間くらい闘病生活?最後は外科手術、右肺を3分の1、
左肺を5分の1切除しましたよ。 術後は順調で、今でもタバコは
一日3箱は、吸いますね!(笑) 
嫁さんと離婚とかも有りましたが、今の生活が有るのも病気が原因?
病気してなければ、今はないんじゃないかな?
たぶん、店もやってないと思うし。 今の生活めちゃ楽しいし、
幸せやと思ってますよ!
そうそう、一年前に飛び込みで来た客で、75年工学部
(大阪出身・岐阜在住)います。彼と会話してると、drac-obさん思い出します。
どっか、彼の会話と、drac-obさんの文章が、ダブるんですよ!(笑)
ちなみに彼も鬱病経験者です。
まあ、とにかく元気でやって行きましょう。

THIS BOY さん、ありがとう

そうだよね、もう半世紀生きてるんだからいろいろあるよね。しかし、肺を切除してるのに1日3箱はすごいというより、ヤバイよ。多少は本数減らさないと、肺に負担がかかって良くないと思います。お互い、もうそんなに若くはないんだから、限りある資源を大切にしよう(笑)。

75年度の工学部は僕のサークルにも2人いました。一人は高知出身で土佐塾という高知県出身者の寮に住んでいたF原。通称レインボーサンダルのF原と呼ばれていました。もう一人はサッポロ出身のH居。こちらはコロポックルH居と呼ばれていました。彼の名言は「晩器は大成する」でした。そりゃ大器晩成だっちゅうの!!

こんなしょうもない話ばっかりですが、これからもヨロシク。

4年目、突入おめでとうございます。

突然乱入(しかも酔っ払いで!)でありましたが、そしてこれからも
お願いいたしますm(_ _)m。
私事ですが、ギャンブル癖だはアル中の酷い祖父のおかげで異常なまでに潔癖症になった母親(今もこの人の相手するのはしんどい!昔は帰省が苦痛で「帯状疱疹」が出たのを幸いに帰省をやめたこともありました^^;)と
学はあるがちょっとオカシな父親に育てられた僕自身もなかなかおかげで内面は真っ暗、苦悩と孤独の青春でしたが、ある日突然「俺は相当考えすぎだった」ことに気づいてしまい、それはそれでちょっと「俺の今までの苦悩は何」という暗澹たる気分にもなりましたが、でもその苦悩がなければ今のような生活もなかったのではないか、今はマア幸せなような気がする、そう思ってやっています。

まあ、限りある資源、いや命を大事に楽しくやって行きましょう!

いえいえ、酔っ払っていようがシラフであろうが

拙blogはいつでも歓迎しております。モットーは"The doors are open"ですから、ってホントかよ。

人間、自分の苦悩こそが一番だと思いがちですが声に出してみると、なんともっと凄い人がその辺にごろごろいて、なんだ、オレが悩み苦しんでいたのはなんということはない、単なるひつまぶしじゃなかったひまつぶしの悩みだったのではないかと悟ったそのとき、光のドアが開くのです。さあ、みんな手を取り合ってこのまま行こう、愛する人よ、などと怪しげな新興宗教かクィーンのヒット曲みたいなこと書いてしまいました。

walker-bros さん、これからもヨロシク。そうそう、HNの間に「-(ハイフン)」入れるようになったんですね。僕も「drac-ob」でこのblog登録したかったけど、FC2のHNは「-」使えず、泣く泣く「drac ob」にしています。なんだか間が抜けた感じで、どうもね…。

あらウッカリ

なぜか気がついたらハイフン入れていました^^;。

清志郎が亡くなったそうですね。残念です。言葉が出ません。

ショックです

エントリーにならないエントリーをアップした後は、ずっと清志の歌を聴いています。

全然信じられません。まだ夢の中にいるようです。

そうでしたか。大変でしたね。ほんと、人生色々ですね。

しかし、その大変な時期を良く乗り越えられてきましたね。お疲れ様でした。どうぞ、これからも楽しいブログを期待しています。

私も、人並みにいろんな事が有りました。これからも有るでしょう。しかし、それらを乗り越えられる力が有りました。やはり、家族の支えが一番でしょうか。それから、回りの人や、大好きな音楽など。


お互い無理の出来ない年令ですが、大いに人生楽しみましょうね。

いや自分だけが大変だったと

つい思ってしまいますが、人間やはり生きてきた年数だけいろんなことがあるんだとつくづく思い知らされる今日この頃です。何はともあれ、生き続けることこそが大事だと自分に言い聞かせています。実人生の中では嫌なことも沢山在りますが、大好きな音楽と本を片手の人生を送って行ければと思ってます。

またどこか音楽のある場所でお会いしましょう。
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