実録 仁義無き内視鏡検査

 スカの話です。スカが嫌いな人は読むのをご遠慮下さい。もっともスカといってもスペシャルズやマッドネスの話ではありません。トロが付くほうの話です。トロは吐露ではないし、ましてや寿司のネタではありませんが、っていい加減くどい。要はシモネタなのでお食事前の方などは注意して読んでね。

 僕は結構変わった病気をよくする。大腸憩室炎などという病気をご存知だろうか。僕がこの単語を知ったのはかれこれ3年ほど前のことだ。ある夜、寝ているときに右脇腹の鈍痛で目が覚めた。以前に何度か尿管結石を患ったことがあり、そのときも右脇腹の鈍痛は石の痛さに違いないと思い、翌日以前に何度か通院した泌尿器科の専門病院に行った。超音波の検査をして、例によって薬を処方されて、「水分をいっぱい取れ、ビールをじゃんじゃん飲んで流せ」みたいな診断で終わるだろうとタカをくくっていたのだが、医者の反応がどうも鈍い。何か奥歯に物が挟まったような言い方で「石、とちょっと違うかも知れないので総合病院で詳しく検査したほうがいい」と言われた。そして、そこから車で5分くらいのN部総合病院を紹介された。痛さから早く解放されたい僕は、お昼前にはその病院に紹介状を持っていった。

 そこで再度超音波の検査やCTスキャンや、もちろんレントゲンも、そのほかありとあらゆる検査をされた。胃カメラも飲んだ。結局お昼前から夜の7時過ぎまでかかって分かったことは大腸憩室炎を起こしているということだった。要するに大腸の壁が飛び出しているわけだ。家に帰ってネットで調べたら欧米人に多いと書いてあり、なんとなく優越感を持ったような気になったが、良く考えると何の意味もない。欧米かっ。そのときから年に1回は内視鏡の検査を受けるように言われていた。ところで、そのときの診察と検査を担当してくれたY先生だが、ちょっと早口というか独特の喋り方をする人で、いろいろ説明してくれるのだが上手く聞き取れず、こちらも食事抜きで終日検査だったのでぐったり疲れて、あれは最後の胃カメラの検査のときだったか、Y先生が嬉しそうな顔をして「drac-obさん、良かった。分かりました。大腸憩室炎です」と言われたが、こちらとしては病名などどうでも良くて早くこの痛みから解放してほしいだけだった。しかし文句を言う気力もなく小さく頷くくらいしか出来なかったのだ。

 その日の最後に「今日の診察費は目の玉が飛び出るかも知れませんが、とりあえずはあるだけ払って残りは別の日で良いですから」といわれたのを良く覚えている。人の財布だと思って無茶苦茶言うなと思ったのと、丁度会社を止めたばかりで収入がない時期に、しかも鬱病で心療内科にも通っていたのに、またもや妙な病気になってしまったと強烈に落ち込んでしまった。余談だがATLのキャリアだと分かったのも同じ頃だが、その話はまた改めて…。その日から2週間くらいはご飯を食べることが出来ず、缶入りの飲み物(どろどろのなんともいえない、あ、胃カメラ飲むときのバリウムと食感が似ていた)とジュースの素みたいな粉を水に溶いて呑むのと、点滴だけが栄養源だった。2週間ほどの点滴と投薬で、平常に戻ったものの『一度は内視鏡検査しましょう』といわれ、その年の確か9月くらいに初めて検査を受けた。結果は大腸に200以上の憩室があり、一部は出血していたがまあ大丈夫とのことだった。ただ今後は年に1回必ず検査を受けるよう言われていたのだ。もちろん、こういう提案を素直に守るのは岩石生活者としては失格なので、去年、一昨年とシカトしていたのだが、今年の最初の診察で「やはり検査しておかないとダメ」といわれて今回大腸内視鏡検査を受けることになったのだ。ああ。前振りの長いことよ。
君は耐えられるか 2リットルの下剤

 1月の17日の朝8時半に検査を行うことになり、終日の検査なのとその日の夜にジャズのライブがあるので、会社は休むことにした。前日は、仕事上の迷惑をかけないために夜9時過ぎまで事務処理をして家に帰った。もちろん16時と19時に飲む薬(錠剤と液剤)は時間通りに飲んだ。家に着いたら腹ペコだったので、「メシ、メシ」と配偶者に言ったところ、「夕方7時以降は絶食って書いてあるよ」と嬉しそうに言われた。そうなのだ。腸内に余計なカスを残さないために前日の食事は19時までに済ますよう注意されていたのだ。しかし背に腹はかえられない。軽いものなら大丈夫だろうと大急ぎでかきこんだ。結局、この行為が己の首を絞めることになるのだ。

