とりとめの無い話って、ネバーエンディングストーリー!!

 今週は徹底して、『あの時代の熱き思いを語ろう』をテーマにエントリー書いてます。人によりあの時代が何時の時代かはさまざまでしょうし、熱き思いは何に対しての熱き思いかというのも千差万別でしょうが、拙ブログにお立ち寄りいただく皆様にとっては、音楽と映画と小説と若干の政治かな、ま、早い話がこの大不況の世の中で何の役にも立たないといっても過言ではないが、かといってこれらがないとなると、人生何のために生きているのだといいたくなるような、えー、早い話がDRACの話、いや道楽の話です。ということで、K平さんに登場していただきましょう。もっとも今回は、僕のレスもつけていきます(ここで思い出したしょうもない小話その1。喫茶店に入ってウェイターに「レスカ」と注文したら「いいえ、ホモです」といわれた。などの小話で大爆笑取れたのが70年代であった)。

>drac-ob様、昨晩はMAIL有難うございました。連日のしつこいMAILで申し訳ありません。何せ30年の空白があったもので、僕も次から次に色々なことを思い出して、止まらなくなりました。ウザイと思いますが、しばしお付き合い下さると幸いです。

いえいえ、どういたしまして。おかげさまでコメントも盛り上がり、何より豊富なネタの提供有難うございます。

>1)大口広司が亡くなりましたね。TV、新聞は、お決まりの「テンプターズ~(間にPYGが入ったり抜けたり)~俳優・デザイナーで真行寺君枝の元亭主」ですが、ロック・ファンからすると「ウォッカ・コリンズ」ですよね。と言っても杉本エマ・ジャケットは、アナログ時代にはお目にかかれず、CDでやっと手に入れられました。いいです。再結成盤は「同じ曲を再録してもなあ・・・」と言う感じでした。PYGの「FREE WITH PYG」の二枚組LIVEも持ってましたが、ショーケンの英語カバー曲の発音と歌い方が昔のヘタな高校生文化祭バンドみたいにあまりにもお粗末で、手放してしまいました。時々持っとけばよかったかなあと思うときがあります。タイガースの田園コロシアム二枚組LIVEの方が個人的にはずっとましですね。不謹慎ですが、葬儀に「アラン・メリル」とか「ルイズルイス・加部」とかが、来るのかが気になります。ご冥福を祈ります。

まだまだ若いのに残念です。大口ヒロシ(僕はこのカタカナのイメージが強くて…)といえば、F田敏雄君が「お前、しらんやろ、テンプターズで一番人気があったのは大口ヒロシやで」といきなり断言したことがあり、「ウソつけ、ショーケンに決まってるだろ」と反論すると、いつもの口調で「お前ら、なんもしらんのやな。ほんまにそれどころやなかったんや」とわけの分からないことをいって煙に巻こうとしたことがありました。その話を聞いたT原さんがあるとき大口ヒロシの写真をBOXに持ってきてF田君に見せて「どや、F田、これ見てもまだ大口ヒロシのほうが人気があるんか」と迫りましたが、天下のF田君「いや、ショーケンと同じくらい人気があった時期が…」などと見苦しい言い訳をしていました。杉本エマについては稿を改めてじっくり攻めたいと思います。そうそう、この前のコメントにも書きましたが、萩原健一の「ショーケン」読みました。テンプターズ時代は大嫌いだそうです。で、役者で当てた後のドンジャン・R&Rバンドやアンドレ・マルローバンドはそのまま続けていけば世界が取れたそうです。ま、いいですけど。もっとも石間秀樹をメンバーに入れたりとか結構面白そうな面子ではありますね。

