まだまだ書くことに決めたから今日はBLOG記念日(サラダのパクリじゃ)

 一体どこのどいつだ、勝手に名前を変えたのは。いや、今日は確か「天皇誕生日」改め「みどりの日」で休日なのだが、零細企業に勤める僕は朝から通常通りに出社して1日仕事だった。その仕事が終わって帰ってきて新聞を見てクリビツテンギョウ(逆から読んでね-1)。いつの間にか今日は「昭和の日」なるものに変っていた。まただよ。得意の言い換えだろ。「敗戦」ではなくて「終戦」。「戦争責任」とやらは「一億総ざんげ」でクナトンナ(逆から読んでね-2 by山下洋輔)うやむやにするという必殺テクニック。まあ、懲りてまへんな我がポンニチ国家は。ということで、本日のエントリーは天皇制イデオロギーに絡めとられた、救いがたい日本零細企業における休日出勤の悲劇について語るつもりは毛頭ない。毛頭ないが、世間様がやれ大型連休だ、レジャーだ、バカンスだといってる中、額に汗して働くことの素晴らしさ、大手組合や御用組合のダラ幹連中が結集するお仕着せメーデーなどとは一切無縁な職場環境の劣悪さを嘆く暇があれば、さあ働け、やれ働け、という素晴らしき日々について書いてみよう。

 というのも大嘘なのだが、実は昨日の夕方に急遽本日の休日出社が決まり、不満はあったがここで仕事を溜めてしまい、後半の4連休がつぶれるのはもっと嫌だったので、とりあえずはちゃんと定時に出て行って仕事をした(当たり前だ)。しかし、どういう星の巡り会わせか僕が社会人として働くようになった80年代初頭から今日今日(きょうこんにち、と読んでね)に至るまで、この4月29日という日に休んだ記憶はほとんど無い。20.30代の頃はエネルギッシュな営業会社に勤めており、月末の売り上げに追い込みをかけるこの日は当然のごとく仕事で、振り替え休日などと言おうものなら「会社あっての休日だ」とか、「会社がつぶれたら365日休めるがそれでいいのか」とか「売れない営業は去れ」などと集中砲火が飛んできたものだ。まあまだ学生気分があまり抜けていない頃だったので、「テンノーの誕生日だから休むなどというプチブル諸雑派の諸君とは分岐を鮮明にして働くのだ」などと勝手な理屈をつけて休日出社を自己正当化していた。その後職種は180度違う仕事に就いたが、そこでも5月の連休前のこの日は通常稼動することがほとんどだった。もっともその分振り替えて連休を多く休めるようにはなったのだが。

 そうやって過去を振り返ってみたら、確かに今までの4.29は働いていた。フルに休んだのは何時の頃だろうかと考えていたら、すぐに答えが出た。一昨年だ。そのときはまだ失業者というか求職者で、そうだそうだ、このブログ始めたのが丁度一昨年の4.29ではないか、ということに気がついた。いや、全く忘れていたわけではないが、こうやって振り返ってみるとよく丸2年間も続いたものだ。何がって、このブログですよ。だって最初は「人生はさすらい」という名前でしかもパスワードで縛っていたから、ほとんど誰も見る人がいないブログだったのだ。

 そもそもどうしてブログを始めようと思ったのか、動機はいろいろある。もともと文章を書くこと、特にくだらない、取るに足らないようなことにこだわる文章を書くのは好きだった。ただ自己表現の場としてのブログという考えはほとんど無かったと思う。やはり、その頃の精神状態というか自分を取り巻く環境が大きな影響を与えたのだと思う。何度かここに書いたから以前からこのブログを読んでくれている人はご存知なように、僕は鬱病が原因で当時勤めていた会社を辞めて、療養生活というのか、糸の切れた凧のような生活をしていた。正確な履歴を書くと2005年の3月1日に心療内科の専門病院で病名を告げられ、それから1週間おきにカウンセリングと投薬での治療が始まった。仕事はしていたが、薬の影響で口が上手く回転しなかったり、どうしても朝が起きれなくて午後から出勤していた。最初はいろいろと周囲の人たちも気を使ってくれたが、だんだん慣れてくるとこちらに対する風当たりがきつくなってきた。いわくズルだ、仮病だ、単なる怠け病だ、などという声もちらほら聞こえてくる。

