DRAC興亡史 1975-1980 コンテニューイングオブ合宿ストーリー

 南国生まれではあるが、僕は夏が大嫌いである。その反対に冬は大好きだ。特に今の時期、空気が乾燥し、空が高くなり、着ているものをもう1枚何か欲しいなというこの季節から本格的に寒くなっていく過程は、いやー、これぞ人生の醍醐味、生きてる証だ、などと嬉しくなってしまう。人によっては、寒いのは大嫌いなので冬なんかないほうがいいという声もあるだろうが、僕は誰が何と言おうと寒いほうが好きである。夏ってのはやたら開放感だとか薄着(ま、これは決して嫌いではない、というか積極的に好きなケースが多いのだが、今回は触れないことにする)な男女がちゃらちゃらしていて、いかにも頭が悪そうである。その点、秋から冬にかけては人間少し背中を丸めて歩くようになり、ふと立ち止まって人生の侘び寂を考えたりする、ちょっと賢そうな季節では無いか。いや、あくまで「賢そう」であって、本当に「賢い」わけではないが。

 などと、いきなり季節の話をしたのはわけがある。実はこの前、過去に書いたエントリーをチェックしていたら、サークルの夏合宿の話を6月27日にアップして、しかもその最後に「と、ここまで書いてきてちょっと記憶が曖昧なところが出てきたので、いったん止めます。これはちょっと長いシリーズになりそうです。」などと書いておきながら、全くシカトというかスルーしっぱなしだった僕って何(by三田誠広)。いや、これではいかん。人間、自分の書いたことには責任をもたねばならない。書いたり、言ったりしたことに責任を持たないと、やはりあいつは中山センセと同じ人間だなどと罵倒されかねない(って、いい加減僕もしつこいが、このしつこさこそ大事だ、怒りを簡単に誤魔化されたり忘れさせられたりしてると、大変なことになるぞ、などと自分のしつこさを正当化するのだった)。

 しかも、この「DRAC興亡史」のほかにも「フォークソング・クロニクル」とか続きを書きますといってそのままにしている企画もの(そんな大袈裟なものではないが)は他にもあったような気がする。とにかくEVE期間に入った今、時期は夏をとうに過ぎてはいるが、合宿の話からせめて75年のEVEの話くらいまではアップしようと思う。で、前回の話は合宿の前にある前期試験のところで終わっていたから、そこから思い出しながら書いてみます。

 大学の前期試験というのは夏休み前に行うところと夏休みがあけてから行うところと分かれている。どちらがいいかというのはものの考え方で「先憂後楽主義」な人は夏休み前がいいだろうし「先楽後憂主義」なお方は夏休み後がいいだろう。今はどうだか分からないが、大雑把な感じでは関西の大学は夏休み前に試験を実施するところが多く、関東・首都圏の大学は夏休みのあとに行うところが多かったような気がする。で、当時の僕は「先楽後楽主義」なアホ学生だったのでどちらも大嫌い、できれば試験などナシがいいと思いながらも、そうは問屋がおろさない。夏休みに入る1ヶ月ほど前から試験は始まった。

 おっと、いきなり試験の話に入る前に高校生の頃まで『謹厳実直が服を着て歩いている』、とか『真面目という単語を人間にしたらあいつ以外にいない』とまで言われた僕が、いかに大学に入ってから授業に出ないどころか邪魔をする、試験はまともに受けないどころかろくに単位が取れない(1回生のときに取れた単位は5単位という輝かしいサークル記録を持っていた。この記録はその2年後に今は四国で教師をしているはずのS田という後輩が年間獲得単位数1単位という限りなくゼロに近い実績を出すまで最長不倒距離を誇っていたのだ)人間に成り果てたかと言うと、諸悪の根源は僕の所属したサークルのT先輩のおかげである。

 T原さんというその先輩は、お隣の鹿児島県出身で1学年上だった。何度かこのブログでも登場しているが、北白川で酔っ払って路上駐車していたトラックに乗り込みドロボウと間違われ、追いかけられたときに僕を見捨てて一人だけ逃げたエピソードやオールナイトの「野生の証明」を見た帰りに特殊工作隊のまねをして襲ってきた連中を見ていち早く一人だけ逃げたとか、まあ、こうやって1つ2つエピソードを書いただけでもロクでもない先輩だとお分かりでしょうが、どういうわけか僕はウマがあって結構可愛がられた。一つにはやたら麻雀が強くて、根が負けず嫌いな僕はこの人以上に強くなるまで麻雀止めないぞ、などと思い込んだのがいわば不幸の始まりだったのだろう。そういえば、この人は自分がセクトを抜けるために、僕を人身御供として差し出そうともしたな。あの時根負けしていたら、下手すると今の僕は無かったかも知れない。

 で、このT原先輩なのだが、サークルに入ったばかりの僕がまだ麻雀を良く知らないのをいいことに、やたら僕の下宿に来て麻雀をしていた。早い話がカモにしていたのだ。僕の下宿で麻雀をやるのは天下のK大生のK島君とデザイン学校に通っていたY岡さんがほとんどで、他にもやる人間はいたが後はみんな予備校生だったので僕の部屋にはあまり来なかった。このK島君もY岡さんも1回生だったので、最初はT原さんに敬意を表していたが、あまりのむちゃくちゃなものの言い方にだんだん愛想をつかすようになっていった。何しろ話が大風呂敷できりも果てもないのだ。ネバーエンディングホラ話である。

