祝!パンタ紙ジャケ再発

このジャケットに励まされた 轍のフックで引き上げられた

 「もしもしdrac-obさんですか?こちらイ○ンショッピングセンターのタ○ーレコードですけど、ご注文のパン、パン、パンタでいいんですかねぇ?そのCD入荷しましたけど、いつ取りに来ますぅ?」という電話が今日の4時ごろ携帯にかかってきた。パンパン、パンタとは失礼な。今のワカイモンはパンタを知らんのか。そりゃその辺とチャラチャラ歩いてるイレズミシールの兄ちゃん、姉ちゃんなら分かるが、仮にも日本最大手のCD屋の店員でしょうが。しかも客に対して「いつ取りに来るか」などと無礼千万な言葉遣い、さらにやたら語尾が伸びて母音がだらしなく引きずられる、あの喋り方は何だ。などとぶち切れて喚き散らそうかと思ったが、思ったより早く注文したCDが届いたことが嬉しくて「あ、ハイハイ。夕方には受け取りに行きますから」と軽薄な返事をして電話を切ったのは私です。

 80年代のパンタのアルバムは92年位にCDになったが、もともとそんなに売れるものでもないためほとんど全てが廃盤状態になっていた。ヤフーのオークションでも結構いい値段で取引されていた。僕もアナログは全て持っているのだが例のスィート路線後の硬派路線のアルバムをCDでは持ってなかった。いや、そのうち買おうと思っているうちにお店からなくなり去年の東京出稼ぎツアーの時もあちこちの中古CDショップで探したが、入手できたのはソリッドレコードから出た頭脳警察の二枚組みライブだけだった。したがって「RED」はオークションで入手したが、「反逆の軌跡」や「浚渫」の中の曲はベスト盤でしか聞けず、歯がゆい思いをしていた。今回この2枚が手に入って大変嬉しいのだ。しかも待ちきれずに移動中の車の中で聞いたが音が格段によくなっている。

 あれはたしかCDジャーナルのHPを見たときだったか、フライングパブリシャーのページだったか、はたまたパンタの熱狂的なファンのブログを見たときだったか、80年代のパンタのアルバムがリマスターされて再発になるというニュースを知った。8月から1カ月ごとに販売になるのだが、初っ端は「KISS」と「唇にスパーク」というスィート路線の2枚だったので、完璧シカトしていた。なんせ大学を中退して初めてシホン主義社会における会社の厳しさに立ち向かっていた頃、「チクショー、負けないぞ。そうだパンタのニューアルバム聞いて気合を入れるんだ」と叫び、ターンテーブルに乗せたLPレコードから聞こえてきた歌声は「悲しみよ、ようこそ~」であり「ストップローリングデイ、転がるだけで毎日が過ぎる~アイムフーウウウウル」などという軟弱極まりない歌詞。しかもパンタはポップソングもバラードももっといい曲が作れると思っていただけに、余計あのスィート路線の2枚はなかったことにして欲しかった。

 そういえばパンタの「KISS」が出たばかりの頃、確かミュージックマガジンだったと思うが、パンタと平岡正明の対談があり、僕の思い込みかもしれないが、平岡がなんとかパンタから「この冒険は失敗だった」という自己批判を取りたかったのか、執拗に質問を繰り返したが、最後までパンタは「これも自分のルーツであり、今の時代にこういうアルバムを出すのは決して後悔していない」みたいなことを言い切り、それを聞いた平岡が「よし、そこまで言うなら認めよう」と苦肉の結論を出したのを良く覚えている。しかし、なー。あの2枚はまとめて1枚にしてもいいんじゃないだろうか。今日入手した「浚渫」のライナーには実はもう1枚スイート路線(パンタがポップスのカバーを歌うというこれはそれなりに聞いてみたかった。パンタの歌う「What a wonderful world」なんか聞いてみたかったな)が準備されていたが、パンタ本人が飽きてしまい、本格的ロックアルバムの「浚渫」が誕生したらしい。

 この「浚渫」が出た時は嬉しかった。会社に入って2年目の頃で、ようやく後輩が出来たが自分のことでまだまだ手一杯の頃だった。忘れもしないこの頃の思いでは、実は最初に入った会社の研修(もっとも中途入社だったので2人しか新人は居なかったのだが)で「キミタチは何も分からない新人だが、ひとつだけ、たった一つだけ先輩に勝てることがある。それは明日からすぐ始められることだ」などと講師役の常務から質問され、もう一人は首をかしげていたので、僕のほうに視線が飛んできて、思わず一番苦手なことを口走ってしまった。つまり「朝一番に出社すること」である。講師役はにんまり笑い「そうだ。そのとおり。朝誰よりも早く出社して、雑巾を握り事務所を磨き上げるのが君達の出来る唯一のことだ」などとやられてしまったのだ。