 最初は何かとかばってくれていた上司もだんだん態度に変化が現れるようになってきて、そのうち何時になったら会社を辞めるのかということを遠巻きに聞いてくるようになった。また僕自身も会社の人や取引先に会うのもつらいし、いちいち病気のことを説明するのも億劫になっていた。会社の経営陣もどうやら僕が早く辞めることを期待しているという話もときどき耳にした。通院始めて2ヶ月くらいで僕は会社を辞めることを真剣に考え始めた。ただ子供のこと、経済的なこと、そのほかいろいろなことを考えたがなかなか決心がつかなかった。あるときドクターに会社での状況や自分の考えについて相談した。「drac-obさん、早く辞めなさい。イノチあってのものだねです。このままだとあなたという人間が死んでしまいますよ。今の日本は何をやっても生活できるから、そんなことは心配しなくて大丈夫です」

 信じたワタシがバカだったのか。生活は大変だった。失業するとさまざまなことにお金が必要になる。一度など僕が働いていた頃の給料よりはるかに生活費にお金がかかった月もあった(決して贅沢な暮らしをしたわけではない)。ちょっと話が先に行き過ぎたが、結局2005年の6月末で会社を辞めて本格的に療養生活に入った。もっとも何をするというわけでもなく、朝は決められた時間に起きて太陽を浴びるように心がけたのと、働くことは出来ないので家事労働や家計のやりくりをすることにした。ジョン・レノンである。ハウス・ハズバンドである。などと今だからのんきなことが書けるが、そのときはそれなりに必死だった。いろんなブログをのぞいたり、動画を見たり(ヤフー動画の映画やギャオにはお世話になった)、以前から気になっていた本を図書館で借りたりするのが息抜きだった。生活は配偶者が昼夜働いてくれた。僕のなけなしの貯金や退職金などあっという間に無くなった。いやー、お金って貯めるのは大変だけど使うのはあっという間だな。この時期の僕は真のキョーサン主義者だったかもしれない。

 結局2005年の後半は何も出来ず、ただひたすら耐えていた。もっともこの頃のことはあまりよく思い出せない。記憶力はあるほうなので、多分脳が拒否してるのだと思うようにしている。それでも年が明けたら何とかしないと一家は破滅という状況だったので、まだ他人との交渉に自信はなかったが職業安定所に行って、シューカツとやらを始めることにした。離職してすぐシューカツしなかったのは病気のせいだとドクターに証明書を書いてもらい、相談に行った。すると予想したとおり僕の年代ではすぐに仕事は見つからないだろうと言われ、この際だから何か資格を取ったらどうだとアドバイスされた。自慢じゃないが資格など何も持ってない、せいぜい運転免許と小学校の頃取った硬筆検定4級くらいなものだ。僕の社会人としての人生は「無冠の帝王」がモットーだったが、この際それにはこだわらず一丁何か資格を取ろうと考えた。失業保険を貰いながら資格を取る職業訓練校に入るという方法があると、職安の人は教えてくれたのだ。

 資格と一口にいうがピンからキリまである。危険物取り扱いの資格は欲しいが、オレの方が危険人物なので無理だろう。自動車整備士は無理だ、何と言っても車のメカニズムが分からないし第一車に興味が無い、あんなもの走ればいいのだ。測量の資格はいいなと思ったが今更、伊能忠敬のような立派な人にはなれないからな、などと非現実的なことを考えていたのだから、多分にまだ病気の影響があったのだろう。いや薬の影響か。しかしいろんな訓練の資料を見ているうちに介護関係かPC関係のどちらかが一番仕事にありつけそうだと考えた。介護関係は結構真剣に考えた。なんと言っても高齢化社会である。2007年問題も喫緊の課題だ。それに僕はジイチャン・バアチャン子だった。結構お年寄りに気に入られるタイプなのだ。そのこと配偶者に話したら即決でダメだしされた。理由は僕が不器用だからとぬかした。「介護する人をお風呂に入れられる?あなたは子供をお風呂に入れたことがありますか?」。思い出した。僕がまだ若いパパだった頃産まれたばかりの長女をお風呂に入れたのだが、あまりにおっかなくて全身に力が入りすぎ、風呂からでたら両手がつってしまったことがあった。あれ以来一度も子供をフロに入れた事がない。