>2)僕が卒業後30年の間、どうしていたかですが、(中略)音楽としては、80年代前半はNWOBHMにはまりました。ANGEL WITCH,RAVEN,GRIM REAPER,TANKとかですね。並行して、大学卒業までに手に入れられなかった60~70年代物、TOE FAT,EPISODE 6,JOHN'S CHILDREN,JERUSALEM,(イギリスの)NIRVANAとかを集めてました。それと、一時期、素人ブルース・ロック・バンドに入れてもらって、最初はベース、後にギターを弾かせてもらってたことがあって、楽器をよく集めました。楽器の話はまたの機会にします。そのバンドは、軽音出身者が多く、結構ハイレベルで、僕だけが低レベルの素人芸で、一人足を引っ張っていた感じです。毎週末、後に映画「魔女卵」の一場面にも使われたと言う貸スタジオで三時間位練習して、二度ほど人前で演奏して楽しかったですが、それぞれが、転職や実家に戻ったりで、すぐ解散となり、一人を除いて、もう音信ありません。5歳上のギター兼ボーカルの人がリーダーで、非常にうまかったです。この人とももうつながりはありません。この人に関しては、僕が、一瞬「母さん真っ青、マミーブルー!」になったエピソードがありますので、ご紹介します。

 考えてみたらK平さんとは、多分80年以降はお会いして無いと思う。79年の3月に卒業されて、たまにBOXや下宿に遊びに来たことはあると思うが、学生時代のようにバカ話をだらだらするようなことは無かったはずだ。卒業後のK平さんのことで一番良く覚えているのは、誰かの下宿で音楽話をしていてパンタ&HALの「マラッカ」の話になりK平さんが「信じられんほどのトロピカルサウンド」と発言してそれを聞いた僕は『K平さんもパンタや頭脳警察聞くのか、やはり社会人になるといろいろ大変なんだな』と訳の分からない感想を持ったことがあった。で、マミーブルーのお話ってなんでしょ?

>ある日、二人のみで雑談という時がありました。「大学はどこ?」と聞かれたので、当然「同志社です。」と答えました。すると、次に僕の心臓が止まるような一言を彼は発したのです。「昔、同志社の別館に忍び込んで、オーディオを盗んだことがある。」君もびっくりしますよね。僕の在籍中にもDRACのBOXに賊が入り、オーディオ一式とレコードを盗まれたことが、二回ありました。(まさか!この男が犯人だったのか・・・)と一瞬言葉を失いました。DRACのことは、何も話していなかったのですが、悟られないように探りを入れてみました。「オーディオとなると、音楽系のサークルから盗んだんですか?」「いや、放送局だった。」「当時の流行りだと、山水のアンプ、DENONのプレーヤー、M6のスピーカーあたりですか?」「売っ払ったからおぼえてない。」「まさか、社会人になってからしませんよね。学生の頃の話ですよね。」「そう。」で、これに関する会話は終わりました。彼が正直に答えたとして、この話から推察すると、同じ穴の狢とは言え、DRACに入った賊とは、別人と言う事になります。この会話の日からずいぶん経ってから、彼の家に招かれた時、さりげなく、レコード棚を見せてもらい、BOXから盗まれたレコードが無いか、チェックしましたが、僕の「TANGERINE DREAM」とか「STEAM PACKET」とか「SWITCHED ON BACH」とかも他の部員が盗まれたものも有りませんでした。オーディオもBOXのものとは、全く別物でした。この男が真犯人だったらドラマチックの極致だったのですが、そうはイカのキンXXの結末で、すみません。90年代の話は、またの機会にしましょう。では、また!K平

 な、なんと、別館ドロとの遭遇ですか。あれはいつのころやったやろ、夏の熱い晩やった、あんまり寝苦しいもんやさかい、表をあるいとったら、あるわあるわ、オーディオの山、などと錯乱して「とったらあかん」のフレーズが飛び出したが、僕のいたサークル何度もドロボウに入られてオーディオやレコード盗まれました。最初は多分1回生の頃だから75年だと思うのだが、ある日BOXにいったら、表のドアに大きな穴が開いている。「ん?ん?」と思って入ると、すでに先輩たちが何人かいて話をしている。聞いてみると夜中にドロボウが入って、プレイヤー、アンプ、スピーカーなどを盗まれたという。すぐに僕はケーサツ呼ぼう、警察と喚いたが、そこは冷静な先輩方「別館自主管理」「国家権力の介入阻止」などの意味不明な単語が飛び交い、結局サークルの上部団体組織に被害を報告しただけだった。その後も何度かドロボウは入り、オーディオやレコードが盗まれることがあった。もっとも僕らのサークルだけでなく、他のサークルも現金をやられたとかちょくちょく被害があったらしい。後年、その手のことをするのはあいつらではないかという疑惑のサークルもあったが、学生同士それほど追及することも無くうやむやに終わった。しかし、サークルの予算も決まっていたから、オーディオ盗まれるたびに映画やイベントを企画したり、学園祭でオカマ喫茶やったりして資金作りしたのだ。僕も「渚のシンドバッド」を何十回も踊って稼いだのだ。しかもミニのチャイニーズドレスで。