 最初に僕の下宿に来た頃は、「お前も英文科だったら、英作文だけはしっかり取っておけよ、後々大変になるからな。それと体育は学生が多いので、アピールするチャンスがあれば必ず名前と学籍番号を言えよ。オレは野球の授業のときに、間に合わないと思ったがヘッドスライディングして先生に覚えてもらって、その後欠席が多くてやばかったけど、なんとか単位が取れた。ヘッドスライディングで単位が取れるから御の字だ。それと、R大学との野球の試合を見に行くと体育の授業に1回出たことになるから、そういうのも押さえておけよ」などと結構真面目なことを言っていた。

 しかし、人間会って話す回数が増えてくるとだんだん底が見えてくる。ある時、僕が珍しく部屋で次の日の授業の準備をしていたら、いきなりもう一人の先輩のY田さんと一緒にやってきて「おい、麻雀するぞ、麻雀。あとひとり面子集めて来い」などといきなり喚きはじめた。「いや、T原さん、今日はあかん。明日は英作文の授業があって、当てられるから勉強せんと」「はぁ英作文、お前今まで何回休んだ」「えーと確か2回くらい」「あ、大丈夫、大丈夫、オレなんか二桁休んだけど単位取れた」「え、ほんまですか」「ホンマ、ホンマ、九州のオトコはウソ言わん」「でも」「デモもストライキもあるか、あ、そうや、お前今度の学生大会はちゃんと出席しろな。そこでストの可決をするから」と、いうような会話が行われ、当時1回生の僕は2回生のT原さんと3回生のY田さんに散々カモられた。

 そのときにT原さんが話したのが「試験は三味セン」という大嘘理論である。どういうことかというと、大学の試験は勉強などしなくても、とにかく答案用紙に何か書いていれば単位は取れるというのだ。もちろん、その教科と関係ないことを書いてもダメだが、教科書に出てきた単語や授業で聞いた言葉、学んだ内容を水増しして書いておけばなんとかなるという、嘘八百を書くのが大好きという人間には大変魅力的な理論であった。当時僕のいた大学は学費値上げの問題を抱えていて、僕の入学する前の74年(つまりT原さんが入学した年)は反対運動が盛んで大学は試験を実施することが出来ず、全面レポートに切り替えたのだ。そのおかげでT原さんは40単位近く、なんら勉強することなく取ることが出来た。しかし、ちょっと考えれば分かりそうなもので、そんな都合のいいことは続くわけが無い。特に大学当局にとっては2年連続でレポートのみだと学生の就職はもちろん、文部省からの補助金も打ち切られるとかで、75年はゼッタイ試験をやることは明らかだった。

 根が素直な僕は、ほぼ同郷といっても過言では無い先輩のいうことに間違いはないだろうと信じきって、それ以来授業は専門の出席にうるさい教科だけ、それも気が向いたときだけ、などという態度を取っていたから試験のときにどんな目にあったかは、賢明な皆さんにはお分かりでしょう。今でも思い出すのは、初めての前期試験の前に良く聞いていたバンドはサディスティック・ミカ・バンドで、試験が終わってから良く聞いたバンドはストーンズだった。ミカバンドは「単位マシーンにお願い」という曲を、ストーンズは「単位イズノットオンマイサイド」という歴史的名曲である(ウソ)。

 しかし、思い出してもヒサンな話である。それから英作文の授業で思い出したのは、T原先輩の薫陶を受け、それまでどうにか出席していた授業をだんだんサボり始めて、夏休み前の最後の授業に、流石にこれは出ないとやばいと思って出席した。ドイツ系アメリカ人の先生で、もうこの際だから実名だすがウィンツラー先生という中々にユーモアのある先生だった。その先生が学生一人ひとりを名指しで呼んで、個別に面談するのだが、みんなには当然、敬称の「Mr.」や「Miss」を付けるのに、僕だけは敬称ナシで呼ばれた。あ、オレってそれだけ先生に親しみをこめてもらってるんだ、などとは当然思えず、僕のことを知ってる連中は冷ややかな笑い声を立てた。おっかなびっくり伺うと「オマエ、ヤルキアルノカ」と日本語でいきなり言われ、「Yes, Sir」と答えたら、一気呵成に怒られた。何を言われたかは、良く覚えてないが未だにはっきり覚えているのはこれ以上授業をサボったら「YOU CUT!!」と言われ、首のところに手刀を持ってきてチョンチョンとしたことだ。ああ、アメリカ人も首を切るときはそういうしぐさをするんだな、とぼんやり考えていた。今、思い出した。僕がアメリカ嫌いなのはこのときのことがトラウマに間違いない。

 ここまで書いてきたが、試験に関する話をどんどん思い出してきて、今穴があったら入りたい心境である。この苦しい試験期間を僕はどうやって抜け出したのか、そしてその後に行った合宿は、鳥取の民宿はいかにハライソに思えたか、その話は次回。今度はすぐです、カミングスーン、うそ言わない、ウソ書かない。

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