 その会社は教材の販売会社だったが、社員のマインドコントロールの上手なところだった。いずれエントリーに詳しく書こうと思っているが、今回はもうひとつだけエピソードを書いておくと、やはりその上司が研修の時に「わが社にはタイムカードはありません。9時に来てガチャン、5時にガチャンなんてロボットのやることです。我々は大事な子供の教育を企画するのだからそんな時間にこだわるのは間違っています。自分自身が納得するまでやれば何時に退社しようが自由なんです」などといわれた。お、儲けもうけ、と思った僕は世間知らずの甘ちゃんだった。早い話が上司が納得するまで、仕事の終わりはやってこないということだった。じゃ、朝はゆっくりかというと「当社は9時始業です。ただ9時始業だからと言って9時に出てくる社員は一人もいません。自分達の会社は自分達で掃除しようと皆で決めたので8時半にはみんな先輩が出社してきます。キミタチは新人だからせめて8時には出てきて、床と窓くらいは磨き上げておくように」

 などと、まあ今、考えれば日本の会社主義からすると当たり前みたいなことに一々驚き、違和感を感じ、異議を申し立てようとしても却下される、大変つらい時に心の支えにしようとしたパンタが「震える、ときめく、甘―いKISS」などというコピーでマネキンに顔を寄せているジャケットのアルバムだったから、大コケにこけたのだ。だったら次のアルバムは、と期待したら、今度は「レーザーショック」などとトヨタの車のCMソングなんかが入った「唇にスパーク」だったので、ザ・セカンドタイムオブ大コケであった。「レーザーショック」どころか「脳天ショック」だった。しかし、待てば海路の日和あり。パンタも男の子だ。いつまでもスィート路線などと言ってられない。意地の悪い見方をすると当時の2枚のアルバムの売れ行きが相当悪かったと僕は睨んでいる。

 そして「軽薄短小の時代に重厚長大なロックのアルバム」というコピーでパンタは復活した。「浚渫」である。1曲目の「429Street」のドラムの音を聞いただけで僕は、このアルバムこそ83年の日本のロックのナンバーワンアルバムと決め付けた。♪429号線でファイア、ファイア、ファ、ファ、ファ、ファイア~と歌うパンタの声に日ごろの仕事のストレスを発散させたものだ。ちなみに429=死肉=死に行く、などと変換したり4.29とは例の日だなと一人ほくそ笑んだりしたものだ。

 ところでこの「浚渫」が出た年には、待望の1年後輩の社員が入ってきた。もうこれで朝一番に出社して雑巾掛けしなくても大丈夫だと喜んだのもつかの間、床の間。本社から社長が出張してきて、僕にこういった。「お前は何を考えているんだ。まだ大学を出たばかりの新人が朝一番に来て掃除してるじゃないか。新人にそんなことをさせているから、すぐやめてしまうんだ。お前は先輩としての自覚がない。明日からお前が朝一番に出てきて掃除しろ!!」って、そりゃないぜ、ボス。

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コメント

たま~にしか来ませんが。

パラパラ見ていたら、パンタの話題。
あのスウィート路線の前には、鈴木慶一プロデュースの、&HALが
ありましたよね。
で、『1980X』の後に、パンタが、鈴木慶一に
ウォーカー・ブラザーズがやりたいと言ったんだけど、
意見が合わなくて、
それで、黄金コンビ、あえなく解散になったのだったと
記憶してます。

ウォーカーブラザーズ、ですか!?

まあ、青春時代の追憶というかトリビュートでやりたかったのでしょうかねぇ。慶一と組まなくてもHALを継続発展させていけば、もっと早く80年代の「クリスタルナハト」への道は開けたと思うのは僕一人でしょうか?

そういえば去年慶一とパンタがお互いの曲を演奏したPKO Live in Japanというアルバムが出ましたが、ああいうのはリアルタイムで聞いてナンボでしょう。URCからでたパンタ&HALのライブもそうですが、確かに今聞く価値が無いとは言いませんが、やはりあの時代に出すべきだったのでは、と、つくづく考えてしまうのでした。そういう意味では響のアルバムは良いです。
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