昨日書き始めたので、日付がずれてますが

 早いもので、もう2月である。今日は、先日来の雨も上がり日差しも暖かく、まるで春が来たような陽気さであった。このところ大学の1年先輩だったK平さんから、メールを何度も頂き、ずいぶんエントリーのネタにさせて頂いた。こういう縁というのは、普段何もないときは、全くぜんぜん無いのだが、一度なにかでからみ始めると、不思議なもので続々からまってくる。あ、からまるといっても決して悪い意味で言ってるのではないので、皆様には誤解なきように。なんだか持って回ったような書き方だが、実は昨日の土曜日、恒例の病院が終わり会社に向かう途中あるメールが届いていることに気がついた。知らないアドレスで「おはがきありがとうございます」と書いてある。スパムだと思って削除しようとしたが、アドレスの文字に引っ掛かりがあり、開いてみると懐かしいDRACの5年後輩のS堂君からだった(つまり、僕が6回生のときの1回生、80年度生になるのかな)。

 彼の近況が書いてあり、懐かしいのと丁度K平さんの話を今書いているので、S堂君の学年の話も絡めて書くと、面白いかなというスケベ心が出て早速返信した。

>メールありがとう。仕事中なので簡潔に書きます。S浦(小)が今年は年賀状くれました。M木君はここ3年程毎年くれます。S浦(大)だけシカトしています。今度彼に会ったら「誰が先輩じゃ」と、僕が言ってたと伝えて下さい。ま、冗談ですが。最近1年先輩のK平さんからメールが来るのでblogにアップしています。君のメールも載せていいかな?もちろんイニシャルで書きます。じゃまた今度ゆっくりメールします。

 S浦君(大、小)、M木君というのはメールをくれたS堂君と同じ80年度生で、当時1回生の彼らから見たら、6回生の僕などサークルの主みたいなもんで、たいそう鬱陶しかったに違いない。しかし、みんな根が優しいというか素直な性格だったので、僕もそんなにいたぶったりしなかったはずだ(いや、『と思いたい』と書くべきかな)。簡単に彼らの紹介をしておくと、S浦君はいとこ同士で一緒にサークルに入ってきた。同じ苗字で名前も良く似ていたが外見は全然似ていない、というか180度違っていた。背の高さから大、小と呼んでいたが、大はメンクラのモデルになるのが夢という、ま、確かにイケメンのオトコだった(といったところで、所詮は安城出身なのでたかが知れてる。みたいなことを僕は学生の頃よく言ってたらしい。いけないな、そういうのは。などと急にいい子ぶってみる)。

 小は、大人しいオトコだったが、負けず嫌いな性格で、よく麻雀してずいぶんカモにしたが、何度誘っても嫌だということが無かった。M木君は島根出身の純朴な好青年で、ややふっくらしていた。いや、オブラートでくるんだ言い方はやめて、はっきりいって小太りだった。理由は簡単で、とにかくよく食べるのだ。僕達が根城にしていた雀荘で「グリーン」というお店があり、そこに出前に来るお店で松乃家という食堂があった。大学の学生会館の裏門の近くにあり、相手は貧乏学生ばかりだったのでとにかく量が多い。ヤキソバ大盛りを頼むと、大きな皿に山盛りで、麻雀しながら食べていると何時までたっても減らず、だんだん手が重くなるなどという経験をしたこともある。

 その松乃家にM木君や確かF田敏雄君(彼も大学とサークルを愛する男で、7年も通った)も一緒だったと思うが、飯を食べに行き、僕が冗談半分で「おい、M木、お前ここの店のヤキソバ大盛りと焼き飯大盛りを残さず食べたら、おごってやるぞ」と言ったら二つ返事で飛びついてきた。店のオバチャンものりのいい人だったので、気合を入れて作ってくれた。その山盛りのヤキソバと焼き飯をものも見事に平らげ、こちらがややあっけに取られていたら、何を考えたのかオバチャン「ボク、食べっぷりええな、うちがおごるからこれも食べよし」といって、更にヤキソバを大盛りで持ってきた。M木君、一瞬たじろいだが、僕の「お前、これ残したらオレおごんらんけんね」の一言で気を取り直し、アッパレ完食した。

