板垣死すとも自由は死せず、夏祭り試論

祭りの夜~ホコテン解除の瞬間

 昨日は、お祭りだった。もっとも伝統的なお祭りと異なり、行政が景気浮揚を目的に作った(?)お祭りなので、屋台が沢山出て、メインストリートがホコテンになり、いろんな出し物が出るという、多分日本全国ちょっとした地方都市ではどこでもあるようなものだ。一昨年は家族を連れて見物に行ったが、そのときの人の多さ(一体どこから湧いて出てきたのか、こういう時に人口という単語の存在を実感するな)に辟易して、それ以来パスしていたのだが、今年は下の子が友達と一緒に行くので、帰りに迎えに来て欲しいと頼まれたので、しょうがなく9時前に市役所まで出かけた。

 橋を渡って市役所に向うと、祭り見物を終えて帰り道に着く家族連れやカップル、少年少女達とすれ違った。みんな汗だくである。もうすぐ9時になるというのに温度計は29度を表示している。市役所の噴水のところに着くと、丁度メインストリートのホコテンが解除されるところで、それまでウンカの如く路上にいた人たちが潮が引くように左右の歩道に分散していった。子供をすぐに家に連れて帰ろうと思ったのだが、彼女いわく、友達と一緒だったので、自分の好きなもの(リンゴ飴とか綿菓子など)を買えなかったので、ちょっとだけ屋台を回るというので、仕方なく付いて行った。

 9時にはほとんどの出し物が終わるので、屋台も後片付けしているところが多く、なかなか希望するお店が無かったが10分くらいうろうろしてようやく目的のお菓子を買って、さあ帰ろうとしたそのとき、県庁の楠並木通りが見えた。ここはまだホコテンをやっており、まぶしい照明が車道を照らしていた。普段は車しか通れない道路なので、嬉しくなって道の真ん中に出て歩いた。この前の台風のエントリーでも書いたが、やはり日常と違った風景は人を興奮させる。昔、大学の移転反対のデモに参加したときに、2000人の隊列で烏丸今出川をジグザグしたりフランスやったりした頃を思い出した。もっとも2000人も集まったのは、そのときが最初で最後だったが。

 夏祭りといえば3歳の頃、苦い思い出がある。当時、今は延岡市に吸収合併されてしまった県境の漁村に住んでいたのだが、そこの村のお盆の祭りだったと思う。村の中心部の公民館の前に火の見やぐらがあり、そこを中心に屋台が連なり小さい村だったがやはりどこから湧いたかと思うくらいの人だかりだった。自慢ではないが当時僕の家は貧乏だった。言い訳をすれば当時は、日本全体が貧乏だったような気がする。もっともまだ3歳だったので、当時の僕にとってのニッポンとは、その漁村のことだった。その小さい村には酒屋があり、指物屋があり、鍛冶屋があり旅館があった。肉屋と魚屋は無かった。当然だ。魚は海ですぐ取れたし、肉は鶏やブタを飼っている家でつぶしたものをみなで分け合っていたのだ。

 そのような、原始共産制に近い共同体であったが、悲しいことに貨幣制度はしっかり流通しており、当時からジユーミンシュ党が政権政党だったので、シホン主義は確立されていた(当たり前だ)。当時、僕たち子供にとってのお金、すなわちお小遣いは10円が日常であった。『10円あったらチロルチョコ』というような、10円の貨幣価値が限定されていた時代ではなく、オマケ付きのグリコは買えたし、当たり付きのくじは5円で1回引けた(ちなみに関西の友人とこのくじの話をしていた時に、あちらではくじの事を「あてもん」ということを知った。なるほど「当てる」ものだから「あてもん」、ごもっともである)。そうそう、僕らは「スズメンタマゴ」と呼んでいた、中にピーナッツの入った醤油辛く小さな丸いお菓子は1円で2個買えた。つまり10円で結構な買い物が出来た悲しい時代だったのだ。この時代に我がサークル時代の友人S戸君(くどいけど、かまやつひろしというか豊田勇造そっくりだった)は、10円の付加価値を高めるために「ふ」を買って、それを袋一杯詰めて毎日おやつとして食べていたという。しかし「ふ」ですよ。「ふ」の無い将棋は負け将棋の「ふ」ではなく、吸い物なんかに入れる「ふ」です。当然、何の味もしないが、S戸君に言わせるとくちゃくちゃ何度も咬んでるうちに段々味が出るそうだ。どおりで彼の「えら」は大変発達していた。あれも「ふ」の効用であろう。

 とまあ、日常のお小遣いが10円(もっともそれも毎日もらえたわけではなく、母親が仕事で忙しくオヤツを作る暇がないときだけ貰った)の世界であるからして、非日常の、所謂「ハレ」のお祭りの日はお小遣いがどーんとアップすると思っていた、幼い僕であったが、その祭りの日に母がくれた小遣いは20円であった。しかも出かける前に、無駄遣いをせず、お釣はちゃんと持って帰るよう、きつく言い渡された。

