連日のサヨナラ

20081228172251
昨日は、ずっと入院していた82才の叔父の通夜だった。20年以上会ってなかった従兄弟達と会い、久しぶりにいろいろ話をした。しかし頭やお腹や、以前と比べると烈しく変わった箇所が多く、ちょっと笑えた。会話の中身は、お互いの健康のことがほとんどだった。

今日は、48才で彼岸に旅立った従兄弟のご主人のお葬式に行って来た。今年の2月に亡くなった伯母と同じ会場だった。まさか一年に二度もこの場所に来るとは…。残された娘が、別れの挨拶で、こう言った。「やっと二十歳になり、お父さんと一緒にお酒が飲めると思ったのに、それも叶いませんでした」

残された母と妹は、自分が面倒みるから安心して、との言葉が続き不覚にも涙があふれた。式が終わり、柩を車に乗せる手伝いをした。大の男が6,7人で運んだが、ずいぶん重かった。彼の人生の重さがまだ手に残っている。もうすぐ新しい年になるというのに、淋しく悲しい二日間だった。
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コメント

不幸は続くときがありますね

不幸が重なると、やはり何か不穏なものを感じてしまうものです。
小生も今年はサークルの先輩と同輩を相次ぎ亡くし、ほぼ同じころ懇意にしていた脱サラの蕎麦屋の主人の奥さんが亡くなったので、我が身のことなど考えるようになりました。マリー・ローランサンも言っているように、忘れないようにすることがせめてもの供養になるということを、心したいものです。

sawyer先輩も今年は寂しい1年

だったようですね。ご自身のblogやOBのblogで訃報の記事を読みました。若い頃は不幸事があっても、あまり考え込むことはありませんでしたが、最近は我が身に置き換えて考えてしまいますね。

従兄弟のご主人の葬儀は片道2時間半くらい車で走ったので、その間加川良の「親愛なるQ」を聞いていました。彼の歌が身に沁みた1日でした。

お悔やみ申し上げます

今年は叔父(母の末の弟。母とは15歳ぐらい違うので子供の頃は兄のような存在でした)が逝去したこともあり、わが身のことをふと考える一年でした。
叔父はかのトヨタの企業戦士。70年代にデトロイトに乗り込んで行った時代の男です。1975年だったか遠い親類までが「日の丸」(!)の旗持って羽田空港で万歳三唱で見送ったこと、強烈な思い出です。年配の親族(しかも遠い)は「戦争の恨みを晴らす思い」だったのでしょうね、当時はそんなことは夢にも思いませんでしたが。ただただ東京に行けたことがうれしいだけでした。
65歳まで勤めていた叔父の退職後すぐの死と、法事の日に見たトヨタ関連のニュース。そしてデトロイトに行った日の叔父は今の自分より若かったということ、などいろいろ考えながら人生を、そして自分が育った時代にも残っていた「戦争」の痕跡、そんなことをいろいろ考えています。そして涙が浮かんできます。もっといろんな話がしたかったと。そして「ゴルフ三昧の余生を送る」と言っていた矢先の死に対する無常観…。

しかしいとこの配偶者氏の死、あまりに早いですね。上の娘さんが大きいようなのでそれはすこし安心ですが、下のお子さんのことを思うといたたまれませんね。
そういえば高校一年のとき友人の養父がなくなったときのことを思い出しました。
養父、というくらいなので結構年配の方だったのですが、友人が気の毒でクラス中で葬式に参列したことを覚えています。

身の回りに起こる出来事が

祝い事ではなく不幸事ばかりになってきたときに、自分の年齢を感じます。普段は能天気に暮らしていますが、訃報に直面したとき、通夜や葬儀に参列したとき、そのようなときに自分の今までの人生とこれからの人生について嫌でも考えさせられますね。

世代論で片付けると簡単なんですが、walker bros さんの叔父上の人生は企業戦士としてのある意味の戦死(ここ意図的シャレに非ず)なのかもしれませんね。僕達の世代は「戦争を知らない子供達」という圧倒的多数派と「戦争しか知らない子供達」という極少数派に分類されるのでしょうが、悲しいかな僕も「しか知らない」派なので、世間的には生きにくいほうです。

しかし、とにかくぎりぎりの最後まで諦めず、しぶとく生き抜いていくのだ。どんなにみっともなくても、見苦しくても生きていれさえすればいい。「公」のために死ぬなんてごめんだ。年の最後のレスにふさわしくない話でした。失礼。
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