 ちょっとした落ちもついて、なかなかに楽しいメールだったでしょう。で、今日はここまでと思っていたら、先ほどまたメールが届いたので一緒にアップします。

>drac-ob様、その後もBLOG本体、皆さんのコメント共々楽しく拝見させていただいております。 1)sugarmountain様記憶違い失礼しました。当日、M原君と京大西部講堂前で待ち合わせたのと,彼が警備していた姿を見てないので、僕の近くにいなかったと言うのは憶えていても観客として、一緒に観た記憶になったのでしょう。2)71年からの外タレの本格的来日ラッシュの頃、僕は南九州にいたので、その時全盛期を迎えていたアーティストの来日には、全く縁がありませんでした。70年の大阪万博にも行けなかったので、ロック系ではないですが、メリー・ホプキン、ライトハウス、ボサリオとかを観れなかったのも心残りです。京都に来てから大物を観たのは、75年のQUEEN初来日(神戸国際会館)でした。それまでの第一期FREE,GFR(F田敏雄君が行った),PINK FLOYD,LED ZEPPELIN,第二期DEEP PURPLE,YES,URIAH HEEP,BBA(Y田光男会長が行った),HUMBLE PIE等、当時旬の大物アーティストは、全て見逃しました。京都に来てからF田君やY田さんの話を聞くと、悔しかったです。仮に後で「懐メロの人」として来た所で意味無いですもんね。ROLLING STONES初来日が中止になった時は、不謹慎ながらかえってほっとしたものです。唯一の例外が、72.7.24に甲子園球場で行われた(名前はジョイントコンサートでしたが)、第二期FREE(RODGERS,KIRK,TETSU,RABBIT)が前座扱いのMAINがEL&Pのコンサートでした。夏休みに入ってからのコンサートでもあり、親に頼み込んで、OKもらい、日向から今は無き、ニッポン・カーフェリーの二等雑魚寝で神戸まで乗船して観に行きました。FREEは「SEVEN ANGELES」と言う盛り上がりようの無い曲から始まり、「RIDE ON PONY」はやったものの「ALL RIGHT NOW」も「FIRE AND WATER」も「MR.BIG」もやらず、観客のほとんどがEL&P目当てであったのであろうとは言え、盛り上がらなドッチラケのLIVEでした。唯一盛り上がったのが「HONKY TONK WOMEN」。FREEにも観客に対しても「おい!違うだろ!」と思ったものです。あの盛り上がらないLIVEからは、その後「FREE AT LAST」と「HEARTBREAKER」で まあまあの復活をするとは、考えられなかったです。EL&Pは「ホー・ダウン」から始まり、「タルカス」「展覧会の絵」の抜粋等をやって、良かったです。本当に全盛期と言う気がしました。ただ、報じられたように最後の方のナイス時代「RONDO」の途中に一人の男の観客が、フェンスを乗り越えてステージに向かって走り出し、警備員がその男を取り押さえようと集まった隙に他の観客も次々に乱入し、電源が切られ中止となりました。ロンドの後はたぶん「ナット・ロッカー」をやる予定だったんでしょうね。こうして、僕は、本格的ロックコンサートを初めて体験できた訳ですが、帰宅して二日後に結核を発症してしまい、高校二年の残りの二、三学期を棒に振り、その後同様の県外コンサートに行く「親の許し」は出ないと言う悲惨な結末となったのでありました。では、また!K平