 決めた。パソコンだ。それまで徹底して避けていたパソコンの勉強をこの際やってみよう。そう決心して「ビジネスソフト実務科」という訓練校のコースに申し込んだ。もっとも申し込んだらOKではなく、やはり簡単な適正検査と面接試験がある。それに受かって初めて入校できるのだ。その試験は翌年2006年の1月にあった。20人の募集に対してどれくらいいたのだろうか。100人くらいはいたのだろうか。会場に行ってみると、お前は無理だろ、と言いたくなるようなヤンキーのお兄ちゃんやド派手なオネーチャンもいたが大多数は真面目そうな若者である。そう、圧倒的に20代、30代なのだ。40代などというのはぱらぱら。そうそう、そのとき僕は一応スーツ姿で行ったのだが、そんな窮屈な格好している人はいなかった。適正検査というのはちょっとした知能検査と反射性・反復性をチェックする内容だった。それが終わって、集団面接があった。5,6人ずつ分けられて別の会場に行って幾つかあるテーブルに赴き、口頭の質問を受けるというものだ。僕の面接は笑顔が印象的なおとなしい感じの女性だった(実はそれはよそ行きの顔だったことを2週間後に知るのだが、訓練校のN井先生だ)。質問に対しては無難に受け答えした。最後の質問が終わったときに、「万一、この学校がダメなときは佐土原の学校でも通います」というアピールをしておいた。どういうことかというとコンピュータの訓練校は僕の自宅の近くと随分離れたもうひとつの学校があり、その遠いほうがまだ定員の余裕があると試験官が教えてくれたのだ。

 数日して、入校を許可するはがきが届いた。1月の中旬から始まるので準備しろという内容だった。そして僕はその訓練校に3ヶ月間通い、WORDとEXCEL,PPTなどを学んだ。学校に通って物事を学ぶと言うのはおよそ四半世紀ぶりで、とても新鮮だった。クラスの仲間も圧倒的に20代、30代が多かったが、考えようによっては自分の子供といっても大差ない人たちとたった3ヶ月間だったが、ある意味苦楽を共にするという貴重な経験をした。そう、その訓練校が終了する間際に、せっかく縁があって出会った仲間なので、みんなで集まることの出来るネットワークを作ろうと決めた。掲示板でも良かったのだが、僕自身がブログの運営に興味を持ち始めていたので、いろいろ調べてパスワードでみる人を限定するブログをスタートすることにした。それがこの「別館4階のBOXから」の前身である「人生はさすらい」である。

 もともと訓練校の若い人たちを読者に想定して始めたので、最初のエントリーはやたら訓練校の頃の話やエピソードが多い。コメントも何人かくれたし、毎日読んでますといってくれた人もいた。しかし、みなそれぞれ社会や家庭に戻ってしまうと、たかだか3ヶ月だけの付き合いのオッサンブログには興味が薄れてしまうのだろう。誰からもリアクションが来なくなり、逆にネットで出会えた大学のサークルの先輩であるsawyerさんやこちらは直接の後輩であるsugarmountain君、そして博覧強記のセンパイ、黒木燐さんなどが来てくれる様になり、それからパスワードを止めて、ブログタイトルも改めて今に至るのだ。しかし、こんないびつなブログなのにいろいろな人が来てくれる様になり、何とか続いている。何度も「もう誰も見ていない」とか「どうせ更新しても無駄」などと投げやりになったが、そのたびにブログ拍手やコメントに支えられて今日までやってこれた。これからどこまで行けるか分からないが、出来れば最後までお付き合い下さい。ということで、本日は閲覧してくれる皆様に対して30分間の土下座で感謝の意を表したい。土下座!!さぁ、みなさんご一緒に、カム土下座、ってこのネタ以前使ったような…。