 ここで、ちょっと考えて欲しい。20円でお釣を持って帰るために、使える金額はいくらか。ここで19円などと答える人間は、教科書しか知らない幸せな人である。例の「スズメンタマゴ」であれば19円分(ちなみに宮崎ではこういう時には「19円ガタ」という。例;「おばちゃん、こん、スズメンタマゴ、19円ガタくんない」などと使う。出典Everybody Can Speak Miyazakiben)買う事は不可能ではない。しかしせっかくのお祭りの日に、スズメンタマゴを19円分も買って、ええと、合計38個のスズメンタマゴを食べながら人ごみを歩いていたら鼻血ブー(by谷岡ヤスジ)になること間違い無しである。念を押すが高木ブーではない。鼻血ブーである。

 それでなくとも、屋台には普段見かけないいろんなお店が出ているのだ。うちは父母が生き物は嫌いだったので、ひよこや金魚や亀などを買って帰るわけにはいかない。もっともひよこなど買って帰ったら、太るのを待って、〆て近所の飲み方の時にご馳走として出されるのが関の山だったろう。とにかく、その手の物は買えないというか、買う気はなかった。お面は大変欲しくて、鉄人28号やアトムや七色仮面とかあったが、一番好きだったのはまぼろし探偵で、これはつい手がでてしまい「おじちゃん、いくら」と聞いたら、ああ無情。「20円」と威勢のいい声が返ってきた。

 20円ではお釣がもらえない。ええい、ままよ。まぼろし探偵に変身出来るのだから、思い切って買ってしまい、そのお面をつけたまま家に帰り「お釣は無い。クラーク東郷に取られた」とでも言おうかと考えた。しかし、そんなウソが通用するはずが無いし「だったらクラーク・ケントに頼んで取り返してもらえ」などと気の利いたことを言われるはずも無く、10中8,9いや、間違いなく今後お小遣いは一切禁止という経済封鎖に追い込まれることは間違いないので諦めた。しかし諦めきれずにお面の屋台の前に立っていたら、後ろから名前を呼ばれた。

 振り向くと僕と同い年のいとこで、彼は酒屋の息子で僕らの中でも羽振りのいい、所謂ブルジョワジーの子であった。もちろん当時はそんな単語は知らなかったが。何をしているかと聞かれたので、お面が欲しいが買うのを迷ってると話すと「○坊(僕は子供の頃は、ちゃん付けではなく○○坊と呼ばれていた)、なんぼ小遣いもろた」と聞かれた。正直に20円と答えると、大声で笑われた。「これ見てん」と、彼が手にしていたものは、百円札であった。板垣退助の百円札(by加川良)である。その赤茶色の札を彼は屋台のオッチャンに差し出し、僕が欲しかったまぼろし探偵の面をつけ「うちは、金が一杯あるとだい。カマボコもこんげ厚く切るとだい」と親指と人差し指で5センチくらいの幅を作った。

 非常に口惜しかったが、彼はお金を持ってるだけでなく、僕ら悪ガキ仲間で一番のガキ大将だったので下手にケンカしても負けるだけなので、じっと我慢した。我慢したが、この怒りを何かにぶつけなければ収まらない。ちょっと理屈をつけていうと、ブルジョワジーに対して、ルンペンプロレタリアートの怒りの炎を見せつけてやるのだ。そのためには武装蜂起しかない、などと3歳の子供なりに考えたのだろう。僕は屋台を回ってパチンコ(ゴム管という呼び方を僕たちはしていた。Yの字をした本体にゴムがついており、そこに物を挟んで飛ばすとかなりな破壊力をもたらすアレだ。ちなみに「行き行きて神軍」の故奥崎謙三氏が得意技にしていた奴です)を10円で購入し、いわばこれはハードに当たるので、ソフトも購入せねばと、かんしゃく玉を5個、1個1円なので5円、したがってお釣も5円と、親の顔も立ち僕の怒りもやや収まるいわば三方一両損的な解決をした。

 そのパチンコであたりかまわずかんしゃく玉を撃ったのだが、悲しいことに丁度花火が上がっており、誰からも注目されなかった。いや、一人だけいた。先ほどのまぼろし仮面のお面をつけた子供が見えたので、てっきりいとこだと思い、「あの野郎見てろ」とはっきりと狙いをつけて発射したが、怒りのあまり手元が狂い近くを通りかかった着物姿の女の子の足元で破裂した。普通、足元でカンシャク玉が破裂したら、小さい女の子は泣き出すのだが、流石は漁村の娘である。パチンコを持ってる僕のところに来て「なんすっとね、あんたは。あぶねーが」というや頭を小突かれた。

 まだ理性とか何も無い3歳の頃なので、僕はその子に掴みかかっていったのだが、2,3歳年長の女の子だったので逆に叩かれ、蹴られ、咬み疲れ恥ずかしい話だが泣いてしまった。今思えば、この頃からオンナコドモに泣かされる運命にあったのだろう。さんざんな思いをして家に帰ってお釣を渡したら母はきょとんとして何で全部使わなかったかと聞かれた。あんたがお釣を思って帰れと言ったんだ、というと、あれは僕が無駄遣いしないように諌める意味で言ったなどという。それ以来親の言うことには裏があると思い続けたため、碌な人生を送っていない。あのとき、まぼろし探偵のお面を買っていれば、多分、僕は健やかに育ち、ロックを聴くとか権力に対して反抗するということは無かったのではないか。いや、キッとそうに違いない。

 夏祭りが来るたびに思い出す、幼い頃の思い出である。恐らく、皆さん同じような体験があるのではないかと思う。しかし、今の屋台は何でも500円だ。あんまりである。板垣退助では買えない時代になった。

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