 いやー、フリーとエマーソン見て結核ですか。命がけのライブですね。フェリーの雑魚寝はやった人間で無いと分かりませんよね、あの苦痛。とりわけ夏場のねっとりした暑さと床のカーペットの湿り気がなんともいえなかったです。冬場は冬場で暖房のむっとした空気とあちこちで臭ってくる日本酒や焼酎の臭い。ひどいときはそこらでゲロしてるやつもいました。しかし、そうやって見たライブだけに多分一生忘れることは無いでしょうね。というところで今日はおしまい。このシリーズしばらく続くと見たね、オレは。

 おっと最後にフォーリーブスの青山孝史が亡くなった。北公次がジャニーズ批判のバクロ本を出したときに、かばった男気のある人だった。にっちもさっちもどうにもブルドッグ、ワオ! 合掌。

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コメント

いろんなブログを勉強のため
周らせていただいています。

突然コメント申し訳ありませんでした。
やっぱり他の人のブログは参考に
なりますね。
何よりの刺激になります。

ずうずうしいですが宜しければ
こちらにも遊びにいらしてください。
今後ともよろしくお願いします。

盗難事件

同年代を過ごしたDRACの先輩と巡り合えてよかったですね。
あの頃のいろいろが相乗効果で、よりハッキリ思い出されることでしょう。
今回の話で面白かったのは盗難事件のこと。小生の時代は、大学封鎖でサークルが機能しなくなるまでは、そんなことはなかったのですが、その後から別館は一種廃墟状態となり、小生はロックした弘風館の2Fに機器類を持ち込んでサークル活動をしました。その後盗難を恐れて自宅に山水777というアンプだけは持ち帰って管理していましたが、(一時的に友人の闘争旅費に当てるため質に入れたことはあるが)サークル解体の張本人たるノンポリのサークルメンバーが来て無理やり持ち帰ってしまい、あとで聞くと案の定盗難にあって無くなったと聞きました。小生が個人の所有物としていると誤解し、サークルをやめたにもかかわらず、利用もしないのに、お前のものではないとばかりに、取り返してまたBOXに置いておいたのでしょう。本当にバカな奴らでした。
・・・そんなエピソードを思い出しました。

K平氏は、74年あたりの入学でしょうか?そのころのDRACの様子お教えいただくようお願いできませんでしょうか?
よろしくお伝えください。

孔子さまのお越しは大変光栄ですが

僕はどちらかというと、荘子のほうが好きで、いやかといって「論語」は封建主義者にとって必読書ですからもちろん勉強させていただいているのですが、その手の話は拙ブログに書いたことが無く、ええと、戸惑っております。

孔子様のブログ拝見しましたが、情報のオンパレードで「君子の交わりは淡きこと水の如し」といわれたお方と本当に同一人物なのか、いささか疑問が、などというのは野暮の骨頂でしょう。「来るものは拒まず、去るものは追わず」というのがDRACのモットーでした。また機会があれば是非お越し下さいませ。

K平さんから本日もメールが届き

そこにsawyer先輩への返答も書いてありました。また改めてアップします。いや、昨年の12月でしたか、突然ブログのメールフォームからメールが届きびっくりしてすぐ返信したのですが、その後音沙汰なくて、何度かメール送ってようやく携帯のアドレスが判明して、今は携帯にこのような濃い内容のメールが届きます。

K平さんは純音楽追及グループ(そんなもんあったかいな)だったので、麻雀に飲酒にとゴクドーばっかりやってる僕達のグループとはそれほど付き合いは無かったように思いますが、なんの、なんの、いっぱいいろんなところでつるんでいました。とにかく音楽の話はしょっちゅうしましたね。K平さんのメールにインスパイアされて、忘れていた記憶がずいぶん蘇りました。エピソードを整理して、ぼちぼち書いていきます。