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コメント

記念日おめでとうございます

介護のお仕事って、実際のコトはよく知らないんですけど、叔母の所のヘルパーさんを見ていると、肉体的にも精神的にもかなりハードだなぁと感じます。
行った先の家庭で、トホホな状況、しかも自分にはタッチできない状況に遭遇することも多いですよね。ヘルパーさんって、決まったことだけをやり、それ以外のことはやっちゃいけないんですもん。
だけど、drac-ob さんはたぶんそういうのって、「こっからここまでが俺の仕事。ここから先はノータッチ!」っていう割り切りができるタイプではないように思います。
ただの知り合いであれば、この重圧を取り除く手助けができるのに…という思いは、介護する側の精神的な重圧となり、割り切ることができないとすれば、病み上がりのdrac-ob さんにとってかなりツラいことになったんじゃないでしょうかね。
たぶん奥さまも、お風呂のことを引き合いに出したけれど、その辺のことがわかっててのダメ出しだったんじゃないかと。
そっちの道に進まなかったのは、正解だったと思いますよ。

なんで分かっちゃうのかな

まるで本当の配偶者のように僕のことが分かるというのは、ホント不思議としかいいようがありません。「心の妻」なる形容詞では説明できない、もしかしたら前世は兄弟姉妹だったのかもしれません。そうなんですよ。つい「義理と人情」にはまり込んでしまって、ドライな線引きが出来ない、損な性格なんです。矢田矢田、ちがった、やだやだ。

狸さんともネットで知り合ってもう結構な月日が経ちますが、相変わらず独自のスタンスで米もらえるから嬉しいです。そうそう、袋一杯のレココレ、ぼちぼち読んでますがこの連休に一気読みしようと楽しみにしています。しかし、読むと欲しいCDが増えてくるんだよな。毎晩寝ながら読んでますが、「えー、こんなの出てたの」とか「ウソー、絶購入」などと雄叫びを上げるので家族全員から総スカンくらっています。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

↑あ、うっかり管理人にだけ表示を押してしまいました。
公開コメです。

ばんざい

ぶりがにブログ、再開しました~♪
http://taninaka2.burigani.secret.jp/

燐さんが間違って隠してしまったコメントです

とりあえず朝方拍手を一発決めときました
4月29日「みどりの日」→「昭和の日」
5月4日「国民の祝日」→「みどりの日」
ってのは、去年辺りから変わったと思います。私も去年、あれ?と思いました。いや、それどころか最初は「なん、このカレンダー間違っとるやない」と、まあ、なんていうか自信過剰な反応をしましたよ(笑)。

ブログ2周年ですか。おめでとうございます。
まさに、継続は力なり、ですね。

介護は、けっこう体力いるし腰に来るし気を遣うしまだ色々問題を孕んでいるし、やっぱよっぽど覚悟しないと進んではいけない道のような気がします。
下手するとまた鬱病がぶり返したかもしんないし、選ばなくて良かったです。

ところで先日某所で久々にチャットやりました。ドラちゃん来るかと待ってましたが、残念。
また連休前(中)にやりますんで、こまめに覗いて伝言等チェックしておいてくんなまし。

って、もう行ってらしたのね・・・。

と、いうことでこちらが米返しです

>ブログ2周年ですか。おめでとうございます。

ありがとうございます。ぶりがに先生のブログも無事再開されたようで、欣喜雀躍しております。僕のブログのセンパイが燐さんで、燐さんの目標とする人がタニナカ先生なので、僕にとっても師匠格に当たるお方ですね。しかし、第1回目から以前と変わらぬ独特の雰囲気がありますな。

介護ってやはり大変そうです。狸さんにも燐さんにも指摘されてるように、あの時点の判断は正解だったのでしょう。もし介護のほうを選んでいたら、体力的にも精神的にも多分ダウンしてしまい、自分が介護を受けてる可能性が大きかったと思います。

どもです。
人に歴史あり、とでもいいましょうか。
成り立ちはそんな感じだったんですね。
ワタクシはいつ頃から貴ブログを覗いていたんでしょうか?
すっかり昔の事は忘れてしまいました。

でもいつも見ていますよ。
これからもよろしくです。

イカさん、いつもありがとう

こちらこそよろしくお願いします。そういわれてみると、イカさんとの出会いもまさにネットの恩恵ですね。mixiで懐かしいチラシやライブの話を読ませてもらい、それが縁でしたか?僕もイカさんと最初に出会った頃のことは覚えていませんが、イカさんのコメントやmixiでのレスがブログ継続の刺激になっています。

そうそう、刺激といえば、例の写真のアップが最近少ないような気がしているのですが。また新作の発表を期待しています。あ、例の韓国国際交流の件です。異文化交流というか異性交流というか、ま、そんなやつ…。

