JEP-OB CAMP IN ISA 最終話

 一晩明けたら2009年である。夕べは配偶者と子供たちがずっと紅白を見ていたので、その間こちらはネット三昧、どさくさ紛れにGYAOでプロレスや「ロビン・フッド」などを見ていた。紅白も終わり、年越しの蕎麦を食べたらもう新年。まことにあっけないが、明けてしまったものはしょうがない。拙ブログをごひいきにしていただいている皆様、本年も宜しくお願いいたします。新年だからといって、別段新たな目標やポリシーがあるわけでもなく、いつものようにグダグダで始まっていく我がエントリーである。新年最初の話はどうしようと考えたが(5秒くらい)、やはり昨年続きを書かずにそのままにしていたキャンプの話を書いておこう。

 N村君の運転で小林市まで出てきたことは既に書いた。出発が12時だったのでお腹がすいてしょうがない。僕は昔から面食いで有名で、あ、字が違うな、麺食いだ、N村君にも昼飯はラーメンかうどん、蕎麦と頼んでいたので、小林で有名なラーメン屋に連れて行ってもらった。午後1時近くだったが店内は混雑していて、やっと空いているテーブルを見つけて座った。昔、小林を仕事で回っていた頃はテッポウラーメンとかいうお店があって、そこでよく食べたとN村君に話したが、彼は知らないようだった。そのお店で食べたラーメンはちょっと甘かったが美味しかった。そうそう、九州のラーメン屋というか最低宮崎・鹿児島のラーメン屋はサービスで漬物が付くのだが、N村君は沢庵が苦手なようでその分僕が食べてあげた。こういうのってちょっと得した気分で嬉しい。食事中も昔の会社の話で、当時はお互い若かったので深夜まで車で九州間内を走り回った思い出話をしていたのだが、N村君が突然宮崎から長崎まで最短、最安で車で行くルートを知ってるかと聞いてきた。ここに書いてもしょうがないので端折るが、車で走り回る営業マンならではの裏道ルートだった。今、ふと思ったが「裏道ルート」というと何でもないが「裏街道ルート」というと途端に怪しい雰囲気になるな。僕の人生は「ゴー・オール・ザ・ウェイ」(by ラズベリーズ)であるが、人生の裏街道だけは歩きたくないもんだ。
小林のラーメン屋 WCが外で無駄に広かった
 メシも食い、体力・気力も再度充実し、更に車は伊佐市を目指して走った。小林からえびのに進むとあたりの風景が変わる。周囲に山、それも頭に雪をかぶった山が見えてくる。宮崎・鹿児島は南国のイメージが強いが、このあたりから雪が降ったり積もったりする山岳地帯になる。タイヤチェーンの規制もあったりするのだ。ひどいときは吹雪みたいにもなる。それでも山岳ゲリラは出てこないから安心だ、ってオッサンいつの時代の人間だよ。車はいつの間にか鹿児島県は栗野町に出た。出たと思ったが、どこにも栗野の表示が無い。良く見ると湧水町なる表示が出ている。栗野町と吉松町が合併して湧水町になったらしい。しかし、こうあちこち合併して名前が変わると不便でしょうがない。もっとも変わったのは名前だけで、道路は変わりようが無いのでそこからひたすら伊佐市を目指して走った。

