オリーブの樹の下で~来歴

 エレピと2本のギターが軽快なイントロを奏で、力を抜いたパンタのボーカルが響く。バックの菊池のコーラスが綺麗にハモっている。曲調はまるで70年代のフォークソング、「ひとりー、ひとりー、Woo」のところが耳に残る。アルバムの1曲目にこんな軽い歌を入れたのは多分初めてではないだろうか。あ、スィート路線の2枚は除いて。「来歴」という詩のタイトルが物語っているように、これは重信房子の半生の履歴であり、それをこのアルバムを購入するであろうオーディエンスの履歴にもオーバーラップするようにパンタが手を入れたのではないか。などと、昔の「若手」ロック評論家時代のようなことを書いてしまったが、全く「予想外」の歌とサウンド、そして歌詞に驚きながらこの「オリーブの樹の下で」を聞いた。

 先日のエントリーに書いたように、このCDが届いてから毎日聞いている。音的にはどこかで聞いたようなフレーズや、アレンジが耳につき、決して今風の流行の音ではないのだが、パンタの技巧的な歌詞と異なり、重信房子のシンプルな歌詞がすんなり耳に入ってくる。僕より一回り上の世代なので、同時代的に経験したことはないが、京都時代に聞いたさまざまな噂話や、また自分自身が大学のキャンパスやサークルのBOXや学生会館で体験したことなどが、ああ、彼女達の時代にも同じようなことがあったのだと普遍的に思えるような歌詞になっている。もともと重信房子という人の書く文章は、易しくて読みやすい。一頃の話の特集によく投稿してあったり、日本赤軍の活動の履歴として1冊の本にまとまったりしたものを読んだが、どれも平易に分かりやすく書かれていた(いや、もちろん「運動用語」や「革命用語」などは専門的で、分かりにくいものも当然多かったが)。

 病気で仕事を辞めて、何も出来なかった頃に「リンゴの木の下であなたを生もうと決めた」という、非常にインパクトのあるタイトルの本を読んだ。そこには革命家であり、なおかつ一人の母親である重信房子の姿が例によって分かりやすい日本語で書かれていた。そこに書かれているのは本の作者の重信房子と娘メイを産み育てていく話だが、僕はそれよりも彼女の父親の末夫を語った部分が印象的だった。この父にしてこの娘ありで、お互いを理解し合えた理想の親子ではなかったか。さまざまな「事件」を起こした娘を、興味本位で糾弾するマスコミに対して毅然たる態度を取る父親。僕にはとても出来ない。

特殊なケースの特殊な親子関係と断じてしまうのは簡単だが、その本の中にはわが子のことを思う親の気持ちがあふれていた。父(末夫)が娘(房子)を思う気持ちと、母(房子)が娘(メイ)を思う気持ちは連綿と続いていく。革命家も子供にとって見れば親なのだ、と当たり前のことを読後考えた。つかこうへいの小説のようにはいかない。

 ロックの歌詞を、それだけ取り上げることに何の意味があるか、とも思うのだが、僕がこのアルバムに惹かれる理由のひとつが素直な感情を表した歌詞にある。みんな知ってるかな、この歌詞を書いた人は未だに拘置所にいて去年、懲役20年の実刑判決を受けたんだ。控訴しているがこれから気の遠くなるような時間が過ぎ、実刑が確定したらシャバに出てくることは先ず不可能だろう。しかし、どの歌詞も明るく楽天的だ。今の時代がおかしいと感じながらも、明日を夢見ることを決して諦めていない。僕もいろいろあるが、落ち込んでばかりいられない。I’m not down(by The Clash)である。

「来歴」 作詞:重信房子 補作詞:PANTA

夕焼けの空 追って トンボ取りに夢中
気づいたら誰も居なくなった 夕暮れに独り
みんな どこに行ったのか ボクは今も独り
トンボを追いかけている 夢にはぐれて 独り 独り