つるんでいたと言えば・・・

drac-ob様、今晩は。今日、家族で嵐山界隈に行ってきました。京都には、年数回行きますが、京都駅周辺が中心で、残念ながら 今出川、一乗寺には、なかなか行けません。嵐山は5年数ヶ月ぶりでしたが、あいにくの雨でした。ふと思い出したのが、75年夏の暑い夜に 「X西君」が実家から持ってきた「XX屋」の屋号の入ったバンで、drac-obさん、「S戸君」と共に あてのないドライブに連れて行ってもらったことでした。日付が変わる頃からの出発で、円町、嵐山を経て だらだらと走っているうちに 吹田の住宅街で道がわからなくなり、深夜で 誰も通らず、やっと通りかかった男性に メインストリートに戻る道を教えてもらったものの 私は「誰かがちゃんときいているだろう・・・)」と 適当に聞いていました。そうしたら その男性が立ち去った後、皆同様に、SOMEBODY WILL・・・と 適当に聞いていたことが判明しました。次の人はなかなか通らず、途方に暮れましたが、そこは お気楽な大学生、私が持っていたカメラで「さあ!途方に暮れている表情で写真を撮ろう」と呼びかけ、皆に協力してもらい それぞれなりの落ち込んだ表情で、ポーズで取り、集合写真を撮りました。そのうちタクシーが見えたので、「今度は みんなリキを入れて聞くぞ!」と 運転手さんに道を聞いて、何とか京都に戻れたのでした。しかし、戻れたのが もう「25 OR 6 TO 4」だったので、それぞれの下宿には帰れなかったはずなのですが、どうしたのかを憶えていません。「X西君」が わざわざ各下宿に送り届けてくれたのか、どこかの下宿で 雑魚寝したのでしょうか? 「DO YOU REMEMBER?」 X西君の下宿(左京区岡崎あたりと思いますが)には レコードの交換とかで、何度か行ったものの どんな下宿で どんな部屋だったのか 全く記憶にありません。ただ お茶を入れてくれる時、わざわざ 事前にカップを暖めてくれて 「TEA CEREMONY」のようで、「几帳面な男だなあ!」と感心したものです。 

ああ、そんなこともありましたね

X西さんって、姫路の出身のO西さんですよね。暗闇を走る白いマツダ・ファミリア・バンというのがキャッチフレーズ(名付け親はT原さん)でしたね。このときと似たような状況は何度かあり、僕がはっきり覚えているのはO西さんの岡崎の下宿(別名:岡崎麻雀道場)で、久留米出身のNさん、T原さん、僕で麻雀をしていて何故か深夜のドライブに行くことになり、そのドライブ中に僕は寝てしまい朝日の眩しさで目が覚めたら、目の前に波打ち際がありました。

てっきり日本海に出たものと思い込んで、「ここは舞鶴ですか?」と聞いたら全員小ばかにしたような感じで「アホ、琵琶湖や」と言われました。琵琶湖があれほど大きいとは知りませんでした。

O西さんの下宿は、老人夫婦が経営している大きな日本建築で玄関入ると確か右手に大家の部屋があり、そこに挨拶して階段上がると各自の下宿がありました。ちょっとビックリしたのはO西さんの部屋は6畳の広い部屋でしたが、その隣の6条間は空室でそこで麻雀が自由に出来たことです。O西さんは76年度の会長でしたが、会計のY本さんといつもつるんでいた印象があります。

こういうことは思い出し始めるときりがなくなるな。もう少しエピソードを整理してDRAC興亡史としてアップしなくちゃ。

いやあ~、おもしろい。
大学ってそんなにえ~加減な所だったんですね。

確かにっ!

否定は出来ませんね。この手のバカな話は腐るほどあって、ちなみも当時の僕らの頭も腐っていたのではないかと思うほどです。もっとも、他の真面目な学生達の名誉のために付け加えると、しっかり勉強して世の中の有為の人になろうとする連中も確かに存在しました。しかし、残念ながら僕のいたサークルの90%はちょっとおかしい人ばかりでした。いや、最初は真面目な連中といい加減な連中と半々くらいなんですが、俗に言う「悪貨が良貨を駆逐する」って奴ですかね、だんだんまともな連中はボックスから遠ざかっていくんですよ。

あれは、どうしてか未だに理由が分かりません。もといっ、分かりたくありません。誰だ、類は友を呼ぶなどという奴は!!
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