 宮崎を出発しておよそ2時間弱で伊佐市に入った。菱刈町の頃と全然変わらない風景がそこにあった。市街地に進むメイン道路を途中で右折して人家の少ない、山里のほうに向かった。目的地のキャンプ場まであと少しだ。道路のあちこちにキャンプ場を指している標識が出ていた。しかし途中軽自動車が1台ようやく走れるような山道を通過して行くのだが、僕一人で走っていたら道を間違えてしまったと思い引き返しかねない悪路だった。鹿児島県の観光行政にモノ申す気は無いが、観光客を確保するには道路も整備したほうがいいのではないか。しかしながら、そうするとめったやたらに人が来て俗化してしまうからこういう道が残っているほうがいいのかもしれない。キャンプ場まであと2キロの標識を見て、「お、もうすぐだ」と喜んでいたら、いきなり道路が通行止めになっていた。しかも迂回路の表示は一切無い。いくら冬でキャンプ場に行く人間が少ないからと言って、これは行政の手抜きでは無いか。幸いN村君が別の道を知っていたので、遠回りはしたが、無事キャンプ場についた。宿泊予定のログハウスに車が2台ほど止まっている。幹事のH君一家だろうか。
キャンプ場のログハウス フロトイレ完備エアコン付き但し有料
 ログハウスの駐車場について車を停めると、懐かしい笑顔と声が聞こえた。やはり幹事のH君一家だった。確実に20年ぶりだ。奥さんと子供たちを紹介してもらう。もう一組夫婦で来ていたのはI上君。彼はずいぶん変わっていた。いや毛糸の帽子をかぶっているときは全然変わっていない、体形も、と思っていたのだが、帽子を脱いだらいきなり松山千春になっていた。そういえば彼はカラオケが得意で陽水や千春の歌を良く歌っていたっけ。回る因果は糸車とはこういうことをいうのだろう(ってずいぶん失礼だな、ごめんI上君)。4人でいろいろ話していると、また車がやってきた。誰だと思ってみると、最近拙ブログにコメントを書いているakkunである。O本君だ。彼は僕と同い年で、出身大学は筑波大学である。筑波大学というのは昔からあった大学では無い。僕が高校生の頃はまだ東京教育大という大学名だった。

 それが何故つくばに移転して筑波大学になったのか、まあ事情を分かる人は分かるだろうからくどくど書かない。しかし、筑波出身を鼻にかけることもなく、結構縁の下のちかもらち、じゃねーや、力持ち的存在であった。などと書くといい人っぽいが、とにかく場を読めないというか場の雰囲気をぶち壊すのが得意な男だった。その彼も結婚して中学生の子供さんがいるなどという。いやー、人生なんとかなるもんだ。などと思っていたが、よくよく考えれば僕こそ人生なんとかなってる典型では無いか。しかし、それを認めるのは悔しいので考えないようにしている。

 キャンプ場は川のそばというより山のふもとで犬と一緒に暮らしたくなるようなところだったが、やたら空気が乾燥して冷たかった。外で歓迎ビールを飲み始めたら、空から白いものが降ってきた。雪だ。こりゃたまらんとログハウスの中に入ると、床は無垢のフローリングでそのまま座ると冷たいの何の。みんな冬のキャンプには馴れてる様で、下に引くマットを持ってきていた。それをテーブル周りにずっと敷いてようやく人心地がついた。ようやく落ち着いて吹き抜けになっている室内を眺めたら、天の助け、エアコンがあるではないか。ダッシュで壁付けのリモコンのところに行きスイッチを入れた。動かない。もう一度押した。動かない。故障かと思ったら、なんと有料でコインを入れないと動かない仕組みになっていた。100円玉をありったけぶち込んでエアコンを入れたが、吹き抜きのせいでなかなか温まらない。キャンプのメンバー全員が揃い、鍋をテーブルに置いたあたりからようやく暖かくなった。

 しかし、集まってきたメンバーの大部分がかっての部下だっただけに、いつの間にかものの言い方がずいぶんエバッタ言い方になってしまった。ごめんな、みんな。もう上司でもなんでもないタダのオッサンの癖に説教臭いことばかり喋ってしまったような気がする。そのきっかけになったのは鹿児島から来た二人のせいだ。やはり最近ちょくちょくコメントくれるzappy君は、T山君と一緒にやってきた。僕がO本君に「お前は喋るな」といったのを聞いて「いやー、drac-obさん、全然変わってないっすね。相変わらず取り付く島の無いそのものの言い方」などとおだてたからだ。あれ、別段おだてていたわけではないのか。zappy君はイニシャルで書くとK瀬君になるのだが、実はもう一人K瀬君という人物がいて、イニシャル表記だとかぶるのでzappy君のままで統一する。

 もう一人のK瀬君という人もユニークで、彼は唯一、僕と入社年が一緒。何ヶ月か僕が先だというだけ。入社した頃は甘いマスクで、ちょっと田原のトシちゃんみたいなイメージで人気者だった。泣かせた女は僕が知る限り社内で…、おっとそういうバクロ話をするにはまだ時間が早い。そうそう、今回唯一熊本から参加してくれたE浦君。彼は僕の直接の部下として働いた時期もあり、髪は白いものが混じっていたが未だに独身で体形も性格も全く変わっていなかった。元自衛隊でダブルクラッチの車を乗り回していた男で、今回もごつい車で参加してきた。キャンプ場まで一番時間がかかったのは彼だろう。