 翌朝、病院に行くとすぐに検査の準備の部屋に通された。書き忘れたがこの病院は現在建替え工事の真っ最中で、その部屋も診察室の裏側にプレハブで細長く作った部屋だった。エアコンがついておらず、電気ヒーターを看護士さんが持ってきたが、寒いさむい。病院の薄いガウンとタオルケットを何枚も腰に巻きソファに座って待っていると、陰気そうな30代くらいの男が案内されて横のソファに座った。看護士さんが2リットルの下剤を持ってきて説明を始めた。「これから11時までの2時間でこの下剤を飲んでもらいます。当然トイレに行きたくなるので、その回数をこのプレートに書いて置いてください。そのプレートの表側に便の変化が写真にしてあります。最後の5番の写真のように透明になったら我々を呼んでください。そこで確認してOKな人から検査をします」

 二度目だったので、僕は完璧な準備をしていた。前回は下剤を飲む2時間が退屈で退屈で、病院にあった週刊誌や新聞を読んでも間が持たず挙句は腸に刺激を与えるため病院の階段を上り下りしろなどといわれたので、今回は1発OKを目指し、朝軽く運動してきたし、病院のしょうもない本など読まなくていいように読みかけの佐藤優の「私のマルクス」と殿山泰司の文庫本を持ってきていたのだ。しかも最初の1時間で1リットル以上クリアしておかないと後半つらいことは十分知っているので、軽快なピッチで下剤を飲み始めた。しかし大きな誤算があった。最初はぐいぐい飲んでいた下剤だが、読んでいる本に集中してしまうとつい飲み忘れて、気がついたときはもうすぐ1時間、まだ1リットル飲んでない状況だった。しかし、昨日や今日大腸憩室炎になったトーシロではないので、そこからの一気飲みは我ながら素晴らしかった。ただ、ふと気がついたのは、未だにトイレに行っていない、という一番大事なことだった。

 つまり、本を読むことに夢中になり、便意を忘れてしまったのだ。このままではいけない。何とか便意を催し、一気呵成に5段階の便の色にせねば、と気持ちはあせるがそう簡単にはいかない。僕は本を閉じてついでに目も閉じて、いや、逆だ、♪ああ、目を閉じて、チュッチュッチュチュールー、心も閉じて、開いた本も閉じてしまえ~ああ私は風、気ままな風よ~とカルメン・マキ&OZの名曲「私は風」を頭の中で反復しながら、目を閉じていた。そしてこれまで便意を催しながら近くにトイレがなかったり、あっても満室だったり、ようやく入って用を足したものの紙がないのに気がついて目の前が真っ暗になった経験、それは一度や二度などという生易しいものではなく、今まで生きてきた中に何十回もいや何百回も起こった悲劇的状況を、しかしながらそれを何とか乗り越えてきて、決して洩らしたりはしなかった過去の栄光の歴史を思い出していた。

 そうこうしているうちに1回目のトイレタイムがやってきました。速攻でトイレに行き、色を確かめる。もちろんファースト・タイム・オブ・ザ・トイレなので、輝くばかりの黄金の色だ。何故か「ハート・オブ・ゴールド」のメロディが頭の中に流れてきた。それからが大変だった。なんといえば良いのか、およそ便意などというものは気にならないときは、全くその存在すら認識しないが、一度気になるとまあ、落ち着かない。ソファに戻って、下剤をぐいっと一息に飲んで(by三軒目の店ごと)また読書に戻ろうとすると、どうも肛門の辺りが騒がしい、誰かがノックしているような感じだ。ノン、ノン、ノッキンオンザヘブンズドア~などとディランを気取る暇も有らばこそ、またもや速攻でトイレに行く。それを繰り返すこと5回。我ながら透明とはいえないが、限りなく透明に近いイエロー状態の便器の中を見て自信たっぷりにナースを呼んだ。

 「ああ、もうちょっとですね。カスがまだ出ているので、このままだとカメラにカスが付いてダメなんですよ」と軽くいなされた。深く落ち込んで、ソファに戻り、本を開く。『しかし個々の資本家は、勿論、自ら生産する商品が社会的に如何程需要せられるか、また他の資本家によって如何程生産せられるか、さらにまた根本的には個別的に種々異なりうる、その生産に要する労働時間のいずれがその価値形成の基準となるかを予め知ることは、その私的生産者としての性質からいってできないことである。』などというところを読んでいても頭の中はいかにすれば透明な便が出るか、その一点に集中しているから全く頭に入らない。そしてちょっとショックなことが起こった。2リットルの下剤を共に競いながら飲んでいた隣の男が急に立ち上がりトイレに行ったかと思うと看護士と一緒に戻ってきて、そのまま検査に行ってしまった。オー、ノー、アイム・レフト・アローン、などとちょっとマル・ウォルドロンを気取ったが、気分は最悪であった。オレも早く検査を受けねば、その前に便透明化闘争を勝利しなければ、と気持ちはあせるものの、親の心、子知らずというのか、思うほど便意もなくなる午後1時という感じだった。