 まあ、このようなエピソードから我がサークルにおいても、あまり音楽理論というか音楽批評めいたことはほとんど言わず、ただやたら「RCいいすね」とか「カルメン・マキとOZかっこいいですね」みたいな、ワンフレーズな発言が多かった。その彼もいまや立派な社会人、いやいや一家の主になっているとは、歳月人を待たずです。

>drac-obさんへ、DRAC後輩のS堂です、ご無沙汰しております。年初めにおはがき頂き、ありがとうございます、返信をしなくてはいけないと気にはしていたのですが、正月休みが明け、仕事が始まるとなかなか手につかず、本日、久々に自宅のパソコンを開いたので、
メールで近況報告を兼ねて返信することにしました。

こちらは連日の新聞テレビの報道のとおり、景気の悪化が色濃く感じられるようになりました。私の会社もト○タ系なのでト○タの減産とともに、日々仕事が減っており、今年度の会社の業績も会社設立以来の赤字転落になりそうです。しかし、先行き暗いことばかりを考えても何も生まれないので、前向きに考え、これからは仕事の時間が少し減り、自分の時間が少し増えると考え、趣味や家族と過ごす時間を増やし、今年の計画を立てようかな、と考えています。

話かわりますが、昨年は会社の景気も良かったせいか、仕事での出張等も多く、そちらの九州地方に何度か出張や家族との旅行にいってきました。出張は福岡県飯塚市に仕事関係の会社があり二度程行きました、かつては栄えた炭鉱の町でありさびれてはいるものの、昭和のよき雰囲気が残っていました、夜は居酒屋で九州の肴と焼酎で一杯やり、居酒屋から宿への帰りがけに麻生記念病院なるものも拝見してきました。家族旅行でも熊本、大分、宮崎と回り、宮崎はこのとき人生で初上陸でしたが、高千穂を2時間程訪れました、九州は妻や子供達に評判良く(特に温泉が)、又機会があれば次回は宮崎(青島や都井岬等)に滞在したいと計画を練っていますが、なんせこの景気状況よりいつになるかは未定です。簡単ですが、以上が私の近況です、返信が遅くなり申し訳ありません。

 いかにも学生時代の彼を髣髴とさせるメールで、心温まるものがあった。これを機会にちょくちょく連絡を取り、僕の記憶の曖昧なところを修正してもらおうと思っている。そして、このところ連日の登場ですがK平さんからも、またメールが届いた。今度は写真付きだった。
これが70年代後期の大学生の部屋だ!!
>drac-ob様、またまた転載していただき、有難うございました。懐かしさのあまり、立て続けにMAILしてしまい、特にDRAC関係無しのゲストの皆様には、気分を害されているのではないかと申し訳なく思っています。すみません。と言っておいて、またMAILするなよと思われるでしょうが、今回は、私の一乗寺の下宿の写真が出てきましたので、添付しました。私をBLOGで取り上げて頂いた時に引用された、お借りしていた「4チャンネル リアスピーカー」がご覧いただけます。その節はありがとうございました。TRBやKATE BUSHのポスターがある事から推測できる様に、78年に撮影したものです。写っていない画面右側には、PATTI SMITHやRAMONESの切り抜きを貼っていました。天井には、一人で寝る時の鑑賞用?に「風吹ジュン」「秋吉久美子」「岡田奈々」が貼ってありました。何ヶ月かごとにポスター、切り抜きは張り替えていて、drac-ob様に最初に来ていただいた頃は、「L.ツェッペリン」「D.オールマン」「ジョンコルトレーン」のポスターと右上側壁には、(ATLANTICの権利がグラモフォンからワーナーパイオニアに移る時のごたごたで、発売されなかった)グラモフォンの「移民の歌」テスト盤とWHO「サマータイムブルース」シングル盤とかを貼っていたと思います。

 写真を見て、ずいぶん懐かしかったです。ちょっとピンボケですが、ラジカセにフォークギター(アコギなんてあこぎな呼び方して無かったです、70年代は)、コンポーネントのステレオにポスター、典型的な当時の学生の部屋ですね。鑑賞用(?)に風吹ジュン、秋吉久美子というのも泣かせます。あ、岡田奈々はあんまり僕は好みでは無かったです。