 これで全員そろい、それじゃまずは乾杯だと全員でビールを飲んだ。飲み始めたのは夕方の5時過ぎくらいだったろうか。テレビも何も無いし携帯の電波の届かない、静かなログハウスはそれから深夜2時過ぎまで阿鼻叫喚、お前が悪い、お前がもっと売ってたら会社はつぶれなかった、いやあのバカ社長が道楽でカタログ事業やレストランなんか始めたからおかしくなった、教育1本に絞っていればよかった、方針は間違ってなかったし企業理念も正しかったがバブルに飲み込まれたなどと、まあみんなそれぞれ言いたいことを言って大いに盛り上がった。途中、あの女の子はゼッタイオレに気があったとか、しまったやっとけば良かった、え、いやしてないしてない、誤解だって、などというお下劣話題も炸裂した。そういうなかで、大変お粗末なモノを見たような気がするが定かでない。
一体何をしようというのだ しかし豪語した割には爪楊枝くらいの(以下略)
 しかし、その大騒ぎの宴会の中で、今ここに集まっている人間の共通項というのは80年代から90年代初めにかけて存在した会社で一緒に働いただけという、考えようによっては不思議な縁というか因縁でつながっているのだなと思った。僕はこの会社で社会の厳しさ、仕事の厳しさと楽しさ、そして人とのめぐり合いを教わった。一時期、この会社のことを自分の過去から消したくて、連絡してきた人にも返事もせず没交渉を徹底していた時期もあった。近親憎悪的なものもあったのだ。ただ、あれから20年以上経ち、みんなそれぞれに家庭を持ち、生活を持ちながらも年に2回も集まってキャンプが出来るというのは、やっぱりあの会社が好きだったんだろうな。無くなってみて初めて分かるありがたさ、みたいなものか。それでもこの暖かさは、懐かしさはちょっとないな。これからは肩肘張らずにみんなと会って話をしたいなとつくづく思った。

 余談だが、このキャンプで会った皆から「ものの言い方が変わらない」とか「相変わらずの性格ですね」などといわれた。特にzappy君からは「drac-obさんは、あのままずっと反体制の社会生活を送り、結婚とか子供を作るなどといった俗世的なものとは一生縁が無いと思ってたけど、いやー、ナントカなるもんですね、驚いた」とずいぶん感心された。しかし、オレあの会社では熱血サラリーマン、鬼の係長、但し元パンク少年だったつもりですが、どうしてそういう評価しかされなかったんだろう。人を色眼鏡で見てはいけないという教訓だな。

 えー、新年早々しょうもない話をアップしましたが、まだまだ去年、いや一昨年から書き始めて終わらない話もあるので、そちらはまた機会をみてアップします。本年も一つ「別館4階のBOXから」をご贔屓に。
まるで実録連赤の山岳キャンプである 二日酔いでみんなメシ食えず

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コメント

新年おめでとうございます。

お互いリアルでは言えないけど、ネット上だからいいよね。

なくなってしまった会社の元社員が、ずっと年2回集まってキャンプするなんて、なかなかあることじゃありませんね。羨ましいです。
私が前いた会社も、けっこう和気藹々としてましたが、一回宴会をやっただけです。一昨年あたりに話だけは上がったのですが、そのまま流れてしまったようで。
まあ、年寄りが多かったので、ひょっとしたら頭数が欠けていそうで恐いです。会社がなくなってもう10年になりますから。
冬のキャンプってのもいいものでしょうけど、かなり寒そうですね。

>僕がO本君に「お前は喋るな」といったのを聞いて「いやー、drac-obさん、全然変わってないっすね。相変わらず取り付く島の無いそのものの言い方」などとおだてたからだ。

ぜったいに煽てではないことは確かでしょう。

煽てたわけではないんですが

嬉しさ故の発言でありますよ。
あの頃に戻ったような感覚から出た“素直な気持”ですからw

燐さん、おめでとうございます

って、オイラは喪中だから新年の挨拶しちゃいけなかったのでは…。ま、やってしまったもんはしゃーない。あ、それで燐さんが『お互いリアルでは言えないけど、ネット上だからいいよね。 』と書いてくれたのか。相変わらず、人の気配りに鈍感なdrac-obでした。