夕暮れの町 追われて 虫カゴでもがいてる
気づいたら誰も居なくなった うなされて起きて
額の汗を拭った ボクは夢の中で
虫カゴの外を見てる 夢に沈んで 独り 独り

アジテーションの叫び ジグザグデモのスクラム
気づいたら誰も居なくなった パクられて独り
みんな どこに行ったのか ボクは今も独り
バリケードの中にいる 夢にはぐれて 独り 独り

ボクは今も独り トンボを追いかけている
夢にはぐれて 独り 独り

夢にはぐれて 独り 独り


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コメント

何事にも浅はかで

あまい私だけど・・「来歴」の詩を読んで革命に生きた重信房子の孤独の部分が、無垢なかたちとなって心に沁み込んでくる感じがしました。「今もひとりトンボを追いかけている」・・・drac-obさんには怒られるかもいれないけれど、とても切ない詩だなぁと思いました。涙が出そうです。

えー、僕は滅多なことでは怒りません

何か大きな誤解というか偏見があるのでは?人を色眼鏡で見てはいけません、なんちゃって。この詩が「とても切ない詩」というのは異議なしっ!です。この人歌集も出してるんですが、そちらは未読です。このエントリーにも書いたけど、以前から読みやすい文章を書く人で、今回のアルバムの歌詞はパンタが手を入れてるけど、本当に素直でジンと沁みる詩ばかりです。ぼつぼつアップしていきますのでお楽しみに。ところで、最近はいろいろ大変だったようですが、少しは落ち着きましたか?

う~ん、正直困るんだよなぁ…

注文したCDがまだ届いてません。当然、未聴なので直接の論評は差し控えますが、基本的に革命やろうなんて連中は、過度のロマンチストなんですよね。まぁ、後出しじゃんけんみたいに現在の視点で批判するのは簡単なので、あまり書きたくないのですけど、その過度のロマンの為には、敵側の暗愚の大衆は殺戮しても仕方ないという思い上がりが、私にはどうしても許せんわけで。

もちろん、時代の情緒や背景というものを斟酌せずに批判するのは簡単ですから、つい抑制的になりますが、そうではあってもやはり許せんわけで。本来、こういうことは、全共闘世代が総括すべき問題ですから、若輩がどうこう言うことにも抑制的なのですが、如何せん肝心の全共闘世代があまりにも生ぬるい。というか、書かれたものを読んでいると、「てめえ、もうちょっと考えろよ」というか、「おどれら、自分のケツぐらいちゃんと拭けよ」というか、いい加減怒ってるワケで…。

そういう反省が無いが故に、最近はプチ右翼みたいなカスがのさばって居るわけで。「こりゃ、お前らの責任だろうが。餓鬼にどういう教育したんじゃ」という気がするわけで。「せめて、お前ら正直に総括せんかい。語らんかい」という気になるわけで。

いや、困ります。

清く、正しく、美しく、全共闘はどこいった

と、パンタも「セクトブギウギ」の中で歌っています(実際のライブでは歌詞を間違えて歌ってませんが)。全共闘世代とカッコでくくるのは、世代主義に毒されてるようで「如何なものか」と思いますが、仰るとおりあれだけ暴れて好き放題して、挙句はモーレツサラリーマンになったりジャパニーズビジネスマンになったりグリンコ(by手塚治虫)になったりした人が多いというのは、本当に「如何なものか」。

まあ、考えてみると「数の力」というものを世間に認識させたのもかの世代で、その中で所謂「自己否定」を貫徹したのはごく僅か、そしてそのほとんどは一切世間に対して発言していないという潔さと同時にそれはちょっとどうなんだといいたいのは同じです。