>なぜこの写真を撮ったかと言うと・・・死んだ親父が、長兄(故人)の見舞いのついでに京都で途中下車して私の下宿に行きたいと言ってきたので、急遽レコード等の娯楽品と一緒にポスター類も剥がして、まともな大学生の部屋にカモフラージュせねばならず、撤去前の記念として、撮影したのです。レコードの三分の二(棚二つ分)は、同じ下宿の一
年下の男二人の参考書類と一時的に交換し、おかげさまで、親父が来た時も事なきを得ました。(親父、ごめん!)以下は、またの機会にお伝え下さると幸いです。-sawyer様
盗難に関するコメントありがとうございました。ご推測されたように私は74年法学部入学でしたが、DRAC入部は、一回生と二回生の間の春休み(75年度)でした。drac-obさんと同年入部となります。当時足しげく通っていた同じ74年度法学部の友人A水の下宿(此春寮の対面)に当時のDRAC新会長Y田氏が引っ越して来られ、A水に紹介された縁によるものです。74年当時のDRACを知る者は、drac-obさんの繋がりでは、BLOG中に「T原君」として出てくる74年度英文科入学、同年DRAC入部の男だけかと思われます。残念ながらお役に立てず、申し訳ありませんでしたが、今後共、宜しくお願い申し上げます。K平

 えーと、なんだか今日はサークルの伝言板みたいになったけど、また明日からは構想も新たに書いていきます。今日のネタになってくれたみんな、ありがとうね。
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コメント

前回のコメントでは少々失礼な事を書いてしまいました。
大学に行きたかったという気持ちがいまだ多少なりとも有るようで
単純にうらやましいのです。お許しを。

読んでいるこちらも、どんどん気持ちが若返っていくような気がします。
不思議ですね。

そんな他人行儀な!

いまさら他人どうしじゃあるまいし(いやいや他人や)、失礼もなにもありませんよ。思ったこと、感じたことはなんでも、かんでもやってみよう、ケペル先生こんにちわ~、やぁこんにちわ、と思わず、「ひとりものしり博士」をやってしまいました。

実は、このエントリー書いた後に、果たしてDRAC以外の人に楽しんでもらえるだろうかとちょっと心配したのですが、MM21さんの米でほっとしました。この手のくだらない話は沢山ありますが、やはりきちんと落ちのある話でないと読んでてもつまらないだろうと思っていましたが、そうですか。気持ちが若返りますか。僕は褒めれば伸びるタイプ(別名おだてブタタイプ)なので、ちょっと調子にのっちゃうかもしれません。 などと楽屋落ちしか書いてないのを他人のせいにするのであった。

1978年というのは割と最近のような気がしますね

何だか良く判らないのですが、私の中ではPunk Rock以降というのはごく最近のような気がします。Punkの出現で、Jim MorrisonとかMarc Bolan、Jimi Hendrix、Janis Joplinの亡霊がようやく除霊されたというか何というか…。もちろん、Deep Purple、Led Zeppelin、Grand Funkとかも当時から熱心に聴いてましたけどね。多分そういう感慨は、私の幼年期の終わりと、Punk Movementが重なってたからなのでしょうね。

そういうわけで、K平さんの1978年の下宿の写真を見ても何故か懐かしいという気持ちよりは、「ああ、そういうもんだろ」としか思わないですね。ちなみに、1978年というと、もうPunkも下火になった頃ですね。Tom Robinsonというと、Secret Policemans ConcertでGlad to be Gayを観客に半ば喧嘩を売りながらマジで歌っている姿が印象に残っています。

http://jp.youtube.com/watch?v=4lR3ffBsMTc

ビバ!T.R.B.

この「グラッドトゥビーゲイ」は音も映像もクリアですね。12弦ギターの弾き語りでじっくり聞かせてもらいました。そのまま「2-4-6-8モーターウェイ」「アップアゲンストザウォール」「パワーインザダークネス」と歯止めが効かなくなりました。「ロング・ホット・サマー」は以前あったはずですが探しきれませんでした。

デビュー当時はニューウェイブとして紹介されましたが、当時からギターが泣いていたので、どっちかというとオールド・ウェイブだよな、という感想を持っていましたが、もう今となってはニューだろうが、オールドだろうが歌いたい人が歌いたい歌を歌っている素晴らしさを素直に受け入れています。屁理屈はロック・クリティック(by リザード)にお任せしよう。
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