いや、本当に不思議な空間というか時間を過ごすことが出来ました。このキャンプから帰って来て、しばらく僕の表情が大変穏やかで驚いたと配偶者が言ってたくらいです。大学での6年間とこの会社での13年間は、エントリーのネタに事欠きません。もっともリアル社会に関わる話が多いのでイニシャルトークでもちょっとマズイ話も多いのでタイミングを見てぼちぼちアップしていきます。

最後になりましたが、今年もヨロシク。

本当に一瞬で「あの頃」に戻れたのが

不思議だった。H君やI上君とN村君までは、大丈夫だったけどそれから登場した人たちを見ていると、時間があっという間に遡り、まるで追註期間に寮で飲み会やってるような気分になってしまい、思わず当時の感覚で話かけてしまったといのが実情です。

いやー、みんな変わってないよな。いや勿論外見は、当然年齢を重ねた結果としてあるわけだけど、話したら全く変わってないのに驚いた。また夏のキャンプが楽しみだけど、今度は声の大きいI上君や、K迫君も参加すると楽しいだろうな。怖いもの見たさでA村さんの参加もスリル満点だが…。

そうそう、君が作ってくれた名簿のおかげでT森さんからメールが届いて懐かしかった。もっともっと輪が広がるといいな。

そういえば

私も一応喪中ながら、あけましておめでとうございます(笑)。

新参者ではありますが、今年もよしなに^^。

>没交渉を徹底していた

確かに自分も若い頃にはそういう時期がありました。
○○(ま、部活とか大学の悪い先輩とか、会社に入った際の赴任地とか)時代の人間には決してもう会わないぞ!年賀状来ても出さないぞ、なんて肩肘張った頃が。
今は逆に懐かしく、会うことはなくても年賀状が来れば丁寧に返礼します。
それだけ多少は丸くなれたのか、はたまた花も嵐も踏み越えてナアナア人間になってきたのか、なんとも言えないですが、人の縁って大事ですね、なんて言える様になりました。なんて偉そうにいえるレベルでもないほどまだ行ってないのかもしれませんが、なぜかビールのCMの「人は続く」だったかな、そんなのにふとうなずいたり(笑)。

walker bros さん、そんなに遠慮しなくても

勝手知ったる他人の家的な対応で全然構いませんよ。「新参者」などと遠慮することありません。僕の学生時代のモットーは「遠慮と勉強はしない」でしたから(笑)。

そうですね、あいつの顔なんてゼッタイ見たくないとか、あいつらとはもうゼッタイ付き合わないなどと突っ張っていたのは30代までですかね。うーん40代前半もそうだったかな。今では、その当時突っ張っていて情報を仕入れなかったことを悔やんでいます。「人という文字は支えあって出来ている」などとフォークソング狂いのタバコ屋の息子が言いそうなセリフですが、その言葉のニュアンスが少し分かってきたのかなという気がします。

もう20年以上前の話ですが、サークルの後輩が結婚することになって、同期の仲間が同じ下宿に住んでいた1年後輩にその知らせを電話したところ「わー、Kさんか、懐かしいな。しかしもう2度とキミタチと会うことは無い」と言って電話を切られたそうです。そいつは大学時代、自治会のメンバーだったけど、家はエエトコのボンで親のコネで某西武デパートに就職したばかりの頃だったみたいで、多分学生時代に関わったこととその人間関係に縁を切りたかったのだろうけど、あんまりな対応ですね。まぁ、そいつは一生当時の仲間から呼んでもらえないだろうな。T畠、お前のことだぞ。

初コメント!

前半で登場のI上(松山千春風)です!
あけましておめでとうございます&初コメントです!
基本、めんどくさがり屋なのでorz
以上m(_ _)m

insさん、おめでとう&初米サンクスです

いやー、キャンプで最初会った時は、全然変わってないなと思ったけど、毛糸の帽子を脱いだときは衝撃でした。昔から、そういう傾向があったっけ?どうしても思い出せません。確か当時の頃のアルバムや写真がどこかにあるはずなので、探してみます。

また時間がある時にでも、ここをのぞいてみてください。当時の会社の頃の話もたまにですが書いています。タグは「歴史から飛び出せ」「キック・ザ・シティ」「暗闇の人生」あたりです。また今年は、ちょくちょく当時のネタを書いていく予定です。何か面白いネタがあったらまたコメントしてください。
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