もっともかの世代の人と何度か話す機会がありましたが「武勇伝」ばかり言い立てる人(丸太抱えて防衛庁なんて出来ねーよ)か、「俺達、壊す世代。キミタチ作る世代」などと勝手なことばかり言われた記憶がほとんどです。そうか、今はやりのネット右翼やプチ右翼(エセ右翼?)の親は、かの世代か。自己批判が足りねーんじゃないの。ちなみに我が家の子供たちは、何故か反権力志向が強いので不思議です。親の僕は「人生要領だ、寄らば大樹の文殊の智慧だ」と教えているのですが…。

あまり他人のBlogでグダグタ言うのは嫌ですが…

例えば、大道寺将司とか、片岡利明の書いた物を読むと、あまりの無知というか不勉強というか、思想的な浅薄さに私は戦慄を感じるわけで…。私はそこに何の共感も持ち得ないのです。むしろ、その低脳ぶりとご都合主義に怒りすら感じます。

それと同じ意味で、「自虐史観に洗脳された左巻き世代」という言葉で思考停止し、「民族」とか「国家」に自己のアイデンティティを投影する最近の馬鹿どもには、同様に怒りを感じるわけです。残念ですが、そこには共通した反知性的粗暴さを感じます。つまり、私にはそこに明白な因果関係を読み取らざるを得ません。世代論を云々するつもりはありませんが、それは明白に「全共闘世代」の親どもの責任です。

元の文章は、遙かに過激なことを書いていたのですが、さすがにご迷惑が掛かるかと、文章を随分削除しました。これ以上は、自分のBlogで書くことにします。重信房子の書いた物は、あまり読んでなかったので、良い機会かと思っています。

重信房子の書いたものは

いわゆる機関紙ぽくないし、あまり革命理論的なことも書いてないです。書いてあっても非常にシンプルというか、教条主義的な感じで肉声を感じられません。ところが、身辺雑記的なものや、パレスチナでの日常をスケッチしたものは非常に読み応えがある、読み物として面白いと僕は思います。PFLPに合流した時の話や、昔のものも面白いのですが今は入手しにくいので「リンゴの木の下~」あたりが手頃では。ブック○フに100円で売ってた時は、流石に涙が出ました。しかし、考えようによってはシホン主義をフンサイするというのはこういうことではないのか、と妙に納得しました。

ブログ楽しみにしています。思いっきりbarrett_hutter 節をかませてください。

リッダ闘争35年記念集会

 何度も聞いています。今日、TALKING HEADを聞いていました。ちょっと、TALKING HEADは気分が重かったので、やなわらばーを聴こうして、カーステに
何もレーベルにかいていないCDを放りこんだら、エレピとギターの音、何度も聞いているのに、パンタであることが一瞬わからなくなりました。
 このアルバムの歌い方の方が今のパンタには自然な感じがします。
 重信房子や日本赤軍をどう評価するか、自分の中でもあまり定まりません。
また、重信が書いた本を読んだこともありません。しかし、東アジア反日の連中や、
連合赤軍とはきちんと区別して考えるべきでしょうし、どこかロマンを感じます。
 今年、6月かな、西部講堂で「リッダ闘争35周年記念集会」が開かれ、足立正生
が話をし、パンタが歌ったみたいですが、仕事に復帰していなければ、行ってたかもしれません。

軽いサウンドなんですが

なぜかしら、繰り返し聞かせるアルバムですよね。とにかく届いてからは本当に毎日聞いています。3曲目の「手紙」のイントロを初めて聞いた時は「なんじゃこりゃ、神田川じゃねーか」と思ったくらいですが、飽きずに聞いています。そのせいかどうか、新しいエントリーを書こうという気になれず、毎日訪問していたサイトからも遠ざかっています。

ひとつには、仕事が今ピークでやってもやっても終わらず、日曜もないザマなのでメシ食ったら寝るという生活です。先ほど携帯でguevasra129さんのコメントを見て起き出して来ました。お互いもう若いとはいえない時代になりましたが「志」だけはいつまでも持っていきたいものです。とはいえ、日常の重さにペチャンコにされそうですが(このあたりちょっと滝田修風に)。
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