 「drac-obさん、カンチョーしましょう」と中堅どころの看護士さんが部屋に来て突然こう言った。その昔、堺正章がたしか「時間ですよ」だったか、「カンチョーしちゃうから」などというギャグを流行らせたが、あれは冗談半分で後ろから友達のお尻に指を突き刺すのが楽しいのであって、されるのは御免蒙る。もっともそういう行為を好んでパートナーとやりたがる人たちがいるそうだが、この際除外する。あれは「プレイ」としてやるのは、それぞれの趣味だろうが、こちらは拒否権など一切ない状態で言われたのだ。勿論相手がそれなりの年齢層のおねーさんであれば、喜んで、いやいや、その、それもちょっと具合が悪いような、ま、ええと話を戻すと、下剤の効果がいまいちなので強行突破を図ろうということだろう。その昔、一点突破全面展開という言葉があったが、こういうときに使うべき言葉かもしれない。

 看護士さんとトイレに入って、後ろ向きにならされ、「ハイ、トイレットぺーパーを適当にちぎって、それでお尻の栓をします。そして出来るだけ我慢して排出してください。じゃ入れますよ。足の力抜いて、ちょっと腰を下げて、ハイ、そのまま」などといわれて、身構えているとなにやら肛門から直腸にかけて冷たい感触がして「ハイ、そのまま我慢して、私が出たらトイレに鍵をしてぎりぎりまで我慢してから出してください」などといわれ、右手でお尻にトイレットペーパーで作った栓をしつつ腰を曲げてトイレのドアに鍵をした。お、あ、あ、いえ、あの、などと奇声を上げつつようやく便器に腰掛け、一気に出した爽快感。ああ、この我慢する感じと一気に出すときの開放感が癖になるのか、とモノホンのスカトロマニアの精神状態を想像しながら、看護士さんを呼んだ。「うーん、まあまあ合格としましょう」などとお情けで合格させてももらい、検査に臨んだ。

 検査室ではいきなり先生に肛門に指を突っ込まれ、ああオレはカマの趣味はないのに、と思いながらも、点滴に入った睡眠薬のせいですぐに寝付いてしまい、気がついたら検査は終わりベッドに寝かされていた。時計を見たら17時過ぎだった。マズイ。ライブは19時開場、19時半開演だ。ふらふらする身体を何とか起こしてナースコールをして、待合室に向かった。その後先生に説明を聞き、心配していた状況ではなかったがまた2週間後に来るよう言われて、朦朧としながら病院を出た。さあ。これからジャズのライブだ。地獄から天国に行くのだ。帰りの車のハンドルを握りながら、頭の中で「天国への階段」が流れていた。
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コメント

お疲れさまです。しかし

睡眠薬で朦朧とした状態の運転は、危険ではないでしょーか??

おっしゃるとおりです

とにかく腕時計を見たら午後5時を回っていたので、必死の思いで起き上がりました。気分的にはもう少し寝ていたかったのですが…。それから小一時間後には自宅に戻っていましたが、途中の運転していた間はほとんど記憶にありません。良く事故を起こさなかったなと、後から冷や汗モノでした。

教訓;薬の影響があるから車で来るな、との注意はきちんと守りましょう。

深夜に

遅くまで起きている娘の横で読んだのがいけなかった。
必死に笑いをこらえて肩を震わせているあたりから怪訝そうな顔で見られていたが、こらえきれなくなって吹いた瞬間「おやじ、キモイ」と言われてしまった。
しかし大腸肛門病辞典にリンクを貼ったり、2リットルの下剤の写真をしっかり押さえているあたりdrac-obさんの誠実さに感動してしまいました。
入魂の力作、堪能させてもらいました。

先日後輩のM原君から

人間、正直が一番と、僕の普段のモットーが間違っていないことを聞いたので、このエントリーも社会主義リアリズムに基づき、一切の虚飾を排して、淡々と事実のみを書き綴った体験的レポです。いや、実は音楽ネタより病気ネタ、病院ネタのほうが受けるんじゃないかとやや心配になってきました。しかし、2リットルの下剤、是非一度トライしてみてください。人生観が変わります。いくらエラそうなことを言っても所詮、人間は下水管に目鼻(by山下洋輔)です。
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