いや、行っていませんから(汗
この前二日連続で行ったらオサイフスッカラカンです。
初日の同行者はMIXIで知り合った方なんですがこの方とは今月フリクションとPerfume(アイドル)も一緒に行くんですよ。

最近は国内交流も

お盛んな様子で羨ましい限りです。しかし二日連続はオサイフ的にも肉体的にも大変でしょう。男はいくつになっても「あばれはっちゃく」か「暴れん坊将軍」だということの証明ですね。

フリクションとPerfumeという振幅の激しさというか懐の広さがイカさんらしいですね。また面白いライブの話書いてください。そうそう、近田春夫からはライブハウスでNHK的拍手の仕方というのを教わったことを思い出しました。

遅ればせながら

2周年おめでとうございます。
僕は1年続けるだけでヒーヒー言っていたのに2年続けるのは大変な事ですよね。
僕も症状は軽いもののdrac-obさんと同じ病でかれこれ10年近く薬を手放せません。
これからもよろしくお願いしマッスル。

Purple_Hazeさん、お祝い米ありがとうございます

いやいや、毎日更新を1年間続けるなんて至難の業です。それもほとんどが音楽ネタ(たまのラーメンやカレーネタも楽しみですが)というところも敬服しています。あ、ケイフクといっても叡電とか嵐山線の電鉄会社ではありませんが・・・。

などと70年代の京都を知らないと笑えないネタを交えたりして、いえいえこちらこそヨロシクお願いします。ライラックとDRACとどちらも「ラック」つながりだけに、幸運を運んでくると信じています。最後にお互い病気には気をつけましょう。

遅くなったけど

おめでとうございます。
そうなんですね…いろいろと聞かせてもらってよかったです。
mixiもblogも興味が無くなってやめたdahliaから一つ提案があります。
blogの定義を広めてみませんか?過去もしかりですが、あたしはdrac-obさんのこれからについても見てみたいです。

そうなんです、始めたときにはまさか

こんなブログになるとは夢にも思っていませんでした。僕の理想としては若い20,30代の人たちのいろんな悩みを投稿してもらい、それをずばり解決する、テレホン人生相談みたいなブログを考えていたのですが、ってこれはちょっとウソっぽいな。そういえばdahliaさんがmixiやめてから、僕もあまりmixiを見なくなりました。あの独特の感性の日記が読めないのは残念です。

ところで、この部分が良く分かりません。毎度毎度昔話ばかり書かずに、今の話を書けということでしょうか。良かったら補足の米かメールお願いします。

>blogの定義を広めてみませんか?

ザッツライト

んな感じです。
「今」が聞ききたいです。
でもdrac-obさんが書くならなんで読んでみたいし、どんなスタイルでもいいな~
って感じもあるんです・・・

うれしーっす!!

「今」の話はどうしてもライブレポートや家庭での些細な出来事くらいしか書けないんですよね。いや、仕事上でのネタは一杯あるんですが、非常に波風が立つというか、こんなネタ知ってるのはあいつだと、魔女狩りが行われる危険性があるので、ちょっと様子見しています。でも、そのうちバラしてやるぞ。

dahliaさんのコメントを読んで、よし頑張ってエントリー書こうという気持ちがひしひしと湧いてきました。僕はおだてに弱いA型なんです。オマケに褒めると伸びる長男タイプで、逆に言うと叩かれ弱いという「ぼんぼん」ならではの弱さがあるのだ。どうだ、と威張ってもしょうがないけど、エントリー書けないときはコメントで、それも時間が無いときは「ショート・ショート」で誤魔化すけど、また読んでね~。

うん、うん。

たたく人は複数いるので、ほめてくれる人はキチョーですね(笑)。

いえいえ、愛の鞭だと思って

ひたすら感謝しております。決してマイ・デス・ノートに「ウラミハラサデオクベキカ」とか「エコエコアザラク、エコエコザメラク」などと書いたりしておりません。ましてや着払いで賞味期限の切れたなんじゃこら大福を送りつけようなどと考えたことは、2~3回しか、いや、その、ありません。

えー、今の世の中が殺伐としているのは「美点凝視の精神」が不足しているからだと僕は睨んでいます。褒めよう、おだてよう、それで伸びれば御の字だ!!
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