DRAC交流史 K平さんのこと

 このところ毎日良く寝る。というか、すぐに寝てしまう。昨日も家に帰り、晩御飯をすませレココレの増刊「ビートルズ名曲ベスト100」などを読んでいるうちに瞼が重くなり、ふと自分の部屋を見ると、天日干しした布団が目に入った。崩れるように布団の中に入り、まどろんでいたら配偶者の声で目が覚めた。「布団が臭くなるから出て!」。失敬な言葉である。たまたま被っていた布団が敵の布団だったので、いわれの無い罵詈雑言を受けたが、気を取り直して自分の布団を出して寝た。時計を見たら10時半であった。それからまたうとうとして、身体が痛いのに気がついて目が覚めた。良く見ると掛け布団は被っているものの、敷布団を敷いていないことが分かった。時計を見たら1時半であった。起きてブログの更新をしようかと一瞬思ったが、ヒア・カム・ザ・スイマーズ、という言葉が頭に浮かんで、朦朧としながらも敷布団を敷いて寝た。目が覚めたら朝の9時半だった。12時間寝ていたことになる。

 もともと季節の変わり目になると眠くなる体質というか、僕の人生の座右の銘は「世の中に寝るより楽はなかりけり。浮世の馬鹿が起きて働く」であるからして、できることなら終日寝ていたいのだが、それでは社会生活が営めないので、それこそ「浮世の義理」で起きて会社で働いているのだ。しかし、ここ最近の眠気は異常なくらい凄まじい。仕事を終えて家に帰り、はっと気がついたら寝ているのだ。いや、これはおかしいな。気がついたら寝ているというのは変だ。はっと気がついたら眠りから覚めるというのが正しいのだ。つまり、油断するとすぐ寝てしまう、ということだ。以前、僕の学生時代の話で良く登場していたF田敏雄君も良く寝る男で、ついたあだ名がネブタ敏雄だった。これは良く寝るブタという意味から来ている。などと無理やり学生時代の話に持ってきたが、実はこの1週間の中で大学時代の先輩と後輩からメールが届き、ちょっと懐かしい気持ちになってその話を書こうと思う。

 順番的には後輩のメールが先に届いたのだが、「長幼の序」を大事にする僕としては先輩を立てて、まずは先輩のメールの話を書いてみたい。先週の水曜日だったか、ブログのメールフォームから新しいメールが届いていた。件名を見たら「ごぶさたです。K平」と書いてあった。K平?え、まさか1年先輩のK平さん?と思って開いてみるとビンゴでした。僕の同級だったN谷君の年賀状でこのブログの存在を知り、今年の正月から毎日見てくれているとあった。文面を読むと学生時代と全く変わらない息吹が感じられた。何しろメールの手土産にF田敏雄君の消息を調べてくれたようで、その日も堺市に一字違いの人を電話帳で見つけてわざわざ電話して確認したそうだ。ありがたい話である。しかし、電話を受けた人はビックリしただろう。多分K平さんだったら、こういう導入だと思う。

 「もしもし、F田さんのお宅でしょうか。私、元D大学74年度生のK平と申します。失礼ですがそちらのトシオさんは、元D大学75年度生、文学部社会福祉学科出身でお兄さんは慶応大学医学部、実家は東北の山林王で1本30万の杉の木がごろごろしていて車は3台持っていて、普段は真っ赤なカローラ・レヴィンなんですが、何故か大学に来るときはいつもホンダのシビックで、下宿は北白川の伊藤荘で、研究会に安いウィスキーを持ち込んで普段あまりしゃべらないサークル員を饒舌にしたジャズ班のリーダーで、困った時の口癖は『それどころやなかったんや』で、77年にサークルの会長選挙に立候補して落選して、辛くも副会長になった方ではありませんか」

 こういうことを言われるとたとえ本人でも「違います」と言わざるを得ないだろうな。おっと今日はF田君の話ではなくてK平さんだった。この人は僕が75年に新入生としてサークルに入ったときは当然既にいた。ただ1回生の頃からのサークル員ではなかったので1年先輩と入っても比較的親しみやすかった。勿論その理由は同じ宮崎出身だというところも多分にあった。もっとも高校の途中で鹿児島に引越したため出身校は鹿児島の高校だった。初めてサークルでお会いしたときは誰かに似ているなと思ったが、それが誰だか思い出せなかった。ところが先ほどのF田君がK平さんのことを「ミュータントサブさん」と呼ぶので思い出した。石森章太郎のSFマンガの主人公に似ていたのだ。髪の毛が異常に長くて、当時は腰のところくらいまで伸ばしていたのではないか。良くジージャンを着て肩から小さいバッグを提げていることが多かった。

 ただこの人のロックやブルースに関する知識は相当なものがあった。本人曰く「カントリーは『ケンタッキーの青い月』以外に好きな曲は無い」などと言っていたので、いわゆる大衆音楽の知識は全てあったのではないかと思う。僕も1回生でいきがっていた頃で、他人の知らないロックバンドやミュージシャンのことや幻の名盤といわれるものをどれだけ知っているか自慢していた頃だが、K平さんにはとんとかなわなかった。想像だが毎月の収入(勿論仕送りが中心だと思うが)のほとんどをレコード購入に捧げていたのではなかったか。しかし、そのあふれるばかりの音楽知識も宮崎や鹿児島といったど田舎ではほとんど無駄な知識というか、話相手になる人がいなかったようだ。アル・クーパーの研究会の時だったか、K平さんが高校に『フィルモアの奇蹟』を持っていったらクラスの女の子に「これ誰?サイモン&ガーファンクル?」と聞かれて「アホ、白人が二人いたらみんなS&Gか」と激怒した話をしてくれたことがあった。研究会にいた皆は笑ったが、僕は笑いながらも宮崎や鹿児島だったらさもありなん、と思っていた。

 このK平さんは僕が1回生の頃は一乗寺に住んでいたので、たまに下宿に遊びに行ったり来たりしたことがあった。彼の下宿に入ってまず驚いたのは、確か4畳半の部屋だったと思うが、そこにスチールのラックが置いてありその棚にLPレコードがぎっしり詰まっていたことだ。大ヒットして誰でも持っていたようなレコードから、珍盤奇盤に至るまで、まあ無節操というと怒られそうだが、本当に呆れるくらいレコードがあった。そういえばこの人サークルのオリエンテーションのときに「金太の大冒険」のシングル持ってきてかけまくり、周囲の真面目なサークルからずいぶん顰蹙をかっていた。流石に、無言のクレームを感じたのか、今度はいきなりアレアだったかイタリアのプログレバンドの「インターナショナル」なんかかけたりするから困った。困った僕達はどうしたか。ただ笑っていたのである。困ったもんだ。

 そうそう、この人には僕はステレオのリアスピーカーを貸したことがあった。当時僕の持っていたステレオは4チャンネルステレオという時代の仇花的なステレオで、フロントスピーカのほかに2台、小さなリアスピーカーが付いていた。しかしたかが4畳半の下宿で4チャンネルなど意味が無い。それである時遊びに来たK平さんに貸したのだ。貸したのはいいけど、この人エレキにつないでむちゃくちゃしていたようです。ある時F田君が深刻そうな顔して僕に「お前、K平さんからスピーカー返したもらったほうがいいぞ。あの人アンプ代わりに使ってるから、スピーカーが壊れるぞ」という忠告をもらったことがあるのだ。一体何故F田君がそんなことを言い出したのか、それでその後どうしたのか覚えていない。

 ああ、もう眠くなってきてエントリーの続きが書けない。後輩のメールの話は次の機会ということで。そうそう、最後にK平さんの青春時代を象徴するエピソードを書いて終わることにする。最初に石森章太郎のマンガの主人公に似ていると書いたくらいだから、K平さんは女の子にモテタ。当時1回生トリオだった僕、F田君、S戸君は女っ気が全く無い生活をしていた。ある時S戸君がキャンパスを歩いていると反対側からK平さんが女の子と一緒に歩いてくる。ただ以前紹介してもらった彼女とどうも見た感じが違う。S戸君はK平さんに小声で尋ねた。「K平さん、前の彼女と違いますやん」「ああ、あの子ねぇ。彼女は○○○が嫌いだから分かれた」。この○○○にどのような単語が入るかは皆さんの想像力にお任せしたい。

 この話をS戸君は僕の下宿で一緒にお酒を飲んでいるときに話してくれた。彼はその後、力をこめてこういった。「なあdrac-ob、オレ絶対K平さんは間違えてると思う。恋愛というのは○○○の相性で決めたらあかんと思うねん」。僕は答えた「ほな、なんや」。「分からん、分からんけど違う思うねん」「そやな、そない言われるとオレもそう思えてきたわ。こら一回K平さんに意見せんといかんな」。修学院の暗い下宿で意気投合した二人は翌日K平さんに話しかけた。「K平さん、どないしたら彼女が出来るか教えてください」。理想と現実は違うということを知った19の夏の話である。いやぁ、感動的な話を書いてしまったな。
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